プロローグ 死と転生
続ける気が一応あるから読まないと多分色々なことが分からなくなると思われる。
洒落た店が立ち並ぶ日暮れのパリ市街。仕事帰りの男女が歩道を埋め尽くし、すぐそばの道路には歩道と同じように帰路に就く車が多く見受けられる。疲れ気味に肩を落とすものがいれば、仕事がうまくいったのか上機嫌に見えるものもいる。
ただそういった人間はごく一部であり、大抵は慣れからか無表情で帰路に就いている。
「……腹減ったな。どっか飯屋……開いてねえか」
飲食店を探していると、ショーケースのガラスに自分の姿が映った。ぼさぼさの黒い蓬髪、グレーのコートと黒いスーツの中に白いワイシャツ、そして見るからに疲れ切った顔。かく言う俺も仕事帰りではある。
少し違うところがあるとすれば、わざわざハンブルク郊外から赴いてきたことくらいか。交通費くらいは寄越せと思いつつ用を済ませたが、結局支払われないことになった。
「うっわ、目の下にクマが出来てるじゃねえか……そういや昨日から寝てなかったな」
ホテルで一泊しようにも、観光でもしてストレスを解消しようにも、明日も明後日も仕事があるため、今日中に帰らなければならない。今日という日はここ数年で最悪の日になるな。そう思いながら改札を抜け、新幹線に乗る。
「元はこっちのミスとは言え酷い目にあった」
ため息を吐きつつ思わず吐露する。店もほとんど閉まっていたために飯も食えなかった。仕方がないので途中の都市型スーパーで水とサンドイッチを買って食うことにした。疲れもあってか非常に美味しく感じる……
「……いや、やっぱパッサパサで美味しくねえな」
少し前までは「駅弁」とかいうものが売っていたらしいが、フランスに用事もなく、また期間限定であったために食べる機会がなかった。聞いた話では駅で飯が買えるらしく大層旨いらしい。便利なものだ。そう思い食を進めていたら食べ終わってしまった。
腹を満たしたら、疲れもあってか少し眠くなってきた。寝過ごしたらまずいと思ったが、寝ずに疲れを溜めるのもよくない。少し寝よう。
どれくらい時間が経っただろうか、突然頬をつつかれ目を覚ます。見ると、赤髪ショートカットの少女が俺の顔を覗いている。
いや、それ以前にここは何処だ?どう見ても新幹線の車内ではない、星空のような場所が広がっている。床らしいものが見当たらないが一体俺の座っている椅子はどこに置かれているんだ?考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる。
「ご機嫌いかが?」
赤髪の少女が顔を引いて声をかけてくる。かなり透き通った声だ。見ると片手に本を抱えているが、軍の将校のような恰好をしていることの方が目を引いてしまう。コスプレとかいうやつかと思うがそれは後で聞こう。それよりも……
「ここはどこだ?」
「死後の世界だよ」
即答され少し面食らったがそんなことはどうでもいい。死後の世界だと?冗談や彼女の正気を疑ったが、それを見抜かれたのか「嘘も妄言も言ってないからね」と釘を刺されてしまった。そう言われたところでそっちの名前も素性も知らないのだから信用できるはずもない。
だが自分だけで考えたところでどうにもならん。彼女から情報を聞き出してみるか。へそ曲げられたらまずいからなるべく丁寧に聞かねば。なんか書類読んでるけど話しかけてみるか。
「お前、じゃなかった君は誰だ?」
危ない口が滑るところだった。
「別に普段の調子で喋ってもらって構わないよ?」
気を使われてしまった。
「私はアリス、死神やってるの。よろしくね」
「死神? 何を言っているんだ?」
やはりこの子……
「私は正気だし嘘も言ってないよ」
とうとう先読みされてしまった。しかし見た目のわりに大人びた口調をしているな。それはともかく名前も素性も自称だが判明した。ならば次はこの状況に関して質問しよう…と思ったが先回りされてしまった。
「ここが死後の世界ってことはさっき言ったから何となく分かると思うけど、あなたは死んだよ。というか殺されたね」
そう言うと書類のチェックに戻ったがちょっと待て、聞捨てならないことが聞こえたぞ。
「殺されたってどういうことだ?」
「そのままの意味だよ。新幹線で熟睡していたところをヘッドショットで一撃。まぁ生前の所業を考えたら殺されて当然でしょ」
「分かった風に言うんじゃない、初対面の相手の何を知っているんだ?」
少し苛立ちを覚えつつ聞いてしまった。不味ったかと思ったが、当人は少し息を整え話し始めた。
「エミール・コルトバーグ。享年28歳。1992年10月3日にアメリカ、ウィスコンシンにて生誕。その後8歳の誕生日に押し入った強盗が両親を殺害……葬式の後、親戚を頼りドイツのミュンヘンに渡る。しかし親戚に冷遇され13歳の頃に出奔。ハンブルクに流れ着いた後、殺し屋としての活動を開始し、最期の依頼で一人殺し損ね、逃げた対象を殺すためパリに出向き、帰りの新幹線で射殺され現在に至る」
想像以上に知られていた。というよりも昔馴染みの何でも屋よりも知っているのは流石におかしい。
「大まかな経歴しか分からないけど…これで満足した?」
「まぁ、な。でもどうして活動以前のことを知っているんだ? 常連客どころか昔馴染みさえも知らないはずの情報がいくつかあるが」
そう聞くとアリスは右手に抱えた本を指差した。
「この本は死者の書って言って、ここには死者がここに来るまでの人生が書かれる便利な本なの」
「それで人の一生を覗き見たってことか、道理で詳しいわけだ」
「起きるまで暇だったからね。死んで睡眠なんか必要ないくせにいやに寝つきがよかったし。それにその昔馴染みさんから名前と職業くらいは聞いてたからね。」
何故だか発言の所々にトゲがあるな。とはいえ世間一般で言えば俺は犯罪者であり大量殺人犯であることは否定できないので仕方ないか。
あいつと知り合いであることにも少し驚いたが、昔から顔の広い奴だし変わった知り合いも多いのだろう。流石に自称死神は変わりすぎだと思うが。
ひとまず状況をまとめよう。俺は新幹線で殺され、このアリスとかいう変な少女曰く死後の世界に飛ばされ、ついさっき目を覚ました。死神云々の話はともかく、死んだというのは事実だろう。でなければ起こさないように新幹線からここへ運ぶなんて不可能だ。
そうなると次にすることは何もない。大方どこに送り付けるか審判を下すのだろうが、そうなれば何をしても無駄だ。どこ行くかは想像に難くないが。
「聞くまでもないだろうが俺は地獄行きだろ?」
「まぁ普通ならそうなるけど……」
「普通なら?」
そう繰り返すとアリスは何やら言い淀んだ。一介の死者には話せないことなら別に構わないが、その口から出た言葉は想像の斜め上を行ったものだった。
「寝ている間に本の内容を纏めた資料送ったら、地獄から「何故かは知らないがここ最近悪人が大量に送られるようになって、しかもさっき送られてきた奴で空きがなくなった」って言われて……」
「……つまり地獄にも行けないと」
「死者に罪を償わせないといけないからね、行こうにも数年はここで待つことになるよ。それにそうなった原因に関しては心当たりがあるでしょ?」
それに関しては否定できない。なんせ俺と知り合いの何でも屋といかれた暗殺教団の連中だけでもやりたい放題と言わんばかりに裏の人間やら何やらを殺しまわっている。正直あいつらも地獄行き確定だろうが、あんな奴らを送り付けられた地獄が崩壊する未来がなんとなく見えてしまう。可哀想に。
「ともかく、地獄が満杯ならどうするんだ? いくら何でもこんな何もない空間で数年待つなんてたまったもんじゃないぞ」
「仕事が止まるからそれはないかな。それにその心配はないよ、異世界に放り込むって手段があるから」
「……聞いたことあるな、異世界転生ってやつか? 貰ったラノベとかいうやつに書いてあった」
まあ内容は面白く無かったが。
「その姿のまま放り込むから転生か転移かややこしいけどそういうことだね。現世にはいない生物とか見れない景色があるから面白いよ。行ってみれば?」
「地獄行きの悪人を転生させていいのか?」
「許可も出てるし大丈夫」
誰が許可したんだと思ったが悪くない話だ。悪くないだけにそれだけで猜疑心を刺激するが、他にやることもないので大人しく話に乗ろう。しかしまずは件の異世界について聞いておかなければなるまい。
「俺が行く異世界ってどんなところなんだ?」
「異世界って言っても大量にあるから選んでもらいたいんだけど……」
物件情報を眺めている気分だ。より取り見取りというのは有り難くも面倒くさくもあるな。
「ここなんかどう? 現地の神とか巨人なんかが戦争してる世界」
北欧神話か何かか。
「一日経たずにここへ戻ってくる羽目になるな」
というかなぜそんな最終戦争の只中に放り込もうとするんだ。
「それは私も困るなぁ……あっここは? 魔王とか大量の魔族が居るけど、なろう小説によくある感じの異世界って感じだけど……」
なろう小説というのはあのラノベみたいなもののことだろうか。まあオーソドックスなところなら可もなく不可もなくってとこか。
「さっきのラグナロクに比べれば真っ当だな。没にして変なところ紹介されたら嫌だしここにするか」
「そういうことは心の中で言って。それじゃあ……ゲートオープン!」
アリスがそう宣言すると足元に謎の魔法陣が現れる。
「心配しないで、それは異世界に飛ばすための魔法陣だから」
だとしても事前に説明しろよと文句を言おうとしたら飛ばされてしまった。ふざけやがって。
そう苛立つのもつかの間、そよ風が頬を撫でてきた。そしてあたりを見渡すと、現世よりも高く見える青い空と白い雲、まばらに木の生える鮮やかな草原とうっそうとした森、遠くには城塞都市の壁や城らしき人工物が見える。
……綺麗だ。思い返せば人のごった返す大通りの景色ばかり見てきたからこういった景色は新鮮に感じる。せいぜい似たような世界遺産を絵はがきで見たくらいか。
「ようこそ異世界へ!」
「……なんでいるんだお前?」
「簡潔に言えばガイド兼監視のためかな」
監視ってなんだ。いや、確かに地獄行きの死者をこっちに寄こすとかいう無茶振りはやっているから必要だろうが、せめて監視することくらいは教えて欲しかった。
「さっきのアレとかそのこととか、事前に説明くらいはしてくれ」
「それは悪かったわ。何せ異世界に人を送るのは初めてで……」
おっと、思った以上にポンコツらしいなこいつ。
「それでガイドができるのか不安なんだが。というか死神が席を外して大丈夫なのか?」
「大丈夫、死神って言っても私ひとりじゃないし。ガイドに関しては資料貰ってるから多分行ける」
死神って複数いるのか。まあ考えれば当然の話だろう。一人で世界中の死者の行き先を決めるなんて産業革命期も真っ青の労働環境になる。そうなると異世界行きの許可を出したのはアリスの上司と言ったところだろうか。まぁそんなことはどうでもいい。
問題なのは資料があるからガイドできるとか抜かしていることだ。原稿見ながらプレゼンするようなもんだと思うが……一応遠くの城塞都市について聞くか。
「あの街は何て名前だ?」
「えっと……ちょっと待ってて!」
そういいつつ資料をめくり始めた。……こんな調子で大丈夫なのだろうか。
十日前
「やぁアリス、ご機嫌いかがかな? お茶飲むかい?」
「飲む。……美味しい」
「お前ら人の家のお茶を勝手に煎れて飲むな」
「茶菓子もあれば良かったんだけどねぇ……」
「出ないし出さんぞ」
「ケチだねぇ……それは?」
「森鴎外の『高瀬舟』だ。日本語版は初めて読むが……」
「どうでもいいし、せめてスコーンくらいは欲しいんだけど」
「上司も上司なら部下も部下だな……エミールでもここまで図々しくは無いんだがな」
「エミール? 誰だいそれは?」
「ん? あぁそういえば話したことなかったな。ドイツで殺し屋やってる知り合いだよ。茶は勝手に入れないけどコーヒーの方が好きとかはよく言ってたな」
「だから飲みもしないのに戸棚にコーヒーがあったのか。しかしまたぶっ飛んだ知り合いだねぇ」
「ジャックだって似たようなことやってるくせに」
「うるさいな、何でも屋って看板掲げてるのに頼んでくる奴が多過ぎるんだよ。あと勝手に戸棚を開けるな」
「まぁそういう商売しているのなら近いうちに会うかもねぇ?」
「……俺と同じく恨みを買いまくってるからあり得るな。でもお前、死者と直接会うことはほとんどないって前に言ってなかったか?」
「確かにそうだねぇ。でもアリスなら会うかもしれないよ」
「……まあ、私が担当の内なら会うかもね」