03.彼女は何も喋らない
シキが目覚めてから少し経ち、時刻は既にお昼前。
ミコに勧められ外出の準備を進めていたシキは、宿屋の受付で作業をするミコを見つけ駆け寄った。
シキは治療後からずっと引っかかっていた疑問があり、その真相を知るべく彼女へ問いを投げかける。
「一つ思ったのだが」
「なんでしょう?」
「私達は旧知の仲だったりするか?」
「……? いいえ、シキさんとは数日前に出会ったばかりですが」
「ではネオンとは昔ながらの知り合いであったり」
「私の昔馴染みはサラだけですよ。ネオンさんもシキさんと同じ時に出会ったばかりです」
真意が分からないシキの質問に、ミコは戸惑いを含んだ表情を返す。
それを受けシキは、解けない謎を直接問いかける事にする。
「ならば、どうやって私の名を知った? 見た限りあいつは何も喋らないようだが」
自身ですら知らない情報を、いったいどこから仕入れたのか。
記憶喪失の男はさらに混乱するばかりだった。
「持ち物、ですよ。ネオンさんが手帳に書かれた文字を指差して教えてくれました」
なんだ持ち物か。あっさりとした結末にシキは力が抜けそうになる。
「持ち物か……ん、持ち物?」
ミコの答えに何かが引っかかった。
あるではないか。手がかりがそこに。
「そういった大事な話はもっと早く教えてくれないか!」
シキは急いで部屋へと戻り、卓上へ置いてあった手帳を見つけぱらぱらと中身を確認する。
何でもいい。過去の自分に繋がる記述が無いか目を走らせる。
しかし、束ねられた紙は全て白紙であった。中身だけでなく表紙に背表紙裏表紙と隅々まで確認したが、名前の入れられた刺繍以外に情報は一切書かれていなかった。
「せっかく持っていたのだから有効活用しろ過去の私ィィィ……!」
諦めて白紙の手帳を閉じ、脱力感から卓上へ両手を突き落ち込むシキ。
そのまま目線を床に落とすと、足元に小さな紙切れが落ちているのを発見する。
シキは急いで拾い上げ、手帳から千切られた跡のある紙切れを確認する。そこには、ある単語が書かれていた。
『ネオン』
「……?」
それは少女の名前であった。
ミコはこの手帳から名前を知ったと言っていた。つまり、ネオンの名前もこれで知ったという訳だ。
結局のところ、目新しい手がかりは何一つとして見つからなかった。諦めて再び外へ出ようとするシキ。手帳を懐へ入れ扉の方へ振り返ろうとしたその時、ふと窓に映る自身の姿が目に入った。
男性にしては長めの癖のかかった赤髪に、やや大柄で筋肉質ながっしりとした身体。そして金と黒を中心とした、やたらと宗教色のある衣服がその身を包む。男はどこかの教会で勤める神父だったのか。それとも思わせるために着込んでいただけの詐欺師か。はたまた形だけそれっぽいただの手品師か何かだったのか。
男には記憶がない。何故このような服を着ているのか。いつどこから運ばれてきたのか。そもそもなぜ気を失っていたのか。窓の向こうに映る彼へ問いかけるように様々な事を考えたが、彼は何も答えてはくれない。
男は切なげに顔を戻し扉へ手を掛けると、物思いに目を閉じた。
「……顔は悪くないな」
くだらない事を考えた自分を、男は鼻で笑った。
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時刻は正午過ぎ。日の光もそろそろ最高潮を迎えそうなお昼頃。
シキはネオンを連れて、ミコに紹介されたこの辺りでは一番と呼ばれる商店街を訪れていた。
街を歩く、と言っても当然シキはこの街の通貨を持ち合わせていない。その事を見越したミコは、僅かながら資金を渡していた。ミコへの感謝と共に、この資金を何に使うべきか慎重に考えた。
商店街の規模は小さいながらも飲食から装飾品、武器に医療具にはたまた何に使うのか分からない怪しげな雑貨屋まで、必要なものは全てこの中で揃えそうなほど多種多様な店が揃った立派な場所だ。
そしてなによりシキが驚いたのは、客引きの方法だ。派手に炎を上げ注目を集めたり、水を使った立体的な宣伝や料理の臭いを風に乗せたりと、あの手この手で一人でも客を増やそうとあちこちで盛り上がっている。本当にこの世界では、魔術というものが浸透しているのだとシキは実感させられる。
そんな華やかで賑やかで穏やかな街の一角で、大柄な男と無機質な少女は小さな机を挟み、淡々と食事を進めていた。
「………」
「………」
「………………」
「………………」
(…………何だこの状況は)
二人が机を挟む少し前の出来事だ。
ネオンは時折り現れる客引きを全て無視し、気まずそうに身を引く彼らを一切見ずに歩き進めていた。驚愕の目でネオンを見つめたシキだが、そんな事などつゆ知らず彼女は黙々と歩き続ける。
もう我慢ならない。このままでは何も分からず宿屋に戻りかねない。しびれを切らしたシキは近くに適当な飲食店を見つけると、とうとう沈黙を破り口を開く。
「……腹が減ってきたな。そうだお前も腹が減ってきただろう? ほら、そこの香ばしい肉や瑞々しい野菜を焼きたてのパンで挟んだ料理など美味しそうではないか。えーなになに?『期間限定! 超ジューシー肉厚サンドイッチ!! この肉汁、今食べなきゃ損するぜ!?』……? よく分からんが見ているだけでよだれが零れ落ちそうだ。食べたくはないか? 食べたくなってきただろう? なぁネオンよ」
シキの声を聞き、ネオンは飲食店の看板を見つめる。そして確認するようにシキの方へ振り向く。そんな彼女の様子を見て、行けと言わんばかりにシキはにっこりと笑顔を作り深く頷いた。
結果、品物を受け取った二人は店舗の前にある小さな机を挟み腰を掛け、そして現在に至る。街の雰囲気にほんのり合わない二人は周りの注目を集めていたが、シキにとってはそれどころではなかった。
異様な雰囲気に飲まれ黙っていたシキであったが、なぜ彼女を連れて外出したのか今一度思い出す。
ついに来た。謎の少女ネオンと対面で話す機会がやっと訪れたのだ。シキは待ちに待った機会とばかりに質問を投げかける。
「ネオン、ミコに私の名前を伝えたのはお前らしいな」
ネオンは気にせず黙々と食べ続ける。
「お前は記憶が無くなる前の私を、知っているのか?」
何かが引っかかったのか、食を進める手が止まった。
「記憶が無くなった原因も分かっているのか?」
シキの威圧的な声を聞き、持っていたサンドイッチを皿へと戻す。
「その原因にお前は関わっているのだな?」
「…………」
数秒の沈黙の後、ネオンは小さく頷いた。
シキは深くため息をつく。人差し指で自分の頭をトントンと叩き、突きつけるように言葉を口にした。
「戻せ、今すぐに」
ネオンは間髪入れず首を横へ振り、否定する。
「なぜ出来ない? お前が記憶を消したのではないのか!?」
シキは感情的に立ち上がり、ネオンへ顔を近づけ詰め寄る。しかしネオンは視線を落とし何も答えない。少しの間睨み続けていたが、ネオンはピクリとも動かなかった。
二人に再び沈黙が訪れる。シキは一度自身の席へ戻り、購入したサンドイッチを口にしながら考える。今すべき事は何か、知りたい事は何か、ネオンが知っている事は何か。ならば、何を聞けば答えへ辿り着けるか。
黙々と食事を進め最後の一口をゴクリと音を立て飲み込んだシキは、一息つき呼吸を整える。そして、導き出した一つの問いをネオンへ伝えた。
「では一つだけ問おう、ネオンよ」
「…………」
シキの声を聞き、ネオンは彼の顔をじっと見つめる。
「記憶を取り戻す方法はあるのか?」
一か八か。
記憶の無いシキは、ここにいる意味も、生まれてきた理由さえも失っていた。
記憶は戻るのか戻らないのか。運命の分岐路に立たされたシキは、自らの未来をネオンへと託した。
ネオンは考え込むようにしばらく目を伏せ、直後視線をギラリとシキの目に合わせる。
そして──────。
こくり。
ネオンは、シキの進むべき道を示すのであった。