出発
幾たびと鉄の轍を延伸し、大陸縦貫鉄道の名を冠した国営大陸鉄道は開設以来初めてとなる終着駅の後退を決定した。
情勢不安による一時的措置との発表ではあったが、大衆紙はその発表を元に、事実上の失陥地と戦線の予想を引いた。
前線は州都スルシティ以南、メーが滞在するスプリングズは最早レッドラインの先にあった。
ニューホープを出てから一週間、リーはチワワにて不要な足踏みを余儀なくされた。
戦時ダイアの混乱がもたらした非効率と不正が、平時であるなら一分とかからず済むことを許可証なり身分証なり役所の手続きなりと様々な迂回を要求し、リーはチワワ-スルシティ間の切符の入手に三日を要した。
リー当人はこの切符の発行遅延に怒り心頭という具合だったが、賄賂や泣き落としなどの非正規の手段を挟まず、すべてが正規の手続きによって切符が発行されたとしたなら、三日程度の足止めで済んだのは幸運なほうであった。
黒鉄の長躯が横たわり、剥き出しの車輪は黒くてらてらと光を反射する。蒸気機関の白煙り、煤煙と水蒸気に燻された人波がホームで入り乱れ、それぞれが抱えた大荷物が角を突き合わす。
避難民でごった返すホームを抜けて、リーは人混みに揉まれた服装を整えながら、列車へと乗り込む。
南部行の列車は避難民を満載したセントラル行きの列車とは対象的な空き方をしている。
そもそも、こんなに空いた列車の切符を取るに身元照会が必要となる理由がわからんが、ハーウィックめ、なにが一週間待ってからならだ。後三日遅ければ移動制限がかかっただろうよ。この人波の皆が北への疎開者だというのだ、悠長に構えていてはスルシティにつく頃には人っ子一人見当たらなくなってしまう。
存外亜人共もなかなかの気骨に溢れていやがる。
「旦那、奥へ行くのはよしなさいよ」
声の元へ目を向ける、どこか堅気為らざる様子の小グループからすきっ歯の男が座席の横から首を出し、リーを訝るように睨み付けていた。
彼らは客車の手前に固まっている。すきっぱの男を取り巻く五六人は席にも座らず、リーに背を向けて通路を塞ぐように固まっていた。彼らはリーとすきっ歯の会話を不自然なほど無視し、車両の後部を警戒している。
「何か問題でもあるのか?」
「奥には魔術師がいるのよ、まあここいらに腰を下ろしな」
壮年にさしかかったシワが目だつ男だ。人相の割りに物腰は軟らかい。確かに魔術師との揉め事は厄介だが、とはいえ、小汚い連中と一緒に列車で揺られるのはご遠慮させていただきたい。
「ありがとう、そこまで奥には行かないさ」
「ちょっと!旦那」
男は腕を伸ばしリーを引き留めようとする。
「おいっ!スリか!」
サッと身を引き、リーは声を荒げる。声をあげた本人でも少し驚くような拒絶の感情が剥き出しの声だった。
すきっ歯の周りの男達は状況の変化に構えてか、表情もなく一斉にリーを睨みつけてくる。値踏みするような、全身を舐める視線だ。
取り巻きの一人の若者が気だるげに口を開く。
「……他人の親切を無下にするやつはいけねぇよ。軍人さん、俺たちは別に何も悪いこたぁしてねぇのによ、そう邪険にされるとちょっと頭にくるな。まあ、座んなよ」
若者は軽くコートを開き、ホルスターに納められたリボルバーをちらつかせる。やはり、こいつら堅気ではなさそうだ。傭兵かごろつきだろうが、こちらは軍服を着た身、引けば州軍の名が廃る。
リーは例え殺し合いになろうとも、まず淡化は切っておかねばならないと覚悟を決めた。
「何だクソガキ、俺は貴様と違って銃がなければ人を殺せんような腑抜けではないぞ。試してみるか」
「おうおうおう、そうかいそうかい」
威嚇丸出しに顔を付きだし、若者は腰に手をまわすと、すきっ歯が若者を小突く。
「やめろや、いくら馬鹿もんでも勘定は己の分だけにしとけ。すまんね旦那」
「なんでぇよ、謝るのこっちじゃあねえよ!」
若者が軽く地団駄を踏み、そう抗議するのをすきっぱはげんこつを振り下ろして制する。
「俺が別に気にしてねぇのに、テメーが勝手やるのは問題じゃねぇのか!」
「やめろよ、俺はボスのために身を張ったのによ」
「けつの青いガキがなに一丁前に言うか」
すきっぱと若者が言い合いを始めると、回りはボスと呼ばれたすきっぱに歩調を合わせ若者を嗜める。張りつめた空気を解すためか、すきっぱは若者が滑稽に見えるように叱っている。
取り巻きの一人がリーへ手振りで先に行くよう合図する。
「すまんね軍人さん、うちの若いのが粗相しちまって。こいつ少しばかし気が立ってるんだ」
「行き先が行き先だ、こちらも気が立っていた。ご老人をスリ呼ばわりしたことは申し訳なかった」
リーは謝罪を口にすると、促されるまま彼らの間を抜ける。
どいつも腰には武器を下げているな。公共の場じゃあさすがにサーベルは正装でもしなければ逮捕される案件だがな。
なかなかの客層だ。こんな奴らばかりへの商売だから南部行きは一等客車の切り離し運行となるのか。
「俺はまだ老人って歳じゃないがね。お互い長生きしような旦那!」
背中越しのすきっぱの声に、リーは軍帽を取り、謝意を示した。