ムアーテイ夫人地獄に落ちるべし
季節は夏、ニューホープ州郊外にて。
新都の計画都市も遠く、開拓時代の地所そのままの広々とした高級住宅街の外れにその館はあった。
通りから薔薇の生け垣で隔てられ、訪問客が門を潜ると噴水が高く穹窿を創ったあの洒脱な前庭は、現在おびただしい数の墓石がたっている。
風雨や塵に汚れてはいない屋敷の漆喰とは正反対の墓碑銘すら読み取れない墓石の群。それはある一角には整然と立ち並び、またある隅にはそれは雑然と山のように積み上げられている。
辺りには棺桶がところどころに放置され、埋葬を今かと待ち続ける様は世紀末的様相を呈している。
カピロテ頭巾の退魔士が感極まり、銀の弾丸を装填した回転式拳銃を天に掲げ、夜空を撃ち抜いた。
「死霊術師に死を!」
各々の獲物を掲げる善良なる市民の一団がその音頭へと続く。
「「ムアーテイ夫人を殺せ!」」
今宵は地上げ運動の最高潮である。
館の二階で窓越しにその声へと耳を傾ける少女は儚げな胸を指先で撫でた。
瑞々しい白髪の少女だ。月の雫を染み込ませたような銀糸の長髪を彼女はその細い背中に流している。
少女の横顔はどこか奇妙な含みがある美貌だった。
彼女の黒を基調にしたゴシックドレスとその病的に白い頬の対置か、彼女の背後を伸びる陰鬱な色彩と射し込む月の光の調和がいかにも怪しげに少女を飾っているからか。
こんな剣呑な夜は、ムアーテイ夫人の美しさは人為らざる者のあり方を感じさせた。
「死霊術師に死を!冒涜に死を!戦争犯罪人に死を!死体はとっとと墓に戻れ!」
辺りに充満するスローガンの唱和にムアーテイ夫人は悲しげに首を傾げる。
私ってなぜか嫌われものになるのよね。もう鼻つまみものになるのなんかは慣れっこだけど、それでも今回は酷くないかしら。最近の私っていろいろと努力はしていたと思うのだけど。どうして誰もわかってはくれないのかしら。
夫人は普段から美しい少女として扱われる事を望んでいた。そのためか、外見がままに子供らしく、彼女は努めて明るく振るまう節があった。
「私はあなた方と何も違いはないのよ、私はあなたの十年後、それとも二十年後かしら。はたまた五十年後の姿、私はあなたと何にも違いはないの」
ああ、いけないわ。柄にもなくしんみりとしてしまう。
だから、一喜一憂は大袈裟に、手振りは踊るが如く。いつも気をつけているじゃない、子供は皆陽気なのよ。
私は何十年と前からずっとおしゃべりな子供のまま。死んだあの日から何一つ変わらず、無垢な死体のまま。
「あなた達だってさ、やがて私になるのよ」
(銃声、銃声、銃声……)
館を取り囲むひしめく音の群れから銃声が飛び出す。月夜の薄暗がりを飛び交う礫と火球が窓越しにちらちらと過ぎては戻り。窓ガラスを突き抜けた瓶が弾け、炎の花を床にまき散らす。
誰かの叫びがかき消えるほどの怒声の渦が、長く尾をひく。
本当死体には生き辛い世の中になったわね。
昔はそれこそ津々浦々の路地裏には様々な死体が転がっていたものだわ。そこが死体の居場所って暗黙の了解になっていて、いえ別にどこへいったって良かったのよ、死体は死体なりに人々から認められていたのだから。
ムアーテイ夫人は扇を取り出すと、口元を隠し、小さく歌いあげる。
「野良犬、野良猫、アナキスト。馬鹿に、詩人に、フーテンに。皆が皆平等に、ドブへ頭を突っ込んで、ウジ虫諸君に腹差し出して、精一杯腐っていくのが世の常さ、お天道様は万事ご存知お認めさまさま。……そうよ、それが世の常」
(一呼吸)
「それが今ではお払い箱へ、かしこで死体は追放処分。畜生にまで棺を与えられる今生では、死体は墓場に溢れんばかり」
どこに私の居場所があるの?
身嗜みには気をつけていたわ。万が一にも変な匂いがしようものなら死臭がするだなんて噂されるから、香水はいつも気持ちいいくらい振り撒いて歩いたの。
魔女だの、死神だのの風説もなんのその、墓守の仕事と子育ての両立に奔走してと、誰にも指をさされる行いはしてこなかったつもりだけど。でも結局私は嫌われ者。
「大枚を払った私の庭園が踏み荒されているのに」
(ああ、こんな事になるならあそこには野荊を植えておけば良かったわ)
「外界から輸入した噴水も、きっともう綺麗なアーチが台無しにされているのでしょうけれど」
(ああ、こんな事になるならあそこはただの穴っぽこで十分だったわ)
「手塩にかけて育ててきた私の子供たちが今無為に殺されているのがわかってはいても」
(ああ、こんな事になるならこんな子供たちは皆引き取ったそばから首を折っておくのでしたわ)
「それなのに」
(世界はなんと灰色なのでしょう)
ムアーテイ夫人は穏やにあおぐ手を止め、不意に扇をなげすてた。
「昔は素晴らしい世界があったのよ、目に映るものすべての物と事象が輝きをこぼしていたの。素晴らしい時代は満ちていて、美しい死が私の傍らにはあった」
夫人はバルコニーで屈みこむ息子に向かってそう呟くと、すっかり煙臭くなった黒衣のドレスをパタパタとはたき、歩き出す。
「調子はどーお?」
「お、お袋!さっきダズが殺られたよ、見えたんだ!下で!」
庭園からの射撃に応射する息子の必死な表情に夫人は吹き出す。
「フフッ、あんたって本当私に似なかったわね、お父さんでもこんな不細工はしないわよ」
「いつもの冗談は今は止めろ!だから、だから早くピストルの弾をもってこいって!」
「大丈夫、決心がついたわ」
夫人は老いを喪失したその身体でなおも脈打つ心臓に手をかざした。年格好は十四五といったところの少女の顔には、あまりにも似合いすぎるいたずら娘らしい邪悪さと、男を誑かす妖しさを浮かべ、彼女はバルコニーの手すりへ飛び乗った。
「美しい死をもう一度」