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猜疑

 アラームより先に目が覚めたのは、肉の脂の香ばしい匂いが立ち込めたからだ。アヤカが台所で朝食を作っていた。厚切りベーコンとブロッコリーのマヨネーズ炒め、インスタントだが味噌汁まで用意されていた。


 先日まで、食パンを焼くだけだった。なにが彼女をそこまで突き動かすのか。


 彼女は大阪駅で俺に目撃されていたことに気づいていたのか。罪悪感から帰ることができず夜を明かしてから、朝食を拵えて、温情を得ようとしているのか。


 リビングに現れた俺を見て、雑穀米を茶碗に盛った。彼女もテーブルについた。


「今日は何時くらいになりそう?」と事も無げに聞くから、いつもと変わらんと答えた。彼女はテレビをつけた。今日もテレビは何も言うことがないようだ。俺はネット配信のドラマを再生した。彼女はテレビを消した。




 大阪駅は、アヤカがいるはずのない場所であった。まず、今の彼女の体調で遠出はほぼ不可能だ。家の外に出ると体が震えるらしく、ネットスーパーをはじめ通院以外では家から出ない。


 それに人混みがきらいだからだ。俺も仕事じゃなければ好んで大阪駅は使わないが、彼女のそれは尋常ではない。環状線に一駅乗るだけで、電車酔いをする。




 俺は未だに信じられずにいた。あの日、他店視察から帰った後も俺は呆然としていた。


 店長は俺の体調不良を気にしていたが、夏バテですと答えておいた。スポーツドリンクは水で薄めて飲むといいよとアドバイスをくれた。


「最近、すごくしんどそうやから」


「すいません」


「夏バテか、はやいな。奥さんのこともあるから、体が悲鳴をあげてるとかじゃなければええけど。ここで倒れんのはやめてや」と店長はこちらを見ずに笑っていた。




 昨日より早く、いつもの時間に家に帰った。アヤカはソファーで眠っていた。


「晩飯は?」


「あ、うぇ、ごめん」


「いいよ。外出れる?」


 彼女はその場でパジャマを脱いで、ショーツだけの姿で衣装ダンスの前にたった。除菌シートで、うっすらとてかる汗を、俺の視界のなかで二の腕や腋だけでなく胸をもちあげ溜まった汗を拭く。


「ホントに大丈夫か……」


「今さらじゃん」


 彼女はTシャツに薄手のカーディガンを羽織り、美味しいカレーのあった『ルビー』がいいと、徒歩圏内の定食屋を指定した。




 入店すると、店の婦人は陽気な顔をして、いつもありがとねと言った。彼女のことを覚えていたらしい。なんと良い記憶力か。


 夫婦でカレー定食を注文した。婦人はお冷やとおしぼりを持ってきた。




「今日は旦那様もご一緒ですか?」


「あれ、前も一緒に来たやろ?」


「いや俺、はじめてな気がする」


「はい、以前、奥様のみでご来店いただきましたよ」ニッコリとした笑顔が愛らしい婦人だった。


 対してアヤカは、少ししんどそうな顔であった。




「明日の予定ある?」いつも家にいるから何をしているのか気になった。


「体調次第かな。いけそうなら久しぶりに買い物にでも行こかな」


 どうも口を割らない。俺は、あの一緒にいた男は誰だと単刀直入に聞こうとしたが、おしとやかな店の雰囲気を尊重して今晩は何も言い出さないことにした。


「今度の休みなんだけど、仕事になっちゃった」


「そう」


「だから、ごめん」


「謝らなくても」


 証拠を掴むため、俺は彼女が自由にできる日を作った。休日を少しばかり監視していたら間男が分かると思った。ただし致命的なことだが、間男が俺の急な仕事に合わせてやってくると限らないことだ。


 スパイスの効いているわりに野菜の甘味が目立つ、食べやすいカレーだった。よく見れば近くの席で子供が平気な顔で食べていた。俺はホテルの中辛カレーでさえ残していた気がする。


「チーズケーキ頼むけど、いる?」


「いや、大丈夫」


「疲れてない?」


「そうみえるんか。店長にも言われた」


 彼女は申し訳なさそうな顔をする。その顔が彼女の自然なものなのか策士なのかをはかりかねた。


「いや、たぶん私のせいやろな」


「なんでそう思うの?」


 俺は、説得的な態度を見せようと思ったものの、彼女が男といた光景が頭をよぎり、自白でもするのかと思ったが、もちろんそうではなかった。


 もう私は、役に立たない、死にたい、疲れた、という弱音をはかなくなった。療養して落ち着いたが、休職直前は、よってたかって私を殺すつもりだとも言っていたから、だいぶ快復しているようだ。それ自体は、喜ばしい。

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