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8.

 その頃弓音は進展のない恋をしていた。新卒で入った会社の同僚で、新入社員歓迎会で仲良くなった同期の違う部署の男だった。入社して4年目で、弓音達の同期にも一人寿退社が出た。弓音もこのままならきっと、この人と結婚して寿退社だろうなと思っていたけれど、どうも芳しくないのは会う回数が減ってきていたことだった。電話に出る回数も圧倒的に少なくなっていた。そうかと言って、追いかけるように電話をしたり、「最近会えないね」などと可愛く拗ねて見せることも当時の弓音にはできなかった。人を好きになるということの本当の意味を、そのときの弓音は知っていたのだろうか。恋とは、やがてときめきを失うもの。いつかそっけなさに塗れた安心を手に入れる為の。自分だけは違う、そう否定しながらも、それならなぜ誰もみな同じ道を辿るのか、夢ばかり見ているほど若くもなかった。──と、そのときの弓音は思っていた。


 渋い赤ワインを一口飲んで、弓音はグラスを置いた。小さなクラッチバッグの中の携帯電話は少しも震えない。伏せたまつげの先に円卓の向かいの先輩が高砂に向かって構えたデジカメのフラッシュが光った。


 「フラれたんだ、やーいやーい」

 と、航が言った。

 「な、フラれてないよ!!」

 と、弓音は言った。心の中で小さく「まだ」と付け加えた。その声が航には聞こえたのだろうか。航はそれ以上何も言わずにしばらく弓音の横顔を見守っていた。横顔を見られていると気づいていて、弓音は目を上げることができないままワイングラスを見つめていた。赤いワインのふちに、フラワーアレンジがひしゃげて平べったく映っているのが見えた。

 「ユミオ?人間、顔じゃねーよ?」

 と、航が言った。

 「どういう意味よっ!?つか、呼び捨てすんなって言ってんでしょ!?えらくなったじゃんよ。じゃなくて…!まだフラレテナイ!」

 「はいはい、『まだ』ね、『まだ』ね。──ユミオ、いいか?よく聞け!人間、心が大事。人間、顔じゃないんだ。あ!ゆみさんの場合、どっちもだめなのかー、ザンネーン。まぁ飲め、飲め~!大丈夫、ヒトはスキズキ。ゆみさんのこと可愛いって言ってくれる人もきっといるからね、この広い世の中には。」

 と、航は言って、円卓の中央からビール瓶を取り、弓音のグラスに注いだ。高い位置から低い位置へ、ビール瓶をわざとらしく振り上げ、振り下げながら注ぐ姿のバカさ加減に呆れながら、弓音は笑って目尻の涙を拭った。航の屈託ない笑顔が眩しくて弓音は彼から目を逸らし、ビールのグラスをごくごくと煽った。平らげたローストビーフのプレートが下げられた後のテーブルの空白に 頬杖をつくと、左手首につけた淡水パールのブレスレットがシャラリと鳴った。ビール瓶を戻す航のジャケットの袖から、角を切ったシャツのカフと、それから航の手首がのぞいた。





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