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26.

 都心のターミナル駅はあまりにたくさんの出入り口があってよく通るのにあまり使わない出口というのがある。弓音は腕時計を確認して雑踏を逆流する方向へと踏み入った。古くなった蛍光灯がチラつく短い通路を足早に通りすぎる。

急に開けた視界はまだ明るく、夜の始まりの時間でありながら健康的だった。


 言われた通りに古い道の二本目にところどころ文字も板そのものも欠けた通りの名前の看板がある。通りを覗き込むように上半身だけを突っ込むと、今にも取れてしまいそうな木のドアが開いて、不審げにこちらをみやる老人がパタリとまたドアを閉めた。

 意を決したように弓音は二歩、三歩とその通りに踏み出して、程なく航の言う店を見つけた。


 引き戸は開け放してある。暖簾が内側に掛かっているところを見ると、どうもまだ営業していないのだろうか。時間的には居酒屋も開いていてよい時間だと思われるのに。中を伺うと、航はしっかりとカウンターに腰掛けて、すでにビールジョッキを手にしている。


 「ここ?」

 入ったものかどうか迷うように声をかけると、航は「おお!」とジョッキを持ち上げた。カウンターの中から髭をたくわえた男性が立ち上がって「いらっしゃい!」と弓音に声をかけた。弓音は小さく会釈をして、中に入った。



 「直ぐ分かった?」

 「ん、まぁ。」

 「ここ、すんげー旨いの。何食っても旨いの。混んでないしね」

 「混んでないってとこは余計だよ」

 「すまん。なんつうの、馬鹿みたいにならぶのって面倒じゃん。ほどほどが一番よ、なんでも。」

常連なのだろうか、店主と軽口をたたいている様が自然だ。

 「ゆみさん、ビール?」

 「うん。」

 「あいよ。」


 小さな冷蔵庫がいくつも並んでいる。そのひとつをパタンと締めて店主は瓶ビールの栓を抜いた。綺麗な泡のグラスを渡しながら

 「綺麗どころがくるのは珍しいよね、この店には。」

 とありがちなお世辞を言って笑った。

 「綺麗どころが来るの?いつ?」

 と、航が受ける。

 「ちょっと!」

 弓音は肘で航を小突いた。

 「なに寝ぼけてんのよ。あたしでしょ、あたし。あ~、分かった!さてはダイモン、お子ちゃまだからね、おネムだな。ネンネね~」

 椅子に座りながらぽんぽんと航の頭をはたいた。その弓音の手首を航がぎゅっと握る。航はもう酔っているのだろうか?弓音の手をそっと下ろして、カウンターの上でぎゅっと握った。手首を握る手の大きさに戸惑った。夫よりも幾分か大きい。航は笑っていてそれはただの戯れに過ぎないのに、弓音は自分の軽率さを思う。けれど、どうやって手を引こうかと、弓音がほんの少し迷う間に航の手はすぐにそこからどいて椅子の背に肘を凭せ掛けて弓音の手のことなど忘れてしまったようだった。


 髭面の店主は、一間に掛かる暖簾を外にだしてまたカウンターにもどると、温めた煮物や炙り物などの小皿を弓音と航の前にいくつか置いて、また何か仕込み始める。航は、ほぐした魚と海草をあえた小鉢を口に運んで噛み飲み込むと、

 「やっぱり、んまい!」と

 店主の背中に届く声で言った。

 その言葉につられて弓音も箸をとった。確かに味がいい。

 「真面目な味だ」

 と、弓音は言った。

 航は、少し目を見開いてそして「だよな?」と、嬉しそうに笑った。




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