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22.

 黒岩はワイングラスを傾けた。飲めないくせになんでいつもアルコールを飲むのだろう。弓音は少し心配げに黒岩を見て、チキンソテーを切り分けた。


 黒岩が取引先で聞いたという店はグリル料理の美味しい店で、小さな佇まいだが雰囲気のいい店だった。黒岩の妻は食べ物の好き嫌いが割りに激しい。妻を誘ってもあまり喜んで貰えそうにない店にためしに行ってみようというときは大概弓音が付き合った。家庭があると言っても夫だけだし、時間的に自由が利く身近な友人として今は一番身近なのだろうと思う。お互いにそうだ。こんな風に、まっすぐに家に帰りたくない日というのが弓音にはたまにあって、そんな時は大抵黒岩に付き合ってもらうような気がする。お互いに既婚者で、仕事のことも、家族のこともある程度知っている。とても楽だった。



 ズルリとむけたトリの皮ごと黒岩の取り皿に乗せて、弓音はいつもどおり


 「皮はやだ」


 と、宣言した。


 「うん。焼き鳥の皮は食べるのにね」


と黒岩は答えて、取り分けられたトリに手をつけながら


 「ありがとう」


 と優しい声色で言う。


 こういうところが奥さんは好きなんだろうなあ、と弓音はいつも思う。



 その時、黒岩のスマートフォンがテーブルの端で震えた。


 「・・・・もしもし?あぁ、うん、そう、いま中倉さんと──」


 スマートフォンを手にした黒岩は出入り口の方へ歩いていった。


 弓音はハンドバッグに入れたままの携帯電話を膝の上で確認して、またバッグに戻した。内ポケットに入ったショップカードがちらりと目に入った。



 ケータリングカーの窓から差し出された人差指と中指で挟んだショップカード。色違いのバンダナに包まれた弁当箱を掲げた腕。「あと、」と言って黙り込んだ後に笑った口元。昼間見た航を切り取った姿が、薄暗い照明に照らされてテーブルクロスの上に次々に浮かんだ。グリルレストランに似つかわしいテーブルクロスは深い緑色だった。その緑色の深さが弓音の脳裏でチリリと鈴を鳴らす。



 「ひまわり…」


 弓音はショップカードを取り出した。太陽のような花。


 「そうだ、向日葵だった。」



 大学時代によく行った喫茶店の名前だった。ちょうどこういう色の深い緑色の布がテーブルのガラスの板の下に入っていた。


 その喫茶店のアイスコーヒーが好きだった。真冬でもアイスコーヒーを頼んだ。


『温かいのじゃなくていいの?寒くて震えてたくせに』


『アイスなの、ここではアイスコーヒーなの。』


『まぁ、分かる。うまいよね、ここのアイスコーヒーは。真面目に淹れてる。』


 隣の席の誰かに何かを渡して笑っていた横顔──あの時隣にいたのは直美ちゃんだったろうか?自分の隣には誰がいたっけ。その人物がカフェモカを頼んでいたのは覚えている。温かな湯気がのぼって・・・あの頃、ちょっと流行った飲み物だ・・・。マスターの描いた向日葵の絵がまるで目玉焼きみたいだと学生は言っていて。



あの日、自販機の前で航を振り切るように話を切り上げた日からそれまでのぎこちなさが嘘のように穏やかに、前の席に座った航と何か話した。真面目な顔をした航の顔。それからとても照れくさそうに微笑んだ。「なんだよ。」その顔を思い出す。「こんな顔をするんだ」と思いながら、弓音は多分無遠慮にその顔を見ていたのだ。



 「ごめん、おまたせ。」


 黒岩が戻ってきた。細い身体を滑り込ませるように座る。携帯電話を胸ポケットにしまって、冷めた鳥の皮をつついた。





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