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14.



 下書きフォルダーに入ったままのメールを見ないようにして一週間が経とうとしていた。水曜日を翌日に控えて弓音は空隙の多い冷蔵庫をパタリと閉める。今日は本当は駅前のスーパーで売り出しをしていた。だから、ちょこっと寄って何か見繕ってきても良かったのだ。その気があれば今だって閉店時間ギリギリにもぐりこむこともできそうだった。そうすれば明日のお弁当くらい作れる。

 ウッドリムの先にカラフルなインデックスのついた掛け時計をぼんやりと見上げていた弓音は冷蔵庫から背中を離した。スリッパの音が床の上で小さく鳴る。ソファに体重全部を預けて、テレビのスイッチを押した。一話完結のミステリドラマで、背の低い華奢な男が人差し指を立てて何かをしきりに説明していた。隣でコンピューターを覗き込んでいた背の高い方の刑事が、急いで頭を上げて華奢な男に大発見を告げると、華奢な男は得意げに眼鏡を持ち上げてにやりと笑った。部屋を出て行く二人の背中を、カメラは追い続ける。

 航はいつもあんなふうにリムのブリッジを中指でくいっと押し上げる。それを弓音はいつも、航独特の仕草のように感じていた。眼鏡をしている男なんて五万といる。その中にブリッジを中指で押し上げて眼鏡を直す男だっていくらだっているのだろうに、なぜか弓音はいつもその仕草をどこか別の場所で見るたびに航を思った。

 古い傷だらけの机に足を投げ出した航が、あるいは、部室のドアの前でこちらを振り向いた航が、あるいは、書棚が並ぶ図書館の通路の向こうからやってくる航が、食堂のカレーライスに食らいついたスプーンを置いてこっちに気づいた航が、── ふいにどこからか現れて、弓音を見ながらくいっと中指で眼鏡を直す。

 白いカフのワイシャツから節のある手首を見せて直したあの時の眼鏡は確か黒縁だった。スクエアな細長いレンズ。口の右側を持ち上げる彼特有の笑い方。伏せた目が見つめていたぐい飲みの中に映っていた光。


 それから、── あの時も。


 10年前の秋はとても寒かった。夏がいつまでも終わらず、もう10月が終わろうというのにまだ暑い日が続いてまだTシャツを着ていた。文化の日が近づいて来た頃にやっと、暑い日は飛び石のようになって、そして突然秋がやってきたのだ。そしてその秋はとても短く、穏やかな日はすぐに過ぎて文化祭の頃にはまるで冬のように寒かった。

 午前中はゆっくり寝ていたい、と言っていた割にその日の朝は早く目が覚めた。それでものんびり洗濯をして、朝と昼兼用のご飯をぼんやりと食べた。時間はたっぷりあるのに時計ばかりが気になった。正午くらいになって、準備をするには少し早めかなあと思いながらテレビを見ていたら、航からメールが来た。

 『今日、何時ごろ行く?』

 『そろそろ準備する。』

 『もしもーし。今何してるのか聞いてない。何時ごろ向こうにいるかって聞いてる。』

 (今から着替えて・・・化粧して・・・)時計を睨んでいると、携帯が鳴った。

 「もしもーし!ゆみさん、ニホンゴ、ワカリ、マスカーア?何時に、ホワッターイム、」

 「今計算してる。」

 「算数できるの?大丈夫?」

 「うっさいねー。今まだパジャマなの。着替えて、化粧して・・・」

 「あー、そのステップ抜いていいよ。化粧ってとこ。してもしなくてもどうせ一緒だから。」

 「とにかく今から準備して、準備できたら出る。メールするよ。」

 「ふーん、じゃ、俺もそういう感じで行く。じゃ、後ほど。」


 まだ、パジャマを着ているというのは嘘だった。とっくに起きて何を着ていこうか考えているなんて思われたくなかっただけだ。弓音はフラップを閉じた携帯電話を右手でクルリと回して、すっくと立ち上がった。

 


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