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13.

 料理研究家がプロデュースしているという雑貨屋で買った弁当箱は細長く、見た目は洒落ているけど特に使い勝手が良いわけではなかった。色違いの弁当箱にごはんを詰めてゆかりを振る。そろそろ無くなるから次にスーパーに行ったら買ってこよう。大袋を買いたいから、向こうのスーパーに、と慣れた手つきで弁当を詰めながら所帯じみたことを考える。それは、いいことなのだろうか、悪いことなのだろうか、ごくたまにはそんなことを思うけれど、でもやはり、そんな自分にもいつしか慣れてしまった。

 昨晩の焼き鳥を電子レンジで温めて串からほどきピーマンとパプリカを焼肉のたれで炒めたものを入れたシリコンカップの横に詰めた。卵焼き、チェリートマト。そして、ほら、いつもどおり、洗濯機の終了サインが聞こえる。


  大人二人の家庭で洗濯物はそれほどたくさん出るわけではない。数える程のシャツ、下着、小物を干して、バルコニーから戻ると夫がテレビの前でワイシャツに袖を通していた。


 「おはよう」

 「あぁ、おはよう」


 夫はワイシャツのカフのボタンを留めながら、いつもどおり物静かに答えた。長めの前髪は、まだ何もしていないから額に煩げに掛かっているのを、少し首を傾げて髪を避けている。それもいつもどおりだった。弓音は少し手を止めてその姿に見入る。それから夫は長い指で前髪を掻いて洗面所へ向かった。

 弓音はフライパンを洗いながらテレビに目を移した。空梅雨、というのだろう。今日も晴れ。青い空の下に、あの黄色いケータリングカーは今日も鮮やかに映るだろう。揺れる洗濯物の向こうに、佃煮の香る月島の路地が見えて、ケータリングカーの前のご機嫌な笑顔を見た気がした。今日は、どこの町にいるのだろうか。

 テレビの中で、優しい笑顔の気象予報士が「折りたたみ傘は持って」と言っている。柔らかなパーマの髪が揺れている。白いスカートの裾も。ふと目線をずらして、テレビ台に飾ってある自分の写真が目に入る。たわむウェディングドレスを抑えて笑う自分。その上にはシルバーのタキシードに長身を包んだ夫と寄り添う花嫁である自分。ふたりとも控えめな笑顔で、とてもいい写真だ。

 永遠に続くと思っていた幸せは、確かに今もここにある。それでもその幸せは、確かにあの日自分が手にしたものなのだという実感はなかった。形を変えて、温度を変えて、指の隙間から落ちていくものを、なんども、なんども掬い上げる。結婚生活というのはきっと、そういうものだ。いつか、すくいあげることに飽きてしまう日が、そう遠くない未来にあるような気がしながら、それでも、その幸せをすくい続けているのは何故なんだろう。

 (自分達だけではなくて──)

 たとえば、黒岩も、大学時代の友人達も、みな、そうだろうか?結婚して、子供ができて── そう・・・子供が、できて。


 弓音は名前をつけることもできなかった子供のことを考える。そう、名前すら付けられなかった。その子の写真すらない。黒い影ばかりが写るエコー写真。生まれていたら、3つ・・・4つ?


 テレビの画面が急に変わり、時計代わりのテレビが朝の貴重な時間を伝えている。弓音はテレビを消して、寝室に戻った。メイクをしたら、弓音もそろそろ出ないといけない。

 「行って来まーす」

 夫の優しい声が玄関から放たれて、弓音はいつもの通りにパフを片手に声だけで送る。「はーい。気をつけてねー」。ドアがバタンと閉まって、「今日」が始まり、そして次の水曜日までの一週間が始まった。



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