86. 嫉心
緊迫した空気がその場に流れる。その隙に涼太は奈帆に抱き抱えられたまま浮遊し、本館側へと向かい始める。
「てめっ、待てーーークッッ!?」
大翔がそれを止めようと足を前に出した瞬間、地面から爪が飛び出し慌てて後退ると、舌打ちをする。が、今度は将太が引きつった笑みを浮かべる。
「お前を、お前をずっと潰すのが楽しみだった。お前のその余裕そうな顔を、歪めてやる」
大翔に視線を向けて将太が言い放つと、背後にいた沙耶が耳打ちする。
「し、知り合い、なの?」
「あ?いや、どっかで会ったか?俺は知らねーが」
大翔が小さく返すと、聞こえていたのか将太は声を上げる。
「ハッ!覚えてねぇみたいだな。どうせそうだと思ってたよ。お前みたいな奴はなっ!」
そう声を荒げると、1度息を吐き冷静さを取り戻して続ける。
「お前は高校サッカーでは有名だからな」
「えっ、俺有名人なのかっ!?すげぇ!俺有名人だってよ!」
「有名」という言葉に驚きと同時に歓声を上げ、尊敬の眼差しを送る沙耶と、ジト目を向ける美里を交互に見ながら自信げに振る舞う。すると同時に、美里は訝しげに小さく首を傾げる。
「あくまで都道府県内では、だがな。俺もお前を知ってた。そして、弱かった俺がとうとう大会に出場出来た回。俺の前にお前が、お前が率いる学校が現れた」
ギリっと歯噛みし大翔を睨む。
「なんだ?まさか、お前が負けたから腹いせにって事か?んなダセェことしてねーで、」
「違う」
更に大翔をゴミを見るような目で見つめ、将太は続ける。
「うぜぇんだよ、そういうのが。お前、いっつもサッカーに全力注いでんのか?あ"あ"っ!?お前のインタビューとか、試合後のお前の様子見てると、本気でサッカーと向き合ってる熱意を感じねぇんだよ!」
そこまで言うと、トーンを落として呟く。
「ただの趣味程度にしか思ってないみたいにな」
その一言に大翔は眉を潜めて冷や汗をかく。
「どうした、図星か?」
橘大翔の、ただ好きだからやっている事を知っているその場の皆もまた、目を逸らす。確かにその通りだ。いつも"大切な人"の事ばかりが頭を埋め尽くし、サッカーの事を真剣に考えていた事なんてなかった。将来も、父の会社を継げばいいだろうという軽い考えばかりで、部活はただのストレス解消程度にしか捉えていなかった。
「な?その通りなんだろ?ふざけるな。こっちは毎日毎日、死ぬ思いで向き合って、才能なんて無いからそれを埋める為努力して、頑張って頑張って。いっつも自分が憎くて、苦しくて、悔しくて、、そんな想いと何度も向き合ってはぶつかって、泣きそうになりながら、、いや、泣きながらずっと頑張ってきた。それが、それなのに、結果はボロ負けだった。しかもこんな、、お前みたいなっ、試合を軽視してる様な奴に!」
言葉が出てこなかった。恐らく、将太は計り知れない程の努力をしていたに違いない。そんな立派な人物に、対抗する言葉なんて思い浮かぶわけなかった。すると、今まで沈黙を貫いていた美里が口を開く。
「あんた、今までずっと頑張って来たんでしょ?だったら、その、サッカーで勝負しなよ。頑張ってきた努力を、苦しさを、全部その努力したものでぶつけなよ」
「そ、そうだよっ!頑張ってきたんだから、それをちゃんと伝えようよ!その為に暴力を使うのは、、なんか、違うと思う」
沙耶までもが、震えながらも自らの気持ちを口にする。
「何がわかんだよお前にっ!2人でどうやってサッカーをするつもりだ。それに、既に現世で勝敗は決まってるんだよ!俺には才能なんてない。いいよな?才能のある奴は、本気でぶつかんなくても、お遊び程度で勝てて!どうせ何も努力しなくても、欲しいものはなんでも手に入るんだろ!?」
2人の声を遮る様に声を荒げると、今度は大翔がピクリと反応をする。
「お前、才能だのなんだの言ってるが、才能は可能性の扉を開けてくれるだけで、その先に進むのには努力が必要なんだぞ」
「っ!本当の努力を知らない奴が、、んな大層な事言うんじゃねぇぇぇーーっ!」
声を荒げた次の瞬間、大翔達の前の地面から巨大な爪が2本現れ、突き刺そうと我々に向かう。
「っ!」
それを既のところで樹音が割って入ると、剣でそれを防ぎながら振り返る。
「橘君!早く2人を連れて、伊賀橋君のところへ行って!僕は、なんとかっ、、するからっ!」
「あぁ!?んな事出来るわけーー」
「いいから!」
樹音の威圧に負け、大翔は1度息を吐く。
「チッ、死ぬなよ」
そう短く言った次の瞬間、防ぐ樹音と大翔の間からも爪が飛び出し、後退る。
「っ、ぶねぇ!チッ、仕方ねー、とりあえず俺らは降りるぞ!」
「えっ?そしたら、、円城寺君は、?」
「大丈夫だ。後でなんとか」
「あんた、降りるって、ここには2人居るのに、どうするつもり!?」
沙耶と美里が交互に声を上げるが、それと同時に先程突き出した爪が3人に向かって軌道を変える。
「やべぇ!とりあえず行くぞ!」
「「えっ!?」」
瞬間、大翔は2人を左右で1人ずつ担ぐと、屋上から
飛び降りる。
「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「クッ、うっ、つあぁぁぁぁっ!ゔぐあっっっクッ!」
悲鳴を上げる2人と、着地の衝撃と激痛に呻きをもらす大翔。ゆっくりと痛みを和らげるかの如く息を吐くと、2人を優しく降ろす。
「あっ、ありがとう、、だっ、大丈夫!?橘君!足、、」
沙耶は笑顔で礼を告げ、心配そうに詰め寄ると、大翔は弱々しく笑みを作る。
「あ、ああ、なんとか、、クッ、ぜってーヒビ入ったわ今ので」
そう呟き美里の方を向くと、彼女は1度冷酷な瞳で睨んだのち目を逸らした。
「お前っ!なんだよその反応!助けてやったのに!」
「別に助けてなんて一言も言ってないでしょ!?あんな助け方するならやめてもらえる?」
「は!?お前、ふざけんじゃーー」
「た、橘君、、相原さん、、それに、水篠さん、」
「伊賀橋君っ!」
その普通ではあり得ない状況に絶句しながら碧斗は呟く。
「流石にこれはヤバくね?ちょっ、逃げた方がいいかもね」
「でも、命令」
冷や汗を流しながら引きつった笑みを浮かべる智也と、短く返す愛梨に、大翔達は身構える。
「クッソッ、こいつら、忘れてたわ、」
「い、伊賀橋君を離して!」
高所からの着地により足にダメージを負った大翔と、奈帆の攻撃を喰らった美里を気遣って、沙耶は震えながらも、庇う様に2人の前に出る。が、その時
「うっっくっっあぁぁぁーー!」
屋上から樹音の叫び声が上がり、彼の姿が屋上から飛び出す情景が、皆の目に映し出される。
「っ!おまっ!っっっクッ!」
慌てて声を漏らし、大翔は着地点へと足を早めて樹音を受け止める。
「ぐあっっ、クッッッ!」
「う、く、、あっ、た、橘君!?ご、ごめん!?あ、ありがとう」
「あ、ああ、俺はいいから」
抱えられた樹音は動揺と共に感謝を述べる。対する大翔は、いくら女子と言っても2人分の体重を抱え屋上から飛び降り、更には高所からの人を支えたため、体全体に限界がきていた。そんな時
「生きてたか円城寺樹音。これで殺れたと思ったんだけどな」
屋上から将太が顔を覗かせ声をかけると、徐に爪を伸ばし飛び降りる。
「「「「っ!?」」」」
すると、伸ばした爪を壁に突き刺し、それによりゆっくりと地面に降下する。
地に足を着いた将太の姿に、樹音は大翔の前へと出て身構える。対する大翔と美里、沙耶はこの文字通り四面楚歌の現状に絶望の色を浮かべる。
が、この状況は将太の方も分が悪いと感じたのか、ふと口を開く。
「おい、阿久津と神崎。伊賀橋碧斗を連れて逃げろ」
「あ、え!?それはどういう、」
「それ、大将の、命令?」
「いや、この場でこの人数相手は流石にきつい。いくら怪我人が居るからといっても、円城寺樹音と水篠沙耶は侮れない。伊賀橋碧斗を連れて行けば、必ずみんなは追いかけるはずだ。俺がこいつを始末するまで追いつかれるな」
不思議そうな様子で聞き返す2人に、尚も淡々と告げる。この言い草。そう、既に彼は皆で碧斗達を倒そうなんて事は頭に無かった。
1人で全員を倒す。
先程宣言した通り、そのことしか考えていないのだ。そんな自我を隠す気のない発言に困惑する2人の隙を狙い、美里は愛梨と智也の手前に弱火で発火させる。
「おっと」
「ん、」
2人とも対して驚いた様子も見せずに後退る。が、その一瞬を狙い沙耶は石を放つ。
「うおっ」
「っ」
今度は少し驚いた顔で避けると、将太はそんな事はお構い無しに続ける。
「それと、桐ヶ谷修也が現れた。大将はそれを追ったから奈帆と大将は来れない」
「「「っ!」」」
あの「全ての元凶」が現れたという発言に、智也と愛梨、更には碧斗までもが目を剥く。
すると、意思が決まったのか2人はやれやれといった様子でお互いに目をやる。
「ふぅ、なるほど。まっ、とりあえず2人の真剣勝負を邪魔するわけにもいかないし?行きますか」
「うん」
智也がにやけながら提案すると、愛梨も頷く。
「っ!い、伊賀橋君を返して!」
「駄目だ!こっちの思惑に乗るわけにはいかない!俺の事はいいから円城寺君の方を」
碧斗が皆に声を上げた瞬間。智也は「残念」と呟くと、沙耶の体に電流を流す。
「いっっ!?」
「「っ!」」
「水篠さんっ!?」
「これで当分起きてこられないだろ。それじゃっ、後はごゆっくりー」
将太に向けたのか智也はそう言うと、愛梨と息を合わせて碧斗を持ち上げる。
「そ、そんな、、」
「はいはい、ちょーっと来てもらうよ。碧斗君」
絶望に顔を歪めた碧斗にそう言うと、2人は担いで王城の裏へと姿を消した。
「ま、待って、、伊賀橋、、君を、、」
「ちょっと!無理しないで!」
腹這いをしながら智也達を追いかけようとする沙耶に美里は詰め寄る。いくら手加減をした電力であろうと、体が動かない程である。無理に動かすのは危険だろう。今彼らを止められるのは、唯一遠距離攻撃が出来る自分だと、美里は彼らに炎を放とうとする。が、次の瞬間
「っ!うおっっつ!」
「「っ!」」
背後の大翔が声を上げる。またもや地面から爪が突き上がってきたのだ。
「クソッ、怪我人関係無しかよっ」
すると、突き出た爪が変形し大翔に向かう。と、またもや樹音が割って入り、それを防ぐ。
「逃げてっ!みんなの姿が、竹内君から見えなくなるまでは僕が時間を稼ぐから!」
「み、樹音、」
「フッ、時間を稼ぐ、、ねぇ。そんな事出来るかな?」
挑発を含めて笑みを送る将太。その隙に美里は沙耶の手を運ぶ為に肩に乗せ、大翔もまた、感覚が麻痺し始めた足を無理矢理動かして近づく。その様子を樹音はチラッと一瞥する。
が、その一瞬の隙を突かれ、力強い一撃を喰らう。
「うっっ!?」
その衝撃に剣で防いだものの樹音は吹き飛ばされ、それと同時に剣が破壊される。その間僅か1秒程である。
「ほら、どうした。時間稼ぎだろ?」
見下す様に告げると、樹音は立ち上がり目つきを変えて将太を見据える。
「いや、時間稼ぎじゃない」
そう呟くと、樹音は手を叩きゆっくりとそれを開く。その間から剣が現れそれを掴むと、刃の先を将太に向けて言い放つ。
「君を先に行かすわけにはいかない。時間稼ぎじゃ無くて、ここで、止めさせてもらうよ」
「ほう、やってみろよ」
すると、将太は手を顔の前でクロスさせ爪を伸ばすと睨み返す。睨み合う両者の瞳の奥には、燃え盛る決意が込められていた。




