82.樹音(3)
「え、」
思わず嗚咽の様な声を漏らす。
「い、1週間前から来てない、って」
「そう。学校、ずっと休んでるんだよ。鈴木君」
その信じ難い事実に動揺する樹音だったが、その人物は淡々と告げる。あり得ない。だって、今日の朝だって、連絡を取り合ったではないか。それなのに、学校に来ていない、なんて。
ーう、嘘、だよねー
口の中でそれを呟く。すると、樹音の様子に察したのか、その人物は続け様に言う。
「何も言われてないけど、あれは絶対に病気とかの休みじゃないね。それだけは言える」
「え」
思わず声を漏らす。風邪や体調が悪いわけではないのならば、一体何故そんな長期間学校を休んでいるのだろうか。ズル休みをする様な人ではない筈だが。
「それって、どういう、?」
「ああ。鈴木君さ、いじめられてたんだよね」
「え、?」
顔をしかめる。いじめ?一体誰に?でも恭介は何も。わざと黙っていたのだろうか。樹音に心配かけまいと。
「いじめって、誰が?」
「あー、それは言えないんだよねぇ、ちょっと」
「な、なんっ!っ、、そ、そっか」
「なんで」と叫びそうになり口を噤む。その人物は相当大きな存在なのだろう。きっと、彼もその人物が恐ろしく、告げ口の様な事は出来ないのだ。それを察した樹音は、代わりにそう口にした。
「そう、なんだ、あ、ありがとう」
「う、うん、なんかごめんな。ここまで話しておいて」
「いや、だい、じょうぶ、」
力無く礼を告げると、その人物は「それにしても」と呟いて疑問を投げかけた。
「君は、鈴木君のなんなん?」
☆
事情を話し終わった樹音は、ゆっくりと教室を後にした。ゆらゆらとおぼつかない足取りで、脳内が"その事"で埋まる。ずっと、辛い想いをしていたのだろうか。無理に笑っていたのだろうか。どうして気付いてあげられなかったのだろうか。あんなに近くに、一緒に居たというのに。
見ている事しか出来なかった。
ただ見てるだけで、何もしてあげられなかったのだ。委員長の仕事や、クラスの人と距離を縮める事ばかりに気を取られ「本当に大切な者」の事を、見落としていたのだ。そうだ、考えれば、ちゃんと考えてさえすれば、分かった事ではないか。部活なんて、最初からやっていなかったのだ。放課後テニス部に所属している事を打ち明けてくれたあの日も、テニス部に既に入っている口ぶりだった。ならば、何故部活の無い樹音と一緒に帰れていたのだろうか。それも、その日だけでは無い。あの日より前は、ずっと一緒に帰っていたのだ。いつ部活をする時間があるというのだろうか。
それ故に、その日は部活が無かったという可能性も低いだろう。そうだ、もっとちゃんと考えていれば、あの表情、あの仕草。1つ1つを気遣ってさえいれば、事が起こるより前に変えられたかもしれない。それを考えると、胸が締め付けられる様だった。そんな樹音は、放課後に涼太のクラスに2人で集まる事を忘れ、恭介の家へと向かうのだった。
☆
放課後、恭介の家へと足を運んだ樹音は、緊張を胸にインターホンに指をやった。すると
「はーい」
そう奥から声が響き、ドアが開く。そこには恭介。ではなく、彼の母親の姿がそこにあった。
「突然伺ってしまってすいません。あの、恭介君が学校を休んでいると聞いて、」
「あっ、お見舞いに来てくれたのね!ありがとう。でも、今は人に会える状況じゃなくてね、せっかく来てくれたのに悪いねぇ」
「いえいえ、こちらこそ、こんな大変な時に、すいません」
申し訳なさそうに呟く母親に、樹音も同じく頭を下げる。と、それと同時に1人の男性が樹音を横切る。
「あ、こんばんは!すいません、こんな時間にお邪魔しちゃって、」
「...」
「こら、俊介!挨拶くらいしなさい!」
そう言われ1度樹音の方を睨むと、小さく頭を下げ部屋へと向かった。
俊介と呼ばれたその男性の事は知っている。恭介の兄である。あまり顔は出さずに口数が少ないため、無愛想な印象が強い彼だが、恭介と同じく真面目な様子も見て取れる人物だ。
「ごめんねぇ。もういい歳なのに、、樹音君の方がよっぽどしっかりしてるねぇ〜」
「いえいえ、そんな事は無いですよ」
樹音は照れ笑いを浮かべながら謙遜すると、頭を下げる。
「それじゃあ、あまり長居しすぎてもあれですし、ここで失礼します」
確かに事の真相や、いじめた人物を暴きたい気持ちもあったが、心を閉ざしている現状を考えると、親にもその事を伝えていないだろう。本人に聞くのも良くないだろうし、おそらく樹音にも話してくれそうには無いだろう。それ故に樹音はその場を後にしようと振り返る。が、それを慌てて母親は止める様に声を上げる。
「あ、少し上がって行きなよ」
「いや、悪いですよ、、そんなの」
「良いのよ良いのよっ!ここまで来てくれてなんだしさ」
「いえ、それは流石に、、あっ、なら」
そこまで呟くと、突如何かを思いついた様に声を上げる。
「それなら、手紙、、置き手紙だけでも、書かせてくれないでしょうか、?」
正直、朝も携帯で連絡したばかりだというのだが、手紙には手紙ならではの伝え方が出来るかもしれない。今の彼には、時間でも、自らを振り返る事でも無く、心を支える人の心が必要なのだ、と。
「ありがとねぇ。そこまで恭介の事考えてくれて、まっ、書き終わるまでの間とは言わず、ゆっくりしていって」
「ありがとうございます」
母は樹音の意思が伝わったのか、要求を飲んで笑顔で迎え入れるのだった。
☆
手紙。自分で提案しておいてなんだが、上手い言葉は出てこなかった。彼と話がしたいと家に訪れたというのに、肝心の言葉が思い浮かばなかった。ずっと近くにいた、一緒に居たのに何も分かってあげられず、気にも留めなかった人間が、今更何を言ってあげられるというのだろうか。数分、数十分。ずっと最初の言葉を考え続けた。何度も、何度も。何度も考えた樹音は、思った事をそのまま書き出す結論に至り、ゆっくりと、手を動かし始めた。
恭介君。近くに居たのに気付いてあげられなくてごめん。クラスの人に聞いたよ、辛かったね。苦しかったよね。助けてあげられなくてごめん。でも、今からきっと変えられる。クラス内で色々あったんだよね?今は辛くて、まだ塞ぎ込んじゃってるかもしれないけど、待ってるから。恭介君の事。
長い時間悩んだ割には短いものとなってしまったと樹音は頭を抱えた。だが、きっと伝わると、母親はそう笑いかけてくれ、手紙を涙ながらに感謝し受け取るのだった。勿論、手紙の内容は見せずに。
だが
翌日、学校に到着したや否や、何やら廊下で騒いでいる様子が目に入った。ざわざわと、隣のクラスの人達が噂を口にする。そう、恭介のクラスだ。
ーな、なんだろ?何かあったのかな?ー
樹音は好奇心を抱き、耳を傾ける。が
「ねぇねぇ、知ってる?なんか、鈴木君って居るじゃん?いじめられてた」
「ああ、なんか、やばいらしいな」
「そうそう、昨日の夜"自殺未遂"したらしいんだってな。なんかさっき親が学校来て話してたらしいぞ」
「え?マジ?なんでいきなり?1週間くらい前から休んでたんちゃうの?」
ーえ?ー
え?
えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?
今、なんて言った?自殺未遂?一体何故?昨日彼の家に訪れたばかりだというのに。
ーどうして突然?何かあったのかな、?昨日起きた出来事といったら、、僕が、家に行ったくらい、それとー
「っ!」
そこまでいってようやく自らの間違いに気付いた。昨日変わった出来事なんて、1つしかないではないか。
ーまさか、、手紙、?ー
ずっと悩み、考えて絞り出した言葉であったがために手紙に書き記した言葉はなんとなくではあったものの、覚えていた。その1つ1つを思い返して、「彼の目線」からそれを考える。
今からきっと変えられる。
待ってるから。
そうだ。恭介はそんな事望んでいなかったのだ。良かれと思って伝えた言葉の数が、寧ろ逆効果になってしまったのだ。今の彼に変えるなんて事は残酷な言葉であった。待ってるという一見居場所があると伝える優しい言葉が、彼には恐怖の場所に行くことを促し、追い詰めてしまう言葉に変換されてしまっていたのだ。間違いだった。自分のせいだ。あんな事を伝えるべきでは無かった。最後の最後まで、彼の事を1つも考えていなかった。無力で、無能で、1番近くに居たはずなのに、1番向き合わなかったクズ野郎。
そう自分を責め立て過呼吸になる。慌ててトイレへ逃げ込み、大きく息を吐く。自分の愚かさに、反吐が出そうだった。何も出来なかった自分が憎らしくて堪らなかった。
だが、元はと言えば何が悪い?そうだ。恭介を、いじめた人物だ。
自分の無責任な行動に吐き気を催し何度も自らを責め続けた。が、それと同時に、もう1つの感情が樹音を奮い立たせた。
ー恭介君をいじめたって、一体、誰だ?ー
そう心中で呟くと、トイレを抜け出し、力無く自分の教室へと向かう。樹音の絶望に打ちひしがれた死んだ目の奥には、情熱的な復讐の炎を宿していたのだった。
☆
その後、担任やクラスの人、更には関わりのありそうな人物全てを当たり、1つの団体像が浮かび上がってきた。その人達は普段3人組で行動しており、恭介とよく一緒にいたという。そして何より、その中には"大内涼太"。彼の姿もあったという。
「あっ、おい!円城寺君」
涼太がこの件に関係ある事を理解した樹音は、彼に会うため恭介のクラスを訪れると、背後から声をかけられる。その声はどこか荒々しく、苛立っている様子だった。
「え?」
反射的に振り向いた先には、探しにきた張本人である大内涼太の姿があった。
「円城寺君さぁ、前に放課後来てって言ったよね?なんで来なかったんだよ。ずっと待ってたんだぞ」
ぶっきらぼうな物言いで怒りを露わにするその人物に、思わず樹音は顔をしかめて詰め寄る。
「お前、、お前ぇっ!お前恭介君に何した!?お前のせいで、お前らのせいで、恭介君は、恭介君はっ!」
「...ふーん」
段々と掠れた声になりながら樹音は力強く責め立てると、涼太は小さく呟くと同時にニヤリと。笑みを浮かべて口を開いた。
「知ってたんだ。その事」
「っ!お、お前ぇ!」
とつとう裏の顔を露わにしたとでも言うべきだろうか。その表情と声音に、普段の彼の面影は消えていた。
「お前のせいだ!お前らが!お前らのせいで恭介君はこんな自殺未遂まで、、なんでだよ!なんで恭介君を、、何したって言うんだよ!なんで、なんでこんな事、」
声を荒げ怒りをぶつける樹音、だったが。
「何言ってんの?そこまで追い詰めたのお前じゃん」
「ぇ?」
樹音は突然の事に間の抜けた声を上げる。
「いやだから、俺のせい俺らのせい言ってるけど、自殺未遂にまで追い込んだのお前じゃん。知ってんだよねぇ、お前が昨日あいつの家行ってんの」
「っ!?」
「俺は昨日も、その前も。言っちゃえばあいつが引きこもりになってから何もしてないんだよ」
「え、?ええ?嘘、だ。あ、ああ、ああああっ!僕がっ!うぅ!恭介君を追い詰めた。何も気付いてあげられなかった。ずっと居たのに。良かれと思った事が良くなかった!僕が、僕がぁぁーーーっ!」
絶望に打ちひしがれた樹音は声を荒げ、今までずっと心に留めてきた感情を爆発させる。そんな樹音に、まるでトドメを指すかの様に涼太は耳元でそれを告げる。
「そう。全部君のせいだ」
「あああっ!ああ、そんな事、そんなわけ、元はと言えばっ、君がっ!」
「ああ。俺らが恭介君をいじめてあげたおかげだな。いやぁ、あいつ弱かったなぁ、軽くやっても直ぐアザ出来るから面倒だったわ。楽しかったよ、ボクシングの練習とか、皮膚熱して入れ墨みたいなのもつけてあげたりよ。あいつの性格上、周りに心配させるの嫌そうだったし、わざわざ服で見えないとこだけにしといたんだぜ?俺ってマジ優しいよなぁ」
「っ!お前ぇぇぇぇっ!」
生々しい表現の数々にそれを遮る様に声を上げ、涼太の胸ぐらを掴む。正直、運動神経には自信がある。いくらいじめっ子だとしても数の暴力だ。1人相手くらい、どうって事はない。
「おいおい、いいのかよ。お前優等生だろ?委員の仕事とか、今まで頑張ってきたの潰していいのかな?」
「っ!?てめぇぇっ!」
挑発に煽られ樹音は拳を振るう。が、それが目の前に差し掛かった瞬間、駆け引きを持ち出す。
「じゃあこういうのはどうだ?お前が言う事聞いてくれるんなら恭介君にはもう手は出さない。だが、今殴るんだったら恭介君がどうなっても知らないぞ。おそらくお前、俺らの"グループ"全員は把握してないだろ?どうせ恭介君といつも一緒にいる3人組だとでも思ってるんだろうけど」
「!?」
思わず目を剥く。心を見透かされている様だ。いや、それよりも。3人で恭介を追い詰めていたのではなかったのか、と。
「さぁ、自分か友達。天秤にかけさせてやるよ」
そんな事信じていいのだろうかと拳を振るおうとしたが、気付くと掴んだ胸ぐらを離していた。
「フッ、じゃあ恭介君を取るって事で、いいんだね?」
「もし裏切って恭介君に何かしたら、その時はお前をボコボコにする」
そう嘲笑うかの様な涼太の表情に苛立ちを覚えながらも、渋々頷く樹音だった。
帰り道。あの時頷く事しか出来なかった自分に嫌気がさしながら、何度も自らを責める。恭介の異変に気付けず、恭介を追い詰め、いじめた涼太の要求を飲んでしまった、そんな自分に。
「はぁ、」
だが、これで恭介がいじめられる事は、もう無いだろう。
ー何を要求されるかは分からないけど、どれだけ自分が苦しい思いをしたとしても、誰かが幸せになれるなら、きっとー
「君、浮かない顔してるね」
突如として背後から声をかけられる。その先には、全身黒尽くめでフードを被った、いかにも怪しい男性が立っていた。その異様な姿に、すぐにその場を離れようと試みる。が
「何が本当か分からない、何を信じて良いかわからない。そんな事ばっかりだよな」
「っ!」
まるで自分の気持ちを代弁してくれたかの様な物言いに思わず振り返る。すると、何やら古い本の様なものをこちらに差し出してその人物は呟いた。
「そんな時は、考えればいい。どれが、誰が正しいか、考えて考え抜いた答えなら、きっと納得できる筈だ」
そんな、今の自分に勇気を与えてくれる様な力強い言葉に、気がつくとその本を受け取っている樹音だった。




