80.樹音(1)
「おはようございます」
力強く、だが何処か優しく爽やかに声を上げる。校門の前、朝だというのに笑顔で皆に挨拶をし続ける中学2年生、円城寺樹音。彼はクラスの委員長であり、いわゆる優等生というものだ。翌年では副会長に立候補してほしいと、教師から直々にお願いされるほどである。委員長と生徒会の掛け持ちは、本来であれば禁止されているのだが、副会長への立候補者不足というのもあり、教師は束になって樹音に副会長になって貰いたいと申し出た。
余程樹音が優秀なのか、余程この学校に優等生が少ないのかは不明である。とは言うものの、成績は上位であり、スポーツも万能。中学1、2年と委員長を毎年務め、教師からの信頼は厚く、言わば完璧人間というものだ。
「ふぅー、今日も朝の生徒指導終わり!よしっ、最初の頃よりみんな声が出てきたし、制服もちゃんと着こなしてこれるようになってきたね」
生徒会と合同に行われる、クラス長の仕事である朝の生徒指導が終わり、皆に頭を下げ解散すると、樹音は首を回して息を吐いた。だったが。
「うぅーわっ、ガミガミ委員長じゃん。向こうから行こう」
背後から、3名で並んで歩く女子の中の1人が小声で呟く声が耳に入る。先程教師からの信頼は厚いと言ったが、生徒からの印象は正直今一つである。だが、こうなるのは当然だった。来年に副会長になる事が決まっている上に教師に好かれた委員長である。そんな、まるで生徒達から嫌われる様なものを詰め込んだ存在であるが故に、皆からは避けられている様に思えた。それを理解してはいたものの、改めて実際に意識してみると、辛いものがあった。
「はぁ」
「おっ、どうした樹音君。珍しいねため息なんて」
いつもシャキシャキとしている樹音の、机に顔を突っ伏しため息を吐くダラダラとした姿に驚きながら、クラスメイトは声をかける。
「いやぁ、なんていうか、僕みんなと距離あるなぁと思って」
「ああ。あるな」
「あ、あんまりはっきり言わないであげて」
「うっ」
さらっとその重たい事実を突きつける友人の言葉が、まるで矢の如く樹音の「心」という的に突き刺さる。その隣に居たもう1人の友人、鈴木恭介はそれを察し苦笑いで止める。
「そ、そんな直球に」
「でもまあ、事実は事実だからなぁ。この学校でお前を知らない人はほとんど居ないけど、お前と親密なのは俺を含め数人だもんな」
その通りである。2年連続委員長というのもあり、お堅い人間だというレッテルを貼られている様だ。現に、円城寺樹音という人物が委員長という名前だと勘違いしている人も居るほどだ。
「委員長辞めた方がいいのかなぁ」
「まあ確かに委員長って言われると、容姿端麗で文武両道、才色兼備の完璧美少女ってイメージあるもんな。男子を委員長って呼び名にするのはなんか違う気がする」
「い、いやいや、そこじゃ無くて」
うんうんと頷きながら謎の委員長イメージを語る友人に対し隣の男子はまたもや苦笑いで答える。すると、今度は真面目な目つきになり、樹音の目を見て言い放つ。
「でも、委員長はお前以外務まらないと思ってるぞ」
「っ!し、翔太郎君っ、!」
「ま、それだったら距離ができてもしゃーなしって感じだな」
「えぇっ!?それは、嫌だな、」
翔太郎の真剣な言葉に感激するものの、全く解決出来ていない現状にため息を吐く。が、瞬間。樹音は目を見開き突如として立ち上がる。
「分かった!全員と会話しよう!」
「ええ!?」
「お、おお、、なんつーか、その、まあ頑張れ」
樹音の想像の斜め上の提案に何かを言いかけたものの、言葉を濁す翔太郎と恭介。委員長、および生徒会は皆との交流も行ってこその存在である。業務をこなすのはもちろんの事、淡々と行なっているのでは無く、部長の様に、部活のリーダーの様に、皆をまとめ信頼され、皆を気にかけて一致団結できる様なクラスを作っていくのが委員長というものだろう。厳しい人だと思われているのは話していないからであり、全員と仲良く。とまではいかずとも、1度でも話せば違うのでは無いだろうか。
ならば、と。覚悟を決めた樹音は1度頷くとクラスの人と会話をしようと試みる。元々名が知れている為、そこまで苦行にはならないだろう。と、思ったが。
「わっ、委員長だっ、行こ行こっ」
「あっ、ちょっ、」
すれ違いそうになっただけで女子の団体に逃げられてしまった。なんだかデジャブを感じる。いつも女子のスカート丈や、制服の着こなしについて散々注意をしてきた身だ。避けられるのも仕方がないだろう。その事実に気づき、樹音は席に戻るや否や頭を押える。
「お帰り」
「うぅ、ここまで避けられているとは、」
「いや、でも嫌われてるよりはいいんじゃないか?」
そう呟き、ほら。と言わんばかりに辺りを見回すと、廊下へと教室を後にする人達が樹音を避ける様に歩く姿を見て言葉を濁す。
「あーー、確かに、嫌われてるよりタチが悪いかもな」
「ど、どうしようっ!このままじゃ清々しく卒業なんて出来ないよ!」
慌てて声を上げる樹音に翔太郎は呆れ混じりに息を吐く。
「にしてもどうして今になってそんな焦ってるんだ?もっと前から意識してたらもっと変わったんじゃないのか?」
「いやー、その、それは、今までもそう思った事はあるけど、委員長とか部活とかするのでいっぱいいっぱいでさ、そこまで頭回らなかったというか、なんというか」
「へぇー」
「なるほど、それで2年になって余裕が出てきたから、いきなり慌て始めたのか」
樹音は無言で頷く。正直、言われなくては分からない程度のものなのでそこまで深刻に考える必要も無さそうではあるものの、目標が皆からの信頼となると話は別である。樹音の話を頷きながら聞いていた翔太郎は口を開く。
「なら、まずはみんなの趣味から把握しないとな!」
☆
翔太郎のアドバイスの元、皆の趣味を理解する為、「自然に」聞き出す事にした樹音は、スマホをしながら話している男子の団体に歩みを進める。
「やっべぇ、周回おわんねぇ」
「イベくるし石集めないとやばいわー」
「おはよう!あっ、それってコラボくるやつだよね?」
皆が集まってスマホゲームをしている男子の団体。幸運な事に、知っているゲームだった為いつものようにあいさつをすると同時に話を持ちかける事が出来た。一瞬、何を言っているのか分からないといった様子で無言の時間が訪れた。それはそうだ、いつメンでも無ければ対してプライベートな会話をした訳でもない。この人達と話したことといえば学校行事の事くらいだろうか。それなのに対し、直ぐにその場の空気に合わせてくれたのか、その中の1人が口を開く。
「ああ、そうそう!いやぁ、まさかあれのコラボくるとは思わなかったわぁ、あのキャラ強いらしいよ。あのーー」
相手がとても心の広い方で助かった。と、脳内で同い年なのにも関わらず尊敬の言葉を投げかける。樹音の、誰にでも直ぐに溶け込み、愛想が良く、話しやすい性格も相まって思った以上に話を弾ませることに成功した。
一通り会話をしたのち、長く居てしまってはかえって今度は迷惑であろうと考え、樹音は軽く挨拶を交わすと、席へと戻った。
「みんな、、いい人だった、」
「おう、そうか。良かったな」
感動と似た感情を抱きながら樹音は、涙目になりながら、噛み締める様に呟いた。それに対し淡々と返す翔太郎ではあったものの、先程の人と普段から親密に話している為、樹音があのメンバーの話に入れてもらえたのは恐らくその影響でだろう。
「よしっ!これから1年かけてみんなと仲良くなって、皆を気にかける事の出来る立派な副生徒会長になるよ!」
「随分と張り切ってるな。まっ、上手くいくといいな」
嫌な予感を感じながらも、樹音の意志の強さに関心を示し小さく笑顔を作りながらそう呟くのだった。
☆
あの宣言から約2年。長い様な早い様な、複雑な感情を胸に迎えた卒業式。春の陽気と優しい風に吹かれている樹音の顔は、清々しいものだった。
「おう、ミッキー!どうだ?清々しく卒業出来そうか?」
今日で登校も最後になる母校を眺めていると、後ろから翔太郎が背中を叩く。ちなみにミッキーというのは樹音のあだ名である。決して危ない名前ではない。翔太郎は昔から人の呼び方がコロコロと変わるため、いつも誰の事を呼んでいるのか分からなくなる。
「そうだなぁ、やっぱり全員と仲良くなるのも、全員を支えたり、見本になるのも出来なかったけど、でも、清々しく卒業式を迎えられそうだよ」
にっこりと、まるでその表情こそが答えだとでも言うように樹音は笑顔を作る。確かに簡単な事ではなかった。踏み込んだ会話が成功したのはあの時だけであり、それからはただただ散々だった。男性陣からは反感を買ったり、女性陣からは白い目で見られた。だが、それでも仲良くなりたかったのだ。いつしか樹音の目標は、皆と親しくなって見本となる副会長になる。というものから、友達になりたいという願望へと変わっていったのだ。だからこそ、全員とまではいかなかったものの、心から友達と言える友人達に恵まれたのだ。その気持ちと行動を1番身近で見てきた翔太郎と恭介はそれぞれ
「そっか」
「そうか」
と優しい笑みで応えた。すると
「おー翔太郎!樹音!急ぐぞ、早く行こうぜっ!」
「あっ、円城寺君と恭介君、それとしょー君おっはー。何やってんの?行かないの?」
「翔太郎君、恭介君に樹音君やっほー!いやぁなんかしみじみしちゃうよねー」
「そうなんだよねぇ、なんか、感慨深くて、」
後からやって来た男子のグループと、女子のグループのそれぞれに話しかけられる。
「なんだか寂しいなぁって、って痛たぁっ!?」
今までの出来事をフラッシュバックさせながら噛み締めて呟く樹音は、背後から叩かれ思わず声を上げる。折角良い雰囲気だったというのに。
「何カッコつけてんだよ。早く行くぞ」
「大丈夫だよー、これからも会えない訳じゃ無いんだから!それに、今日も打ち上げでしょ?」
「うぅ〜んっ!なんだかロマンチックだねぇ」
笑いながら樹音に教室に向かう様促す皆を眺める。あの時、あの宣言をしなければ、こんなに大勢の友達は出来なかっただろう。あの時、周りに避けられている事に気づかなければあの宣言はしなかっただろう。委員長にならなければ全ては始まらなかっただろう。全てが1つ1つ意味があり、奇跡の連続なのだ。
「そうだね、行こうか」
そんな輝かしい学校生活を振り返りながら、樹音は軽快に足を踏み出したのだった。
あれから1カ月。高校へと入学した翌日、樹音は中学で努力し得た話術とコミュニケーション能力を駆使して、スタートダッシュを切った。クラスは既に固まったグループもいくつかあり、おそらく同中の面子であろう。だからといって、引き下がるわけにもいかないのだ。そう覚悟を決め、樹音はそのグループへと向かったのだった。
それからというもの、その努力もあり、高校でも入学から1週間と少しという短さで数人の友人を作る事に成功していた。もちろん、委員長にも立候補し明るい高校生活の始まりを感じていた。
だが、そんな時だった。
「あいつが、か。ぜってぇに逃がさねぇからな」
後に樹音の心に大きな傷を残す、そんな出来事が起こったのは。




