38. 瞞着
「ごめんっ!伊賀橋君」
誰に言うでも無く小さく謝って走り出した樹音とマーストは、家へと駆ける。
自分も碧斗と一緒に行くと主張はしたが、駄目なようだった。今はただ、樹音と沙耶を運ぶマーストが無事に家に着き、2人の治療を行う事が碧斗に対しての恩返しになると考え、不安や罪悪感を振り払った。
「円城寺様、そろそろ森を抜けます」
「うん!森を抜けたら更に猛ダッシュだよ!」
「かしこまりました」
マーストが優しく微笑むと、樹音も同じく微笑み返した後目つきを変える。
「伊賀橋君、無事でいてね」
☆
全身は震えているが、もう決めたのだと体に言い聞かせる。
重たい脚を動かし、木々の間から飛び出す。
「俺はここだー!」
小学生の鬼ごっこのような、そんな単純な揺さぶりではあったが、遠くからこちらに降下してくる奈帆の姿が見える。
マーストや樹音の方に行かなかった安堵感と、自分に向かってくる恐怖感の両方を感じる。だが、声の調子を整えて、なるべく強気に言い放つ。
「俺が相手になる」
「ほー、そっちから来るとはねぇ、まっどうせ3人を逃すためなんだろうけどっ」
やはりバレていたか、と小さく息を吐く。ここまで単純な罠であるがゆえに、気づかずに向かってくるとは考えられなかったのだが。
と不思議に感じた碧斗は、奈帆に声をかける。
「なんで分かってたのに来たの?」
「そりゃあ、私だって3体1はどうなるかわからないし、確実に殺せる相手を狙いに行った方が早いでしょ?」
随分と舐められているようだとムッとしたが、それは事実であり返す言葉が見つからない。図星を突かれ言葉を濁らす碧斗に、更に続ける。
「それで?どうやって時間稼ぎするの?」
その見下すような物言いに、怒りよりも焦りが碧斗を襲う。
だが、木々の中に逃げればこちら側の有利であるはずだ。と、そう考え、森林の中へと誘き寄せようとする。
「時間稼ぎ、、ねぇ。こんな最弱なやつに時間取られるなよ?」
裏返りそうになる声を無理矢理正し、煽り返す様に言う。と、森の奥へと逃げる様に走り出す碧斗。
それを見た奈帆は、それが「予想通り」だったと言わんばかりの表情をする。
「ほーら、逃げろ逃げろ〜。死んじゃうよー」
声が遠くなりながらもハッキリと聞こえる。その様子に更に不安になりながらも、木の影に隠れる。
ーとりあえずここで数分時間を稼ごう。この中なら木を障害物として身を隠せる。それを利用すれば時間稼ぎ出来るはず、だー
新たな策を練った碧斗は身構える。
だが、その瞬間
「へー、まだ走る体力残ってたんだー、元気だね!君のことだからもう走る力なんて残ってないと思ったんだけどなぁ」
「!?」
"間近"で聞こえた、その声に反射的に距離を取る。
ー一体どこだ?物音さえしなかったぞ?ー
「残念、上だよ」
視線を上に向けると、羽ばたく奈帆の姿があった。だが、それはあり得ないのだ。
羽ばたいてここまで来たのだとすると、少なからず音が聞こえる筈である。
「どうやってそんな無音でここまで来たんだ、?一体、っ!」
一体どうやってと言いかけた直後、その広げた「翼」に気づき、目を見開く。
「おっ、気づいた?」
「それ、フクロウの羽か、」
「そっ、流石だねー。フクロウの翼は音を立てずに獲物を捕まえるので有名だからね」
翼の能力は、羽の種類まで変える事が出来るようだ。それを知らなかった碧斗は、完全に油断したと言えるだろう。
と、逃げても無駄だと理解した碧斗は、1つの策に賭ける。
「フクロウの翼は面積が広く、風切羽がギザギザとしている事で騒音を抑える事が出来る、か」
ぶつぶつと呟く様に解説した碧斗は、一息つくと「だが」と続ける。
「森の中に自分から入ってくるのは間違いだったと思うけど?」
「んー、どこが間違いなの?確かに飛びにくくはなったけど、別に最弱くん相手なら普通に走るだけでも追いつけると思うけど?」
期待通りの返しに、口元が緩むのを抑えながら碧斗は続ける。
「それはどうかな?翼出さないと追いつけないと思うけど?」
碧斗の余裕な表情に一瞬ではあるが、奈帆の笑顔が崩れる。だが、すぐに取り繕い
「え?今変なのが聞こえたけど、そんな強気な宣言していいのかなー?」
と返す。それに対し、見てろと言わんばかりに目配りすると、大量の煙を放出する。
「ごほっ、あ、あれ、また煙?」
笑ってそこまで言うと、何かに気がついた様にハッとする奈帆。
先程言った碧斗の言葉の本当の意味を理解したのか、冷や汗を掻く。「翼を出さないと追いつけない」それはつまり、これから逃げると宣言している様なものであり、本気で追いかけないといけない"何か"をすると言う事である。
それを察した奈帆は、翼を広げ煙を切り裂く様に飛行する。だが、煙の先に碧斗の姿は無く、周りを警戒する。
それを目撃した碧斗は、予想通りと笑みを浮かべる。遠くを探している奈帆に、心で居ないのは当たり前だと呟いた。
それはそうだ、碧斗は"その場"に伏せていたのだ。先程の物言いはただのブラフに過ぎず、何かを使って素早く逃げるという事を予想させる為の罠である。
「逃げた」と思い込んだ者は、煙の先にしか目がいかない。そう、ならば煙の中で伏せていれば良いのだと。だが、煙が薄れるのが先か気がつかれるのが先か、どちらにせよ時間の問題というやつである。
この隙を狙い、隠れるか逃げるかして次の行動に移ろうと試みる。だがしかし
「んっ?」
ほんの少し、少しの動きを察知されたのか、碧斗が脚を動かしたその瞬間に声を上げる。
「まさか、煙の中に隠れてる?」
「!?」
的確な言葉に声を漏らしそうになる碧斗。迫ってくる足音に鼓動が早まるのが分かる。本来ならばバレた理由を考えるのだが、今はそれどころでは無い。
刹那、力強く「何か」に押し飛ばされる。「何か」に吹き飛ばされた碧斗は樹木に叩きつけられ、空気を吐く。
「ごはっ」
「大当たりー!やっぱ凄いなぁこの羽」
荒れた呼吸の中、"この羽"という言葉に今のは翼によってバレたのだと理解する。だが、どうやって気づいたというのだろうか。
「今の、その羽で?どうやって、」
「翼は少量の風でも反応する事が出来るんだよ」
それに碧斗は、驚愕に目を瞬かせる。
ー何!?翼の能力は、ただ羽を生やすだけで無く、それが体の一部の様になるのか!?ー
つまり、羽には神経が通っているという事である。翼がまるで手の様に感覚を持っている事はすなわち、鳥類と似た感覚を持っているということである。
「そして、この羽でバチーンッてこと」
なるほど、先程の衝撃は羽で打たれた事によるものだと理解する。
「その羽、骨が頑丈に作られてる古代鳥を真似したみたいだね。かつてジャマイカに生息したと思われるクセニシビスは翼を武器として戦っていたと言われているが、本当に武器に出来るのか」
翼の攻撃が遠距離でも近距離でも良い性能だということを知り、冷や汗を掻く。つまり、遠くへ逃げようとも近くに隠れようとも無駄だと言うことだ。
「これは、もう戦うしか無いってことか」
「...プッ、あはははっ!えっ?何何〜、今戦うとか聞こえたんだけど」
吹き出し、心底煽る様に笑う。
正直、まともに戦えない碧斗がこんな事を言ったら、自分でも笑ってしまうだろう。だが、ゆっくりと笑いが治っていくと、小さく呟く。
「またそれも作戦ってやつ?」
やはり、2度目の揺さぶりは通用しないようだ。今まで丸腰だった人がいきなり戦闘モードに入ったら、そりゃあ疑うだろう。と
理解しているが、隙を作らせるためわざと強気に振る舞う。
「どうだろうね」
その瞬間、今度は自分を隠す為ではない煙を奈帆に向けて放出する。
そう、煙に巻かれた瞬間にむせ返り、反射的に目を瞑る。その隙しか無いと言わんばかりに碧斗は走り出す。
「ごほっ、ごほっ、けっ、結局、逃げるんだっ」
むせながらも声を上げる奈帆を差し置いて、気付かれないであろう場所を探す。
だが、長時間目を晦ますことは出来ないようだ。直ぐに羽をはためかせ周囲の煙を吹き飛ばす。
「っと、あれ?」
煙が晴れた先には木々がおおい茂っているだけであり、奈帆の視界に碧斗は写らない。
「もーいーかーい」
気怠げにそう言うと同時に、低空飛行しながら周囲を凝視する。距離は稼げなかったものの、大木の後ろに隠れる事が出来た碧斗はホッと胸を撫で下ろす。
だが
「伊賀橋碧斗君、みぃーつっけたー」
「っ!」
不意に発せられた言葉に声が漏れるのを抑える。きっと相手も揺さぶりである。見つけられたわけではないと自分に言い聞かせる。しかし
「ほーら、みつけたって」
その考察は間違っていると言わんばかりに肩を叩かれる。
「なっ!?なんでっ」
理解が追いつかない碧斗は間の抜けた声を上げる。その恐怖した顔を見据えながら奈帆は笑う。
「実はー、私、目良いんだよねぇ」
「クッ、ソ、」
震えながら歯嚙みする碧斗。
能力ではなく元から視力が良いという事なのだろう、羽で風を感じるほどの感覚を持ち、視力も良い。
それは、碧斗には勝ち目がないと言っているようなもので、それを主張するかの様に奈帆はにやける。
ーも、もう、策は無い、のか?ー
絶望に打ちひしがれた表情で、ありもしない最善策を全力で考える。だが、対抗することは出来ずに弱々しく退く。
「さっ、ここが君の墓場だよー。碧斗君っ!」
空へと飛び上がり、助走をつけて碧斗に襲いかかる。それに最後の足掻きと言わんばかりに煙を放出しようとする、がその瞬間。
「っっっ!?あっつっっ!」
声にならない悲鳴を上げて、のたうち回る奈帆。
「何っ!?」
またもや突然の出来事に理解が出来ない碧斗だったが、奈帆の羽の異変に気づき、状況を飲み込む。
そう、奈帆の羽は、燃えていたのだ。
「ぐあっ、ああああああぇーーっ!」
羽が体の一部となっていた彼女は、腕を燃やされた痛みを間接的に味合わされているということだろう。そう考えると、こちらも痛くなってくる。心を含めて。
戦いどころではなくなった奈帆は、火を消そうと翼を羽ばたかせ大空へと姿を消した。それを確認した1人の女子が姿を現す。
「はぁー、ほんと何やってんの?」
「や、やっぱり、相原さんだったんだね」
見慣れたその姿に安心感と緊張感が同時に沸き起こり、声が少し高くなってしまった。
「相変わらず鈍臭いね。もう少ししたら死んじゃってたかもしれないんだよ?」
「だから、本当にありがとう。助かった」
碧斗が笑うと、ため息を吐き踵を返す美里。帰ってしまいそうな美里を、反射的に呼び止める碧斗。
「ちょっと待って!その、ありがとう。相原さんのおかげで、その、俺がやらなきゃいけないことっていうか、なんていうか、その、、とにかく!俺の気持ちがまとまったんだ。本当にありがとう。これだけは言っておきたくって」
優しくも真剣な眼差しで言い放つ碧斗。すると、少し考えた様に唇を噛むと、碧斗の方へと向き直り美里は口を尖らせて言い放った。
「バーカ」




