197.先手
「う、碓氷、さん、」
「あれ?邪魔が入ったかな?」
「むっ!邪魔とは失礼だなぁ!えーと、その、、き、きよみやさん?」
「清宮!清宮奈帆だってば!」
驚愕に震える碧斗に続いて、奈帆が小声で呟くと、それが聞こえていた様子で歩美は声を上げる。それに奈帆が名を指摘すると、「あ、ごめーん」と柔らかく笑った。
がしかし、対する碧斗は冷や汗を流した。マズい、と。
四人でさえギリギリの作戦であったのにも関わらず、相手が五人となってしまうのは流石にこちらが不利過ぎる。更には、歩美の能力を碧斗は知らないのだ。もしこちらの煙が通用しない相手ならば、ここで安易に敵対してしまうのは詰みを意味している。そして、彼女は以前沙耶を助けてくれた事があった。
ここで我々の意思を曲げた様に見せてしまうのは、彼女相手にはリスクが大き過ぎると。碧斗は慌てて切り替える。
「...あ、いや、これは裏切るんじゃ無いかと思ったから、それの確認で少しやっただけで、別に手を出そうとしてるわけじゃ無いよ」
碧斗が手を振りながら少し声を高くして返す。
この煙なら被害は出ないと言うように。と、それに対し、今まで意味が分からないといった様子であった拓矢はそういう事かと胸を撫で下ろし、奈帆と愛梨はどこか残念そうにしていた。
対する悠介は、同じく演技をした事に対して何か思うところがあったのか、僅かに微笑み碧斗を見つめる。
そんな中、歩美は「ほんとー?」と。確認を含めた返しを碧斗に近づき放つ。それに碧斗は間違いないと首を縦に振ると、歩美もまたなんだと。ホッとした様子で息を吐いた。
「そういう事だったんだ〜。ごめんねー邪魔して」
「いやいや、別に平気だよ。それにしても、碓氷さんはどうしたの?」
「んー?どうって、普通に部屋戻ろうと思って歩いてたらこういう現場に遭遇したんだよね〜」
碧斗が歩美と会話を交わす中、ふと遠くから足音が小さく聞こえ、僅かに口元を綻ばせる。それに、悠介は目つきを変えた。歩美との会話を長時間続ける碧斗に、悠介は何かを察して目を細める。いや、ありえない。そんな事を思いながら。
そう、この足音の主は他でも無い。
円城寺樹音であった。
「そうだったんだ。ごめん、勘違いさせる様な事しちゃって」
「それよりもっ、水島さんはどうしたの?」
「水島、、ああ!水篠さんの事ですか?」
「あ、そうそう!水城さん!五十嵐君、守るって決めてたのに、駄目じゃん!一緒に居なきゃ!」
「あ、いや、、それは、その」
叱るように身を乗り出す歩美に、碧斗は苦笑を浮かべ目を逸らす。
「それに、前みずしろさん一人で居たんだよ?その時はいがわらくんが一人で居なくなっちゃったって言っててーー」
「っ!?な、、そ、そんな事より!早く相原さんのところに行かないとマズいよ!一人行動して、また見つかったりでもしたら、」
碧斗と歩美が会話を続ける中、遠くから僅かに樹音の姿が見え、悠介は驚愕しながらも慌てて話を遮る。時間稼ぎをしているだろう碧斗を、一度睨みつけながら。
「あーっ!ごめんねゆうくん!それにみんなも、急いでたんだね!ごめーん!じゃあ、また後でね!」
その事は後でゆっくり話そう。そんなニュアンスで告げながら、歩美はバイバイと笑って手を振った。
それを見据えたのち、悠介は直ぐに拓矢の元へと向かい、彼を先頭にしてこの場を立ち去った。
「クソッ、もう少しだったんだけどな、」
その光景を、ただ何も出来ずに見つめながら、碧斗は声を漏らす。樹音は勿論死んではいなかった。
剣を活用して着地し、自らで傷を負い、死んだと思わせる。その後、それを利用して悠介に隙を作り、改めてこちらへと戻って来る。それは、碧斗にとって安易に予想出来た。故にそれを活用して、拓矢に火を注ぎこの場を「攻撃をしてもおかしくは無い」場所へと変化させようと。そう考えたのだが。
ーこれは失敗か、、まあ、変に拓矢君を巻き込んで面倒な事にするのも気が引けるし、、仕方ないか、、でもー
だが、樹音が自分の体を傷つけてまで作り上げた状況だ。これを逃すわけにもいかない。そう思いながらも、碧斗は息を吐き、悠介達に大人しくついて行った。
その、素直な対応に悠介は一度怪訝な表情をしたのち、何かに気づき目を僅かに見開く。
そうか。彼の目的は樹音と拓矢を対面させる事では無い、と。彼の、碧斗の本当の目的はーー
ニヤリと、碧斗は僅かに微笑み悠介を見据える。
ーー自然に、悠介の手で歩美を追い払う事だった。
元々、四対一の状況で勝利を確信した様な謎の自信が碧斗にはあった。それを踏まえると、彼はその中で想定外だったイレギュラーな存在。歩美さえ何とかすれば、悠介を始めとした皆は対応出来ると。そう考えているのだろう。
だが、甘いと。悠介は微笑む。
その彼の反応を見逃さなかった碧斗は、眉間に皺を寄せ怪訝な表情を見せた。すると。
「ねぇ、、碧斗君、どう?不意を突けば、なんとかいけるんじゃ、」
「いや、恐らくあいつは光で限界を見せてる筈だ。それに、俺の煙への対応も理解してる。だからこそ、あいつは自信げに見えるんだ」
拓矢の方へと視線を向けて背中を押す悠介、それに息を吐きながらついて行く奈帆と愛梨。そんな一同を後ろから見据えながら、こちらに到達し、突如耳打ちしてきた樹音に同じく小声で返す。
そんな碧斗の奥歯に物の挟まったような言い方に、樹音はそれじゃあどうすればと。不安の色を見せたがしかし。対する碧斗は真剣な表情で樹音を見つめた。
☆
樹音と短い会話を交わしたのち、碧斗は改めて悠介の方へと歩みを進める。
「あれ?どうしたの?攻撃は?」
そんな碧斗に近づき、悠介は小さく零す。僅かに音のズレが見て取れる。間違いなく彼は限界を作り上げ、挑発に来ている。
この場で同じ意見を持っていると思われている碧斗を、またもや争いを望んでいると思わせるための作戦であろう。だが、それはもう通じないと。そう言うかのように、碧斗はその挑発を無視しながら辺りを見渡し、こちらもまた作戦を練る。
奈帆や愛梨には、どういう理由で悠介の話に乗っているのか分からない今、不用意にブラフをかけるのはリスクがあると。碧斗は表情を曇らせ視線を移動させる。それでは拓矢はどうだろうかと。
僅かにそう考えたものの、元々大した接点が無かった碧斗は、よく知らない相手を、不用意に作戦の対象には出来ないと。現実的に考え諦める。
「ふふ、」
隣で、小さく悠介が笑う。何も出来ない碧斗を憐れんでいるのだろうか。嘲笑しているのだろうか。それに碧斗は歯嚙みする。
何かないかと。必死に辺りを見渡す。だが、そこに辿り着き碧斗はハッと。ようやっと理解する。
そうだ、無理に戦う必要は無いでは無いかと。
現在沙耶と大翔が居ない状況。即ち、今碧斗がこの場から去れば済む話では無いかと。そう思ったがしかし、いやいやと。碧斗は改めて考え首を振る。いくら美里の行方は完全には分からないとは言え、確実にここで対処しておかないと面倒な事になると。
「...」
「ふふ」
真剣に悩む碧斗に、思わず吹き出す悠介。その様子に憤りを感じながらも、タイミングを見計らう。
奈帆を含め油断しているのは最初の一回だけである。碧斗を弱者として見ている反面、それを覆す事で成し得るこの作戦は、一度の失敗も許されない。言わば、一発勝負である。
故に、碧斗が有害物質を放出出来る事を見せるのであれば、その一回で終わらさなくてはならないという事である。それを考えると、悠介の光は厄介でしか無かった。彼は先程同様、碧斗に対抗するために閃光を放つだろう。それに負けてしまっては、せっかくのチャンスを逃し、その作戦の全貌を奈帆や愛梨にも知られてしまうリスクが生じる。
そのため、碧斗は神経を集中させそのタイミングを待つ。そうだ、焦る必要は無いと。悠介の「それ」もただの揺さぶりである。真に受ける必要はない。
そう考えゆっくりと皆の後をつける。
が。
「あ、あれ相原さんじゃない?」
「なっ」
思わず碧斗は目を剥き、声を漏らした。
ありえない。彼女の事だ。何かを察してこの様に堂々と我々の前に現れる筈がない。
そう、思ったのだが。
「嘘、、だろ、」
「あっ!ほんとだ!」
「やっぱりそうだよね!いやぁ、良かったぁ」
廊下の角に、美里の姿が確かに存在していた。それに目を輝かせる拓矢と、良かったと。安心した様子を見せる悠介。それに続いて、敵意を僅かに漏らしながら、仕方なく話を合わせる様にして奈帆と愛梨もまた向かった。
恐らく、美里にこの話は通用しないだろう。悠介の演技も、どこかで気づかれるはずだ。だがしかし、問題はそこでは無い。
現在、この場にいるのは碧斗と美里のみである。即ち、もし悠介が能力使用で攻撃しようものなら、対抗が追いつかないのだ。更にはその際、奈帆や愛梨もまた参戦するだろう。それ故に、碧斗は冷や汗を流す。
マズい。
どうするべきだろうか。
考えろ。何か、何か、策を。
必死の形相で悩む中、ふと、悠介が一人こちらに振り返りニヤリと微笑む。
「残念。君がみんなをバラバラにしてくれたお陰で、効率良くみんなを捕まえられそうだよ」
「っ!」
まるで感謝をする様に微笑む悠介に、碧斗は思わず。
「クソォォォォォォォォ!」
「えっ」「なっ」「何、?」「?」
悠介と拓矢、奈帆と愛梨が、突如叫んだ碧斗に驚き振り返る。と、それと同時に。
碧斗は悠介を思いっきり殴った。
すると。
「ごはっ!」
「えっ!?伊賀橋君!?」
「あーあ、やっちゃったね」
「敵対?」
「え、」
思わず、時が止まる。
感触があった。
悠介もまた口から空気を吐き出し倒れ込んだ。間違いない。
これは、本物だ。
「嘘、、だろ」
皆から向けられる鋭い目つきに、碧斗は崩れ落ちる。
「ひ、酷いよ、、なんでっ、何でこんな事するの!?僕はただっ、ただ君達にっ、協力しようと思っただけなのに!」
そんな碧斗に詰め寄り、悠介は声を上げる。
皆に背を向け、碧斗を見つめ放つ悠介の顔は、ニヤリと。小悪魔。いや、悪魔の様な笑みを浮かべていた。
「っ」
それによって、やっと気づいた。
これは全て、彼のシナリオであったという事を。
「ク、、クソッ!」
奥に居た美里が、ゆっくりとぼやけ、姿を眩ます。そうか、そういう事かと。
元々、美里はそこに存在していなかったのだ。
そう、碧斗を焦らせるために、あえて浮かび上がらせた、悠介による幻覚だったのだ。更にはあえてズラした自身の像や、挑発的な言葉。それを見せる事で、ここに居る悠介は幻覚であると思い込ませたのだ。
そのため、心のどこかで彼を殴っても問題無いと。そう思ってしまったのだろう。冷静に考えていたつもりが、こうして感情を逆手に取られ、悠介に操られてしまったのだ。
先程、絶望に叫びを上げてしまった。
恐らく、近くの転生者にも、沙耶や大翔にも聞こえている可能性が高い。
「...」
終わった、と。
このまま碧斗はこの場の皆に捕まり、他の皆もそれぞれ捕まるのだろう。
ここまで来たのに。
進の思いや、智也の思い。彼らとの約束。皆それぞれの思いを背負って。この争いを終わらそうと。ここまでやって来たというのに。
これからでは無いか。
王城の地下に新たな拠点を築き、ここから、一歩ずつ皆との親交を深めこの争いを少しでも収めようと。そう意気込んでいたところだった。
それなのに。
「クソッ!クソォォォォォォ!」
崩れ落ちた碧斗は、その勢いのまま強く地面を殴った。
「クソッ、、クソッ!」
「はぁ、もういいんじゃない?こいつ、そろそろ捕まえたいんだけど。ゆうくん的には、どうしたい?」
「私も同じ。そろそろ捕まえておかないと、危険」
そんな碧斗を見下す様にしながら、奈帆と愛梨は悠介に声をかけながら近づく。
これで、おしまいなのか。
そんな弱音を口から零した。
次の瞬間。
「あっ!待って!相原さんっ!」
「「「「っ!?」」」」
突如声を上げた碧斗に、その場の皆が、それぞれ違う意味合いで目を剥く。その中の奈帆と愛梨は、彼の言葉に反応して振り返り、先程まで美里が居た方向に体を向け放った。
「っ!ゆうくんごめんっ!私達、向こう行ってくるから!伊賀橋碧斗の方はよろしく!」
「私も、行く」
「あっ!ちょっと!」
悠介の言葉を待たずに、奈帆と愛梨はそれぞれ告げると、先程まで美里の居た角の方へと飛び出し走る。そんな後ろ姿に手を伸ばす悠介だったが、その直後。
「フッ」
思わず吹き出す碧斗に反応して振り返る。
「君、、まだ足掻く気?」
目を細める悠介に、碧斗はニヤリと微笑む。まるで、彼にそのまま返す様に。
そう。悠介は確かに碧斗の更に先を見越し、その上で彼の感情を操った。ただの、演技力だけでだ。だが、そんな彼の作戦には一つ欠点があった。
それは、皆もまた騙そうとしたところである。
本来ならば、敵意している我々の仲を崩壊させる目的故に、騙す必要があるのは我々だけだった。だがしかし、彼は道理を理解しており、更には碧斗と同じ様に頭が切れる人物だ。
そのため、先の事を見越した判断で全員を欺く結果を導き出した。それが、逆に問題だったのだ。
即ち、奈帆と愛梨には美里が虚像である事を知らせていなかったのだ。彼女達に何を言ったのかは不明だが、我々を騙す作戦を話したのは恐らく一度きり。あの瞬間のみである。しかもあの僅かな時間の中であるがために、ここまで細かい作戦の概要は説明していないだろう。
いや、寧ろ全員に"まるで本当の様な演技"をしてもらうため、あえて言わなかったのだ。
それが仇となったなと。碧斗は胸中で呟き笑う。
奈帆は以前から分かる通り美里に敵対心を抱いている。更に愛梨もまた能力を考えると奈帆と二人行動の方が都合が良いだろう。つまり、それを理解しているがために、あの一言だけで二人をこの場から追い払ったのだ。あの二人に、更に信じてもらうために、絶望の淵である"演技"をして。
この、仲裁の立場である拓矢を除いた、悠介と碧斗の一騎打ちにする状況を作り出すために。
その状況に微笑み、悠介の放ったそれに、碧斗は自信げに返した。
「ハッ、何言ってんだ。これから、だろ?」




