181.決断
「一体、、何を言ってるんですの、?」
しんと静まり返る一室で、シェルビは眉間にシワを寄せ口を開いた。
「アイト、、じ、冗談じゃよな、?」
怪訝な表情をする一同に、碧斗は未だ呼吸を荒げながら、何を言うでも無く彼を手で退かした。
「違う。早く通してくれ」
真剣な表情で放つ碧斗に、グラムは表情を曇らせながら手を掴む。
「待つんじゃ。それは、、逃げと変わらないぞ」
「...何も、知らないくせに」
碧斗はそこまで放って、自身で気づく。
智也や皆も、同じ事を言っていたと。何も話せないくせにこうして抑えられない感情を怒りとして表す。皆、これ程までの苦しみを抱えていたのだろうかと、碧斗は一度は思ったものの、だからといって改める気はない彼はそのままその場を後にした。
「アイト、」
「...ちょっと。お待ちなさい」
「...」
「待ちなさいと言っておりましてよ!」
その姿を苦しそうに見つめるグラムとは対照的に、シェルビは引き止める様に声を上げる。それでも尚歩みを止めない碧斗に、シェルビは追いかけ肩を掴んだ。
「いくら辛いからって、それから目を背けるどころか、解放されるために死を選ぶなんて、一番の逃げですわ!人生には逃げる方法も色々ありますけど、それは全部選択だとわたくしは思ってますわ。だけど、死だけは、本当の逃げになってしまうと、思いましてよ」
「ちが、」
シェルビの訴えに、碧斗はそうではないと口にしかけたが、目を逸らし口を噤む。
確かに、皆が思っている様なそれとは理由が違かった。転生者に殺される事でこの世界での記憶が消える。それ故にその選択をしたのだが、結局逃げるという点では変わらないだろう。だからこそ、碧斗は何も言い返せずにいた。
だが、言い返す必要なんてない。
もう、何もしなくていいのだ。この世界での事を忘れるのであれば、ここで何をしてしまおうとも、関係がない。
どうせ皆も忘れるだろう。そんな事もあったと。記憶の彼方へと葬り去られるのがオチだ。更にシェルビに関しては出会って二日しか経っていない。そんな人の話を、大して聞こうともしない碧斗と同じく、彼女もまた数日後にはこの事を忘れるだろう。
グラムにはとてもお世話になった。こんな我々を、ただ何も聞かずに助けてくれた。家に居させてくれて、食事も与えてくれて。相手をしてくれて、たまに給料までくれた。とても有り難くて、良い人で。だからこそ、心が締め付けられたが、もう既にそれを思っても体は言う事を聞かなかった。いや、逆なのかもしれない。
碧斗の中の、人の心という名の偽善が、そう思わせているだけだと。
そう碧斗は理解し、相手の目を気にせずそのまま踵を返した。
が、次の瞬間。
「人の話をっ、聞きなさい!」
「ごふぁっ!?」
先程まで看病してくれていた人とは思えないくらい強く、シェルビに首元を殴られ、碧斗は思わず口から空気を出したのち、意識が途切れた。
☆
『これから辛い事があって、もう消えちゃいたいとか、自分が嫌になる事ってあると思うんだ。だけど、碧斗は凄い子だから。きっと上手くいくよ。辛い思いをして、何も見えなくなっても、先を見たらきっと道は出来上がっていくと思うから。だからーー』
何度も浮かび上がるこの光景。今まで言葉すら認識出来てはいなかったものの、現在はそれを放った人物の正体も、その言葉の意味も理解できた。だが、その先が、どうしても思い出す事が出来ない。
そこから先の一言は、母からいつもいつも。毎度の様に聞かされた、決まり事のようなものだった。それだけは記憶に残っているが、内容までは思い出す事が出来なかった。
母は、一体最後に何を伝えようとしたのだろうかと。碧斗は大切な人の遺言でもあろうそれを、必死に思い出そうとしたが、突然記憶の中に現れる筈も無く、大きくため息を吐いた。
炎の中、煙の中、必死にその人を追いかけた。ただの事故死であった。
そこに何かが隠れているわけでも無く、陰謀でもない。ただの、よくある事故だと括られた。だが、それでは納得がいかなかった。あそこまで辛い思いをし、苦しみながらも碧斗を何不自由無く、愛情を与え育てた「あの人」が。そんな最期を迎えるなんてあってはいけない事なのだ。
あの父は、あれ以来見つかっていない様だ。碧斗の中の記憶も、最初は調査のために聞かれる事も多かったが、時期にそれが辛い記憶であり、思い出すことすらままならないものだと理解すると、記憶を忘れるためのカウンセリングを優先し、父の素性が明らかになる事は無かった。
それが、悔しかった。
心のどこかで、逃げた自分によって救われたあいつが、憎らしく感じていた。
どうして、あそこまで素敵な人が亡くなり、あそこまで残酷な事をしていた人が伸う伸うと生きているのだろうか。それを思い出す度に、心の奥が締め付けられた。だが、それは碧斗も同じであると。自身を責めた。
どうしてあの時、碧斗は一人で生き残ってしまったのだろう。どうして、母が亡くなった目の前に居たのに、何もせず、何も答える事なくこうして生き長らえてしまったのだろうと。
あれからというもの、生き残ったあの日も、児童相談所に預けられた時も、新しい親が見つかり、その人達から愛された時も。ずっと、何かが引っかかっていて、こんなに素敵な生活をし続けていいのだろうかという不安と、母への罪悪感に苛まれた。
きっと、怒っているだろう。いや、呆れているかもしれない。産んでくれた母から受けた愛情や生活を忘れて、育て親からの愛情に甘えて、それだけを記憶しているなんて、憤りを感じていてもおかしくない。
「ごめんなさい、、ごめんなさい、」
深い深い暗闇広がる夢の中で、碧斗はとうとう気づく。
怖かったのは、その記憶でも、父の存在でも、母でもない。その記憶を忘れていたという事実と、その罪悪感だったのだ。それが苦しくて、辛かった。
進を失った時、また一人生き延びてしまったと悔しさを感じたのは、それがどこかに存在していたからかもしれない。この世界でも、こうして一番弱い能力であるのにも関わらず生き続けている自身に、碧斗は怒りが収まらなかった。
「なんで、、どうして、なんで俺だけ、、生きて、しまったんだ、」
無理に生きようとしていたのが馬鹿みたいだ。こうして最弱で軟弱者が生き続ける中で、将太や進、祐之介の様な、強い意思と力を持っている人が、死んでいったのだ。
以前に告げられた、智樹の言葉が脳内に響く。
『分かった?こうなったのは全部君のせいだって』
「はぁっ、はぁ!はぁ!」
その通りではないかと。碧斗は頭を押さえる。
王城での大災害は、碧斗達が修也を庇っていた事により、我々に目を向けた者達の犯行であった。他にも、今まで起きた事件は、進の事も含め、我々の責任である。
それも全て、修也を庇った沙耶を助けるために強行手段を行った碧斗のせいであり、それ以前にまず修也が殺人。祐之介を殺した理由も、碧斗の事で言い合いになっていたからだ。言葉の中に碧斗の名は出てこなかったが、祐之介は恐らく彼の存在によってその様な意思を強く持ったのだろう。
それを思うと、全てが碧斗のせいでしか無いと。そう思わずにはいられなかった。
「ああ、、やっぱり、俺はーー」
そんな、後ろ向きな感情が溢れた、その瞬間。
「そういう事、でしたのね」
「...え、?」
突如、シェルビの声が目の前の闇を裂く様に響き、目を覚ます。
「な、、何、だ、?一体、何の話を、」
「貴方、全部口で言ってましてよ?」
「え、あ、そ、そう、だったか、」
碧斗は、それを聞かれた辛さと安堵、そして何より恥ずかしさにより、目を逸らす。
「...でも、さっきよりは顔色がよろしいですわね。話も出来てますし」
「あ、ああ、、ま、まあ、」
そう答える碧斗は、先程の様な錯乱した様子では無かったものの、どこか遠い目をしており、未だに何かに囚われている様子が見てとれた。そんな碧斗に、シェルビは一度息を吐くと口を開く。
「貴方の事は、大体分かりましたわ。その過去を、思い出してしまった。という事ですのね」
「...いや、思い出さなきゃ、いけないんだ。本当は」
「思い出すや思い出さないとかの話ではありませんわ。どちらにせよ、貴方の中にはそれが渦巻いて、取り憑いているわけですもの」
視線を落とす碧斗に、シェルビはそう返す。
「たとえ思い出さなかったとしても、その罪悪感が、きっとまたどこか違うところで、違う形で表れていたかもしれないですわ」
「違う、、形で、」
シェルビの呟きに対し、碧斗もまた小さく呟く。すると、そののち。シェルビは起き上がった碧斗を見据えて、隣のベッドから立ち上がり、そのままドアへと向かう。
「...殺されたいなら、勝手に殺されればいいですわ」
「お、おいっ!?シェルビ!?」
碧斗の左側から、グラムが「なんて事を」と言うように慌てて声を上げる。それに、碧斗は居たのかと目を向けると、シェルビは一度振り返り告げる。
「そんな辛い記憶、忘れた方がいいですわ!消えたいって勝手に思って、勝手に苦しんで、勝手に殺されればいいですわ」
「ど、、どうしたんじゃ、、突然」
先程までの対応とは一転、シェルビは突如碧斗に棘のある物言いで放つ。恐らく、この記憶を手放す事に罪悪感を抱き始めていたがために告げた言葉だろう。それで本当に良いのかと、碧斗に判断を委ねたのだ。
この決断は、自身で決める他、無いのだから。
「...俺は、」
ふと、考える。
あの日の事と、母の事を。
「う、うっ、ぷっ」
「お、おい!?大丈夫かアイト!?」
思い出す度に、胃液が逆流する。あの出来事と、それから今に至るまでを思い出し、更に咳き込む。
「ごはっ、ごぶぁっ」
「お、おい、、シェルビ、、流石にここまでしておいてそんな言い方じゃあ、、アイトも辛くなってしまうわい」
グラムが碧斗の背を摩りながら、不安げにシェルビを見つめる。と、対する彼女は碧斗を見つめ、目を細めるとそのまま告げた。
「はぁ、、貴方ね、このまま全てを諦めて殺されても、きっと何一つとして報われない事くらい、もう分かってますわよね?ここで向き合わなくては、この先後悔しますわ」
「...うぷ、、クッ」
それは、分かっていた。だが、そうは言えども、その光景を脳内に浮かび上がらせる度に、吐き気が碧斗を襲った。
既に限界だったのだ。それと向き合う事自体が。
「分かってるよ」
「ん?」
「分かってんだよ!向き合わなくちゃいけなくて、乗り越えなきゃいけない事くらい!それでも無理なものは無理なんだ!頭では分かってても出来ないんだよ!」
「っ!貴方、、わたくしを誰だと、」
「ああ!?皇女だかなんだか知らないけど、そんなのどうだっていい。立場なんて関係ない。どうせ俺は殺されるんだ。そんな事どうでもいい!分からないだろ!?貴方みたいな強気な人には分かるはずがない。弱くて、惨めで、直ぐ逃げる様な奴の事、何も分からないだろ!?変わりたいって思ってるのに、それが出来ない悔しさを知らないだろ!?いいよな、そんな性格だったら、俺だってもっとーーごふぁっ!?」
「っ」
碧斗が感情に任せてそう声を荒げると、言い終わるよりも前にまたもや首に彼女の殴りが入る。がしかし、先程とは違って場所がズレたのか、気絶はしなかった様だ。いや、わざとかもしれないが。
「何、、すんだよ、」
それに、弱々しく碧斗は口にしてシェルビを睨んだ。それを見つめるグラムは、最初こそ驚いた様子だったものの、これには碧斗に非があると感じたのか、表情を曇らせて彼を見つめた。
「ふざけないでくださいまし。わたくしは皇女でしてよ?そんな態度ならば貴方をこの家から追い出しますわ」
「ハッ、、それなら本望だね、もうこの家に用はない」
声を低くして放つシェルビに、碧斗は怯みながらもそう答える。どうやら、相当お怒りの様子だ。
「そう。なら勝手にすれば良いですわ!そうやって惨めなまま終われば良いんですの。このまま殺されても、何も良くなんて無いですのに。それを分かっていながらその選択をするなんて馬鹿なんですの?それは解放では無く、本当の意味での終わりですもの。苦しくても向き合って生き続ければ、その先に道が現れますわ」
「っ!」
不甲斐ない碧斗に、シェルビは呆れを含めた怒りをそのまま口にする。それに、碧斗はこちらの気持ちを一つも理解してないと。死を止められるのは死を考えたことのある者だけだと。そう考えるだろう。
それが、普段の碧斗ならば。
だが、その時は普段とは違かった。その言葉だ。その言葉だったのだ。その言葉が、必要だったのだ。
そう脳内で思い、ハッとした碧斗は目を見開く。
そうだ。
あの時。
そう言っていたんだ、と。
燃え盛る炎の中、煙に巻かれた母は、泣きそうな顔で。だが、瞳の奥には力強いものを宿し、碧斗を見据えた。
『辛い思いをして、何も見えなくなっても、先を見たらきっと道は出来上がっていくと思うから。だから、諦めないで。ぶつかって、倒れても、生きて。消えたくなっても、絶対に消えちゃ駄目だよ。消えるのは、逃げでも解放でもない、、それは、終わりなんだよ。生き続けたら、きっと幸せが見つかる。安心して。私はこんな素敵な子供達と出会えて、、母親になれて、凄く、、幸せ、だったよ!』
その表情は、とても嘘を言っているようにも、碧斗のためにそう言っているようにも見えなかった。
そう。それは、間違い無く本当の言葉だった。
炎の壁により触れる事が出来なかった。煙の幕により、顔をきちんと見据える事すら出来なかった。
そんな、最悪な最期である筈なのに。母はとても清々しく、とても優しい顔をしていた。
幸せだった。そんな一言に、碧斗は思わず涙を溢れさせた。
「ア、アイト!?」
「クッ、、う、うぅ」
ベッドの上で膝を立てて、その中に顔を埋めながら声を漏らす。
あんな苦しい生活で、辛い思いを何度もしてきて。愛する息子からも無知故にゴミと言われ、そんな中でも、母は笑って幸せだと放ったのだ。その言葉には、心配しないでと言っている様な気がして。それに碧斗は大粒の涙を流した。
母は、幸せだったのだ。あの環境の中でも、碧斗という息子の存在が、支えになっていたのだ。辛い事ばかりでは無いと、そう教えてくれたのだ。だからこそ、碧斗にもきっとその時が来ると。優しく背中を押してくれたのだ。
気にする必要は無かった。母は幸せだった。そして、今度はその幸せをくれた碧斗に、幸せを見つけてほしいと。残してくれたのだ。だから気にする必要はない。忘れてくれても構わない。ただ、自分なりの幸せを、見つけてくれと。
「クッ、グスッ、、そ、そう、だよな」
「ど、どうしたんじゃ、?アイト、、突然」
掠れた声で呟いた碧斗は、目つきを変えてベッドからゆっくりと立ち上がる。
「お、おい、、もう少し休んでいた方が、」
止めようとするグラムに、碧斗はいえ大丈夫ですと。手を振ってシェルビに向き直る。
「ありがとうございます。貴方のお陰で、思い出せ、、いや、気づけました。どうすれば、いいのか」
碧斗の表情から、もう自ら命を絶とうとする事は無いと確信したのか、安心した表情と息で、シェルビは口を開く。
「ふ、ふんっ!わたくしの予定通りですわ!わたくしにっ、感謝する事ね」
「はい、本当にありがとうございます」
一体何を悩んでいたのだろうと、碧斗は微笑み返し足を踏み出す。
母が、幸せだった。その事実だけで、どこか報われた気がした。苦しそうな表情は抜けきらない。未だに母の呻き声や辛そうな姿が脳裏に現れては苦しくなる。
だが、それでも。
母は最後は幸せで、そして碧斗を責めるはずがないと。そんなあの人の最期の言葉によって、救われた。
苦しい記憶は辛いものに変わりはなかったが、それでも。
「俺は俺の幸せを、守りに行きます」
自分の幸せを、希望を見つける事に精一杯になろうと、そう改めた。
「はぁ、、もういいですのね。わたくしはもう寝ますわ。昨日から邪魔されてばかりですものね」
「お、おい、シェルビ、、心配じゃ無いのか、?」
「大丈夫です、グラムさん。幸せを守り切って、その幸せと共に帰って来ますよ」
ベッドに戻るシェルビに、グラムはそう声をかける中、碧斗はそう残してその場を後にした。
この異世界に来てから、多くの発見と出会いがあった。勿論、辛い事も、亡くなった方も居るがしかし。その全てが、今の碧斗を作り出しているのだ。
忘れてはいけない。それから逃げてはいけない。碧斗はそう考え胸の内にその記憶や感情を込めながら、その中で出会えた、本当の幸せ。
この世界に来る前には、絶対に味わえなかったこの感覚。いつもの皆が居て、沙耶が可愛らしく微笑み、樹音が優しく声をかけ、大翔が乱暴ながらも明るく笑い、美里が呆れ混じりに息を吐く。家にはグラムが居て、料理を作って待ってくれている。シェルビが加わり、こうして寄り添ってくれている。今は王城に居るが、マーストが優しくも冷静に的確な言葉をかける。そんな、何気無い関係の中で、こうして笑ったこれは、きっとそうだと。
今の碧斗は、確信した。
ーこれが、今の俺の、幸せだー
母が遺してくれたこの言葉を胸に、碧斗はその幸せの元に向かって走り出した。




