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殺し合いの独裁者[ディクタチュール]  作者: 加藤裕也
第6章 : こびり付いた悪夢(コシュマール)
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171.美里(2)

 祖母の家に住み始め、夜を二回過ごした。そこでは天国の様な生活を、当たり前の様に与えられ、それをただいただいた。それに、美里(みさと)は少しの恐怖を感じながら、不安の色を見せた。


「大丈夫、、心配しなくていいんだよ?」


 祖母はそう笑うと、優しく頭を撫でた。だが、対する美里は恐怖から唇を噛んだ。


「...危ない人は、、そうやって相手を安心させるって、、習った」


「勉強熱心なのね、美里ちゃんは。まだ三年生なのに、こんな辛い環境で、」


 祖母は、そこまで呟いたのち、突如瞳から涙が溢れ出た。それに動揺しながら、美里は部屋にあったティッシュを取り手渡しする。


「...な、泣かないで、」


「あ、、ありがとうね、、美里ちゃん」


 掠れた声で感謝を述べるその姿は、どこか怖い人には見えなくて、美里は僅かに、この天国の様な環境に希望を見出し始めていた。


「一昨日ね、、お母さんとお話しして、話聞いたよ。ずっと、家事を全部やってくれてたんだって?...ありがとうね、」


「いえ、、学校に行ってる間はおばあちゃんに任せちゃってますし、、そんなにすごい事してませんよ」


 そう首を振る美里に、祖母もまた首を横に振る。


「凄い事だよ美里ちゃん。学生の仕事は学校へ行く事ですもの。それをしながら家事をしてるなんて、私より何十倍も凄いわ」


「でも、、おばあちゃんも、昔は仕事しながら家事もしてたんでしょ、?」


「私の時は女は家で飯を作るって時代だったしねぇ。店を始めた後も、家事の料理とほぼ同じだったから、お爺ちゃんにはお店にあるものばっかり作ってた記憶があるね」


 笑って冗談めかして話す祖母に、美里もまた小さく笑みを浮かべる。それに、だがと。美里は表情を曇らせる。


「...それでも、、私は駄目な子です、」


「そんな事ないよ!」


「えっ」


 美里が零すとほぼ同時に、祖母はそれを掻き消す様に声を上げ、彼女を抱きしめる。


「そんな事無いわ美里ちゃん。貴方は凄いの。もっと自信を持っていいのよ?そして、もっと普通の生活をして、全然いいのよ?」


「...ふ、普通、?」


 自身が普通と思っていたものに対して、普通では無いと告げられている気がして、美里は険しい表情を浮かべた。


「そう。今は分からなくていいから。これから、ゆっくり一緒に経験していきましょう?」


「...」


 前よりは多くの事を理解できる様になった筈の美里だったが、未だそれを理解出来ずに視線を落とす。だが、それを放ち抱き締める力を強める祖母の表情は。柔らかくて、素敵で。

 到底悪い人には見えなくて、そんな表情にさせる事が出来たなら良かったと。ただ単純にそう感じ、美里は浮かない表情のままだったが、祖母を抱きしめ返したのだった。

 それからというもの、美里は最初こそ祖母に無理矢理連れてこられ、恐怖として従っている様子ではあったものの、段々と自身の意思で従う様になっていった。だが、そんな日々も束の間、祖母の家へ来てから四日ほどが経ったある日。

 ピンポンと。突如そんな軽快であるのに重たいインターホンの音が、ゆったりとした祖母の部屋を巡った。

 それに、祖母はゆっくりと立ち上がり対応しようとしたがしかし。


「わ、私が行くね」


「ああ、ありがとうね」


 美里がそんな祖母を遮り玄関へと向かう。

 ひたひたと。玄関に向かう美里の足音が響く。

 冷たく重たい、"あの時"と同じ様な、フローリングを裸足で歩く音。

 それがゆっくりと、祖母の耳からは遠ざかって、玄関には近づく。

 ドアの向こう側に浮かぶ人影の形すら確認せず、美里はパタパタと、玄関に到達しゆっくりと開ける。

 が、そこにはーー


「やっぱり。ここに居たのね」


「っ!」


 ーー母の姿があった。


 その日は、そのまま母が部屋に無理矢理入り、祖母との口論となった。今度は逃げる場所が無く、美里はその目の前で、強く目を瞑り頭を抱え座り込んだ。


「私の子よ!?これは誘拐で、立派な犯罪なのよ!?」


「あんたには任せられない!どうしてそんな事を美里ちゃんに押し付けるの!?仕事が忙しいなら私に任せればいいでしょう!」


「私の可愛い娘なのよ!?仕事から帰って会いたいのよ!」


「そうは言っても、直ぐに探しに来なかったじゃないの!」


「行ったわ!直ぐに!仕事が忙しいのに、捜し歩いて、、考えたくなかったけど、お母さんのところかなって、思ったの」


 そんな会話が、放たれていた様な気がする。下を向き目を瞑る美里は、無理に聞こえないフリを装った。

 そして、結果的には。


「もう!それ以上するなら通報するから」


「えっ」


「この子は私の子。貴方の子供じゃ無いわ。それなのに私の子を、私に言葉すらかけずに連れ去った。これは、通報されたら逃げられないわね」


 そんな言葉に押されて、祖母は何をするでも無く口を噤んだ。そんな話が通用するかと。そうは思ったものの、祖母もまた、娘である母に不幸になって欲しくなかった。

 祖母を通報する事によって家庭内事情が公になる事を、祖母は母の親として、避けたいと心のどこかで感じていたのだろう。

 すると、母は続けて美里に向かう。と、そのまま彼女の手を強く掴み、美緒(みお)美郁(みく)のベビーカーを押して家を後にした。

 その際、祖母は連れていく事に反対し、声を荒げ止めようとしたものの、祖母一人では敵わず、美里は元の生活へと戻る事となった。あの時には恐怖でしか無かった祖母の家での生活だったが、時期にそれが文字通り夢の様な時間と空間であった事を認識した。

 そう。あれから月日が流れ、四年後。美里が中学へ入学する間近。

 祖母が、息を引き取ったのだ。

 その日は皆が苦しみ悲しみ、母の人間らしい、久しぶりの表情が見られた。その、どこか懐かしい表情も、美里には視界が歪み潤んでぼやけて見えていた。

 そこからである。今までの環境を止めていた、母から邪魔者扱いをされていた祖母が亡くなり、本格的に美里への扱いが酷くなっていったのは。

 あれから四年が経ったため、妹二人は五歳になり、保育園に預ける様になっていた。それによって、美里は授業中に心配をする必要が無くなり、以前同様夜も遅かったが、耐性がついたのか居眠りも減っていった。

 がしかし、家庭内での生活はどんどんと悪化していった。

 家に帰る前に保育園に寄り、妹二人を連れ、そのまま帰宅。そして、そこから"四人分"の食事を作り、三人でテーブルを囲んだ。その後片付けを行い、妹と共にお風呂に入り寝かしつけ、家事を軽く行った後、そのまま自分の部屋へと戻り勉強や宿題を行う。

 それが日課であった。そして、夜中に勉強を行なっていると母が帰宅する時間と被り、そこからは更に地獄となった。


「何これ」


「な、、何って、、ご飯、」


「はぁ、、そろそろ四年作ってるんだからさ。もう少し上手くなろうよ、何も学ぼうとしてないの?」


「仕方ないでしょ、、学校の勉強をやらなきゃだし」


「何?口答えすんの?」


「いや、別に、」


「誰のお陰でこのご飯食べられると、調理出来ると思ってんの?何も出来ないんだから黙って言われた事出来る様になって」


 そうやって呆れた様に声を上げる母だったが、これはまだマシな方である。日によっては部屋にゴミがあっただけで怒号を浴びせられ、声を荒げる日もあれば、物を投げつけたり、頭を物で叩かれたりもした。

 どんな時でも、自身の手ではやらなかった。手は汚したくはない。そんな思いの現れでもあったのかもしれない。

 だが、それとは対照的に優しい日もあった。いつもありがとう。そんな言葉をかけられる事も、たまには存在していた。だが、それを受け答えたのち、母はそのまま泣き崩れた。いつもごめんと。こんな母でごめんと。そんな、本音の様な言葉を零しながら泣きついてくるのが、いつものオチだった。

 どうせ甘えたいだけだろう。美里はそう思いながらも、抱きついてくる母を支えた。恐らく、会社の環境やストレスによって、その日の対応は変わってくるのだろう。感情の上げ下げが激しいのは、毎度のことである。

 対する学校生活では、美里は中学生になったがために、周りからのイメージは更に悪くなった。

 環境もあり、基本無愛想な反応しかしないため、勿論友達なんてものは出来なかった。更には、小学生の頃とは違い、エスカレートしたいじめが美里を襲った。

 美里自身の反応により、周りから仲間外れにされる。それのみだった小学校とは打って変わって、中学では暴力が増えた。家庭内での傷がバレ、同じような事を学校内でも行われる様になったのだ。

 最初こそ、ただ教科書を頭の上から落とされる程度の事だったが、段々とそれは重さを増し、遂には水を頭からかけられる始末である。だが、それが日常で、慣れてしまっていたが故に、美里は痛がる素振りも辛い表情すら見せず、誰にもそれを相談する事は無かった。

 その反応が面白く無かったのか、はたまた逆に面白かったのか、いじめは続き、教科書や体操着を隠されるといった陰湿な事まで行われ始めていた。それを隠し通そうとしていたものの、体操着の紛失と、それ無しで体育を行ったのは小さな騒動となり、時期に母の耳に入った。

 教師陣の前では、お得意の営業の顔で心配そうな表情を作ってはいたが、家に帰ると一転。どうしてそうなったのかを。まるで美里の所為(せい)かの如く形相と声音で問いただした。

 それに対しても事実を述べたが、隠される方が悪いと告げられた。故に、美里は誰にも相談なんてものは出来ないと。そう確信していった。


「...」


 一人シャワーを浴びながら、俯く。普段は美緒と美郁の二人と共に入っているのだが、今日は先に二人を上がらせ、一人で鏡を見据えた。

 そこには、身体中に痣の様なものが薄らと見える、美里の大っ嫌いな姿だった。最近は、見えてしまう事に対し意識をし始め、クラスの人達は服に隠れる様な事を、場所をと。そればかりを狙う様になっていった。

 学校ではいじめという身体への暴力。更に家庭では暴言という精神への暴力が続いた。そして何より、幼い二人を世話する毎日が、限界に近かった。だが、それでも尚頑張れたのは、美緒と美郁。二人の笑顔であった。


「大丈夫?」


 ふと、浴室で体について心配されたことがある。痣に対して心配する美緒と、二人きりになった時にそっと元気がない事に対して心配を口にする美郁。そんな二人が二人、お互いがとても可愛らしくて、優しくて、愛おしくて。この二人だけは、何があっても護らなくてはと。美里はそれを一心に、この環境を耐え続けた。

 その後、学校でも居場所を失った美里は、勉強に力を入れる様になっていった。勉強をしている間は、全てを忘れられるからだ。頭を使い、懸命に解を目指す。それが単調でありながらも一番難しくて。導き出した時の快感が、美里にとっての快楽となり、いつの間にか美里の数少ない娯楽と化していた。

 何を言われても、何をされても、美里は勉強をし続けた。

 それは、どんな環境でも勉強をしていると周りに印象付けるためにも、効果的だった。

 いつも勉強をしている。それは、いじめられる対象にもなり得るかもしれない。だが、逆にいじめる価値もないと。そう錯覚させる事も出来るのだ。故に、美里はそれに対して無関心で、無心である事を勉強という行為で見せしめた。また、それだけでは無く、更に大きな目標があったからでもあった。

 それは、立派な将来を目指す。というものであり、選択肢を増やせるよう勉強を惜しみなく行い、努力をして、いつかは家から独り立ち出来る様に。一人で生きていける存在になりたいと。そう考えていた。

 故に、勉強をし続けた。それ以外の方法は、今の美里には分からなかったから。

 だが、そんな目標は安易には届かず、名門校に入学しようと考えていた美里の理想を打ち砕く様に。学費の問題もあり、少しハードルを下げた一般高校に進学する事となった。

 それでも尚、美里は諦めなかった。学校での成績のキープ。テストの順位は必ず一位を貫き、それ以外にも、名門校に遅れを取らないよう自主的に次の。いや、次の更に次の学年の勉強にまで手をつけていた。

 大学で変えてやると。センター試験の実力で見せつけてやると。そう言わんばかりに、美里の瞳には炎が宿っていた。

 そんな中、勉強熱心な美里に、既に八歳を越え大人びた美郁が声をかけた。


「今日もお疲れ様。そろそろ、休も?」


「あ、う、うん。そうね。その方が、、いいかも」


 美里が隈が出来た目を一度擦ると、息を吐きながら伸びをする。そんな彼女の隣で、美郁は純粋な瞳で見据えて口を開く。


「そういえば、先生から本を読むと、頭が良くなるって言うの聞いたよ」


「...本、か、」


 正直、常識である。読む本にも寄るかもしれないが、基本的に人生に影響力を(もたら)すという点や、活字を読むという点は、どのジャンルであろうとも同じだろう。それによって得られるものは、大きいと。それは、既に知っていた筈なのだが、そんな事も忘れかけていた美里の目を、覚まさせる機会となった。


「ありがとう。今度、読んでみるね」


「うん!」


 美里は、心からの言葉を、疲れた顔で笑いながら返した。

 その後、ふと考える。本と言っても買う機会が無ければ、読む時間もないだろう。更に元を言ってしまえば、それを買うお金もまた無いのが現状である。


「はぁ」


 それは諦めるしかないかと。ため息を吐く美里だったがしかし。そんな彼女の目の前に、見知らぬ、怪しげな女性が現れた。


「貴方は、随分と苦しそうですね」


「な、、何ですか?」


 訝しげに、美里は返す。黒尽くめで、コートの様なものを羽織り、それに付いたフードを深く被っている。そんな、如何にも危ない風貌に、美里は逃げようとするものの、その女性は本のみを渡し、姿を眩ました。


「な、、何だったの、?」


 美里は未だ恐怖心が抜けずに、渡された本に目をやる。いくら本を読みたいタイミングだったからといって、無料で。更にはあれ程までに怪しげな容姿の人物に渡されたものだ。読むはずがない。

 そう、思っていたのだが。

 美里はその本をいつの間にか、時間のある学校の休み時間に、読み進め始めたのだった。

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