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殺し合いの独裁者[ディクタチュール]  作者: 加藤裕也
第6章 : こびり付いた悪夢(コシュマール)
170/300

170.美里(1)

「ねぇねぇ、お外で一緒に遊ぼ?」


「え、?う、うん、、いいよ」


 手を引っ張られ、室内の隅に居た幼い幼女。相原美里(あいはらみさと)は、その友達と言うには早すぎるクラスメイトと共に、蒼穹の元おままごとを始めた。

 美里は、親が共働きであるがために、保育園に預けられていた。その中では、確かに人の前に出る性格では無く、室内の隅で絵本を一人で読む日々を過ごしてはいたものの、誘いに恥ずかしがりながらも受け入れるその性格に、多くの人が周りに集まっていた。

 決して、今の様に一匹狼で、ぶっきらぼうで、あまのじゃくな性格では無かった。

 そんな美里の日々は楽しく、何一つ不自由の無い生活を送らせてもらっている親にも感謝し、小学校に入学する時も、新品のランドセルを背負って笑顔を浮かべていた。

 だが、そんな美里が七歳。小学二年生に進級したばかりの時に、母の妊娠が判明した。と、同時。

 そんな最悪の時期に、父の不倫も発覚したのだ。

 大切な時期であったが故に、その頃は喧嘩ばかりが家の中で響いていた。

 幼い美里は、大切な両親がお互いに声を荒げ合っている姿に、胸の奥が締め付けられた様に痛み、手は震え、足はすくみ、直視なんてことは出来なかった。

 それ以降は、学校から帰り父が帰ると、たちまち口喧嘩が勃発し、美里はその度に二階の自分の部屋に逃げ込んでは、ベッドに包まって歯を食いしばった。

 美里は、その事があってか、小学生になる時に用意された「自分の部屋」に、現在は一人で寝る様になっていた。

 そんな苦痛の日々が、どれくらい続いただろうか。そこまで長くは無かったのかもしれないが、当時の美里にとっては、それが一生続くのでは無いかと錯覚させるには十分過ぎる程に長く感じた。だが、そんなある日の事。

 その時が、やって来た。

 いつもの様に、遅く帰って来た父親は、母親とまたもや口論になり、同じく声を荒げ合う事態に陥った。故に、美里もまた同じ様に二階のベッドに包まっていた。

 すると、いつの間にか寝てしまっていた様で、ゆっくりと起き上がり部屋の時計に目をやると、普段はとっくに寝ている時間帯の、十二時過ぎであった。


「ん、、うぅ、」


 こんな時間に起きていたら、普段は怒られるだろう。だが、早くに寝てしまっていたがために喉が渇いており、美里は眠たい目を擦って一階へと足を進めた。

 が、そこには、未だに両親が何やら話していた。


ー...あれ?いつもなら寝室に行ってるはずなのに、ー


 美里は、九時に就寝する自分に合わせて寝床につく母が、未だリビングに居る光景に首を傾げる。

 明るいリビング。いつもならば、安心するであろうその光景が、どこか胸騒ぎを覚え、嫌な予感というものを、人生で初めて感じた。

 ゆっくりと廊下から、僅かにドアを開けリビング内を覗く。

 するとそこには、何やら深刻そうに話し合う両親の姿が見受けられた。大人の話。それを理解させるのに適切であろう風景に、美里は何をするでもなく、部屋に戻った。

 その日何があったのかは不明だったが、次の朝は、ごく平然と訪れた。

 だが、その次の日の夜。


「ん、うぅ」


 美里は、下の階で響く怒声によって、夢の世界から現実に引き戻された。


ーまた、、やってるー


 既に呆れすら感じる現状に、美里は目を擦りながら、お手洗いに向かうべく裸足のまま部屋を出る。

 そしてそのまま、下の階に降りるために階段を一段、また一段と降ると、そこにはーー


「えっ」


 何やら、これから旅行に出るかの様な荷物を持って玄関から出ようとする、父の背中があった。そして、それを見届けるかの様に遅れてそこにやってくる、震えた母の背中が、階段の途中で見据える美里の目に映り込んだ。

 状況が理解できなかった。こんな時間に、事前に何の連絡も無く旅行だなんて、するだろうかと。美里は、首を傾げた。

 ただ、その体は、震えていた。

 どこかで、分かっていたのだろう。これが、最後の姿だという事も。この旅行からは、帰ってこないという事も。

 その日は行きたかった筈のトイレを忘れ、そのまま布団に包まった。それが、夢であると。まるで、自身に言い聞かせる様に。

 その次の日は、これまた平凡に訪れた。父の姿は無かったが、普段から早朝に出勤してしまうため、それもいつも通りであった。

 母親から、事実を聞かされるまでは。


「落ち着いて聞いて」


 そう前置きされて話し始めた母の言葉は、どれも信じられない様なものばかりで、美里は実感のないままただ頷いた。

 その、まるで興味が無い様な反応に、感情が昂っていたのもあり憤りを感じたのだろう。母は、突如歯嚙みし立ち上がった。


「何平気な顔してるの?」


「え、?」


 素っ頓狂な様子で返す美里に、母の怒りに拍車がかかり強くテーブルを叩くと、どうする事もできない怒りを発散するべく、部屋を後にした。

 その様子にも、美里は首を傾げた。

 話された内容は予想通り、大人の話であった。幼い美里にも伝わる様に。ショックを与えぬ様に注意して話されたであろうそれに、美里は納得した。つもりだった。

 父の不倫が進み、家を出て行った。それは、もう戻って来ないとの事で、母はそれに感情がごちゃごちゃになっているという事だった。だが、そんなのは、美里も同じだった。

 理解出来ていない。というわけでは無かったが、実感が無く、心のどこかではまた戻って来るのではないかと。いつも通りに玄関を開けて、スーツ姿の大きな父が戻って来てくれるだろうと。そう過信していたのだ。


 だが、それから数ヶ月が経っても、そんな夢の様な事は起こらなかった。


 寧ろそれからというもの、環境が悪化していった。

 既に出産を控えていた母は、定期的に通院する様になり、美里と顔を合わせる事は少なくなっていった。そして、たまに顔を合わせると、母はストレスからか美里を怒鳴りつける様になり、母にしか拠り所がない彼女は、どんどんと追い詰められていった。

 それは仕方のない事だと。美里は理解し割り切ってはいたものの、心は既に限界であった。

 それによって、学校内でも美里は話さなくなり、だんだんと孤立していった。

 そんな美里に、唯一話しかけてくれる友達が居た。それは、保育園からの仲である、おままごとを勧めてくれた、あの子。千明(ちあき)であった。


「どうしたの?最近元気ないね」


 表情を曇らせ放つ様子は、どこか言葉を選んでいる様な。そんなものが見て取れた。


「...うん。家庭が、、ね、」


 話すつもりは無かった。こんな事を話して、小学生の我々にはどうする事もできないだろうし、何か変わるわけでもないと。そう思っていたからだ。

 だからこそ美里は、そう言葉を濁した。だが、それに対しても千明は真剣な表情で「そっか」とだけ返した。

 彼女は大人である。それ故に、話したくない事は聞いて来ないし、程よい距離感や、対応を理解していた。そんな千明が、美里の救いであり、悩みこそ話してはいないが心の拠り所となっていった。

 すると、そんなある日。

 母が"双子"を出産したのだ。

 二人とも可愛い女の子であり、それぞれ美緒(みお)美郁(みく)と名付けられた。

 幼い美里には詳しい事は分からなかったが、何の報告も無く、気づいた時には産まれていた様な感覚である。

 この様な環境下なのにも関わらず双子である事に、母は頭を抱えていたのを、現在の美里もまた記憶に残っていた。喜んではいたが、素直には喜べない。そんな雰囲気だった。

 それからというもの、母の当たりは更に強いものとなっていった。


「何!?こんなのも出来ないの!?...はぁ、、ほんと使えないわね」


「...ご、ごめん、なさい」


「謝ってないで動いてくんない!?こっち忙しいの分かってるでしょ!?」


 美里を含めた三人を支えるために、母は更に仕事量を増やし、産休の分を埋めるかの如く、職務に没頭していた。そのため、二人の世話を始めとした家事全般を美里に押し付けており、帰って来てはその作業スピードの遅さに憤りを感じ、声を荒げていた。

 既に、母の普段の声を忘れてしまっていた。元々、こんなにいつもいつも怒鳴ってばかりの人物では無かった筈だというのに。今ではそれが、思い出せない。

 何をやらせても失敗してしまう美里に、母は頭を掻きながら愚痴を含んだ罵声を浴びせると、夜泣きする二人を差し置いて、寝床についた。母曰く、仕事に疲れているかららしい。美里はそれに僅かな怒りを感じながらも、割り切って二人の世話を代わりに行った。

 そのため、一睡も出来ていない様な状態で朝を迎えると、母は早朝から出勤するため、代わりに二人にミルクを作っては飲ませる作業を、毎日の様に行っていた。


「ごめんね、、これで我慢してね、、私じゃ、、でな、い、から、」


 朦朧とした意識の中で美緒と美郁をあやすと、午前八時過ぎにやって来る祖母とそれを交代し、学校へと向かう。

 その度に様子を確認し、心配を口にする祖母だったが、その時の美里には正確な受け答えなど出来なかった。

 そんな状態で通学するものだから、授業中には勿論、バスの中や待ち時間にも、ウトウトと居眠りを繰り返していた。


「み、美里ちゃん?本当に大丈夫、?最近、凄く辛そうだけど、」


 千明が、顔を覗き込んで心配を口にする。祖母の時もそうだが、こんな状態の美里に、今現在の苦痛が口に出せる筈も無かった。


「うん、、ごめんね、」


「何で謝るの、?」


 何も言えないもどかしさや話さない罪悪感。それと、普段から謝ってばかりであるがために、美里は自然とそんな言葉が漏れ出た。そんな姿に更に心配をする千明だった。が。


「ねぇねぇ!今度のグループ、私達と組まない?」


「えっ」


 突如として別のクラスメイトから、千明は調理実習のグループに誘われていた。


「え、えと、私はいいかなっ!ごめんね、私は、美里ちゃんと組むからーー」


「え〜っ!そんな根暗お嬢様ほっといて、私達と組もうよ!作業やらせてあげるよー!」


「えっ」


 その一言に、千明は目の色を変える。そう、以前から家庭科の授業で調理実習を行なっている我々は、皆が皆自分の作業があり、それを行なっている。筈だった。だが、美里のグループでは、毎度毎度彼女が一人で行ってしまう。

 彼女曰く、みんなは遅い。との事だった。効率が悪い行為には注意を行い、そのままお手本を見せる様に美里はその役割を奪う。それが日常茶飯だったがために、美里のグループになった人達は、段々と彼女と距離を取る様になっていった。

 故に。


「じ、、じゃあ、い、行こう、、かな」


 千明は、そう恐る恐る、小声で放った。


「よしっ!じゃあ決まりね!これで四人になったし、オッケーだね!頑張ってねー、根暗お嬢様〜!」


 そう笑うクラスメイトには、腹が立たなかった。そして、自身を裏切った千明にも、勿論怒りは感じていなかった。何故かは分からなかった。きっと、今であれば怒りが抑えきれないだろう。

 だが、その時の美里は、何を思うでも無く頷きそれを受け入れた。それは、その時の美里の心が広かったわけでも、大人な対応をしたわけでもない。

 ただ、何も感情が湧かなかったのだ。

 その後誰も美里と同じチームになりたく無く、皆から避けられ一人のチームとなってしまった時も。それによって、その事実が担任に知らされ、呼び出しをされた時も。

 美里はただ、遠くを見つめる様な、虚ろな瞳で(くう)を眺めていた。

 そんな日々が続いたある日、いつもの朝。祖母に美緒と美郁を任せて学校へと通学しようとした、その時だった。


「ちょっと待ちなさい」


「えっ」


 突如、祖母に止められ足を留めた。


「な、なんですか?」


 恐る恐る、母と同じ様な事をされるのかと体を震わせながら、美里は返す。すると、祖母は目の高さに合わせて顔を近づけ、口を開いた。


「全然、大丈夫じゃないでしょ?」


「...そ、そんな事、」


「ほら、震えてるじゃない。あの子に、酷いことされてるんでしょ?」


「...」


 迫る祖母の姿に、美里は思わず目を逸らす。その反応に、祖母は確信を得たのか、一度頷くとそのまま立ち上がった。


「な、何するんですか、?」


「あの子ってば本当、」


「わ、私、何もされてません!」


「...」


 祖母が美緒と美郁の方へと向かう中、美里はそれを止める様に声を上げる。


「おばちゃんね、、朝しか来ないから分からないし、お母さんとも詳しいお話はしてないの。だから、」


「だから、されてませんってば!」


「...だから、だからね。おばちゃん、お母さんにお話しするね」


「...」


 それに対し何も言い返せず、美里は口を噤んだ。

 その日の夜。その事に対して話をするため、母が帰るまで祖母は家に居続けた。そして、母が帰ってくるやら否や、美里を上の階で待っているよう促し、下で話し合いを始めた。話し合い。その筈だったが、下からは母の怒鳴り声や、荒げる声、祖母の泣き声など、胸の奥が締め付けられる様な声が漏れては美里の耳に届いた。それを聞いていた美里は、布団に包まりながら耳を塞ぎ、目を瞑り、歯嚙みした。

 すると、その次の日はいつも通り訪れ、頬を伝う涙が乾いた中、美里はゆっくりと起き上がり階段を降り始めた。

 それからほんの少し。十分と経たない時間の後、祖母が家へと現れた。


「あれ、?今日は早いですね、」


 美里はぼんやりとした顔で、祖母にそう放つ。すると。

 対する祖母は美里の手を引き、二人をベビーカーに乗せると、「行くよ」と皆に促し、その家を後にした。

 祖母の手から抜け出すために美里は奮闘した。早く帰らなくては。その事だけが脳を埋め尽くし、抵抗を続けた。だが、祖母が手を離す事はしなかった。その祖母の表情は、苦しそうな。悲しい表情をしていた。

 そのまま仕方なく連れて来られたのは、祖母の家だった。そこでは、ぐっすり眠り、お腹いっぱいになる程の料理を作っていただき、温かいお風呂に、時間を気にせず浸かる事ができた。


 そんな天国の様な環境に、寧ろ不安を抱いていた美里に待っていたのはーー

 ーー悪い予感が当たってしまったのか、更なる地獄だった。

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