効率厨ワーカホリック高慢ちきシンデレラ増殖中!
スヴェトル伯爵家の長女ブランシュは5歳の時から実の父に遠ざけられ、後妻とその娘には虐げられて育ってきた。父は後妻たちの行う過激な『躾』に気付きもしない。
ついには下女のように扱われるブランシュ。だが、そこで彼女のとある才能が発覚し、幼いブランシュは「私以外は全員ダメな無能なんだ!」と歪んだ自尊心を育んでしまう。
そうして、現在。スヴェトルのお屋敷では目を疑うような光景が日常化していた!
シンデレラなのは境遇だけで、恋愛要素は一切ないコメディです。魔法使いのおばあさんもガラスの靴も王子様も出ません。
スヴェトル伯爵家の長女ブランシュは外れた娘だった。
15にもなるというのに品がなく、学にも乏しい。いつも古びたドレスを着ていて、身だしなみも整えずにみっともない。父たる当主からも遠ざけられ、美しい後妻とその娘に虐げられて、そんなブランシュに手を貸すものはおらず、皆々が彼女を嘲って見下していた。
全てかつての話である。
きっかけは10年前。前妻ベルティーユがブランシュを産んで儚くなってしまったことにある。ベルティーユを心底愛していた当主ジェロームの悲しみようは重く、死体に泣いて縋り、三日三晩ベルティーユの死体と共にこもって出てこなかったほどだ。あまりの涙で彼の目は溶けて、曇ってしまった。父親は事もあろうに、妻の死因を幼い娘に求めたのだ。
愛していないわけではない。だが顔を見るのは辛い。次第にジェロームは邸宅に帰らないようになり、そこで後妻となるダニエラと出会った。
その後の顛末は語るまでもない。男は女に癒しを求め、あれよあれよと再婚。邸宅に義母と義妹を連れ帰って、接し方の分からない姉を無意識下であれ遠ざけ家族円満ごっこ。
当然、堪らないのはブランシュだ。母が亡くなってからというもののブランシュはずっと疎外され続けた。父から遠ざけられ、疎まれ、近付いてくるのは悪意を持った義母と義妹のみ。
「みっともない食べ方をしないでちょうだい!」
「っ、あ……!」
「やだぁ! おねえさまったら何をやってもダメなんだからぁ」
義母は突然に声を張り上げてブランシュを叩く。食事中でも安心はできなかった。ダニエラの勝手なルールに反すると躾の名を借りた虐待が始まる。義妹のディアヌはブランシュの無様な悲鳴に喜んで嘲笑を零した。
その遊びにも飽きると、二人はブランシュを下女のように扱い始めた。朝から晩まで用事を言いつけ、一つでもこなせなかったり不十分なものがあれば折檻。
ここがターニング・ポイントであった。
10歳にしてブランシュは気が付いてしまったのだ。
「う、うぅ……っ、お父さま、どうして助けてくれないの……」
ブランシュは泣きながら家中の掃除をしていた。広い屋敷をたった一人でだ。女主人の命で使用人は誰も手出しできず、気の毒そうな視線を向けるばかり。この後にも数々の仕事が残っている。
「終わるわけない……っ、もう、やだ……! お父さまぁ……っ!」
義母が満足するような仕事はきっとできない。折檻を思い、ブランシュは涙が止まらなかった。だが、折檻の後は言い付けられた仕事が終わるまで眠ることさえ許されないのだ。泣きながらもブランシュは必死になって家事に励んだ。
「………………」
彼方此方をブランシュは動き回った。上から下へ向けて。道具を整理し持ち変えて。工夫を凝らして。前よりも館が美しくなるよう配置にも気を使って。
使用人達はぽかんと口を開けっぱなしにした。唖然としてブランシュを見つめた。
「…………あれ?」
泣いて泣いて、そうしているうちに館の清掃は終わっていた。三時にもなっていなかった。
「おわってる……?」
館は文句のつけようもないほどに美しく整えられていた。埃一つなく、ガラスは透き通るように美しい。統一感のなかったインテリアは配置に工夫を凝らすことで高級感と特別感を演出。侍女長が辞表を認めようかと考えるほどの出来栄え、そしてスピード。これにはダニエラとディアヌも唖然呆然大混乱。
「ブランシュ! まだ掃除は、って終わってる!?」
「やだぁ、お姉さまったら! 早く終わらせ────みがき抜かれたシャンデリアがまるで宝石のように光りかがやいてるわ!?」
「クッ、だけど玄関は、完璧じゃない!! なんなのよ!! アンタたち! まさか手を貸したんじゃ」
「我々でもここまでの仕事はできません……お、お暇を……覚悟は……出来ております……」
「今そんな話してないわよ」
スヴェトル家に使えて数十年にもなろうという侍女長は自信を喪失して頭を下げた。肝心のブランシュはというと、グズグズと泣きながら庭の手入れを始めていた。今度は庭師が自信を喪失する番であった。
「ぐずっ、すんっ、お父さまは、わたしが嫌いなんだわ……!」
「はわわわわ……!!」
泣き言を言いながらも剪定する手つきに迷いはなく、女主人のオーダーに忠実ながらもゴテゴテしかった庭をすっきりとまとめ上げていく。窓越しにもテキパキと素晴らしい仕事ぶりを見せるブランシュに、ダニエラは怒りも何もかもを忘れて見入ってしまった。
その日は『ドレスを汚した罪』での折檻となった。流石の恥知らずの後妻もブランシュの仕事ぶりを貶すことはできなかったためだ。
このことはブランシュ自身にも驚きと革新をもたらした。何年もかけて挫かれ続けてきた自信が再び立ち上がり、幼い胸にようやく根付いた。私ってすごいんじゃないかと思うと頬が紅潮して、なんだか不思議と気力が湧いてくる。
次の日から、ブランシュは意気揚々と早起きして使用人に混じり始めた。彼女の手腕を盗もうと、何倍もの年の使用人がブランシュを手伝うこともなく囲み、やり方をメモに書いては肩を落とした。誰にも真似できなかったのだ。
ブランシュはセンスに満ち満ちた天才だった。特に魔法の才能に恵まれていた。
この国の貴族はみんな魔法が使える。だが、それは学園で体系化された魔法学を習ってからの話だ。誰に何を言われずとも魔法が使えるものはそうそういない。魔法師団が靴をペロペロ舐めてでも欲しがる人材だ。
ブランシュは家事に惜しみなく魔法を用いていた。正確なことは分からないが、彼女の魔力量も膨大なものだと予測された。窓ガラスに神聖魔法をかけられるような使用人はいない。神聖魔法の使い手自体、国中探して10人いれば多い方だ。それがブランシュにはただただ不思議だった。
──教えたのに、どうしてできないんだろう?
少女はめちゃくちゃ残酷だった。
数十年積み上げたキャリアを齢一桁の天才が凌駕していく世の無情。それを正す人もおらず、ダニエラは躍起になって抑えつけようとしたが下女扱いもやめなかったのでプラマイゼロ。結果、ブランシュは置かれた環境相当に歪んだ結論に到達した。
「ひょっとして、私って、ほかの人よりすごい?」
自分は有能、その他は無能。たった一人の世界に置かれた女の子が到達しがちな『世界に人は自分だけ』の境地である。
しかし、まだ帰る道はあったのだ。彼女は完全に無視されていたわけではなく、その才能が目当てとはいえ、使用人たちが代わる代わる接触してきていたのだから。
使用人の中に一人でも情に厚いものがいれば、優しさという強さを持ちしものがいれば、話は変わっただろう。まあ、スヴェトル家にそんな従者は一切いなかったが。
「…………ううん、やっぱりちがうかも……」
ブランシュは健気にも使用人と協力して事に当たろうともした。何せ全てを先回りしてこなせば、彼らの職を奪うことになるからだ。それがトドメとなった。
「私だけがすごくて、他の人はダメダメなんだ。……そっか! それなら私だけでやった方が早いに決まってるよね! やっぱりそうなんだ!」
なにしろ腐りきったスヴェトル家。プライドを傷つけられた使用人達はブランシュの足を引っ張りに引っ張ろうとしたのだ。そんなものは何の妨害にもならなかったが、彼女の思想を更に偏らせてしまった。
以上の工程で歪みきった天才の出来上がり。
そうして現在。
スヴェトルの屋敷には、大量のブランシュが発生するようになってしまったのである。
「旬の根菜が予想通りに豊作だよ! 流石は農業担当ブランシュね!」
「調理担当ブランシュは何を作るのかな? 彼女の腕前は国一番だよ! 楽しみ!」
「見て見て〜! またまたサクッと新種の薔薇作っちゃった!」
「前より青っぽくなってる! 造庭担当ブランシュの手にかかれば青い薔薇も夢の産物じゃないね!」
「この薄青色いいね! お義母様の部屋に合いそう! さっそく飾ってくる!」
「内政担当ブランシュ〜! ブランシュ会議だけど、やっぱりあなたも出席して!」
「はいはーい! 領内のことなら何でもお任せ!」
ワイワイガヤガヤ。
ブランシュ達のポジティブな活気に満ちる建物内で、ダニエラはわなわなと体を震わせていた。だが、怒鳴ることはしない。怒鳴ったところで『殴られ屋担当ブランシュ』が出てきていいように転がされるだけだと彼女は身をもって知っていた。
「はぁい、お義母様の朝ごはんでーす!」
「これはディアヌの分よ!」
「そしてこちらはお父様!」
どこからともなく出てきた配膳担当ブランシュたちが音もなく食卓に朝餉を供してどこかへ消える。今のダニエラの気分にぴったりの献立だ。
ジェローム、ディアヌにもそれぞれ個人に合わせた朝食が提供される。味付けも盛り付けも下手なシェフでは太刀打ちができないほどだった。舌が肥えたジェロームでさえ時折ぼうっとして「美味いな……」とこぼしていた。
三人が朝食を半分ほど食べ終わる頃合いになると、不意に屋敷が静かになる。忙しい朝の仕込みや支度を終え、ただのブランシュが音もなくダイニングへと入ってきた。その手には自分用の朝食を持っている。
「おはようございます」
にこやかに挨拶して一番下座へ着席し、誰にも咎められない優美さで食事を取り始めた。たくさんのブランシュがただ一人になるのは、朝・夕の御飯時と就寝時のみだ。
現在、この屋敷には当主のジェローム、後妻ダニエラとその娘ディアヌ、彼らの個人的な使用人6名と長女のブランシュ達平均24名がいる。同じ顔をした少女が元気溌剌と、時に楚々として屋敷内を駆け回っている異様な光景がスヴェトル伯爵家の日常だ。異常でも5年も続けば慣れてしまう。
「……ブランシュ、もう少し何とかならないのかい?」
毎朝のことだが、それでもジェロームはそう聞かざるを得なかった。慣れたと言っても、異様なものは異様なのである。だが、無意味なやり取りだった。この問答も数え切れないほど繰り返しており、ブランシュの返しを聞くまでもなく予期できる。ディアヌはげんなりとしながらも義姉の顔をちらりと伺った。煤けながらも輝かんばかりの笑顔だった。
「なりませんねー。楽しさも覚えてますけど、何よりこれが最高効率・最高品質ですから」
「うん、うん。それでも分身魔法で家中全部を取り仕切って実働もするっていうのは異常なんだよ……」
「んー、この国の使用人のレベルが低すぎるので仕方なくやってるんですよね。マシな人材が来たら辞めます」
遠回しな辞めない宣言だった。
この異常の根源は、ブランシュが開発した分身魔法にあった。幼くして自分のみがピラミッドの頂点という最悪に歪んだ結論を導き出したブランシュだが、さりとてマンパワーは馬鹿にはならないとも知っていた。複数同時の対人対応などが例に上がるだろう。
仕方なく使用人と協力して事に当たってみたが、彼女の最高効率に人はついていけなかった。「洗濯の前に衣服に防御魔法を、水と洗剤には光と神聖魔法を2:3の割合で混合した浄化魔法を付与します」と言われてそんな高度な魔法は使えないし、「帳簿をパラパラめくって数字を覚えて、計算しながら単純労働をすると効率的」と言われても前提条件からクリアできない。
どいつもこいつも使えないという問題を、分身魔法という形で解決してしまった。更には仕事の効率も躍進的に良くなって、以来ブランシュは常に分身して動いている。
「そもそも君は伯爵家の長女で、家のことにまで口出しするのはよくないよ」
「大丈夫ですよ。伯爵令嬢担当ブランシュは王妃様の覚えもめでたく、いつでもデビュタントを迎えられます! 女主人はお義母様であることはよーく理解しておりますので、お義母様の指示方針からは一切逸れておりません」
「その何たら担当ブランシュっていうのもやめなさい。意味が分からないから」
「ブランシュ1、ブランシュ2、ブランシュ3だともっと分かりづらいので……」
「まず複数体になるのをやめなさい」
「私の穴を埋められるものが来ればやめます」
やめる気が一切感じられなかった。
ブランシュはにこやかに明るい娘だが、その目の奥の奥にはブリザードも真っ青な絶対零度の侮蔑と憐憫が刻み込まれている。ナチュラルに全人類を自分以下の無能だと見下し哀れんでいるのだ。
さしものジェロームも反省した。この長女は放任主義で育ててはならなかった、多少抑圧気味に普通を教え込む必要のある子供だったのだ。だが、後悔しても遅い。
「ジェローム様の言う通りになさい。いい加減に気味が悪いわ! 私の邸で好き勝手されて不愉快なのよっ!」
「お義姉様このスープおかわり!」
「はいどうぞ!」
「うん、おいしいっ」
ノーモーションでほかほかなスープを配膳するブランシュ。話している最中にも勝手な分身をしていたらしい。範囲内のどこにでも分身をポップさせられることが、ブランシュの分身魔法の恐ろしいところの一つだ。ちなみに現在判明している最大範囲では王国全土と周辺諸国中枢まで届くらしい。
後は分身の見聞きした情報を全て把握できること。分身と本体の差が全くないことなども挙げられる。軍需用ブランシュなのであった。
「言ってるそばから増えるなんて何を考えてるのよっ!! あ、ディアヌちゃんはいいのよ。ゆっくり食べてね?」
「食事中に席を立つのはよろしくないとお義母様が教えてくださったので、増える方向で考えてましたが……」
ぐ、とダニエラは言葉に詰まる。適当マナー拷問の日々をブランシュは一言一句違わずに覚えているのだ。流石のジェロームも虐待にはキレる。こう言えばダニエラが黙り込むと分かっていて口にしたのだ。この悪魔の娘は!
「お父様もディアヌを優先するのが姉の務めだと言ってました。ディアヌが快適に過ごせる環境作りの観点からも私の分身が最適解ですよ」
「お義姉様、私を言い訳にしないで! このパンもおかわり!」
「焼きたてパン運搬ブランシュですよ〜!」
「おいしいっ!」
ディアヌはというと、この数年ですっかりと飼いならされてしまった。牙をなくした家畜がブランシュに敵うわけもなく、手のひらでコロコロと転がされる可愛い義妹と化していた。
ではジェロームはというと、ディアヌ至上主義であるために、娘が幸せならオッケーですと懐柔される始末。
スヴェトル伯爵家で真にブランシュと対峙する者は、最早ダニエラ夫人を除いて他に誰もいないのだ。
「お粗末様でした。それでは、仕事に戻りますねー!」
「待ちなさいっ! 話はまだ──!」
誰よりも遅くに食べ始め、誰よりも早く席を立つブランシュ。当然のように屋敷中からブランシュ達の声がし始め、食事をしていたブランシュ本体が皿洗い担当ブランシュ・昼の仕込み担当ブランシュ・食後のコーヒー配膳担当ブランシュに紛れて見えなくなっていく。ブランシュ地獄である。
どこをみてもブランシュ。自分から愛するジェロームを奪った、あの憎い女そっくりの顔が、自分の支配圏にわらわらと列挙して動き回るなどとダニエラが許せるはずもない。
だから同じ轍を踏む。
「いい加減になさい!!」
近くを通りかかった適当なブランシュの腕を掴み、今すぐに分身魔法を解くようにと命ずる。ギリッ、と掴み上げた細腕から軋む音が聞こえたがブランシュの顔色は変わらなかった。
「お義母様、どうかなさいましたか?」
捕まった瞬間からこのブランシュはダニエラ用殴られ屋担当ブランシュに役割を変えたのだ。花瓶の水換え担当は別の手すきブランシュが担うこととなる。飄々としている様が余計にダニエラを怒らせるとは、ブランシュには分かっていないのだ。
「ここは私が采配するべき本邸なのよ!? 品も落ち着きも常識もない、お前のような小娘が手を出していいことなど一つとしてないの!!」
「はい。全てお義母様のご采配のとおりに行なっております!」
「お前の存在が采配の外よ!! 今日からブランシュには私自らマナー教育を行うわ!! 屋敷のことは、私の手足となる使用人がやるのよ!! いいこと!?」
「あっ」
「あー……」
ジェロームとディアヌが小さく声をあげた。が、特に行動を起こすことはなく、ダニエラの方から視線を外して、二人で食後のデザートを堪能しするだけだ。巻き込まれたくなかったのだ。なんとも甲斐のない家族である。
「………………はい?」
底冷えするブランシュの声が、四方八方からダニエラへ押し寄せた。
「……ダニエラ様、あり得ません。それだけはないですよ〜。ね?」
「あのゴミのような無能は私たちの足を引っ張って給金もらうんですよ?」
「前みたいに横領するかも」
「仕事の邪魔仕事の邪魔仕事の邪魔仕事の邪魔仕事の邪魔」
「効率が落ちるんです、嫌なんです、ダニエラ様」
「ちょ、ま、私を囲むな! 離れなさい! 命令よ! 母親の言うことが聞けないの!?」
ずもももももっと押しかけたブランシュ'sに囲まれて、ダニエラはあっという間に見えなくなった。ブランシュはほとんどの要求を捌いてみせるが、ただ一つだけ特級の地雷があった。他者に仕事の邪魔をされる行為だ。
あの様子では、ダニエラが頷くまで圧迫ブランシュ包囲網から解放されないだろう。
父娘はそそくさと食事を終え、その場を後にする。
実質的に、スヴェトル伯爵家はブランシュの手中に落ちていた。
身分や立場が上のものは、その足場が下のものに支えられていることを知らねばならない。下のものらが結託してしまえば、仮初めのヒエラルキーは泥舟のごとく転覆するのだ。
使用人や領民を疎かにし、ブランシュをも手荒に扱ったことが、スヴェトル伯爵家を彼女に支配される結果につながったのである。
この話は後世に多くの童話集に採話され、地域の伝承と混ぜるなどディフォルメされて、前妻子増殖報復譚『増える灰かぶり』として語り継がれたという。