第六話 再び異世界
次の日、僕は朝、起きると、おかしな物が見えるようになった。
視界にパソコンの画面なんかに出て来るアイコンのような物が見えるのだ。それは幾ら目を擦っても消えはしなかった。
なので、初めは目の病気かもしれないと怖くなった。
でも、そのピンクのアイコンはやけにはっきりと見えるので、幻覚の類いかもしれないと思った。
そう考えると余計に恐ろしくなる…。
幻聴なら経験したことがあったけど、幻覚はまだ見たことがない。これが幻覚なら、病院の先生に報告することがまた増えてしてしまう。
うーん、どうしたものか。
でも、同時にワクワクするものを感じていた。このどうにもならない現実を壊してくれるような何かが始まると思えたからだ。
虫の知らせとは少し違う感覚だけど。
僕は恐れを振り払うと、そのアイコンに手を伸ばしてみた。最初は距離感が掴みづらかったけど、僕は何とかアイコンにタッチすることができた。
その瞬間、視界が塗り変わる。
僕が目を見開くと、そこは見覚えのある部屋だった。
足下には相変わらず薄気味悪い魔方陣が描かれているし、その幾何学的な紋様は前と何ら変わってはいなかった。
「やっぱり、ここに出たか」
僕は今度ばかりは夢というわけではなさそうだなと考えていた。
それから、窓の下にある活気に満ちた大通りを見ると、とりあえず踊る子鹿亭に行ってみようと思った。
そうすれば、この世界のことをもっと良く知ることができると思ったから。
僕はアパートのような建物というか、アパートそのものから出ると、今日も人で賑わっている大通りを歩く。
そんな大通りの横手には様々な店が建ち並んでいたので、それも見ながら歩を進める。
ちなみにラスブレの世界では武器屋と防具屋、あとは薬屋や魔法品の店くらいしかなかった。
でも、今、僕が歩いている通りには雑貨屋や料理屋、お総菜屋などもあって、見ているだけで楽しい気持ちにさせられた。
中には、酒場や遊技場のような店もあったし。
「さすがにゲームとは違うな」
僕は様々な店を見ながら、使えるお金があれば良いのにと思う。
それから、ふと自分の腰に下げられている小さな袋を見ると、美しい金貨が十枚ほど入っていた。
昨日は見落としていたけど、ちゃんとお金も持っているじゃないか。
僕は何か食べ物を買おうと思ったけど、我慢した。この世界では何が必要になるか分かったものじゃなかったからな。
なので、美味しそうな串焼きを売っている屋台を横目にしながら、踊る子鹿亭を目指す。そして、迷うことなく辿り着いた。
「いらっしゃいませー」
そう元気な声を上げたのは白金色の髪が麗しいミリアだった。再び彼女の眩しい笑顔を見られたことに僕も少しだけ感動する。
「また来たよ」
僕は表情を綻ばせる。
元気なミリア見ていると、何だか心が癒やされる。こんな女の子と結婚できる男は本当に幸せだと思うな。
「ナオヤさんじゃないですか。まさか、こんなに早く来てくれるとは思いませんでした」
ミリアの声のトーンはかなり高かった。
「ひょっとして、迷惑だったかな?」
僕はおずおずと尋ねた。
「そ、そんなことはありません。むしろ、こうしてまた会えたことに感激してしまったくらいです!」
そう言い切るミリアの目はキラキラと輝いていた。
でも、自分の存在が女の子を感激させられるなんて、今までじゃ絶対にあり得なかったことだよな。
この世界なら、こんな僕でも輝けるかも知れない…。
積んでしまったような人生をやり直すことができるかも知れない…。
(まるで生まれ変わったような気分だし、本当にこの世界で生きていくことも視野に入れた方が良いかも…)
…だけど、それは自分が今までいた世界での人生を放棄することにならないか?今までどんなに辛くても逃げてたまるかと思っていた心を折ることにならないか?
何よりも、苦しい状況に陥っている僕たち家族を支えてくれた周りの人たちの善意を裏切ることにならないか?
なら、安易に自分の世界を切り捨てて、この世界で生きようなんて思ったら駄目だろう…。
誰だって、自分の人生から逃げたいと思う時はある。だけど、逃げずに、自分の身を置いている場所で必死に頑張ってる。
家族の生活を背負っているような人間なら尚更だ…。
死んだ僕のお婆ちゃんなんて、工場でやるお菓子作りの仕事を五十年も続けたのだ。
気が遠くなるような年月だ。工場で五十年も働くなんて、僕にはできない。でも、お婆ちゃんはやった。
そんなお婆ちゃんが残してくれた財産が、僕の家族を救ったんだ…。
お葬式の時は人目を気にして思うように泣けなかった僕も、数日後に住む者が誰もいなくなったお婆ちゃんの家に入った時は涙がボロボロと溢れてきた。
もうここには誰もいない…。
幾ら待っても、誰も帰っては来ない…。
僕が顔を出しても、お婆ちゃんが笑いながら、お茶を入れてくれることはないのだ。お祭りになっても、お婆ちゃんが自分で作ったお寿司を振る舞ってくれることはないのだ。
それを理解して、僕は初めてお婆ちゃんの死を受けとめることができて、泣いた。
誰もいない家だったから、思う存分、泣くことができた。
でも、この思い出がたくさん詰まった家もいずれは取り壊されることになっている。それを考えると、悲しくて胸が痛む。
だからこそ、この家にいたお婆ちゃんとの思い出は忘れないようにしようと思った。忘れなければ、お婆ちゃんの存在が消えてなくなることはないように思えたから。
そんなお婆ちゃんが一生懸命、生きた世界を、簡単に捨てることは僕にはできない。
「感激だなんて、ちょっと大袈裟だよ…」
僕は少し退いてしまった。
「自分でもそう思います。でも、それくらい嬉しいんです」
ミリアははにかむように笑った。
「そっか。なら、僕もこれからはこの宿にはちょくちょく足を運ばせて貰うよ。この世界じゃ、他に落ち着ける場所もないからね」
「是非そうしてください」
「うん」
僕の存在が迷惑にならなければ良いんだ。
「それで、ナオヤさんは昨日は自分の世界に戻ることができたんですか?私も心配していたんですけど」
「ちゃんと戻れたから安心して良いよ」
自分の世界と、この世界を行き来する方法くらいは分かった。もっとも、誰がこの僕にそんな方法を授けたのかは分からないけど。
(でも、悪意から来たものとは思えないんだよな…。
もし、そうだったら、僕はミリアを助けられずに、ただ男たちにボコボコにされていただけだと思うし)
それに、この世界が夢の世界だという可能性も完全には否定しきれていない…。
まだまだ謎が多い人間の脳は、本当に不可思議な造りをしている。
なら、おかしなものが見えたり、聞こえたりするようになることは、あり得ない話ではないのだ…。
「そうですか。戻れましたか…。それは本当に良かったです」
そう言って、ミリアは胸元に手を当てた。
「随分と心配をかけちゃったみたいだね。だけど、もう大丈夫だし、親身になってくれてありがとう、ミリア」
僕はそう優しく言葉を投げかけた。
「はい」
ミリアは熱の入った声で返事をすると言葉を続ける。
「でも、もしも困ったことがあったら何でも言ってくださいね。こんな私でも力になれることはあると思いますから…」
ミリアは微苦笑した。
僕も自分のことを心から心配してくれるミリアは本当に可愛らしく思える。
僕の学生時代にもこんな良い子がいたらなぁ。もっとも、いたとしてもあの頃の僕では何の接点も持てなかったと思うけど。
学生時代の僕にとって、女の子は全部、違う世界の存在に見えていたのだ。
「お前、異世界から来たんだってな」
カウンターの中にいたダンツさんはニヤニヤしながら言った。これには、僕もやや固い表情をする。
「ええ」
「俺はミリアみたいな魔法使いじゃねぇし、そんな話を簡単に信じることはできねぇが、ま、ゆっくりしていけ」
ダンツさんは大らかさを見せるように言葉を続ける。
「グラタン以外にもお前に食わせてやりたい料理はいっぱいあるからな。特にハンバーグなんてあまりの旨さに驚くぞ」
「それは楽しみですね。僕もハンバーグは大好きですし。とにかく、ありがとうございます、ダンツさん」
僕はお礼を言った。
「礼ならいらんよ。俺は宿の主人として当たり前の仕事をしているだけだからな。だから、お前も下手な遠慮はするな」
「分かりました。なら、必要があれば何でも言うようにします」
「それが良い。俺もお前のことは、どうにも他人って気がしないんだよな。まるで、息子でもできたような気分だぜ」
ダンツさんはおかしそうに笑った。
でも、ダンツさんのような人が父親だったら、こんなに頼もしいことはないな。僕の父さんと違って健康そうだし。
でも、昨日まで元気だった人間が、次の日には寝たきりの状態になる。その怖さは僕も知っている。
僕だって明日になれば父さんが車で、近くの行楽地に連れて行ってくれんじゃないかと、思っているから。
家族みんなで、当たり前のような楽しい時間を過ごす。
でも、それは永遠に叶わなくなった…。
それでも、僕は半年、経った今でも、明日には父さんは普通に立ち上がれると思っているのだ。
だけど、そんな奇跡は絶対に起きない。
それはお婆ちゃんの死と同じくらい悲しいことだ…。
「そう言って貰えると、僕も嬉しいです」
僕は小恥ずかしそうに言った。
「おう。ま、今日も暑いし、とりあえず搾り立てのオレンジジュースでも飲むか?ちなみに今日はちゃんと金を取るから覚悟しておけよ」
昨日のオレンジジュースは本当に美味しかった。
「分かってますよ」
金貨十枚でどれくらい物が買えるかは分からないが、ジュースくらいなら何杯、飲んでも大丈夫だろう。
「それで、ナオヤさんはこれからどうするんですか?」
ミリアは少し躊躇うような顔で言葉を続ける。
「もし、この世界で生きていきたいと考えているのであれば、何か目的を持った方が良いと思うんですけど」
「目的かぁ。そこまでは僕も考えてなかったな」
目的を持つには、まだ早すぎる気がする。
自分の世界での生活を無視して、この世界で生きて良いのかはまだ分からないし。もう少し、判断の材料になるような情報が必要だ。
僕はミリアに促されながら、カウンター席に座ると壁に貼り出されている料理のメニュー表を眺めながら頭を巡らせる。
「おっはよう、ミリア。今日もモーニングのセットを食べに来たよ」
僕が思案していると、立派な剣を腰に下げ、手には盾も持っている女の子がやって来た。その顔は何とも快活そうだ。
「おはようございます、シャロンさん。今日も暑いですし、見回りご苦労様です」
ミリアは肩の辺りで切り揃えられた栗色の髪に、赤い騎士のような制服を着ている女の子にそう挨拶をする。
「ありがとう。ミリアみたいに感謝してくれる人がいると、やっぱり騎士になって良かったと思えるよ」
「そうですか。でも、感謝しているのは私だけじゃないと思いますよ」
「だと良いんだけどね。って、こんな朝早くから、アタシの知らないお客さんがいるなんて珍しいね」
シャロンとかいう女の子は僕の方に視線を向けてくる。僕もその視線には普通の女の子にはないような鋭さを感じた。
「え、ええ」
ミリアは少し困ったような顔をした。でも、女の子、いや、シャロンの言葉は止まらない。
「しかも、まだ子供じゃない。そこの少年、学校はどうしたの?」
シャロンは興味津々といった感じで僕に尋ねてくる。
「その前に君は?」
僕は胡乱な目をする(何だか失礼な女の子だな、と思いながら)。
「アタシは見習い騎士のシャロンだよ」
大きく胸を張りながら言ったシャロンの年齢は十八歳くらいだろうか。
ま、僕にとっては年下の女の子に変わりない。もし、僕よりも年上だったら、それは女の子じゃなくて、おばさんだ。
「朝はこの王都の見回りをしてるの。で、そのついでに踊る子鹿亭でコーヒーとサンドウィッチを食べに来たわけ」
シャロンは腰に手を当てながら言った。
「ふーん」
「ふーん、じゃないでしょ!」
シャロンが迫るような声を上げる。
「メルフォート魔法学院を飛び級で卒業しちゃったミリアは良いとして、あなたみたいな子供がどうして朝から宿屋のカウンターに座ってるわけ?」
ミリアはもうメルフォート魔法学院を卒業していたのか。とんだ才女だし、こんな小さな宿屋で働かせておくには惜しい逸材かもしれない。
「そりゃ、僕は学校になんて通ってないから」
僕は目を泳がせる。
「ハルメール王国の王都は学術都市としても有名なんだよ。なのに、十五歳くらいのあなたが学校に通ってないって言うの?」
「まあね」
僕は気まずそうに返事をした。
「そっか。何だか悪いことを聞いちゃったみたいだね、ゴメン」
シャロンは申し訳なさそうに頭を下げる。それを受け、僕の方も嫌な顔をせずに笑った。
「別に良いよ」
「でも…」
「僕のことを心配しているからこそ、しつこく聞いちゃったんでしょ。なら、怒れるようなことじゃないよ」
僕はシャロンの優しさを感じ取りながら言った。
それに、自分の非を認めて謝るのは、なかなか難しいことだからな。
僕自身、それができなくて、過去に友達を一人、失ったことがある。今でも、あの時、ちゃんと謝っていれば良かったなと苦い思いに満たされるのだ。
それは一生物の心の傷と言ってもいい…。
だからこそ、一言、「ごめんなさい」と素直に言って仲直りすることができていれれば、何十年、経っても癒えない心の傷になるようなことはなかったと思えるのだ。
(ありがとうとごめんなさいは人間にとって最も大切な言葉だと思う…。
この二つの言葉があるだけで、どれほどたくさんの人間関係が壊れずに済んだか分からないからな。
僕も小説を書いているような人間だから言葉が持つ力は信じている…)
「そんな風に受け取ってくれると、アタシの方も助かっちゃうかな。でも、アタシって、つい無神経なことを言っちゃうんだよね」
シャロンは自嘲しながら言葉を続ける。
「だから、色んな人たちから、お前みたいな見習い騎士がでかい顔をして町の中を歩くなって言われているし」
シャロンも騎士として苦労しているみたいだな。
「無神経って言うよりは、たぶん、お節介なんじゃないの?でも、僕は嫌いじゃないよ、そういう性格」
無視されるのが一番、心に堪えるということを僕は知っている。だから、シャロンのように色々、言ってくれる人間には僕も好感が持てるのだ。
ま、あんまりしつこく言われるのは嫌だけど。
「ありがと。だけど、本当に何か事情があるなら聞いてあげるよ。困っている人を助けるのも騎士の務めだからね」
シャロンが自分の胸を叩きながら言ったので、僕はここにいる人たちを信じて自分の状況を掻い摘んで話す。
もちろん、その話はミリアやダンツさんも聞いていた。
とはいえ、僕も自分の世界のことはあまり話さなかった。伏せるべきところはちゃんと伏せておいたから。
それにこの世界の人間に科学が何たるかを説明しても理解はしてくれないだろう。
「その真剣な顔を見るに嘘を吐いているわけじゃないみたいだね。にしても、異世界なんて本当にあったんだー」
シャロンは驚くと言うよりは、感心しているような声で言った。
「うん」
シャロンがすぐに信じてくれて良かった。
ちょっと勝ち気なところもあるけど、シャロンは絶対に悪い女の子はない。本当に心の悪い女の子は僕も散々、見て来たからな。
もっとも、シャロンだって、僕の本当の姿を見たらどう反応するか分からない。
だから、僕は女の子を落胆させることが怖くて、嫌われてしまった方が楽だと思ってしまうのかもしれないな。
それでは人として前に進めないと分かってはいるんだけど…。
「それで、ナオヤはこの世界で何をしたいの?」
「うーん」
「せっかく、違う世界に来たんだし、何もしないのは勿体ないでしょ」
「そう言われても困るよ」
僕は頬をボリボリと掻いた。
「だよね。ナオヤはこの世界に来たばっかりなんだし、すぐにしたいことを見つけろって言うのは無理な話か」
シャロンは首の後ろに手を回しながら言った。
「そういうこと。僕ももう少しこの世界に長くいれば、見えてくるものもあると思ってるんだけどね」
この世界に来れるようになったのは、昨日の今日だからな。今はこの世界に早く慣れることが肝心だ。
「そっか。ま、ずっとこの世界にいるアタシだって、時々、自分が何をしたいのか分からなくなっちゃうからね」
シャロンは舌を出しながら言葉を続ける
「人のことをどうこう言う前に、まずは自分のことをちゃんとしなきゃ…って感じかな」
自分に対して、そんな風に謙虚になれるのは良い人間の証拠だと思うけどな。
「なら、あんまり僕を焦らせないで欲しいな」
僕は苦笑しながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「焦りは失敗の元だし、その失敗のせいで、せっかく親切にしてくれたミリアやダンツさんに迷惑がかかったら、目も当てられないよ」
僕の切実な言葉にミリアが口を挟む。
「でも、ナオヤさんはちゃんと考えて行動できる人だと思いますし、きっと大丈夫ですよ。それに、お客さんからの迷惑なら、私も慣れていますから…」
ミリアの言葉を聞いて、ダンツさんも鷹揚に口を開く。
「そういうこった。男なら、周りに迷惑をかけるくらいの大きなことをやり遂げて見せろ。毒にも薬にもならねぇ人間になろうとするんじゃねぇ」
ダンツさんの言葉には男としての矜恃が感じられた。
「ミリアやダンツさんの言う通りだね。まあ、色々と不躾なことを聞いちゃうのも騎士の性分だから、悪く思わないでよ」
シャロンはしおらしく笑った。それを受け、僕も自然に笑い返す。
「思わないよ。むしろ、シャロンがズバズバ聞いてくれたおかげで、僕の方もすっきりしたくらいだし」
「そうかな?」
「そうだよ。だから、シャロンに会えて良かったって思ってる」
僕はまだ会ったばかりだけど、シャロンのことが好きになり始めていた。もっとも、それは恋愛感情とは違うけど。
一方、シャロンも僕の言葉を聞いて、少し顔を赤くしていた。
「そ、そっか」
そう照れ臭そうに言うと、シャロンは捲し立てるように言葉を続ける。
「とにかく、何も考えずに遊んでいたら、金貨十枚の十万ナディルはすぐになくなっちゃうよ。それだけはしっかりと理解しておかなきゃ」
シャロンの指摘に僕も真剣な顔で頷く。
「分かってる。確か、この王都には遺跡があったはずだし、僕もそこで冒険でもできたらなと思ってるよ」
ラスブレの知識が確かなら、ハルメール王国の王都には遺跡がある。
そこはかつて古代人の暮らしていた都市の一部だった。でも、今は廃墟になっていて、モンスターや犯罪者が住み着いている。
そんな遺跡だけど、各所に財宝や古代の魔法の品が眠っているのだ。なので、世界中から冒険者たちがやって来る。
ミリアに絡んでいた男たちを簡単に撃退できた今の僕なら、弱いモンスターとも戦えると思うのだ。
「なら、冒険者ギルドに行って、正式な冒険者になる手続きをして貰わないとね」
「手続きね」
「うん。ちゃんと手続きをしないとギルドで斡旋されている仕事は請け負えないから」
シャロンに言われなくても、ギルドの仕組みは僕も知っていた。ラスブレでもギルドの仕事は何度も請け負ったからな。
だけど、実際にはどうなっているのかは分からないので、思い込みは禁物だ。
「ただ、その手続きには二万五千ナディルかかるけどね」
「それは痛い出費だなぁ」
確かにこの調子だと十万ナディルはすぐになくなってしまいそうだな。もっと計画性を持って行動しないと。
そんなことを考えていると、氷のような冷たさを感じる声が発せられる。
「おはよう」
二階へと続く階段から、紫色の髪をツインテールにした十三歳くらいの女の子が現れた。
その顔は病的なまでに白く、この暑さだというのにまるで魔法使いのような生地の厚そうなローブを着込んでいた。
何となく、オタク風に言えば、妹属性のようなものを感じる女の子だな。
(僕は一人っ子だから、可愛い妹には憧れてたんだよな…)
「おはようございます、ルーティさん」
ミリアは明らかに年下のルーティという女の子にも礼儀を忘れずに挨拶をした。
「何か食べたいんだけど用意してくれる?」
ルーティという女の子は無表情で言った。
その顔立ちはどう見ても子供なのに、どこか何十年も生きてきたような大人の影を感じさせる。
何だか、ただ者ではないように思えた。
「分かりました」
ミリアは変わらぬ笑顔で言った。
「僕はビッグボアのスペアリブが食べたいな。スパイスをたっぷりと効かせて焼いてくれよ」
ルーティの肩には紫色の体をした手乗りサイズのドラゴンがいた。そのドラゴンが人間の言葉を喋ったのだ。
まあ、今の僕もこの世界で使われている言葉を自然に喋っているからな。あまりにも自然すぎて、気に留めるのを忘れていたくらいだ(ちゃんと文字も読めるし…)。
だから、ドラゴンが喋ったくらいでは驚くに値しない。
一方、ドラゴンの言葉を聞いたミリアはカウンターでグラスを磨いていたダンツさんに目配せする。
それを受け、ダンツさんもカウンターの奥へと消えた。
「あなた、この世界の人間とは違う臭いがする」
ルーティは手にしている杖の尖端を僕に向けると、小さくて形の良い鼻をヒクヒクさせた。
「えっ?」
僕は上擦った声を上げた。
「惚けても無駄。私には分かる。あなたは異世界から来た人」
ルーティは無機質な声でそう言った。
「その通りだよ。僕は異世界からやって来たんだ。でも、良く分かったね」
僕の言葉にもルーティは眉一つ動かさなかった。
「臭いで分かる」
「臭い?」
「そう」
ルーティは無感情に頷いた。
「ひょっとして、君も別の世界から来たの?」
僕は期待を込めて尋ねた。
「違う。私はこの世界の人間」
そう淡々と言うと、ルーティは僕に対する興味を失ったようにテーブル席に着いた。その横顔は何とも涼しげだ。
ただ、肩の上にいるドラゴンは僕の方をじっと見ていたけど。
「相変わらず、ルーティは変わってるよね。ま、アタシも人のことを言えるような立場じゃないけど」
シャロンは嘆息すると言葉を続ける。
「とにかく、アタシも早くモーニングのセットが食べたいな」
シャロンが思い出したように言うと、ミリアもダンツさんの後を追うようにカウンターの奥に行ってしまった。
《第六話 再び異世界 終了》