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第五話 気が付けば現実

 僕はミリアとダンツさんが親子二人で営んでいる踊る子鹿亭を出ると、再び賑やかな大通りを通って、初めにいた場所へと戻ってきた。


 そのアパートの部屋のような場所には、ちゃんと魔方陣が残っていた。でも、魔方陣の線はうっすらと光を放っている。

 初めに見た時は光など放っていなかったのに、どういうことだろう。何か、力のようなものを取り戻したのだろうか。

 でも、光っている魔方陣を見ると本当に悪魔でも現れそうだし、ちょっと怖いな。

 

 とにかく、この中に入れば、僕も元の世界に戻れるかも知れない。

 

 いや、このやけにリアルな夢の世界から目覚めることができるかも知れない。

 

(正直、夢だったら、目を覚ましてしまうのが、惜しい気がするな…。もう少し、心が温かくなるような気持ちに浸っていたいし)

 

 そう思いつつも、僕は恐る恐る魔方陣の中に足を踏み入れる。すると、いきなり視界が塗り変わったので僕は目をパチパチとさせた。

 

「おかしな顔をして、どうしたの?」


 僕はいつの間にか自宅のリビングにいて、煎餅を食べていたのだ。テーブルを挟んだ向かい側には母さんが座っていて煎餅を齧っているし。


 飼い猫の弥太郎もテーブルに乗って、煎餅をバリバリと噛み砕いていた。弥太郎は僕を見ると「ニャー」と鳴く。

 その声はいつもと何ら変わらないものだった。


 それを受け、僕もあっけらかんとしてしまった。


「あれ?」


 僕は首を傾げた。

 何が起こったのか、すぐには判断できない。夢から覚めたにしてはあまりにも意識がはっきりしているし。


「あれ、じゃないでしょ。いきなり鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、一体、どうしたって言うの?」


 母さんにそう言われたので、僕は自分の記憶を手繰り寄せる。

 

 すると、今まで自分が何をしていたのか鮮明に思い出すことができた。

 

 僕はお昼の洗い流しを終えて、アイスを食べると自室に戻り、掃除機を使って自分の部屋の掃除をしたのだ。

 それから、三時頃になると母さんから夕飯の買い出しを頼まれて、近くのスーパーへと足を運んだ。

 そして、そのスーパーで買った煎餅をこうして母さんとリビングのテーブルでのんびり食べていた。

 その行動に何らおかしなところはない。


 でも、そうなると、僕があの世界で過ごしていた記憶は一体、何なんだ?やっぱり、ラスブレに似た世界に行っていたのは夢だったのか。

 だとしたら、本当に残念だ。もう、あのミリアの眩しい笑顔が見られなくなるかも知れないわけだから…。

 

(でも、あの世界であったことは夢というより、大切な思い出って感じなんだよな。だから、忘れたくない…)


「ちょっと考え事をしてたんだ」


 僕は誤魔化すように笑った。


「なら良いけど。ひょっとして、疲れが溜まってるんじゃないの?」


「別に疲れてなんていないよ」


「でも、ここのところ、ナオちゃんには色々な家事を押しつけちゃってたし」


 母さんが不安そうな顔をした。


「大丈夫だよ。雑誌配りをしていた頃は、ギラギラした日差しの下を何時間も歩き続けていたんだぞ」


 八百軒、近くある家やマンションに雑誌を投函し続けたのだ。おかげで、腕が日焼けで真っ赤に腫れ上がった。

 あんな仕事をよく何年も続けられたものだと、自分でも感心している。


「そうだったわね」


「あの苦労に比べれば、母さんが押しつけてくる家事なんてたいしたことじゃないって」


 それは本当のことだ。もっとも、家事をしてもお金は手に入らないから、時々、空しいものを感じてしまうけど。

 でも、母さんはそんな仕事を嫌がることなく何十年もやって来たのだ。であれば、僕だって半年も経たない内に音を上げるわけにはいかないだろう。

 

 自分にできることを精一杯やると決めてるし…。

 

 だからこそ、それが女性がやるような家事だったとしても、馬鹿にはできない。家事だって、ちゃんと大きな形で人を支えている仕事なのだ。

 その価値に気付けるかどうかは、自分の物を見る目しだいだと思う。

 

(昨日、使ったお皿が今日はピカピカになっている。それに感謝できれば、家事を馬鹿にするようなこともなくなるかも知れないな…)


「でも、無理をするのは良くないし、疲れている時はちゃんと疲れているって言ってね」


 母さんは自らの瞳を揺らめかせながら言葉を続ける。


「ナオちゃんに倒れられたら、私も困っちゃうから」


 母さんも、父さんの介護で手一杯だからな。僕の面倒までは見切れない。


「分かってるけど、今日の僕の調子は全然、悪くないから、心配はいらないよ」


 不思議なほど、心は晴れやかだ。やっぱり、良い夢を見れたからだろうか。


「それなら良いけど」


 母さんはニャーと鳴いて擦り寄ってきた弥太郎の頭を撫でた。


「母さんは、ちょっと心配しすぎなんじゃないの?」


「かも知れないわね。でも、お父さんのこともあるから…」


「そうは言っても、僕だって自分の体調くらい自分で管理できるんだから、もうちょっと信頼して欲しいな」


 僕はそう言って和やかに笑った。それを見て、母さんも気を取り直したような顔をする。


「なら、今日の夕飯は気合いを入れて作って貰おうかしら。そうそう、親子丼って醤油よりも麺つゆを使った方が美味しくなるんですって」


 母さんがそう言ったので、僕はなら麺つゆを使って見ようかなと思った。


「そうなんだ」


 今日の親子丼は心を込めて作ろう。そうすれば、きっと何を使うかなんて関係なく美味しくなるはずだ。


「ええ。それと、言い忘れるところだったけど、ナオちゃんがスーパーに行っている間に村田君から電話があったわよ」


「健二から?」


「また、何かのお誘いじゃないかしら」


 村田健二は僕の中学校の時の友達だった。


 健二は東京の国立の大学を卒業した後、地元であるこの町に戻ってきて、今は市役所の職員として働いている。

 

 そんな健二はたくさんお金を持っていて、良く僕を食事に誘ってくれるのだ。もちろん、僕の分の食事代も奢ってくれる。

 なので、健二からの誘いはありがたかった。

 

「なら、電話しとくよ」


 そう言って、僕はリビングの電話機で健二の携帯に電話をかける。すると、すぐに健二が出た。


「さっきは電話をくれたみたいだね、健二」


 健二は僕の携帯には決して電話をしてこない。いつもわざわざ家の固定電話に電話してくるのだ。

 たぶん、携帯なんて持っていなかった頃からそうしてきたから、今更、止めることはできないんだな。

 ま、僕は普通に健二の携帯に電話してるけど。

 

「ああ。今日の夜なんだが、久しぶりに二人で焼き肉でも食いに行かないか?もちろん、俺の奢りだぞ」


 健二は揚々とした声で言った。

 

 そんな健二は背は高いが、かなり太っていて、まるで相撲取りのように見える。

 だからこそ、僕と同じように女性に好かれたことがないし、三十五歳になった今でも結婚はしていない。

 

 結婚を諦めているという点では僕と同じだ。

 

 でも、健二は基本的に気の良い奴だし、案外、良い相手を見つけて結婚してしまうかもしれない。

 人生なんて本当に分からないものだから…。


「いや、今日の夜は駄目なんだ。今日の夕飯は僕が作らないといけないし」


 僕は心苦しそうに言った。

 

 もちろん、母さんに健二と一緒に夕食を食べ行きたいと言えば、簡単に許して貰えるだろう。でも、家族を助けるという覚悟を決めていた僕には、それはできないことだった。


「そっか。夕飯まで作らなきゃならないなんて、お前も大変だよな」


 健二は労いを感じさせるように言葉を続ける。


「俺もまさかあの元気だった親父さんが脳梗塞で倒れて、身動きが取れなくなっちまうなんて思わなかったよ」


 健二も僕の家の事情は良く知っているのだ。


 ただ、僕が心の病気を抱えていることは知らない。例え親友でも、その事実を明かす勇気は僕にはなかった。

 だから、時々、後ろめたい気持ちになる。

 

(全てを話せる友達が本当の友達だ…、とテレビでは言っていたけど果たして本当にそうなのだろうか。

 相手の心を思いやればこそ、話せないこともあるのではないだろうか…。

 確かに人の心を信じるのは大切だけど、相手の心に闇雲な期待を持つのは、やっぱり間違いだと思う…)


「本当だよ」


「俺も婆ちゃんが脳梗塞で死んでるから、人事だとは思えないんだよな」


 健二はしみじみと言った。


「そうだったね」


「お前もあんまり思い詰めるなよ。介護疲れで自殺しちまう人間ってけっこう多いらしいからな」


「僕は絶対に自殺なんてしないよ」


 僕は強い口調で言った。

 

 例えどんな人間であれ、死ねば色々な人たちが悲しみ、苦労するのだ。

 

 現に、死ねばお葬式だって執り行わなければならないし、お寺の住職に頼んで経も上げて貰わなければならない。

 その後は霊柩車に乗り、みんなでお墓に行って納骨だ。

 僕も祖母のお葬式では二百万円近くもお金が使われたと聞いている。なので、僕の母さんも死ぬのも楽じゃないわねと零していた。

 

 誰にも迷惑をかけずに死ぬなんてことは、人間には無理なのかもしれない。良くも悪くも、それが人間の持つ絆だと思う。

 そして、お葬式も悪いことばかりではなく、その絆を改めて実感させてくれる機会でもあるのだ。

 

(お葬式は死者ではなく、生きている人を慰めるためのものだと思う…。

 悲しむ遺族にたくさんの人たちが慰めの言葉をかける。

 その言葉に救われた人は決して少なくないはずだし、それがあるからこそ、また前を向いて生きることができるんじゃないかな…)


「でも、吉竹の奴は自殺しちまっただろ。ま、あいつはお前と違って、友達も少ない根暗な奴だったが」


「うん」


 吉竹は僕の友達の友達だった。

 なので、話したことはあんまりなかったんだけど、さすがに自殺したと聞かされた時はショックを受けた。

 自殺した原因も良く分からないし。きっと人には言えないような不幸に苦しめられていたんだろうな。

 自殺なんて、口で言うほど簡単にできるものじゃないはずだから…。

 

 とにかく、自分を殺す最も大きな原因は、自分の心だ。

 

 それは間違いない。

 

 どうして、人間には死んでしまいたいなどという感情があるんだろう。それがなければ、どれだけの人が死から救われたか…。

 

 ちなみに自殺した吉竹の家は現在、売りに出されていて、誰も住んでいない。

 なので、あのうち捨てられたような家の前を通る度に、吉竹の人生に何があったのだろうかと考えさせられるのだ。

 少なくとも、吉竹の死は僕にとって人事だとは思えなかった。

 

 前向きに生きることを心懸けている僕だって、時々、どうしても死んで楽になりたいなと思ってしまう時があるし。

 でも、そんな感情には負けないように、毎日、歯を食いしばっている。


「正木の奴も病気で死んじまったし、智春も事故で全身麻痺の車椅子生活だ」


「それは僕も知ってるよ」


「そうだったか。まあ、三十五歳にもなると、かつての同級生の不幸な話は嫌でも耳に届くよ」


 そういう健二は一年半くらい前にあった同窓会では幹事も務めていた。


 健二は僕と同じで友達が多いし、市役所に務めているということもあってか、信頼もされている。

 信頼という点においては、無職の僕とは比較にならない。

 僕も健二からはしつこく同窓会に来いよ、と誘われたのだがどうしても行く気にはなれなかった。

 

 僕にとって、中学生活もあまり良いものだとは思えなかったから…。

 

 特にクラスメイトだった女性とは顔を合わせたくなかった。彼女たちは同じクラスだった時も明らかに僕に冷たかったし。

 

 なので、SNSでかつての同級生たちが、同窓会の席で仲良く映っている写真を見た時は僕も何だか複雑な気分になった。

 彼らの顔は輝きに満ちていたからな。たぶん、順風満帆な人生を送れているのだろう。


 それを見て、僕もネットで流行っているリア充という言葉に込められる悪意のようなものをようやく理解できた気がした。

 介護に追われて一生無職なんて、笑えない人生にも程があるからな。でも、かつての同級生を妬んだりはしない。

 人として、そこまで腐ったつもりはないから…。

 

 その証拠に、誰かが結婚したと聞けば心の底から嬉しくなるし、誰かが死んだと聞けば心が沈み込むように悲しくなる。

 そんな素直な感情は僕も大切にしたいと思っていた。

 

(誰かの幸せをまだ喜ぶことができる…。

 それが僕のささやかな誇りだし、その誇りが僕の心をギリギリのところで支えている。もし、その誇りを失ったら、犯罪者にもなりかねない。

 …やっぱり、負けられないよな)

 

「僕もそういう話を聞くと人事じゃないって思えるよ。明日は我が身って言葉もあるし」


 僕は苦味のある声で言った。


「だよな。とにかく、お前も無理はするなよ。何か困ったことがあったら、俺が力になってやるからさ」


「ありがとう」


 僕は本当に良い友達を持っているなと思いながら返事をする。


 健二とは例え老人になっても付き合っていきたかった。まさに健二は一生の友の一人だし、その絆はこれからも大切にしていこう。


「よし。なら、また電話をかけるから、その時は一緒に焼き肉屋に行こうぜ。この俺が認めた旨いホルモンを食わせてやるから」


 そう笑いを含んだ声で言うと、健二は電話を切った。


《第五話 気が付けば現実 終了》




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