第十六話 理解者
僕は今日も踊る子鹿亭に来て、朝食を食べていた。
手持ちのお金は五万ナディルを切ってしまったけど、まだまだお金に困ると言うほどではない。
これと言って、買いたい物もないし…。
でも、お世話になっているミリアにはブローチの一つでもプレゼントしたいな。
もう少しお金が減ったら、ギルドで仕事を請け負うことにしよう。遺跡で数が増えすぎたキラーアントの退治なんかなら僕にもできそうだし。
それに自分のレベルも上げておきたい。レベルを上げれば器用貧乏な職業の冒険者でも魔法が使えるようになるはずだから(レベル十八で、モンスターのステータスが分かるサーチ・アイが使えるようになる。
二十なら、傷を癒すヒール。
二十三ならファイアー・ボールとサンダー・ボール、アクア・ボールが同時に使えるようになる)。
正直、魔法を使うことには強い憧れがある…。何せ、ここは剣と魔法の世界だからな。なら、魔法を使わないでいるのは勿体ない。
そんなことを考えていると、宿の入り口から一人の少年が現れた。
その瞬間、僕はなぜか食堂の空気がガラリと変わったような錯覚を覚える(今までにない感覚だ…)。
が、すぐにそんな錯覚は振り払って、少年を観察する。
その少年は、歳は十八歳くらいで、髪は茶色。背丈もそれなりにあり、体付きもガッチリとした印象を受ける。
でも、着ている服は僕とあまり変わりがなかった。いや、変わりないと言うより、服のデザインに共通する部分が多いと言った方が良いか。
ただ、少年自体はどこか暗くて、陰鬱とした雰囲気を漂わせている。この世界でこんな雰囲気を持つ人間は初めて見たな。
「いらっしゃいませー」
ミリアがいつもの笑顔でお客さんを出迎える。すると、少年は少し困ったようにボリボリと頬を掻いた。
「この宿にナオヤって言う少年がいると聞いたんだが…」
少年はそう言って、僕の方を見る。暗い表情だけど、目は虚ろではない。目の奥に意志の強さのようなものを感じさせる。
「ナオヤなら僕だけど、何の用かな?」
カウンター席に座っていた僕は手を上げた。すると、少年はどこか不安から解放されたような顔をする。
「そうか。俺はマツバラ・タケシって言うんだ」
自分の名前を告げた少年の声には明るさがあった。でも、それを聞いた僕はぎょっとしてしまう。
「マツバラ…」
日本人の名前だな、と思った僕は腕に鳥肌が立つのを感じた。
「ああ。ひょっとして、ナオヤは日本から来た人間じゃないのか?」
少年、いや、マツバラ君の声に熱が入る。
「その通りだけど…」
そう答えた僕はかなり動揺していた。この少年は何者なんだ?
「やっぱりか」
マツバラ君はフッと笑った。
「ひょっとして、君も?」
僕は気持ちが流行るのを感じながら尋ねた。
「ああ。俺も日本から来た」
「本当に?」
僕は背筋がゾクッとするものを感じた。この時点では、目の前の少年が敵か味方かは分からなかったから。
でも、彼からは特に敵意は感じられないし、悪い人間にも見えなかった。
「嘘を吐く理由はない」
マツバラ君は穏やかな笑みを浮かべながらも目力を強くして言った。
「それもそうだね。でも、どうやって僕のことを知ったの?」
「この王都で暮らしていたら、ナオヤという少年がレフィア姫を助けたっていう情報が入ってきたんだ」
マツバラ君はおかしそうに言葉を続ける。
「ナオヤ、なんて名前はいかにも日本人っぽいだろ」
「まあね」
「だから、ナオヤのいる場所を情報屋に頼んで突き止めて貰ったんだ」
マツバラ君は少しだけ申し訳なさそうな顔をする。僕を探すのに、良い方法を取ったとはマツバラ君も思っていないようだ。
「へー」
まあ、漏れない情報はないからな。なら、僕の存在を知られても不思議ではない。
とはいえ、情報屋などという胡散臭い職種の人間に自分の情報が売り買いされているのは良い気分がしなかったけど。
「でも、ここに来たのは何か特別な目的があるからじゃないんだ。ただ、俺と同じような人間がいるなら会っておきたいなと思って」
マツバラ君の表情に曇りはなかった。
それを受け、僕も安堵していた。もし、何か僕にとって都合の悪いような目的があったら、喧嘩になっていたかも知れないし…。
「そっか」
その言葉は信じても良さそうだ。
「何か不快な思いをさせてしまったか?」
マツバラ君は心配そうな目で僕を見た。
「そんなことはないよ。むしろ、自分と同じように日本から来た人に会えてほっとしてる」
その言葉に嘘はない。
「なら良いんだ…。せっかく同じ世界の人間に会えたんだし、少し話でもしないか?」
「別に構わないけど」
「ありがとう」
そう言って笑うと、マツバラ君は僕の隣の椅子に腰を下ろした。
「マツバラ君は元の世界ではどんな人間なの?」
無粋な質問をしているなとは思ったけど、好奇心は抑えきれなかった。
「タケシで良いよ」
マツバラ君はやんわりと言った。
「分かったよ、タケシ」
僕は小恥ずかしそうにタケシという名前を口にする。
(こういう少し暗めのタイプの人間と話したことはあまりなかったな。僕の友達は良くも悪くも明るい人間ばかりだったし…)
「ああ。元の世界では俺は寝たきりの生活をしているんだ」
「寝たきり?」
タケシの言葉に、僕は寒いものを感じた。
「そうだよ。高校生の頃はバスケットをやっていて、インターハイにも出場したことがあるんだ」
タケシは遠い目をしながら言葉を続ける。
「でも、高三の夏に自動車の事故にあってね。それ以来、下半身が全く動かないんだ」
タケシは面窶れしたような顔で笑った。
「それはかなり重い話だね」
「良く言われる。とにかく、リハビリしても治るようなものじゃないから、病院を退院した後はずっと家のベッドで寝ているよ」
そう言って、タケシは一拍、置く。
「歳だって、もう二十一になるんだ。何もなければ、今頃、楽しい大学生活を送っていただろうな…」
タケシは自嘲するように言って、笑った。
(タケシが暗い雰囲気を漂わせている原因が分かったな…。確かに、そんな目に遭ったら明るい顔なんてできるはずがないだろう)
「辛かったね…」
僕は慰めの言葉を投げかけていた。慰めと言うよりは、気休めかも知れないけど…。
でも、嫌な思いをすることを恐れて何も言わないよりマシだ。
タケシだって僕に対しては勇気を振り絞ってくれたところがあるみたいだし、それには僕も応えたい。
「もう慣れたよ。そういうナオヤこそ、どういう人間なんだ?」
「僕は…」
少し迷ったけど、僕は包み隠さず自分のことをタケシに打ち明けた…。
タケシは自分の辛い現状を正直に話してくれた。なら、僕も自分のことを隠すわけにはいかない…。
すると、タケシは「年上なら敬語を使った方が良いかな?」と聞いてきたけれど、僕はこのままで良いよと気さくに言った。
「ナオヤも相当な苦労をしてきたんだな」
僕の身の上話を聞いたタケシはミリアが運んできた冷水に口を付けた。
「元気な体があるだけ、タケシよりはマシだよ」
僕はタケシの話を聞いて、父さんのことを思い出していた。自分の体が自由に動かない辛さは普通の人には分からないだろう。
「違いない」
タケシは屈託なく笑った。
笑えるだけの心の余裕がある…。
なら、タケシも自分の身に起きた不幸とはある程度、折り合いを付けることができているのかも知れない。
もし、僕が同じ立場だったら、きっとあまりの辛さに心を押し潰されていただろうし、タケシは強いよ…。
「でも、タケシの話を聞いたら、自分のことが馬鹿らしく思えてきたよ。僕は自分が世界で一番、不幸みたいに思ってたんだから」
僕は感傷に浸るように笑った。
自分より不幸な人間なんてたくさんいる。
そう分かっていても、人間は自分が一番、辛い思いをしていると錯覚してしまう生き物なのだ。
「馬鹿ってことはないと思うけどな。人間なら誰だって多少の不幸は背負っているものだし、そう思ってしまうことはあるさ」
タケシは理解を示すように言った。
「かも知れないね」
そう零すと、僕は話を仕切り直すように口を開く。
「にしても、この世界でこんな風に日本のことを語れるとは思わなかったよ。正直、この世界ではずっと心細いものを感じていたんだ」
タケシのおかげで安心感が増した。
「たぶん、俺たちだけじゃなくて、他にも日本から来た奴はいるんじゃないのか」
「その可能性はあるね」
「だろう。ちゃんと探せば他の奴らにも会えるかも知れないな」
進んで会いたいとは思わないけど。
「探す時は、僕も手伝うよ。ひょっとしたら、この世界のせいで困っている人もいるかも知れないし、何もしない訳にはいかない」
また、タケシみたいな人が見つかれば新しい発見もあるかも知れないからな。
「ナオヤが力を貸してくれるなら、俺の方も心強いよ。それで、ナオヤはこれからどう生きていくつもりなんだ?」
タケシは芯の通った声で尋ねてきた。
「そう言われても、特にプランはないよ。タケシの方は?」
「俺はできることなら、ずっとこの世界で生きていきたいと思ってる。自分の世界じゃ、不自由な体のせいで何もできないからな」
タケシにとって、この世界に来れたことの喜びは僕なんかよりも遙かに大きいに違いない。
この世界での生活は、タケシにとって神様から与えられたプレゼントのようなものなのかも知れないな…。
タケシが神様を信じているかどうかは分からないけど。
「僕はどちらの世界も疎かにしないように頑張るつもりだけど…」
「そうか。まあ、それも一つの生き方だな。俺は自分の世界から完全に逃げ出した人間だし、偉そうなことは言えないよ…」
タケシは痛みを感じさせる笑みを浮かべる。
まだ二十代の若者が、こんな擦り切れたような笑みを浮かべたら駄目だろう。
タケシは人生に絶望するにはまだ若すぎる。三十五歳の男の僕だって、まだ希望を失っていないんだから…。
「僕だって、逃げている部分はあるさ」
今まで逃げてきたからこそ、そのツケを支払うような人生を送っている。
だから、これからは例えどんな困難が待ち構えていようと、勇気を出して立ち向かうつもりだ。
そうすれば、結果はどうあれ、自分の心は納得させることができる…(その納得が何よりも大事なものなのだ)。
「でも、俺とは違うよ…。とにかく、いつまでこの世界にいられるのか分からないのは少し不安だよな」
こちらの胸が痛むような顔をしていたタケシは、さりげなく話題を変えた。
「僕たちをこの世界に誘った存在の正体は突き止めた方が良いかもね」
神か、それとも悪魔か。
どちらにしても尋常ならざる力を持っているのは間違いない。この世界の創造主かも知れないわけだし…。
下手に探って、そんな奴の怒りを買ったらどうなるか。想像するだけで怖くなるな。
「そうだな。それが分からないことには、いつまで経っても安心はできない。もっとも、そう簡単に尻尾を掴ませてくれるような相手じゃないと思うが」
「だろうね。向こうからのアプローチが全くないというのも不気味だし」
「ああ。手がかりは、俺がプレイしていたラスト・ブレイブ・ファンタジアというゲームだけか…」
タケシは探偵のように顎に手を這わせた。
「タケシもラスブレをやってたの?」
「手は使えるから、ゲームくらいはできるさ。もっとも、体が不自由になる前はゲームなんて見向きもしなかったが」
タケシは胸の前で握り拳を作って見せる。
タケシは本当にスポーツマンだったんだな。
僕はスポーツなんてほとんどやったことがないけど…(なら、体が動かなくなった絶望感も、より大きかったに違いない)。
「こんなことを言うのも何だけど、ゲームもやってみるとけっこう楽しいよ。あまりやりすぎると目が悪くなるけどね」
そう軽い調子で言った僕は、ラスブレについてももっと調べてみる必要があるなと思った。あのゲームには何かある気がしてならなかったし。
自分の世界のネットを使って調べてみれば、何か分かるかも知れない。
「それくらいは知ってるよ」
そう言って苦笑すると、タケシは自らの暗さを払拭するように口を開く。
「よし、俺も明日から本腰を入れて、色々な情報を収集してみよう。そうすれば掴めることもあるかも知れないからな」
タケシは奮起するように言った。
「それが良いね。僕もすぐには無理だけど、動いてみるよ。…で、タケシはこの世界では、いつもどこにいるの?」
「俺は大通りからかなり離れたところにある住宅街のアパートに住んでる。そこに自分の世界に戻る魔方陣があるからな」
その辺は僕と大差はないな。
「やっぱり、タケシが元の世界に戻るための魔方陣もアパートにあるのか」
「そうだよ。アパート名前はシルバー・メゾンで、俺の部屋は二階の三号室だ。何かあったら、訪ねてみてくれ」
でも、タケシは自分の世界には全く戻っていないのだろうか。僕なら、自分の体を何日も放置しておく気にはなれないけど。
「分かったよ。なら、場所も確認しておきたいし、時間ができたら行くことにするよ」
とにかく、タケシは魔方陣がある部屋を自分の物にできたのだろう。
話を聞く限りでは、僕よりも前からこの世界にいるみたいだし、どんな風にお金を稼いでいるんだろうな(これ以上、立ち入ったことは聞きたくないので、尋ねないけど…)。
「そうしてくれると助かるな。じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。……お互い背負っているものは違うが頑張ろう」
そう口にしたタケシの顔は輝いていた。
(この世界は間違いなくタケシの心を救っている…。それが自分の世界からの逃避だったとしても。
願わくば、この世界でのタケシの生活がいつまでも続きますように…)。
「うん」
僕が拵えたような笑みで頷くと、タケシは心なしか、来た時よりも軽い足取りで去って行った。
《第十六話 理解者 終了》




