第十五話 宮殿での歓待
僕はまだ朝の八時だというのに、踊る子鹿亭に来ていた。
いつ、レフィアの使いが訪れても良いように、早めに待つことにしたのだ。
なので、さっきから食堂のカウンター席で芳醇な香りを放つコーヒーをチビチビと飲みながら待っていた。
もちろん、お腹は減っていたけど、宮殿に行けば何かご馳走が出るかも知れないと予想していたので、朝食は食べていない。
まあ、あんまり期待しすぎると馬鹿を見るかもしれないけど。でも、損をするようなことだけはないはずだ。
宮殿の中を見られるだけでも、行くだけの価値はあるし…。
とにかく、僕は使いの人が早く来てくれないかなと思いながら食堂にある水時計に目をやった(水時計は魔法の力で動いているのだ。なので、それを見れば正確な時間も分かる。あと、この水時計はミリアが魔法学院を卒業した時に記念に貰ったものらしい…)
「なかなか来ませんねー」
時刻が九時半を回ると、食堂の床のモップがけをしていたミリアはそう声を上げた。
ちなみに、ミリアには一緒に宮殿に来ないかと誘ったんだけど、断られてしまった。
どうもレフィアは僕だけに来て貰いたいらしいのだ。ミリアは同じ女の子だからそれが分かると強い口調で言った…(女心は難しいな)。
「その内、来るさ。レフィアは約束を違えたりするような女の子じゃないし」
僕はレフィアのことを信じている。
信じるのは苦手だけど、ちゃんと信じるに足るものを見せてくれれば、疑いに負けることはないのだ(レフィアには抱きつかれたり、手を握られたりしたからな…)。
「ふふっ、レフィア様を信頼しているんですね」
ミリアはモップを動かす手を止めると微笑した。
「まあね」
レフィアは危なっかしいところはあるけど、良い心を持った女の子だ。それだけは確信を持って言える。
「だが、冒険者殺しのドレイクを退けてレフィア姫を助けるなんて、やっぱり、お前はたいした奴だよ」
そう言って、ダンツさんは僕のカップに三杯目のコーヒーを注ぐ。
「そんな風に言われるとちょっと恥ずかしくなりますね」
「今はそれでも構わんさ。ま、その調子でどんどん活躍してくれよ。そうすれば、この宿の良い宣伝にもなるからな」
僕が有名になれば、僕がお世話になっているこの宿も有名になるってことか。そんなに都合良くいくとは思えないけど。
でも、僕の行いで、この宿の信頼が損なわれるようなことがあってはならない…。
僕が三杯目のコーヒーの香りを嗅ぐと、入り口から人が現れる。僕は反射的にレフィアの使いかなと思ったけど現れたのはシャロンだった。
「おっはよう」
シャロンの挨拶は、朝の空気を揺らすように甲高かった。
「おはようございます、シャロンさん」
すぐさまミリアが応える。
「うん。マスター、いつものモーニングのセットをお願いね。見回りをしてきたら、凄くお腹が減っちゃった」
「おう」
そう短く返事をするとダンツさんは、カウンターの奥に消えた。
「おはよう、ナオヤ。遺跡での冒険はどうだった?」
シャロンは僕の横に座ると、さっそく尋ねてきた。
「かなりハラハラさせられたよ。でも、その代わり良いこともあった」
そう言うと、僕は三杯目のコーヒーに口を付ける。
「そうなんだ」
「ナオヤさんは冒険者殺しのドレイクと戦って、あのレフィア姫を助けたんですよ。凄いとは思いませんか?」
ミリアが控え目なことしか言わない僕に変わって、何があったのか説明する。
「そりゃ、確かに凄いわね」
シャロンは思わずといった感じで目を丸くすると、続けて口を開く。
「何かやってくれるような男の子だとは思ってたけど、そんな物語のような活躍をしてくれるとはさすがに思わなかったな」
シャロンは感心したように言った。
「ですよね。しかも、今日のナオヤさんは宮殿にも招かれているんです。だから、こうして使いの人が来るのを待っていて」
ミリアは水時計をちらりと一瞥した。
「へー。この世界に来てから一ヶ月も経ってないのに、もう宮殿に招かれるような大物になっちゃったんだね」
シャロンは愉快そうな顔をしながら言葉を続ける。
「こりゃ本当に将来が楽しみだなぁ」
シャロンは口の端を吊り上げて笑った(でも、嫌味な笑みには見えなかった)。
「茶化さないでよ。宮殿に招かれたのは、単に運が良かっただけなんだからさ」
僕は背中がむず痒くなるのを感じながら言った。それに対し、シャロンはあやすような声を投げかけてくる。
「いつもみたいな謙遜はしなくて良いの。見る人が見れば、ナオヤが才気溢れる人間だってことはちゃんと分かるんだから」
「ふーん」
今一つ、実感の乏しい言葉だ。
だけど、みんなが僕をそんな風に評価するんだから、たぶん当たってるんだろう…。自分を客観的に見るのは本当に難しいな。
「でも、宮殿かー。アタシも中に入ってみたいなぁ」
シャロンがそうぼやくと、階段からルーティが降りてきた。
「おはようございます、ルーティさん」
ミリアの挨拶にルーティは無表情で応える。
「おはよう…。ハムエッグを一つ」
ルーティの声には相変わらず抑揚というものがなかった。
「僕はドリアね。ケチケチせずにチーズはたっぷりと乗せてくれよ」
ドゥルークは何を考えているのか掴ませない顔で、そう注文した。
「分かりました」
ミリアがそう返事をすると、また食堂の入り口から人が現れる。
でも、その人物は見たことがない女性で、華やかさを感じさせる騎士の制服を着ていた(シャロンの制服より、デザインが凝っている)。
腰にはレイピアのような剣も下げているし。
その女性は宿の中を見回すとピンッと背筋を正す。その瞬間、宿の空気が硬質化するのを感じた。
「私は近衛騎士のルーシーです。レフィア姫の命により使わされた者ですが、この宿にナオヤさんはいないでしょうか?」
そう言葉を発したルーシーさんは長くて赤い髪が綺麗な二十代くらいの女性だった。なかなか利発そうで、物腰も良く洗練された印象を受ける。
その上、騎士だからか、その立ち振る舞いには隙が感じられない。
「僕がナオヤです」
僕は失礼のないように声を上げた。
「あなたがナオヤさんですか。なるほど、聞いていた通りの人物ですね。実に良い目をしている…」
「はあ」
「さっそくですが、あなたを宮殿にお連れしたいのですが、よろしいでしょうか?」
ルーシーさんは礼儀正しくも、堅苦しさを感じさせない滑らかな声で言った。
「別に構いませんけど」
特に問題はない。
「では、参りましょう。宮殿でレフィア姫を待たせていますからね」
ルーシーさんがそう言うと、僕も椅子から立ち上がった。すると、その背中にミリアが声をかける。
「行ってらっしゃい、ナオヤさん」
ミリアのその声を聞き、僕の緊張も少しだけ解れた。
「頑張ってね、ナオヤ」
シャロンの声にも背中を押される。
「……」
ルーティは僕と目を合わせると、無言で頷いた。これは、ルーティなりに気を遣ってくれた態度なのかも知れない…。
その後、僕はルーシーさんの後に続きながら、町を歩く。
大通りの先には大きな宮殿が見えているので、例えルーシーさんがいなくても迷うことはなかっただろう(宮殿の外観はモスクのような雰囲気を漂わせていた)。
とはいえ、歩いている最中にルーシーさんが何も口にしてくれなかったことには気まずさを感じてしまったけど。
こうして、僕は壮麗さを感じさせる宮殿の前にまでやって来る。
宮殿の前は広場のようになっていて、観光客のような人がたくさんいた。大きな式典は広場でやることもあるとシャロンも前に言ってたし、この壮観さは凄いと思う。
ルーシーさんは宮殿の入り口の門を警備している兵士たちに目をやる。すると、兵士たちは恐縮したようにルーシーさんに向かって敬礼をした。
ルーシーさんはかなり偉い人みたいだな。
僕はドキドキしながら入り口の門を潜るルーシーさんの後ろをついて行く。そして、ついに宮殿の中に足を踏み入れた。
宮殿のエントランスは赤い絨毯が敷かれ、壁は光沢のある琥珀色だった。天井からは煌びやかなシャンデリアがぶら下がっている。壁には肖像画のような絵も飾られていた。
さすが、宮殿といった感じだ。何から何まで豪華に見える。
それから、ルーシーさんは使用人や衛兵のような人たちが立っている廊下を歩いて行き、僕をある部屋にまで連れてきた。
「ここは客室です。レフィア姫が来るまで、この客室でお待ちください。あと、中にはささやかながら食事も用意してありますので、手を付けて貰ってけっこうです」
そう事務的に言ってルーシーさんは客室の扉を開ける。
すると、中はかなり大きな部屋になっていた。革張りのソファーや良く磨かれた石のテーブル。高価そうな調度品。その他にも壷や絵画なども飾られていた。
まるで、僕の世界にあるリゾートホテルのような部屋だ(もし、こんな部屋に泊まったら十万円以上、取られるぞ…)。
僕は客室の中に入ると、テーブルに用意されていた料理を見て息を飲む。想像していた以上のご馳走がそこにあったからだ。
全然、ささやかとは言えないんですけど…。
「では、私はこれで」
ルーシーさんはそう言うと、ご馳走を見て驚く僕を余所に、早足で客室から去って行った。
一人、残された僕はソファーに座るとテーブルの料理を食べることにする。どれもこれも手がかかっていて、とても美味しかった。
特に、紫色のフルーツソースがかかった肉は美味しくて、ついたくさん食べてしまった。
僕が料理の味を堪能していると客室の扉が開く。現れたのはドレス姿をしているレフィアだった。
ドレスの色は赤で、それがとても良く似合っている。やっぱり、レフィアはこういう格好をしていた方が良い(冒険者のような格好は似合わない)。
「やっと来てくれたわね」
レフィアはたおやかに笑う。それから、優美な仕草で髪を掻き上げた。
「うん」
ドレス姿を見せられると、レフィアは紛うことなきお姫様だと言い切れるな。
「そんなに固くならなくて良いのよ。私、以外の人はもう来ないから」
レフィアは僕の隣に腰を下ろした。その際、ブロンドの髪がフワッと宙を舞い、柑橘系の匂いも漂ってきた。
「でも、こんなに美味しい料理を食べさせて貰えるとは思わなかったよ」
自分の世界でも、こんな美味しい料理はそうそう食べられるもんじゃない。
(ま、お金に糸目を付けなければ、食べられるんだろうけど。でも、今、この瞬間に感じた味には適わない気がする…)。
「そう言ってくれると嬉しいわ。でも、私は町で売っているお総菜の方が好きだったりするの」
「へー」
「たぶん、冒険者だったお父様の血を引いているせいね。庶民の料理の方が口に合っているみたい」
レフィアはクスッと笑った。
「そっか。そういうところには、僕も親しみを感じられるよ」
庶民派のお姫様って言うのは、漫画やアニメとかだとベタだけど…。でも、そういう設定は嫌いじゃない。
「ふふっ、ありがと。それで、お礼は何が良いかしら。私の力で用意できるものなら、何でも用意するつもりなんだけど」
「そのお礼って受け取らなきゃまずいの?僕はこのご馳走を食べられただけで満足なんだけど」
そう言って、僕は絶対に一人では食べきれない量のご馳走を見る。
「お礼はいらないって言うの?そういう欲のないところは好きだけど、それはさすがに失礼というものよ」
レフィアは半眼で笑いながら言った。
たぶん、彼女も僕がそう言い出すのは予想していたのかも知れない。だから、気を悪くすることなく笑って切り返すことができた…。
なら、僕もその心遣いを汲み取らないと。でなきゃ、ただの無神経男になってしまう…。
「だよね。ただ、偉い人から何か受け取ると、しがらみのようなものが生まれそうで怖いんだ」
僕は苦笑いをする。
「その不安は分からなくもないけど、ここは私を信用してくれないかしら?」
レフィアの表情は崩れない。
「そこまで言うなら、素直に信じさせて貰うよ」
僕がそう言うと、レフィアは我が意を得たような顔でにっこりと笑う。これには僕もボリボリと頬を掻くしかない。
まあ、レフィアの誠意はちゃんと受け取っておこう。それができれば、僕ももっと心の広い人間になれる気がするから…(人として成長できる機会は逃してはいけない)。
そんな僕の内心を読み取ったのか、レフィアは優しげな目で口を開く。
「とにかく、そんなに難しく考えなくても良いのよ。私もあなたを取って食うようなことは絶対にしないし。だから、気兼ねなく何でも言って」
レフィアはあくまで、やんわりと言い聞かせてくる。
この辺が、お姫様としての貫禄か。レフィアは庶民派なのかも知れないけど、人の上に立つ資質もちゃんと持っている。
その資質はきっと、将来、たくさんの人の幸せを守るんだろうな…。
「分かったよ。なら、あるアパートの一室を僕のものにして貰えないかな」
もちろん、そのアパートの一室というのは、自分の世界に戻るための魔方陣が描かれている部屋だ。
「住む部屋が欲しいってことね」
「まあ、そんなところだよ」
あの魔方陣が何かの拍子に消されたりしたら、僕は自分の世界に戻れなくなる。だから、ずっと不安で仕方がなかったのだ。
その不安がなくなれば、僕も心置きなくこの世界での生活を楽しめる。
「そのアパートって、どこにあるの?」
「大通りにあるんだよ。アパートの名前はゴールド・メゾンだった」
名前もちゃんと確認済みだ。
「聞いたことあるわね。私の記憶が確かなら、かなりのボロアパートだったはずだけど」
「それでも良いんだ」
僕は語気を強くする。ボロアパートだからこそ、安心していられた部分もあるし。
「分かったわ。なら、私がそのアパートの持ち主と交渉してあげる。たぶん、上手くいくわ」
「ありがとう」
僕は心からお礼を言った。
(この世界の人たちは本当に僕に良くしてくれるな…。だからこそ、僕もこの世界そのものに恩返しをしたいと思える。
この世界のために何ができるのか、それはじっくりと考えてみることにしよう)
「どういたしまして」
レフィアは弾けたように笑った。
普通の女の子と変わらない笑顔だ…。いつも、こんな笑顔でいてくれると嬉しいな。
その後、僕はレフィアと歓談しながらご馳走を食べると、またルーシーさんに連れられて踊る子鹿亭へと戻って来る。
すると、そこにはミリアとシャロンがいて、僕に宮殿の中がどんなところだったのか、しつこく尋ねてきた(なぜか、その場には本を片手にしているルーティもいたけど、やはり興味のなさそうな顔をしていて、口は開かなかった…)。
とにかく、こうして現実の世界ではまずできないような貴重な経験をした一日は、無事に終わりを告げたのだった。
《第十五話 宮殿での歓待 終了》