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第十四話 日常

 異世界での冒険を終えた僕は自分の世界に戻ってくる。

 それから、心を休めるために、窓から降り注ぐ陽光を浴びながら、自分の部屋のベッドで横になった(もう四時になるけど、日が延びたせいで外はまだまだ明るい)。


 でも、だんだん異世界にいる時間が長くなってきたな…。今のところは何の問題も起きてないから良いけど。

 異世界に行っている間に自分の体がどんな行動を取っていたのかも、ちゃんと把握できているし。

 

 もちろん、自分の体が何か悪いことをしていたらと怖くなる気持ちはある。でも、そこは自分の体を信頼するしかない(それが、けっこう難しかったりするんだけど…)。

 

 とはいえ、いつまで、こんな生活が続くんだろうな…。


(もし、神様がいるなら、いつまでこんな夢のような時間が続くのを許してくれるんだろう…)

 

 二足の草鞋は履けないという言葉もあるし、どちらの世界の生活も大事にすればいつか破綻する気がする。

 

 仮に、どちらの世界で生きるか選べと言われたら、今の僕なら間違いなく自分の世界を選ぶことができる。

 

 でも、何年も経ったら自分の気持ちがどう転ぶかは分からない。人の心は本当に移ろいやすいからな…。

 

 なので、僕も一抹の不安を感じる。だけど、すぐに心を楽にして「まあ、何とかなるさ」と自分に言い聞かせた。

 

 幾ら悩んだって、答えが出ない時もある。

 

 それに、自分にできることを精一杯やっていれば、自然と良い結果は付いてくるものだ…(そう思えることが僕の強さだし)。

 

 なら、与えられた奇跡を守り抜こう。異世界に行けるのは、間違いなく誰かが与えてくれた奇跡だから…。

 

(どれだけこの奇跡を大切にできるか…。それで全てが決まってしまうように思えるし、僕もいつまでも夢みたいな気分に浸ってないで、しっかりと現実を見よう)

 

 そんなことを考えていると、自室のドアが開く。現れたのは、手作りのマイバッグを手にした母さんだった。

 

「ナオちゃん。夕飯の買いものをしてきて貰いたいんだけど頼めるかしら」


 母さんは頬に手を当てて笑った。


「良いよ」


 僕はベッドから起き上がると嫌な顔をせずに頷く。

 

 自分の意識が自分の世界にある時は、どんなことも疎かにせずにやる。それができないようなら、異世界に行ってはいけない。

 そう決めていた(大切にするべきものを間違えてはいけない…)。


「ありがとう。それと、スーパーに行ったら、忘れずにマイバッグを持ってますって言ってね。五円、引いてくれるから」


 時々、マイバッグのことを言い忘れちゃうんだよな。たかが五円だけど、母さんにとってはされど五円なのだ。

 一円を笑うものは一円に泣く…という言葉もあるし、小さなことの積み重ねが、大きなことへと繋がるのは僕も理解している。


「分かってるよ。でも、今、使ってるマイバッグは何だか破れそうだよ」


「なら、ナオちゃんが帰ってきたらミシンで縫い直しておくし、今日だけは気を付けて使ってちょうだい」


 そう言うと母さんは僕の顔をジーッと見ながら口を開く。


「それはそうと、最近のナオちゃんはちょっとおかしいわね」


「どうして?」


 これには僕もソワソワしてしまう。


「前はそんな男らしい顔なんてしなかったもの。何だか、お父さんの若い頃を思い出すわ」


「父さんの若い頃なんて、僕は覚えてないな」


「私はちゃんと覚えてるわよ。これでも妻ですから」


 母さんは茶目っ気のある顔で言うと言葉を続ける。


「とにかく、ナオちゃんたら、ついこの間までは女の子がするような、なよなよした顔をしてたじゃない。あの顔はどこに行っちゃったのかしら」


 母さんはクスリと笑う(女の子のような顔をする、おじさんというのは嫌だなぁ)。


「さあね。僕だって人間として成長してるってことじゃないの」


 体はともかく、心なら何歳になっても成長できるはずだ。


 人は変われる…必ず。


「それなら良いんだけど。でも、無理はしちゃ駄目よ。心療内科の先生からも頑張らないでくださいって言われてるでしょ」


「頑張ってなんかいないよ」

 

「そうかしら。昔から、ナオちゃんは何か好きなことができると、一生懸命、頑張っちゃう性格だから」


 確かに僕はのめり込みやすい性格だ。


 学生時代にハマったプラモデル作りなんかが、その最たる例だろう。プラモデルは二百個以上、作ったんじゃないかな。

 不思議なことに、昔、飾ってあったプラモデルが、今は一つも見当たらないんだけど(たぶん、押し入れを探せば見つかるんじゃないかな)。


「昔とは違うよ。僕だって良い歳をした大人なんだから見境くらいあるって」


「そうね。私もナオちゃんのことは信じているから。けど、くれぐれも人様に迷惑をかけるようなことをしたら駄目よ」


 母さんは真面目な顔で言葉を続ける。


「ナオちゃんだって精神病院には入りたくないでしょ」


 それだけは絶対に嫌だ。

 

 精神病院に入ったら二度と出てこれないと聞いてるし、それが本当ならある意味、牢屋よりも怖いところだ。


「大丈夫だよ。僕だって自分の心はコントロールできるんだ。昔みたいな醜態は晒したりはしない」


 本当は、大丈夫なんて言い切れるほどの自信があるわけじゃないんだけど…。


 でも、心の病を患っている僕を真に信頼してくれるのは母さんだけだ。なら、その信頼は絶対に裏切ったらいけない。


(母さんからも信頼されなくなったら、僕は誰にも心を開けなくなる。それはあまりにも悲しすぎるよ…)


「なら、安心だし、買い物にも行ってきてちょうだい。少しなら、お菓子も買ってきて良いから」

 

「じゃあ、チョコレートでも買ってくるよ」


 僕は母さんからお金とマイバッグを渡されると、リビングで寝ていた飼い猫の弥太郎の頭を撫でてから家を出た。


 その後、僕は自転車に乗ってマンションを出る。桜の木がたくさんある公園の前にはスーパーがあって、中に入るといつもより混雑していた。

 僕はお客さんで賑わうスーパーで買い物を済ませると、家に戻ってくる。

 

 すると、リビングにはあの浪川君がいてお茶を飲んでいた。

 

 これには僕も面食らってしまう。リビングのテーブルの上には猫の弥太郎もちょこんと座っていたし(弥太郎は本当に人見知りしないし、何より人間が大好きなのだ…)。


「浪川君がいるなんて思わなかったよ」


 僕は少しドキッとするものを感じながら言った。


「この近くで伝道をしていたから、ちょっと寄らせて貰ったんだ。そしたら、君のお母さんにお茶でも飲んでいってと言われてね」


 浪川君は台所にいる母さんの背中に視線をやりながら言葉を続ける。


「だから、こうして可愛い弥太郎君を眺めながらお茶を飲ませて貰っていたのさ」


 弥太郎は浪川君の前でゴロンと横になった。


(弥太郎も相当、気を許しているな。動物に好かれる人間に悪い人間はいない…)。


「そういうことね。ま、弥太郎も喜んでるし、来てくれてありがとう」


「うん。でも、急に顔つきが変わったね、直也君」


 浪川君の目がいつになく鋭くなった。


「そうかな」


「何か良いことでもあったのかな。目が輝いているし」


「目なんていつもと変わらないよ」


 異世界にいる僕の目が輝いているのは分かる。だって、目が透き通るような青色だから。


「そんなことはないよ。僕のやっている伝道で大事なのは人を見ることだ。だから、目を見るだけでその人の心中を推し量れることもあるんだよ」


 浪川君は並々ならぬ自信を覗かせる。


 ちなみに、伝道というのは宗教の勧誘のようなものだ。家を一件ずつ訪ねて、宗教の雑誌を渡したり、話をしたりする。

 大変な活動だと言わざるを得ないけど、浪川君は平気な顔でそれをやっているのだ(本当に嫌な顔一つしないからな。たいした信仰心と言える)。


「さすが浪川君だね。こういうのを見る目があるって言うのかな」


 僕はおどけたように言った。でも、浪川君は笑わなかった。


「僕は冗談を言っているわけじゃないんだけどな…。とにかく、何かあったって言うんなら、聞かせて貰えないかな?」


 浪川君は至極、真面目な顔で言った。こういう時は茶化してはいけない。

 語るべき時にはこっちが怖くなるほど真剣に語るのが浪川君だ。その真剣さが他の友達とは一線を画す要素になっている(健二のように笑って済ますことはできない)。


「そうしてくれれば、僕も安心できるし、もし困っていることがあるなら、心置きなく力を貸してあげることだってできる」


 浪川君は力強く言った。


 確かに、何度も助けられた浪川君の力は、僕も馬鹿にはできなかった。


(言葉だけでなく、行動でも応えてくれるのが浪川君の素晴らしいところだからな。

 困っている人に迷わず手を差し伸べることができる…。それが宗教の影響だとしても、立派なことに変わりはない)


「って、言われても、別に何もないからなぁ」


 異世界に行きましたとはどう口が裂けても言えないだろう。そんなことを言ったら、良い精神病院を紹介されてしまう…。


「そっか…。まあ、僕も無理に聞き出すつもりはないし、本当に何もないなら、それで良いんだ」


「うん。でも、いつも気にかけてくれてありがとう」


 僕はほっとしながら言った。

 

 これ以上、苦しい言い訳をするようなら、僕は浪川君の友達でいられなくなってしまう気がしたから…。

 やっぱり、友達はちゃんと信頼しないとな。相手の心を疑いながら続ける友情なんて良くないと思う…。


「僕は友達として当然の気遣いを示しているだけさ…。何にせよ、一人で抱え込むことだけは止めるんだよ」


「分かってる。本当に辛い時はちゃんと浪川君を頼らせて貰うから」


 僕も浪川君とは互いに支え合えっていける関係だと思っている(今は、支えて貰っている方が多いけど)。


「それを聞いて安心したよ」


 浪川君は表情を緩めながら言葉を続ける。


「何があろうと、僕は直也君の友達だし、どんな話を聞いても、それを受けとめることができると信じているから」


 浪川君の言葉には揺るぎない力があった。


「でも、優先されるべきは神のご意志なんでしょ?」


 僕はつい皮肉を口にしてしまう。ここら辺が僕の駄目なところなんだよなぁ…。


「その通り。でも、直也君が神の意に反したことをするとは思えない。直也君は良い気質の持ち主だからね」


「持ち上げすぎだよ…」


「そんなことはないよ。もし、そうじゃないとしたら、僕は直也君の友達になろうとは思わなかったはずだから」


 浪川君には友達がたくさんいるけど、真理の伝道者じゃない人の友達はあまりいないと聞いている。

 友人は慎重に選ぶようにと、真理の伝道者の組織から言われているらしいから。


(真理の伝道者では世の友になってはいけないと言われている。世の支配者はサタンと悪魔たちだから…)


「それもそうだね。まあ、僕も浪川君と友達となれて、心の底から良かったと思ってるよ」


「そう言ってくれると嬉しいな。じゃあ、そろそろ僕はお暇させて貰うよ。まだ回らなきゃいけない区域があるからね」


 浪川君はお茶飲み干すと、黒い革鞄を手にして椅子から立ち上がった。


「大変だね」


 僕は労いの言葉をかける。


 もう夕方なのに、それでも家々を回って歩くっていうんだから、たいしたバイタリティーだと思う。

 頑張らないでください…などと言われている僕とは心の強さが違うな。


「偉大な神のための仕事だから、耐えられないような苦しさはないよ。むしろ、喜びの方が大きいくらいだね」


 そう口にする浪川君の声はまるで清流のようだった。


 浪川君に邪な他意はない…。

 

 もし、奇跡が与えられるというなら、僕よりも浪川君の方が絶対に相応しいと思う。


(もし、奇跡が起きれば、どれほど浪川君の信仰が強められるか…。奇跡の価値を正しく認識しているのは僕よりも浪川君だろうし。

 であれば、僕が異世界に行けるようになった本当の理由は何なんだろう。この期に及んで、異世界に行けるのは病気によるものだとか言うつもりはないし…)


「僕にもそれくらいのポジティブさがあれば良いんだけどな」


 僕は浪川君の言葉に少し呆れていたけど、当て擦るようなことは言わなかった。


 互いのやることに理解を示し合うのが、本当の友達だからな。だったら、友達が大事にしている価値観のようなものを傷つけてはいけない…。


「全てはこれからさ。とにかく、美味しかったよ、お茶。今度はお茶菓子を持って、直也君の家に来ようかな」


 そう言うと、浪川君は僕だけではなく、母さんにもお礼を言って、去って行く。

 

 その後ろ姿を見ながら、僕は誰かに自分の身に起きていることを無性に話したくなった。

 

 理解者がいないって言うのはやっぱり辛い…。


「浪川君にまで変わったって言われちゃったわね、ナオちゃん」


 僕の肩を後ろから叩いた母さんはニヤニヤしていた。どうやら、台所で料理を作りながら、僕たちの話に聞き耳を立てていたみたいだな。


「う、うん」


 僕はもうどんな顔をして良いのか分からなくなる。


 ちなみに、母さんは浪川君のやっている宗教にも寛容な見方をしている。日本人にありがちな宗教に対する偏見は母さんにはない。

 

(母さんは神を信じていないみたいだけど。でも、神を信じて真剣に正しい心を持とうとしている人の言うことは信じている。

 だから、きっと浪川君のことも心から信頼しているに違いない…)。


「隠し事をするのは、心に良くないわよ。それでなくても、ナオちゃんは病気なんだから」


 病気、それは全てを説明できる言葉のはずだった…。


「母さんもしつこいな。でも、本当に大丈夫だから」


 僕はムキになる。そんな僕を見て母さんは優しく微笑んだ。


「なら、良いわ。お母さんも、これ以上、何にも言わないから。とにかく、今日の夕飯はナオちゃんの好きなカレーだから楽しみにしててね」


 そう言うと、母さんは火にかけてあった台所の鍋に僕が買ってきたカレーのルーを入れ始めた。


《第十四話 日常 終了》



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