第一話 物語の始まり
『やり直しのできない人生なんてない。君がやり直したいと思ったその時から、もう人生のやり直しは始まっているんだから…』
…とある名のない冒険者の言葉。
★☆★
肌寒さを感じさせた春が過ぎて、温かな陽気が続くようになった。
降り注ぐ日差しも柔らかく、抜けるような青空は見ているだけで、清々しい気持ちにさせてくれる。
今が一番、心地の良い季節と言えるかも知れないな。
でも、あともう少ししたら嫌な梅雨の季節になる。なので、今ある心地の良さを大切にしようと思った…。
そんなことを思う僕こと白木直也は特筆するべきことは何もない普通の男だ。
年齢は人生の区切りを感じさせる三十五歳。
普通の定義は難しいところだけど、一応、人並みの知識と教養、そして、常識は持ち合わせているつもりだ。
もっとも、そんな風に言う人間ほど常識が欠けていたりするんだけど…。
でも、常識が欠けている人間の方が、案外、人としては魅力的なのかも知れない。欠けている部分があるからこそ、それを埋めようと必死に頑張ることができるから。
それは、傍から見ている者にとっては泥臭く感じられるものなのかも知れない。だけど、その頑張りを応援してくれている人は必ずいると思う。
もしかしたら、「頑張ったね」と直接、声をかけてくれるような心優しい人も現れるかも知れない…。
(って、ちょっと夢を見すぎかな…。
自分の頑張りを誰かが見ていてくれる嬉しさなんて、ここ数年、感じてなかったし。でも、誰かの頑張りを見て、このままの自分じゃ駄目だと思ったことはある。
僕も頑張る人の姿は嫌いじゃない。そう思える心が、自分も負けていられないなという気持ちにさせてくれるから…)
…と、最初だし、できるだけ良い感じの自己紹介をしたいところだ。
実際、高校を卒業したばかりの時だったら、僕だって何の躊躇いもなく自分の普通さをアピールするような…、つまり、さっきまでのような自己紹介をしていたはずだ。
でも、やっぱり今の僕はどう言葉を取り繕っても、そんな自己紹介はできない……。
難しい心の病気なんかも抱えているから…。
心というよりは脳の神経の病気と言った方が良いかも知れない。しかも、かなり複雑な病気なので、その詳しいメカニズムは上手く説明できない。
実際、心療内科の先生から病気のことを詳しく説明された母さんも、ちんぷんかんぷんだったみたいだし。
ただ、その症状を簡単というかシンプルに説明すると、頭の中から声が聞こえてきたということだ。
つまり幻聴…。
しかも、僕の場合は頭の中から聞こえてきた声と話したりすることができたのだ。ほんの短い期間ではあったけれど。
(最初は幽霊にでも取り憑かれてると思ったよ。
でも、あの時は心配する親を余所に、何だか無性にワクワクしてしまったな。神様が起こした奇跡だと思ったくらいだから…。
もっとも、神様が起こさなければならない奇跡はもっと他にある。それを考えると何だか腹が立ってきたけど…)
一方、心療内科の先生は僕の身に起きたことを対人型の幻聴だと説明した。
だから、僕は頭の中から声が聞こえてこないように、ロヒプノールとかニューレプチルとかいう難しい名前の薬を飲んでいる。
薬が効いたせいか、今では声が聞こえてくることはなくなった。なので、あの時、僕に話しかけてきた声は夢の中のでき事だったように思える。
でも、先生が言うには、いつまた聞こえるようになってもおしくはないんだそうだ。だから、薬は飲み続けなければならない。
なのに、僕はもし薬を飲まなくなったら、またあの声たちと話すことができるんだろうか…などと思っていた。
確かに怖いけど、また不思議な体験ができるかも知れないことを望んでいる自分がいるし。
(でも、両親にあんな心配そうな顔をさせたら駄目だよな…。あの顔を見て、自分がどれだけ子供として大切にされていたか分かったから…。
自分の家族が病気になったりした時の心配さは理屈じゃない。なのに、そのことをあの顔を見るまですっかり忘れていた。
どうして家族の絆というのは、不幸な目に遭った時ほど強く感じられるんだろう…)
とにかく、そういう事情なので、僕は全然、普通の人間なんかじゃないのだ…。
そして、その病気が原因というわけではないけれど、僕は生まれてこの方、女性と付き合ったことが一度もない。
それどころか、ずっと女性とは仲良くなれないような生き方をしてきた。だけど、顔は悪くはないし、太っているわけでもない (あくまで、自分の主観だけど…)。
なのに、なぜ、僕の抱えている問題など知りもしない女性と全く仲良くなれないのか分からなかった…。
(いや、分かろうとしなかっただけか…)
周りにいた人たちは何だかんだ言って、女性に好かれる努力をしていたと思う。でも、僕はその努力が酷く格好悪く見えてしまい、何もしなかった。
本当に格好悪いのは、何もしない自分なのだと気付いてすらいなかった…。
それは鈍感とか朴念仁とかいうオブラートに包んだ言葉とはちょっと違う気がする。
(頑張っているところを見てくれている人がいる。でも、その反対に何もしようとしない無精なところを見ている人もいるのだ。
自分のことは誰も見てないなんて、思うもんじゃないな…)
今にして思えば、僕は自分が女性からどんな風に見られているのかについて、あまりにも無頓着だったと思う。
だから、女性から避けられたりすると、僕の方もムキになって恋愛なんて絶対にしてやるものかと心の中で叫んでいた。
自分でもつまらない意地を張っていたと思う…(病気になってからは、以前にも増して、ふて腐れていたからな)。
(ホント、今までの僕は子供だった…。いや、今でも心は子供のままか…)
なので、人生を振り返れば、「僕はとにかく子供だった…」としか言えない。
もちろん、それが何もしようとしなかった自分に対する甘い言い訳だということは、分かっている。
とはいえ、こんな僕に優しく接してくれた女性がいなかったわけではないのだ。だけど、不思議なことにその人たちのことはほとんど思い出せない。
(これじゃあ、女性と仲良くなれるはずがないよ……)
…まあ、そんなわけで、僕は何となく女性から避けられるような人生を歩むことになってしまった。
もちろん、反省している部分は多々ある。
なので、僕も生きている内に、必ず今の状況を何とかしてやろうと思っていた。
じゃないと、もっと大事なことまで見失ってしまいそうだから…。
もし、これ以上、見失い続けるようなら、僕は例え嘘でも自分を普通の人間だとは言い張れなくなるし。
なら、何と言えば良いのか?
たぶん、そういう人間は、言葉はきついけれど大馬鹿野郎って言うんだろうな。
馬鹿っていうのは単に頭の悪い人間に使う言葉じゃない。
人として大事にするべきことが分からない、いや、分かろうともしない箸にも棒にもかからない人間に使うべき言葉なんだ…と、昔、父さんは言っていた。
(本当に昔のことなので、思い出せて良かった…。
どんな親でも、必ず心に残るような台詞を子供に言ってくれているものだし、それはちゃんと支えにしたい)
つまり、過去の僕みたいな人間にこそ、大馬鹿野郎という称号は相応しいということになってしまう。
心の病気だからしょうがない…なんて言葉は逃げだ。
都合の良すぎる言い訳だ…。
とはいえ、嫌われてしまえば、楽になれるなんて思ったらいけないよな…。
そんな台詞が許されるのは、やっぱり、子供の時だけだ。
(いや、子供でもそんな台詞はいっちゃいけない…。
人との関係を諦めたら、孤独になるばかりじゃないか。しかも、孤独というのは、自分でも気付かない内に心を荒ませるものだ。
孤独は人の心を簡単に病気にするし、それは普通の病気よりも質が悪い)
人と人の繋がりが、いかにかけがえのないものかは今なら良く分かる。
一度、社会に出れば、人間が一人では生きていけない生き物だということは嫌でも教えられるし。
そして、女性と関わらずに生きるのも、またできないことなのだ(もちろん、現実には女性と全く関わらずに生きている人もいるけど…。
でも、そういう人は大抵、僕にはない能力だとかバイタリティーを持っていたりするので、真似はできない)。
だからこそ、もしこんな三十過ぎで、心の病気も患っている男に優しくしてくれる女性がいたら、僕はなりふり構わず大切にしようと思う。
見返りなんて求めずに…。
(まあ、本当に女性を大切にしたいなら、まずは一番、身近にいる母さんを大切にしないとな。散々、苦労をかけてきたし。
もっとも、この年で親離れができないのも、僕が女性と付き合えない要因の一つかも知れないけど…。
でも、母さんを大切にすることができたら、少しは他の女性に対しても自信が持てるようになる気がする)
もちろん、優しい女性じゃない人だって、大切にしなければならないだろう。それが社会、いや、人間のいる世界で生きるってことだと思うから…。
とにかく、裏切られるのが怖くて、誰かを大切にしようとする心から逃げるのはもう懲り懲りなんだ。
人生はもう半分、終わってしまったけれど、まだ取り返せるものもあると思っているし。
それをきっちり取り返さなきゃ、前には進めない…。
(そのためには、どんな事にも手を抜かずに一生懸命、取り組むしかない。そうすれば、僕を見る周りの人の目も変わるかも知れない…)
本気の心さえあれば、まだ間に合う。
テレビドラマで聞いた時は綺麗事を言ってるなと馬鹿にしていたけど、今なら人生は何度でもやり直せるという言葉も嘘じゃないと思っている。
要は心の持ちようだと思う。
やり直したいと思ったその時から、もう人生のやり直しは始まっている。それに気付ければ人間はきっと変われる。
変わるのに遅すぎるということはないはずだ。
生きるというのは変わっていくことだ…、と言っている人もいるし。なら、自分が変わるのを恐れていたら駄目だろう。
いつまでも足踏みをしていると、変わろうと思った時にはどうにもならない状況に陥っていた…なんてことにもなりかねない。
(もっとも、そういう状況が人間を良い方向に変えることもある。だからこそ、人間が変わるのに遅すぎるということはないと思えるのだ…)
とにかく、人間にはいつでも変われるチャンスがある。
ただし、人間の持つ時間が無限じゃないということだけは、しっかりと理解しておかないと。
時間は残酷だとも言うからな…。
だから、時間というものは本当に大切にしなければならない。
(でないと、後悔だけがどんどん積み重なってしまう…。その後悔に心が押し潰される前に僕は変わろうと決心した)
まあ、そんなことをつらつらと考えている僕だけど、友達はちゃんといた。
今でも頻繁に連絡をくれる友達もいるし。
これも、友達はできるだけ大切にしようと心懸けてきたおかげかも知れない。
三十歳を過ぎても、付き合える友達がいるのは本当に心強い。友達は一生の宝物だと僕もこの歳になってようやく理解した。
とはいえ、友達との絆も何もせずに守れるとは思えない。
今はまだ友達との絆が切れてしまうようなことは起きてないけど、いつか大きな試練に直面する気がする。
その時、僕は試練を乗り越えて、友達だけでなく、色んな人たちとの絆を守ることができるだろうか。
いや、守って見せなきゃならないよな。
それができるのが本当の大人なんだ…。
(ったく、僕もいつまで高校生気分を引きずってるんだよ…。みんなは、どんどん変わっていくっていうのに)
ちなみに、僕は通学が嫌になるような山奥にある大学を四ヶ月くらいで中退した後、色々なアルバイトをしながら今日まで生きてきた。
大学を止めるきっかけになったのは、僕が心の病気になった時にちょっとした事件を起こしてしまったからだ。
もちろん、その時は僕も未成年だったから大事にはならなかったけど…。
でも、それから十年以上が経過し、ちょうど半年くらい前に父さんが脳梗塞で倒れてからは状況が一変した。
今まで元気だった父さんが歩くこともできず、言葉を発することもできなくなってしまったのだ。
どうも父さんは最初、心筋梗塞を起こしていたらしく、その時に固まった血が脳にまで運ばれて、一気に脳の血管が破裂してしまったらしい。
脳の部分が真っ白になったCTスキャンの画像を見て、病院の先生も命が助かったのは本当に運が良かったと零した。
例えどんな状態であろうと、生きていた方が良い。人間、生きてさえいれば必ず幸せは訪れる。
だけど、真っ白になった父さんの脳の画像を見たら、そんな言葉は口にできなかった…。
僕も父さんの脳の画像を見た時は「何だよ、これ…」と心の中で呟いてしまったし。これが生きている人間の脳なのか、とも思ってしまった。
でも、その画像はどこまでも正しかった。
現にリハビリをして、ある程度、脳の機能が回復する前の父さんは完全に寝たきりの状態だったから…。
僕も必死にリハビリをしている父さんの姿は辛くて見ていられなかったし、一緒にいた母さんも心を打ちのめされたような顔をしていた。
それでも、僕は父さんに生きていてくれてありがとうと言いたかった。
もっとも、そんな真っ直ぐな台詞は、恥ずかしがり屋の僕の口からは出なかったけれど…。
だけど、言わなくちゃいけない台詞だったのかも知れない…。
もし、言っていれば父さんの心も少しは救われたかも知れない…。
もう、父さんは言葉を理解する力もほとんどなくなってしまっているのだけど、それでも届けたい、いや、届けなきゃならない言葉ではあったし。
(肝心なところで、大切な人を救えるような言葉が出てこない…。
それが、今までの自分の生き方のツケだってことは分かってる。分かってるけど、どうしようもなく情けなくて、悔しいんだ…。
だから、この悔しさは絶対に忘れないようにしよう。
そうすれば、再び大切な人に何か不幸があっても、その時は救ってあげることができるかも知れない…)
とにかく、もう少し気持ちの整理が付いたら、僕も父さんにはちゃんと自分の思いを言葉にして伝えないとな…。
ここで、怖がったら駄目だ…。
父さんはまだ心まで失った訳ではないのだから…。
実際、父さんは自分が零してしまったお茶を僕に拭いて貰った時は、頑張って「あ…り…がと…う」と言ってくれた。
その消え入りそうな言葉を聞いた母さんは、ボロボロと涙を流して泣き崩れてしまった。
そして、それを見た父さんも「ワー、ワー」と言葉にならない声を出して泣いた。
「男は夢を大きく持たなきゃ駄目だ」とか「若い内は思いっきり好きなことをしろ」とか饒舌に語っていた父さんがもう「ありがとう」の一言すら満足に言えない。
こんな残酷なことがあって良いのかと僕も泣きじゃくってしまった。
次の日になれば、また元通りだよな…と何度、思ったか分からない。でも、父さんが元気だった時のような姿を取り戻すことはなかった。
奇跡なんて起きなかった…。
いつかこんな日が来るのではないかと僕も予想していたけど、やっぱり、その日が来ると辛くて、悲しくて耐えられなかった…。
でも、生きている以上、耐えていくしかなかった…。
そんな父さんのお見舞いには実にたくさんの人が来てくれた。
ギャンブル好きで、そこら中にお金を借りていた父さんにこんなにたくさんの友人がいたのかと思ったくらいだ。
父さんとその人たちとの絆を感じると、人間もまだまだ捨てたもんじゃないと思える。
父さんも自分の親友が病室を訪れた時は瞳を潤ませながら、まるで子供のように笑っていたからな。
その幼さを感じさせる反応に、その場にいた僕も悲しさのあまり胸が詰まりそうになった。
父さんの心は子供の頃に戻ってしまったのかも知れない…とも思ったし。
なら、もう休ませてあげよう…。
父さんは倒れたその日まできつい仕事をしていたけれど、もうそんな苦労をする必要はないのだ。
後は、僕や母さんに任せてくれれば良い…。
家族を支えなければならないという重荷は、もう下ろして良いのだ。
今まで、本当にありがとう…。
脳の半分以上が壊れてしまった父さんだけど、ちゃんと心は通じている。その心は僕も息子として大切にしていきたいと思った。
(誰かの心を大切にできること。それが、人間の持つ素晴らしさだって、父さんも言ってたじゃないか…)
その後、僕は体の不自由な父さんの介護をするために、何年も続けていた雑誌を配るアルバイトをすっぱりと止めた。
ちなみに、雑誌を配ることで得られる収入は一ヶ月に四万円くらいだ。でも、四万円もあれば、欲しいものは大抵、買える。
僕は親元で暮らしているから生活費はかからないし。
なので、それなりに充実していた生活を送っていたのだ。が、そんな生活にもついに終わりが訪れてしまった。
まあ、いつまでも続けられるような生活じゃなかったのは確かだけど…。
今の僕は一人では食事もできず、トイレにも行けない父さんの介護に追われている。
自宅に戻ってきてからも、父さんは二回ほど倒れて救急車で運ばれたからな。だから、一時たりとも目を離すことができない。
そんな父さんの介護生活は心身的にも金銭的にも厳しかった…。
特に父さんの病院代や薬代は一ヶ月で十五万円を超える。他にも介護用のベッドや車椅子も借りてるし、デイケアなどのサービスも受けている。
年金暮らしの家庭には痛すぎる出費だ…。
だから、父さんが病気になった二ヶ月後に亡くなったお婆ちゃんが残してくれた遺産がなければ、生活できなくなっていたかも知れない。
父さんの母親であるお婆ちゃんは本当に計ったようなタイミングで亡くなってしまったからな…。
その何ヶ月か前には、お婆ちゃんも痴呆が進んでいて、自分の親族の顔すら分からなくなっていたんだけど。
でも、そんなお婆ちゃんの安らかな死に顔を見て、父さんは「お…母…さん、あ…りが…とう」と言って大粒の涙を零した。
父さんは、ちゃんと自分の母親が亡くなってしまったということが分かったのだ…。
もう、お婆ちゃんが優しい顔で、息子である自分の名前を呼んでくれないことが理解できてしまったのだ…。
父さんの言葉を聞いて、もらい泣きしてしまった人もいたし(火葬、前のことだ)。
僕も毎年、夏祭りにお婆ちゃんが作ってくれたお寿司の味を思い出して悲しくなった。
歳を取ると、悲しいことばかりあると聞いていたけれど、それは本当だった。
これ以上、何かあったら、悲しみに押し潰されてしまいそうだった。
そう思いながら、僕は必死に嗚咽を堪えた。
でも、母さんが言うに、お婆ちゃんが若い頃から一生懸命、働いて残してくれた遺産を切り崩していけば、あと数年は生活できると言う。
そこから先はなるようにしかならないのだそうだ。
もし、僕がしっかりと大学を卒業して、ちゃんとした会社で働いていたらと思わずにはいられなかった。
でも、後悔してももう遅い…。
今は過去を思い返して後悔するのではなく、未来を見据えて自分にできることを精一杯やろうと決めていた。
青臭い台詞だけど、本当にそう自分に言い聞かせて生きるしかないほど、僕の心は押し拉がれていたのだ。
(昔の自分なら、間違いなくそんな前向きな台詞は出て来なかったと思う…。
良くも悪くも、僕は家族の身に降りかかった不幸で成長した。だから、あともう少しだけ成長してみよう。
そうすれば、きっと乗り越えられるものもあるはずだ…)
こんな状況に追い込まれなきゃ、親孝行ができないなんて、僕も馬鹿な人間だなと思ってはいる。
でも、弱音を吐いている暇はもうないのだ。
だからこそ、昔のような日常を取り戻すべく、家族を支えていくしかない。
そして、そのためには、どんなに恥ずかしくても、いつも幸せというものを追い求められるようにならなければ駄目だと思う。
でないと、大事なものがどんどんなくなっていくし…。
痛みだらけの人生を歩んでいると、幸せを追い求めるのが本当に怖くなる。でも、そこは勇気を振り絞らなければない。
心が痛むことを恐れて何もしようとしないのが一番、悪い…と、元気だった頃の父さんは言っていた。
(もちろん、それは口で言うほど容易いことじゃない…。でも、行動することの大切さは何も変わらない…。
そうだよな、父さん…)
それに、不幸というのは、得てして自分だけの問題では終わってくれないものだ。自分だけのものと思っていた不幸が伝染するように他の誰かをも不幸にしてしまう。
そのことに気付かないと、本当に大事なものが掌から零れ落ちるようにして失われていくことにもなりかねない。
実際、父さんのお見舞いに来てくれた人が、一ヶ月もしない内に突然の病で亡くなったという話も聞かされたし。
その人の死は父さんのせいではないと思いたい。
けれど、どこかに人間の不幸が生み出す因果のようなものがあったと思わずにはいられないのだ…。
だからこそ、どんなに苦しい状況に置かれても、勇気を持って幸せを求めていくことが大切だと思う。
(これ以上、大事なものがなくなってたまるか。例え、どんなことがあろうと、僕は僕の大事なものを死ぬ気で守ってやる…)
父さんが倒れてからは、僕も何度もそう自分に言い聞かせてきた。自分の心を鼓舞できることが、避けられない悲しみに打ち勝つ秘訣かも知れない。
僕も他人に不幸を振りまく疫病神のような人間には死んでもなりたくないから。
(例え、疫病神のような人間だったとしても、振りまいているものが不幸だけということはないはずだ。
人間は気付かない内に、本当に色んなものを振りまいているから。その中には、ちゃんと幸せもあると信じたい…)
だったら、苦しみや悲しみに負けないように心を強く持たないと。その心の強さは、きっと自分の大事なものを守ってくれると思うし。
そして、もし、自分の求めた幸せが、他の誰かも幸せにするというなら、これ以上、言うことなんて何もないのかも知れない…。
…まあ、そういう訳なので、現在の僕は父さんの介護をしながら、細々とした生活を送っていた。
母さんと介護を交代している間は図書館で借りてきた本なども読んでいたし。
とにかく、お金がないので、ゲームのソフトや漫画なんかは買うことはできなかったのだ。だから、図書館にある本で我慢した。
そして、気が付けば春は終わり、夏の気配を感じさせる季節になっていた。
物語の始まりは、そんなある日のことだった…。
《第一話 物語の始まり 終了》