道女と優、正子の死 その二
「新入部員を連れて来たわよ~!」
帰ってきた正子が、第一声そう叫んだ。
正子の後に続き、茶髪黄眼の少女――杉谷寿奈が入ってきた。
正子が寿奈の前に立ち、両手を広げて燥ぐ。
「そんなわけで、スクールアイドル部へようこそッ!」
「じゃないですよ!
いきなりなんですかコレ!」
猛抗議する寿奈。
しかし正子は笑ったままだ。
彼女を部活にいれる為の尤もらしい理由、きちんと考えてあるからだろう。
「突然ごめん。実はこの部活は今、存続の危機にあるのですッ!
そこで、君のような一年生がどうしても必要なのですッ!」
「は、はあ・・・・・・」
ベ、ベタ過ぎないか正子。
寿奈も困ってるし。
優がそれを半目で見ていると、正子が自己紹介を始めた。
「あ、そうだ。自己紹介を忘れてた。
私は副部長の服部正子」
「私は、杉谷寿奈です」
寿奈が自己紹介をする。
「よろしくね!」
「あの~、まだ入るって決まったわけじゃ・・・・・・」
「そっか~。そうだよね~。
じゃあそんな君の為に、まずは私達が一曲踊ってみるよ!」
お、来たか。
だが大丈夫なのだろうか。
優達のグループは、去年最下位を取った弱小チーム。
正子は何故か自信があるが、優は完全に自信を無くしている。
優はもう一度正子を見る。
やるよ、と正子が優に促す。
「それじゃあ、皆。始めるよ!」
さて、やるか。
優は準備を始めた。
誰かに踊りを見せるのは、冬季大会以来だ。
まだ敗北によるショックが抜けきっていないが、やるしかない。
優は全員でステージに立ってから、息を大きく吸った。
『始まりの Little star』作詞 松野心夜 作曲 無し 歌 スクールアイドル部(服部正子、風魔琴実、百地優、伊賀崎道女)
小さな星が きらりと輝いた
座り込んでいた僕らは それを見た
見ているだけじゃ ダメだ
追いかけなくちゃ 追いかけなくちゃ
何にも始まらないからさ
それは始まりの小さな星 僕らを導く光
いつか大きくなった時 僕らも大きくなるように
置いてかれないように 走るのさ
小さな星が 大きくなった
疲れ果てた僕らは それを見た
ここで終わっちゃ ダメだ
追いかけなくちゃ 追いかけなくちゃ
そこで終わっちゃうからさ
それは始まりの小さな星 僕らを導く光
いつか速くなったとしても 僕らは追いかけるんだ
置いてかれないように 走るのさ
それは始まりの小さな星 僕らを導く光
いつか大きくなった時 僕らも大きくなるように
置いてかれないように 走るのさ
ライブの後、寿奈が拍手をした。
優は息を切らしながらそれを見ていた。
そして寿奈は、笑顔でこう言った。
その時の顔は、忘れたことがない。
正子は勿論、皆もそうだろう。
だが。
「スクールアイドル部、入部させて下さい!」
正子の顔も、その時満面の笑みだったのを。
優はきちんと覚えている。
それから半年。
寿奈の加入によって、優達は人生初の一位の座に輝いた。
でも、それから変わってしまった、と優は思っている。
「正子、一緒に帰ろうぜ」
いつもの帰り道を、いつものように三人で行こうと誘った。
そして、毎回返事はOKが返ってくる。
はずだった。
「ごめん、今日は寿奈と話さなきゃいけないことがあるから」
手を振って、先に帰ろうとしている寿奈を追いかける正子。
最初の内は、あまり気にしなかった。
だけど、次第にそれはエスカレートしていき、正子は優達と帰ることは無くなった。
優はそれが嫌だった。
親友と信じていた正子に、そんな風に離されるのが。
そんな、ある日の夜。
優は今までに見た事のない悪い夢を見た。
最初優は、それが夢だと分からなかった。
確か、はじめに口にした台詞はこんなだった気がする。
「私、何をしていたんだろう」
その時だけは、自分が寝たことを忘れていた。
何らかの事情で、自分の足でそこに来てしまったのだとばかり思っていたが。
それは、自分の目の前を見て明らかになった。
それが、夢だということを。
優の目の前で蹲る、一人の少女。
明るい赤いセミロングの髪の、幼い少女。
まごう事なく、そいつが服部正子だということが理解出来ていた。
一歩一歩、優は近付いていく。
獣が餌を求めて彷徨うような足取りだったが、確実に正子の姿が捉えられるようになっていく。
やがて優は、正子に近付いた。
「おい、正子・・・・・・」
それは、手に触れようとした瞬間に消え去った。
ふわり、と霧のようにその場から消えていく。
「・・・・・・よッ。待てよッ!」
優はその霧を追いかけるように走った。
だが、手で掴むことは出来ない。
やがて、駆け抜けた先に辿り着いたのは。
膨大な記憶の奔流。
そうだ。頭の中に、物凄い量の記憶が流れ込んだ。
そのまま破壊されそうになった頭を何とか抑えるが、それは止まらない。
正子と過ごした思い出。
その全てが。頭に流れ込んでいた。
やがて優は、一つの記憶へと辿り着いた。
喩えるなら、そうだろう。
やっと川から抜け出せたような感覚の後、景色が変わった。
その日は確か、眩しい夏の日だった。
まだ優が幼い頃。
心が弱い正子を鍛えようと、一度木登りに連れて行った日のことだ。
「ほら、正子。
やれば出来る。やってみようぜ」
「う、うん・・・・・・」
既に天辺へ上り詰めた優に促され、正子がまず木に摑まる。
そのままゆっくり、両手両足を使い登り始めた。
「こ、怖いよぉ・・・・・・」
怖気ずく正子。
だが優が励ました。
「怖いと思うから怖いんだ! お前なら出来る!」
「ぁぁ・・・・・・うわぁッ!」
「正子ッ!」
地面に、頭から落下しそうになった正子を、優は何とか飛び降りて助けた。
「ふぅ・・・・・・」
それからもう少し練習したが、中々上達する様子はなかった。
落ちそうになっては天辺から飛び降りて助け、の繰り返し。
何度か練習していると、もう既に昼になり。
優は持ってきた握り飯を正子と食べ始めた。
「「いただきます」」
二人で同じような動作で、まるでシンクロしているように握り飯を手に取り、そしてかぶりつく。
今日の塩結びは、優が自分で握ったものだ。
「「しょっぱッ!」」
また同じように、感想を叫ぶ。如何やら今日も塩を振りすぎたらしい。
優の悩みは今のところ、料理が下手なことだ。
だが、正子と同じく親友が作る道女の料理は絶品だ。いつかあれに負けないような料理を作りたい、と優は思っている。
「優も、料理上手くなりたいんだね?」
優は少し驚いた。
疑ったのだ。知らない内に、小声で自分の気持ちを吐露してしまってないかと。
正子は勘だけで、優の心を読み取ったのだろうか。
「顔を見れば分かるよ。
私は、口喧嘩とかで負けた事ないのくらいしか取柄無いけど、相手の微妙な変化から感情を読み取るのが得意なの」
物凄い特技だな、と優は感じた。
優にも特技はあるが、物凄く地味なものだ。
「なるほどな。それがお前の、お前だけの特技ってわけか」
そう答えると、正子の顔が僅かに陰りを見せた。
いけない事を言ってしまったのだろうか、と動揺するが、正子はそれに答える。
「いや、私のは特技なんかじゃない。
ただ逃げてきただけなんだ。
自分の考えたことに、自信が無いから、他人の顔色を見て物事を判断してきた。
それは人間としては、ただの欠陥品なんだよ・・・・・・」
人間は、いつか自立しなければならない。
他人の顔色を見て動くのではなく、自分自身の頭で物事を判断し、適切な行動をとらなければならない。
正子は頭の出来は良くないが、そこら辺は理解出来ている。
「良いんじゃないか?
特技ってのは、別に誰かより上の存在になる為にあるわけじゃねえって思う。
自分の弱点を補う為の技、それが特技だって私は思う。
他人より優れた特技なんて、持つべきじゃない。
それは時として、孤独を生むからな。
それに私は、私達の前にほぼ完璧に近い人間なんて現れるべきじゃないって思ってる。
私達、欠陥品同士で仲良くやってきたんだからさ」
だけど、知らなかったんだ。
寿奈が現れるまでは。
この願いは、寿奈が現れた事によって叶わなくなってしまった。
「そうね・・・・・・。無理に背伸びして、完璧になる必要なんてない」
正子は二個目の御握りに手を付けながら言う。
「優、もし私が落ちそうになったら、助けてね」
八重歯を覗かせて、正子に向かって返事した。
「ああ!
だから、思いっきり登ってみろ!」
「ん・・・・・・しょ。よいしょ・・・・・・」
再びゆっくりと、木をよじ登る正子。
その様子を、腕を組みながら凝視する優。
約束したばかりだ。
もし落ちそうになったら、優が全力で助けると。
そしてやはり、その時は来た。
「うわぁっ・・・・・・!」
木から誤って手を放し、落ち着きを失った正子が落下を開始する。
「正子ッ!」
落ちてきた彼女を、優は何とか体で受け止めた。
物凄く痛かったが、親友の為なら些細な事だ。
「だ、大丈夫か・・・・・・正子」
優は喉から絞り出すように、そう問う。
既に気絶しそうになっていたが、気力で耐えていた。
だから、なのか。
優は自分の目の前に映っている光景に、耐えることが出来なかった。
そこで過去の回想は、悪夢へと戻った。
その後どうなったのか、優自身も覚えていないが、その夢ではどうなったのか、はっきり覚えている。
それは、絶対その場に現れる筈の無い人物だった。
短い茶髪に黄眼の、紅い制服に身を包んだ少女。
「・・・・・・寿奈?」
あり得ない。
優が寿奈と出会ったのは、高校二年の時で相違ない、と優は判断している。
途中から、これが夢であることを忘れていたが、そこで思い出した。
「無様ですね・・・・・・優先輩」
冷酷にそう告げる寿奈。
再び、ただ只管闇が続く空間へと飛ばされ。
気付けば、優の姿も変わっていた。
身長は元に戻り、服装も紅いブレザーに。
そして目の前では、闇の空間に戻る前から見せられていた光景が続いていた。
幼い正子が、寿奈の手を取り立ち上がる。
そのまま背丈や服装も今の正子に戻り、ゆっくりと優の前から離れて始めた。
優には一切振り向かず。
声を返して欲しい。
自分の叫び声に、何かしら返答して欲しい。
そう思って、優は声を上げた。
「正子ッ!」
自分の声は、如何やら届いたようだった。
だが答えは、優が想定していた最悪の答えだ。
「アンタは、もう必要ないの。
アンタがいなくても、私には寿奈がいるから」
心臓が止まりそうになったのを、優は感じた。
だが、悪夢はこれだけでは終わらなかった。
「優先輩、貴女に服部先輩を渡すわけにはいきませんよ」
自分を正面から見つめる、寿奈の声。
何を言っているのだろうか、と優は思った。
「私は道女と、そして正子と三人で同じ場所で同じ時に死ぬって決めた。
だからお前如きに、正子は渡さない!」
自分としたことが、取り乱してしまったと、今は思う。
夢の中で、幻とは言え、部員を殴りそうになったのだから。
結局優が、幻の寿奈を殴ろうとしてすり抜けたところで。
夢は、そこで終わった。
「――!!」
眼を覚ました優は、片腕を目の上に持って行った。
ごしごし、と額を擦ると、そこには多量の汗が付着した。
その時に掻いた汗が、人生で一番気持ち悪かったと自覚するくらい、べちょべちょとしている。
息はまだ、荒いままだ。
水分を取らなければ、そして一早く正子と話さなくては、と自分の心が急かす。
上体を起こし、ベッドの近くの小さなテーブルの上で充電されている携帯端末に、優は手を伸ばす。
自分の身体の近くに置いてから、今度は先まで端末が置かれていた所の隣にあるペットボトルを手に取る。
キャップを開け、そのまま一気に飲み干す。
それでも、鼓動は落ち着かない。
端末をスリープ状態から解除し、時間を確認する。
まだ朝四時だ。
普通の人間なら、寝ている筈の時間帯。
正子が起きているか心配だったが、一か八かで優は電話を掛ける。
少しの待ち時間の後、正子は電話に出てくれた。
「起きてたのか、正子・・・・・・」
不思議とその時、声が出にくかったと記憶している。
次に正子が掛けてくれた言葉は、そんな優に対する心配だったことも覚えている。
『どうしたの優。息荒いわよ。
病気?』
「ち、違う。多分な」
早く言わなければ、と再び心が優を急かす。
だが良いのか、と優は思った。
所詮は夢の中の話なのだ。
いくら正子でも、夢で怖い思いをしたから、本当はどう思っているのか聞かせて欲しいなどと言ったら嫌な気分になるだろう。
だが、このままにしておくのも嫌だった。
「な、なあこれだけは答えてくれ」
『な、何よ・・・・・・』
言うんだ優。
約束しただろ。
「私達と寿奈が会ったのは、二年生の始め、であってるよな・・・・・・?」
『当たり前よ、どうしたのよ?』
ダメだ。やっぱり言えない。
顔が見えないと話し辛い。
「今日確か部活休みだろ。
放課後話そう。部室に来い」
それだけ言い残し、優は通話終了をタップした。
そのまま端末を握ったまま脱力し、ベッドに体を預ける。
疲れてはいたが、もう眠る気にもなれなかった。
頭痛と吐き気、そして何より鼓動が喧しいと感じているからだ。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
吐息はまだ荒い。
もうすぐ冬だというのに、体が熱い。
今も下着だけだというのに。
「・・・・・・」
優は一旦息を止め、そのまま端末とボトルの近くにあった黒いものを手に取る。
真ん中にある白いボタンを押すと、鋭利な刃がスライドして飛び出した。
飛び出しナイフだ。
正子や道女と誓いを交わしたその日に、こっそり三人分買ってきたもので、その一本を優は握っている。
所々、刃は赤黒い。
前はそうでも無かったが、寿奈が加入した後、正子があまり構ってくれなくなってから自傷行為の回数は増加した。
今でも傷が治らない箇所は、幾つかある。
この前の合宿で、風呂に入った時は正子達に、走った時に出来た傷だと明るく嘘を吐いたが、疑いの目を向けられていた。
言えるわけがない。
皆は、優を活発で明るく、体育会系の人間だと信じている。
そのイメージを壊すわけにはいかない、そして何より正子や道女に心配されたくない。
これは自分だけの秘密にしている。
そして優は、刃を手首に当てた。
切断はしないように、薄く傷を入れるようにスライドさせる。
シュッ、という音の後。
刃が手首から離れ、ナイフがなぞられた所からは緋色の液体が流れ出す。
そこで優の荒い吐息は収まった。
思考は冷静さを取り戻し、眠気が戻ってきた。
痛い、とは思わなかった。
寧ろ気持ちいい。
不安な時は、いつもこうしているのだ。
こうして血を見て安心することで、いつものように演じられる。
皆が求めている、『明るく活発な』優に。
「いつかお前が、私の命を絶つ日が来るんだよな・・・・・・」
ナイフを三人分買った理由――――それも共に生き、共に死ぬことを誓った日に。
単純だ。約束の為だ。
優と、道女、そして正子は同じ年に同じ場所で死ぬ。
そう決めているし、毎回自分に言い聞かせている。
しかし、偶然誰かが先に死んでしまったら?
病気やケガでの死は、誰にも予測出来ない。
だが追うことは出来る。
誰かが死ねば、二人でそいつを追う。
その為のナイフだ。
だというのに、自分のナイフは自殺に使う前からもう汚れてしまっている。
「私が身勝手なのも、異常なのも分かってんだよ・・・・・・」
優はきちんと分かっている。自分が異常だということを。
普通の人間の、普通の友情なら、絶対にありえないことだ。
道女も正子も、これは普通の人間の、普通の友情であることも理解している。
親友同士とは言っているが、彼女らにとっては普通の人間の、普通の親友同士の範疇でしかない。
だから、正子は寿奈や琴美とも普通に話している。
分かっている。
ダメなのは、自分だという事も。
でも我慢出来ない。正子も道女も、自分のものにしたいという衝動が消えない。
意識が途切れるその寸前、優は小声で囁いた。
「ちゃんと、話さねえと・・・・・・」
布団を握り、目を閉じる。
優は眠りについた。