イギリス人のファン!
千尋さんを連れ、私はホテル近くでタクシーを降りた。
「ありがとう!」
運転手にユーロを支払ってから、タクシーが去るのを見届ける。
「では、行きましょう」
「はい」
そのまま、ホテルに向かって歩き出す。
のだが・・・・・・。
「あれ、『Rhododendron』の杉谷寿奈さん?
それに『Rabbitear Iris』の雪空千尋さんもいる・・・・・・」
日本語・・・・・・。
それもかなり流暢だ。
聞こえた方を振り向くと、そこには日本人はいなかった。
代わりに、金髪碧眼のイギリス人が立っていた。
とても流暢に日本語を話せるようには見えないが、私達に声を掛けたのは彼女しかいないだろう。
予想通り、イギリス人の少女が私に近寄りながら声を掛けてきた。
「あ、あの! 杉谷寿奈さんと雪空千尋さんですよね!?」
取り敢えずそれに対して、「う、うん」と答えを返す。
「会えて嬉しいです! ちょっとついてきて下さい!」
「えっちょっちょっ!!」
そのまま私は、少女に腕を引っ張られながらどこかへ連れていかれた。
千尋さんも、それを追いかける。
「ここにしましょう」
「・・・・・・」
そこはホテルから、多分2キロくらい離れた場所にある公園だ。
取り敢えずベンチに座らされ、少女が自己紹介を始める。
「それでは、改めまして。
私はマリアと申します。イギリスと日本のハーフです」
なるほどね、そりゃあ日本語が流暢に話せるわけだ、と私は納得する。
「ところで、どこで私の事を?」
「実はお姉ちゃんがスクールアイドルをやっていて、それで貴女達の事を知ったんです」
「なるほどね」
私はこくりと頷く。
こんな日本から離れた場所に、私を知る者がいたことに正直驚いている。
これも運命なのかなあ、と心で呟いた後、私は問う。
「一番好きなアイドルは?」
「勿論お姉ちゃんです! でもその次くらいに皆さんが好きです!」
「ほうほう、『Rhododendron』だと誰が好きなの?」
「寿奈さんと~、琴実さんです!」
え~照れるな~。
私は頬を赤らめてから、もう一つ質問する。
「私のどこが好き~?」
「えーっと、可愛いところと、あとメンバーで唯一アクロバットダンスが出来るなんてカッコいいと思いますよ!」
「ありがとううう・・・・・・」
ああ、私は嬉しいよ。
私は自分の中では、自分のファンを見つけるなど、道に落ちているゴミを拾うより難しいし、こんな遠くで暮らしているなんて考えていなかった。
なので今、純粋に嬉しい。
こんな遠くでも、自分を応援している人はいたんだなあ。
「狼狽えないでください寿奈さん、はしたないですよ」
「ファッツ!?」
千尋に言われ、慌てて態度を正す。
わ、私としたことが。
少し調子に乗りすぎたようだ。
「それはそうと、寿奈さん達こそ、何故イギリスに?」
「優先輩達に会いにだよ。大学生の部に出ているんだ、私の先輩達」
「そうなんですか! 皆さんは卒業してからも、輝いているんですね!」
そう、先輩達は輝いている。
だが、私はそこにはいけない。
「ところで、寿奈さんは高校を卒業したと聞いたんですが、卒業後もスクールアイドルを続けるんですか?」
「え・・・・・・」
私が口を閉ざすと同時に、マリアの顔が少し陰りを見せる。
言えない。卒業したら、スクールアイドルをやめるとは。
だから、私は嘘を吐いた。
「も、勿論続けるよ」
「本当ですか!?」
「うん・・・・・・」
言いづらいものだな、と私は思った。
自分を慕い、敬う者に対して、包み隠さず正直に答えられる者など、多分いない。
だから、嘘を吐いてしまう。
だから、そうやって自分を本当の自分より大きく見せようとする。
私が自分からやめることをファンに言うのは、ファンにとって大事な思い出を踏みにじることになるのだから。
こうやって、嘘を吐くことしか出来ない。
「これからも、頑張って下さいね!」
「・・・・・・うん!」
悲しい顔はしない、全て終わるまでは。
たった今、そう決めた。
終わったら、沢山泣けば良いのだ。
「それでは、帰りますね。
勝手に誘っちゃってごめんなさい。
また会いましょう!」
「あ、マリアちゃん」
「どうしたんですか?」
去ろうとするマリアを、私は呼び留める。
「今度日本で、私達のイベントやるから、良かったら来てね!」
「本当ですか!
是非、行かせてもらいます。
では、今度こそさようなら!」
マリアは手を振って、今度こそその場から立ち去った。
勿論、腕を引っ張る時並みに速くだ。
それを見届けた後、近くにいた千尋が私に声を掛ける。
「本当はどうなんですか?」
「え?」
「さっきは、続けると言っていた。
でも、さっきの言い方だと、嘘なんですよね。
私にだけは、教えて下さい。
きっと、それは真宙も知っているのでしょう」
勘が良いな、とこの時私は感じた。
千尋さんの勘が良い事は、私は承知していたが、まさかここまでとは思っていなかった。
「ええ、やめますよ」
「・・・・・・!」
真実を知り、驚く顔をする千尋さんに対して、私は続ける。
「約束していたんですよ。
ブラジル留学をやめる時に、スクールアイドルとしての活動を全うしたら、戻ると。
だから契約では、感謝祭が終わった次の日、つまり四月一日には、日本を出ないといけないんです。
そしたらもう、私はしばらく日本に帰れない。
皆にも、会えなくなるんです」
「そうだったんですね・・・・・・」
もし選べるなら、プロのサッカー選手として、多額の金を得る可能性を放棄してでも、大学でスクールアイドルとして生きる道を選びたい。
だが、期待されている自分には選ぶ権利がない。
それも、運命。
逆らえない定めなのだ。
「ファンには、それを知られたくないんです。
私は嬉しかったんです。
今日、私のファンだって言ってくれた人が、私と会えたことを喜んでくれた。
あの子は、笑顔だった。
そんな子から、笑顔は奪えません。
アイドルは、人々に楽しい時間を与えるのが仕事なんです。
だから、嘘を吐いてでも、笑顔は守り通したいんです」
「それでも、ファンに嘘を吐いたらダメですよ」
とくん、と私の心が動くのを感じた。
教えるように、私に言う千尋さんを見つめ、彼女の言葉に耳を傾ける。
「勿論、私のように黙って逃げるのもです。
自分がしたことに責任を持つのは、どこの世界でも同じ。
私はファンに何も言わず、スクールアイドルをやめたことを、今でも後悔しています。
それに、一番私の事を好きだった人を傷付けてしまった。
そうです寿奈さん。アイドルは与えるのが仕事。
ですが、私も人から笑顔を奪ってしまったんです。
それも、数えきれない人から」
一番のファンと言われて、誰の事か、私には分かっていた。
彼女の妹――真宙の事だ。
「きっと、分かってくれますよ。
スクールアイドルは限られた時間の中でしか出来ない。
それは、皆心のどこかで思っていることです。
寿奈さんも、今回の感謝祭で終わらせるのですよね?
全てを」
「はい」
「次に、マリアんさと会った時には、きちんと謝った方が良いです。
それは、貴女の責任です」
千尋さんが、どこを見て話しているのかは、分からなかった。
それでも、一人のスクールアイドルとして、数えきれない程の人に迷惑をかけたことに、罪悪を感じている顔をしているのは分かった。
「あの時の私は、分かったフリをしていた。
でも、分かってなかった。
一度頂点に立っただけなのに、それで調子に乗った。
だから芽衣さん達のチームにも、貴女達にも負けた。
理解した頃には、もう遅かったんです」
それは私も同じだった。
服部先輩が、私の為に命を賭して動いてくれていた。
もし失敗すれば、逮捕されるかも知れない。
それを分かった上で、私如きの為に動いてくれた。
だが、それに気付いた頃には、もうこの世に先輩はいなかった。
先輩の遺志を継ごうと、優勝しようと頑張ったが、結局芽衣には勝てず。
説得にも失敗して、芽衣も殺してしまった。
どれだけ時が経とうと、優勝しようと。
その事実だけは、永遠に消えない。
「貴女は、どうしたいですか?
自分の犯した、罪に対して」
そんなの、決まってる。
「背負って、生きますよ。
忘れて生きようとはしません。
服部先輩の死も、芽衣の死も、自分の命が尽きるまで引きずって生きる。
地べたを這っても、泥を啜ってもです」
千尋は目を閉じて、頷いた。
そして再び尋ねる。
「それが、苦しい選択と気付くことになっても、後悔することになっても、ですか?」
「はい。それが私の覚悟です。
業を背負って生きる。
罪人として生きることになっても、それを投げたりはしない」
「その言葉が、聞きたかったんです」
千尋さんは、そう言ってから、再び私を見た。
その顔は、微笑んでいた。
「寿奈さんのおかげで、自分はどう生きるべきか、分かった気がします。
ありがとうございます」
「そ、そんな大袈裟ですよ」
私は謙遜しながら、少し後退する。
「私はそんな、凄いことは言ってません。
人として、一番大切な事だと思っただけです」
「それでも、凄いです。
人は、忘れ、乗り越えようとしますが。
寿奈さんは、あえてそうしようとしない。
そこは、寿奈さんの良い所かも知れません」
私の、良いところか。
寿奈は今まで、自分は冷たい人間だと思っていた。
人の事に興味を持てず、独りよがりだったと今では思う。
それが、他人を頼れるようになり。
自分は、人と付き合うのに適する人間に成長したと思っている。
「私も出来るなら、寿奈さんみたいに優しい人間になりたい」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。
貴女みたいな人間が、一番好きです」
「ありがとうございます」
「あと、それから」
「はい?」
千尋さんは、少し照れながら続ける。
「これからは、敬語は無しにしませんか?
折角、友達であることを認めあったのですから」
「勿論、良いですよ。
よろしくね、千尋ちゃん」
「こちらこそ、よろしく。
寿奈」
私と千尋さん――いや千尋と握手をした。
千尋と話し終えた後、もう時計は午後五時をさしていた。
日の入りを迎え、空は既に暗い。
私は千尋さんと共に、公園から急いで先輩達のいるホテルに向かう。
「少し急ぎましょう」
「はい!」
赤に変わろうと点滅する横断歩道を駆け、地面を見ながら走る。
全速力で駆けているが、それでも2メートルを1秒で駆け抜けるのが精一杯だ。
呼吸を整えながら、走り続ける。
「そろそろ着きますよ!」
気付けば、ホテルの看板が見えた。
ラストスパート。
本気で残りの距離を駆け抜け、私はホテルの入口を開いた。
そのまま受付の近くまで駆け寄り、英語で問う。
「Excuse me.Do you have Ms kotomi in what room number?」
「She`s room number is 709」
「thank you」
「you`re welcome」
一連の会話を済ませ、千尋と共にエレベーターに駆け乗る。
英語での会話は、最初は緊張していたが、もう大丈夫だった。
709号室とは言われたが、恐らく八階だろう。
イギリスでの一階は二階、二階は三階だからだ。
『7』と書かれたボタンを押し、到着を待つ。
ウイーン、という音と共に動き、到着と同時にガタンという音が鳴る。
英語で現在地が7階だというアナウンスを聞き、そのまま709号室まで駆ける。
インターホンを鳴らすと、ピンポーンという音が鳴り、近くのスピーカーから部屋の主の声が聞こえた。
『はい、風魔です』
「私です。寿奈です!
お久しぶりですね!」




