個別エンディング 黒野空良編『まだ、負けるわけにはいかない』
「チェックメイト」
空良の声が、教室内に響き渡る。
「ま、負けた・・・・・・」
対戦相手はがっくりと膝をついて、その場をあとにした。
これでこのクラスで自分と戦っていない者はあと一人。
寿奈がいない故の退屈凌ぎの為に、学校で始めたことだが、自分を追い詰める者が一人も現れていない。
黒いポーンを手で弄びつつ、空良は静かな声で呼んだ。
「最後の一人、出て来いよ」
「うん」
最後の一人は、若干弱々しそうな顔をした子。
見た感じゲームが得意そうには見えないが、空良はそういう外見で相手を判断しない。
相手の心を読む。
視線、小さく聞こえる心臓の鼓動、動き。
まず視線は、空良に集中していた。自分が勝つとも、負けるとも思っていない。ただ純粋に勝負をしようと思っているのが分かる。
鼓動は安定している。恐らく緊張もしていないのだろう。それは挙動にも現れており、特にそわそわと落ち着かない様子はない。
「先手は譲るよ」
比較的落ち着いた声音で、有利になる要素を譲る。
だが、空良には絶対的な自信があった。
チェスというゲームは、互いが最善手を打ち続ければ必ず先手が勝つことが出来る。
尤も、普通の人間にはそんな事は不可能なのだが。
もしそんな人物がいるのだとしたら、空良はそんな人と勝負をしてみたい。
「ポーン」
相手はそう言って、ポーンを前に出した。
空良も同じく、ポーンを前に出した。
――。
たった数分で、戦局はかなり変わった。
いつも通り空良が優勢、とはいかず、不可解な事態が起きていた。
相手が、動かし方もほとんど分からないド素人だったのだ。
それがどうした、と思うかも知れないが空良にとってそれは大きな意味を持つ。
駒の動かし方まで分からないレベルまでくると、知らず知らずの内に相手が悪手を打つのだ。
此方は常に最善手を予測し、そして相手の表情などからわざと善手を打とうとしているのか、はたまた悪手を打とうとしているのかを予測しているというのに、こうなると予測が出来ず複雑だ。
まるで、チェスを知らない頃の自分のようだ。
思えば昔は、そんな無茶苦茶な戦法で敵を倒していたものだ。
最善手や悪手などが分からなかった頃、空良はただただ勝とうと駒を配置していた。
だが次第にチェスのルールを覚え、今に至っている。
駆け引きは続き、事態は恐ろしい方向へと向かった。
「・・・・・・!」
相手が空良をチェック。
ここ数年無かった事態だ。
しかも駒をよく確認すると、空良がどうキングを動かしてもチェックになってまう状況だった。
だが、空良も同時に相手をチェック出来る状況にある。
この時点で、勝ちは無理だが・・・・・・。
「チェック・・・・・・お前は凄いよ。
私を引き分けにするなんてな」
「え、ええ?」
対戦相手も驚いていた。
空良は、パーペチュアルチェックに持ち込んだのだ。
――それにしても、こんな相手がいるとはな。
自分とは対照的な者。
ルールを知らないからこそ、直感で動ける者。
ある意味、思慮深く行動する自分よりも手強い存在なのかも知れない。
「・・・・・・だが負けるわけにはいかない」
チェスも、アイドルも、これからは空良が率いて行かなければならない。
まだ春季大会も始まっていない。
まだ駒の動かし方は、分からないままだ。




