運命の日 その二
「始まったか・・・・・・」
物陰に隠れながら、空良はポツリと呟いた。
今は警備兵に異常がないことを確認しつつ、捕縛するチャンスを伺っている所だ。
あとは重美が来るタイミングさえ予測出来れば、安全に捕縛出来る。
――だがあの強さだ。油断は出来ない。
空良に重美のような剣士と戦うような力はない。
第一空良が教わったのは、振付の為の格闘術なのだ。
音楽が始まるのは、二曲目と三曲目の間。
時刻表によると、夜八時からとなっている。
恐らく大半の人は、この時刻の意味を知らない。
だが心理学にある程度詳しい空良なら分かる。
この時間は人の集中力が高まる時間、らしい。
故に洗脳には最も適した時間だ。
一方、北子は。
運営のテント内で、警備員が近くにいるにも関わらず目を閉じていた。
精神統一をしているわけでもなく、彼女は眠っていた。
遠い遠い、昔の事を思い出しながら。
「下手だね、君」
ダンススクールで、北子にとって初めてのコンテストが行われた時に言われた言葉だ。
その言葉を吐いたのは、北子の一割程度しか個人レッスンを受けていない元友人。
実力の差があったとは言え、自分よりも練習していない人に言われたのが、悔しくて仕方なかった。
それにダンスは、北子にとって生き甲斐とも言えるものだった。
下手と否定されることを何よりも恐れていたのに、ついにそう言われてしまった。
だけど、落ち込んで震える北子に、コーチはいつも言ってくれた。
「北子ちゃん、大丈夫だよ。
人は一回で完全成功するようには出来ていないのよ。
だから目標を達成する為に、何十回、何百回も経験を積み重ねることが大事なんだよ」
言われた通りにしても、出来た試しは無かったが。
北子はそのコーチの言葉を、いつまでも忘れたことはない。
良い意味でも、悪い意味でも。
言葉を信じて、努力すれば必ず成功すると思っていたのに。
それは、北子の経験上は嘘だったのだから。
そしてスクールアイドルになり、高校三年での最後のライブ。
一度も勝つことが出来ずに、北子は高校を卒業した。
そこまでは、北子もコーチの言葉を信じていた。
大学に入り、一年が経ち、北子は真友と出会った。
「前での生活に満足いかなかった。
貴女は今、そういう顔をしていますね?」
緑色の彼女の瞳は、北子のやつれた顔ではなく心を見抜いているようにも感じた。
最初は、変な人だと感じていた。
関わるべきではない、そう思って離れようともした。
だが。
「待ちなさい。
少し、貴女と話がしたいです」
そのまま北子は、あったことの全てを話し。
真友も、自分が何者なのかということを、全て話してくれた。
「私は、間違ってないわよね。
努力すれば、今度こそ夢は
「叶いません」
刃のように鋭い言葉で、北子の言葉を切った。
「この世の人間の多くは、気付いている筈なんですけどね。
まさか貴女みたいに、人の言葉を馬鹿正直に信じる愚か者がいたとはね。
でも、貴女は私の教え子と違って、死ぬ前に気付かせることが出来た。
だから、運が良い」
「貴女、自分の教え子の事をそんな風に
「いけませんか?」
再び遮る真友。
「あの人は、馬鹿なんですよ。
大した能力も持たない人間の分際で、試合に勝っても勝負で負けた。
私が知恵を与えなければ、あの人はただの人間として生きていた筈ですからね」
北子には、真友の言葉が不気味に思えた。
まるで、自分が人間じゃないかのように、人間を見下しているその言葉が。
「貴女は、人間じゃないの?」
「人間です。ですが貴女方のような凡人とは違う。
私は生まれながらの天才なんです」
北子は悟り、そして確信した。
この底の無い瞳の彼女は、嘘など吐かない。
それどころか、他人が嘘を吐いていることさえ見破ると。
「人間の勝敗、優劣は生まれた時から決まっています。
どれだけ努力しようと自分以上のものに勝つことは出来ませんし、逆に言えば、強者は何の努力もなしに努力を積み重ねた人間を潰すことが出来る。
人間の勝敗は、生まれた時の優劣が全てなんです。
だけど人間は、それを否定して努力した者が勝つと謳っている。
気付いている筈なのに、ね。
人は自分に都合の悪いことは認めたくない生き物ですからね。
この私も、かも知れないですけど」
幼い時、コーチに言われた言葉と全くの逆のそれが、北子の脳内で何度もリピートされた。
幼い頃真実だと信じていたものが、今では嘘に。
幼い頃嘘だと信じていたものが、今では真実に。
「・・・・・・ッ!」
その言葉をかき消すように、北子は歯軋りをした。
既に、この少女の言葉で狂いそうにはなっているが、これ以上聞いたら自分は戻れない。
そんな気がしていた。
「貴女の通う大学は、数ある理数系の学校の中でもトップクラスのものですよね?
ならば、もしかしたら私が知識を与えればあれを作れるかも知れませんね」
悪い笑みを浮かべる真友に、北子は問う。
「それは、何?」
「貴女が欲しがりそうなものですよ。
貴女が自分の好きな分野で絶対的勝者になれる唯一の方法を、私は知っている。
どうですか? 教えてほしいですか?」
「・・・・・・」
この狂気じみた少女の質問に、はいと答えるべきか、北子は数分ほど迷ったのを覚えている。
だが、自分にはもう素人のアイドルとして活躍出来る場などないことに、すぐに気付いてしまった。
もうどうにでもなれ、考える内にやけになった自分はこう答えた。
「教えてほしい。
どうすればいいの」
「いいでしょう。私が洗脳音楽の製法と製作の為の金を支払いましょう」
真友は自分の主君から得た大金で、北子の希望する研究所を与えた。
製作の為に必要な知識も一部与えられ、完成した際にどう発表するか、なども全て指示した。
途中起きたアクシデントと言えば、真友が逮捕された事ぐらいだが、真友は自分が逮捕される前には製作に必要なものは全て教えていた。
そして、今に至るというわけだ。
北子が目覚めた時には、既に二曲目が終わろうとしていた。
時刻は八時近い。
警備兵が近付くのに気付いていながら、北子はボタンに人差し指を近付けた。
――これで、世界が変わる。
ボタンを押すと同時、警備兵が北子目掛けて突撃する。
しかし警備兵は、北子を取り押さえられなかった。
二つの刀を持つ、少女が。
風のように、警備兵を通り過ぎ。
気付けば、上半身と下半身の二つに分けられていた。
「・・・・・・」
「信じていたよ、剣」




