真剣を手にした日
沢山の穴から迸る水滴が、自分の身体についた汚れを落としていく。
そして、自分の雑念すら落としていくように。
落ち着いた後、秀未は湯船の中に身体を入れる。
そして、自分の全身を確認する。
「・・・・・・」
声には出さなかったが、秀未は昔との違いに改めて気付いた。
成長した。身体も、そして心も。
女らしい身体になっただけではない。昔よりも強く、どんな相手でも勝てるくらいになれた。
唯一、兄を除いて。
兄は自分とは比べ物にならないレベルで強い。
秀未は兄と何度か剣を交えたが、一度も勝てていない。
既に兄は、明智道場の家督を継ぎ、隠居し、別の仕事についた父に代わって明智家の家計を支えている。
「兄上・・・・・・」
明智道場の家督に、男が継ぐというルールや、明智家から選ぶ義務はない。
明智家内部の人間と、明智道場の入門者の中から一番能力が秀でている者が、明智道場の師範となる資格を得る。
そして父が選んだのは、兄だったのだ。
風呂から上がった後、秀未はその兄の部屋に足を踏み入れた。
兄はこの時間、まだ帰っていない。
もしこれが知られれば、兄だけでなく、父にも怒られてしまうだろう。
部屋に入ったことが、ではない。
秀未がこれからしようとしている事が、である。
そして秀未は、それの前に立った。
一本の刀。勿論木刀ではなく、真剣だ。
この剣ならば、人を簡単に傷付けることが出来る。
そして、寿奈の仇を討つことだって出来る筈だ。
「・・・・・・」
そこで秀未は、躊躇った。
先祖代々からの規律と、仲間の敵討ち。
どちらを優先するべきなのか。
秀未が見ている刀は、戦国時代頃に打たれたものだ。
明智道場の歴代当主が受け継ぎ、今に至るもの。
だがそれ故に、きちんとした規律が存在する。
幼い頃、まだ父がこの刀を持っていた頃に、兄がこの刀に触れ、父はそれを叱責した。
この刀は、当主以外何人も触れることが出来ないのだ。
ましてや、そんな刀で人を傷付けるという行動をしたならば、勘当される可能性だってある。
ここでの選択が、自分の運命を変えてしまうことだってある。
だが、秀未には迷っている時間は無かった。
「秀未?」
不意に聞こえた声。
しかも気すら感じ取れなかった。
自分の存在を悟られぬように、自分の背後をとるなどという真似が出来るのは、この家に住まう者ではたった二人。
今は自室にいる父か、それとも。
「兄上・・・・・・」
秀未は振り返る。
そこに立っていたのは、黒髪青目の中性的な顔立ちをした男だ。一見、強そうには見えない。だがそんな彼こそが、秀未の兄。
明智道場当主・明智三栄だ。
「何をしていた?
答えろ」
単刀直入に、三栄は秀未に問う。
当然だが、この兄に嘘は通用しない。
嘘を吐こうものなら、すぐにでも怒るだろう。
しかし・・・・・・。
「あの、刀を・・・・・・」
「まさか、刀に触れていないだろうな?」
鋭い目つきで睨みつける兄。
秀未は目を閉じる。普段無表情だが、兄の前では違う。
木刀を向けられる寸前、秀未は勇気を出して答えた。
「確かに、触れようとはしました。
ですが兄上、私にはどうしてもこれが必要なのです」
兄にそれを言って、聞いてもらえるかなんて分からない。
だが、友の為なら仕方ない。
「何故だ?
秀未。お前は何のために、その剣を振るうつもりだ」
「え?」
「お前は僕に似ている。
だから、お前が規律を破る時は、僕が規律を破る時と同じ理由だと思っただけだ」
兄は木刀を腰に戻す。
腕を組む兄に、秀未は誠実に答えた。
「私は、友の為に振るいたいんです。
友を助ける為、友の仇を討つ為に、どうしてもこれが必要なんです」
少しの沈黙。
その後に、兄が秀未に訊いた。
「それが理由か」
「はい」
兄は秀未の目を。
秀未は兄の目を。
見つめ合っていた。
再び沈黙の後、三栄は刀を手に取って、秀未に手渡した。
「明智家家訓、家督を譲る権限があるのは、当主のみ。
一時的に家督を、明智秀未。お前に譲る。
明智の名に恥じぬよう、これで存分に戦え」
「はい!」
こうして秀未は、刀を受け取った。




