調査 その二
扉は固く閉ざされ、近くでは看守が座りながら見張っている。
それが、自分が今いる世界。
ベッドに座り、書物に向き合いながら、星夜真友はあの日の事を思い返していた。
完璧である筈の自分が、初めて敗北した日を。
思えば、真友は反省というものをしたことが無かった。
する必要が無かった。
一度も負けないのだから、何故勝てたのかを考える必要は無いし、負ける理由は尚更考える必要が無い。
だから、最初はこうなった時、混乱して何も考えられなかった。
自分以外の人間に対する傲慢さが、あの時の敗因であり、今こうして自分が悩み続けている理由だと、真友は思う。
人間として生まれたのだから、孰れは誰かが自分の上に立つ可能性も考えて生きなかった故に、こうなってしまった。
自業自得とは、こういうことだ。
だが時間が経つと、真友もこの暮らしに適応することが出来た。
刑務所暮らしが、外の世界の暮らしより楽だと悟ったのだ。
労働の賃金は低いが、食事や寝起きする場所は保障されている。
そして何より、滅多な事で命が危険にさらされることが無い。
質素な暮らしになる事を除けば、真友にとっては最適な環境だ。
そんな真友の所に、女性警官が一人やってきた。
「囚人番号二千五百番。面会を希望する者がいる。
ついてこい」
扉が解錠される。
本を机に置き、真友は外に出る。
移動前に手錠をはめられた後、二人に肩を掴まれる形で面会室まで連れていかれた。
「誰がいらっしゃったのですか?」
「それは行けば分かることだ」
真友の仲間は、真友より軽い罪で収容され、あと一ヶ月もすれば出る事が出来る。
だが面会は出来ない。
故に、真友と面会しようと思った者が誰なのか、自分には見当もつかない。
刹那家との関係は、逮捕直後に途絶えている。
フュルスティンの学校関係者もあり得ないだろう。今収容されている仲間は無期限停学の扱いだが、真友は主犯として退学処分となった。
誰が来るのか、非常に興味深い。
真友が座ってすぐ後に、相手も真友とは反対側の部屋に入室した。
赤い制服に身を包む、黒髪と茶色の瞳の少女。
真友にとっては、忘れようと思って忘れられるような存在ではない。
何故なら真友にとって、たった一つの失態だったのだから。
出来損ないの人形を見る目をして、真友はそれに問う。
「何をしにきたんですか?」
「すみませんが看守さん、時間まで外で待っていてもらえますか?
少し大事な話をするので」
真友の質問の前に、空良は看守に頼んだ。
少し疑いの目を向けられたが、空良は気にしていない。
看守がいなくなってから、空良が話を切り出した。
「この書類を見てくれ」
空良が見せたのは、真友でさえ忘れかけていたものだった。
灰原北子の『皆が納得する音楽』の研究。
資金援助者の欄には、勿論自分の名前も書かれている。
だが真友がしていたのは、何も資金援助だけではない。
作成方法の一部を指示したのも、真友である。
真友が提示した条件と引き換えに、北子に技術と資金の一部を提供した。
「確かに、それは私が協力していた実験の資料ですね」
「アンタが関わっている研究だ。
だからあいつらの所に襲撃する前に、アンタに話を聞く必要があってな。
説明してくれ」
強い言葉で、空良は真友に命令する。
「良いんですか? 私に命令なんてして。
それで教えると思います?」
真友が笑う。
空良も、真友と同じく笑う。
同じ笑いだ。身の程知らずに、向ける笑い。
真友が笑う理由を問う前に、空良が口を開く。
「アンタ、自分の立場分かっていってるのか?
それに私には、アンタに言う事を聞かせる大きな武器を持っている」
空良の言葉で、真友は落ち着きを取り戻す。
冷静に、まずは空良の話の続きを聞く。
「パワースーツの事が刹那家に気付かれないよう、口止めの為に刹那家の執事を殺しただろ?
アンタ」
今度こそ、真友の背筋がぞわりと震える。
空良の言っている事は、ハッタリなどではない。
紛れもない事実。何故それを知ったのかは、分からないが。
恐らく、刹那家に侵入し情報を得たのだろう。だが今はそんな事はどうでも良い。
殺したのは一人二人の話ではない。六人以上は殺している。
無論、他の執事に罪を擦り付けている。
それでも大丈夫だった。
真友の家は、代々刹那家の教育係として仕えている。
故に、真友は一番信頼されていた。
あの日、捕縛されるまでは。
「そうだよな、あのスーツの事がバレれば、アンタは信頼を失う。
何故なら、刹那家次期当主となる筈だった刹那芽衣に完璧になる事を徹底させたのだから。
芽衣って奴は選手を棄権させるとか色々してたみたいだが、アンタはなるべくその手を使わないように指導していた。
その教えた当人が、芽衣以下と分かれば終わりだからな。
信頼を失いたくなかったんだよな?
だから隠した。違わないだろ?」
脅迫だ。脅迫以外の何物でもない。
だがこれで分かった。看守を部屋から出るように頼んだ理由が。
「大人しく説明してくれるなら、黙っててやる。
もし説明しないのなら、アンタは殺人罪で再逮捕だ。
こんだけの人数殺したんだ、死刑だってあり得るぞ?」
真友は、息を飲んだ。
これを言われるまで、気付けなかった。
自分の生殺与奪の権利を握っているのは、目の前の少女である事を。
そのことを理解して、真友は態度を改める。
「分かりました。
何の情報を提供して欲しいのですか?」
「では、この研究が何なのか。
そして、寿奈姉さんを殺すことになった理由。
この二つについて答えてもらおうか」
単刀直入に、ほぼ答えに近い質問をチョイスした空良。
無論真友と長話をする気などないだろう。
「そうですね、まず後者から答えましょうか。
寿奈さんを殺した理由。
単純ですよ。脅威となり得るからです。
私の知る限り、貴女と寿奈さんが一番危険な存在です。
貴女を生かしておいたのは、一人を殺しておけば貴女の心を折れると思った故ですが、失敗ですね」
だがそこで、空良が再び笑う。
「違うだろ?
本当の理由はそうじゃない筈だ。
アンタは知っていた筈だ。私の性格を。
そうだと知っても、アンタは私を生かしておきたかった。
それだけの理由があって、私を生かしておいたんだろ?
言ってみろよ、この研究が何なのか、そして私を生かしておいた理由」
流石私を倒しただけの事はある、と真友は少し感心する。
そして、真友も空良とは対照的な爽やかな笑みで答えた。
「良いでしょう。
この研究が何なのか。それについてお答えしましょう。
とその前にまず、聞きましょう。
貴女は、ヒトラーをご存じでしょうか?」
「まあ知っているさ」
ヒトラー。
ドイツの総統で、第一次世界大戦近くに活躍していた人物。
ユダヤ人を使った数々の人体実験で有名である。
「そのヒトラーが、音楽で人の心を操っていたのは知っていますか?」
「そうなのか?」
「流石の貴女もそこまでは知らないようですね。
ヒトラーはワーグナーという人の音楽を好んでいたそうなのですが、ヒトラーはその人の音楽の特性を活かして、自分の思想は正しい、と思いこませていたんです」
簡単に言うなら、それは洗脳だ。
しかし音楽の特性を理解していなければ、その音楽を洗脳道具として使う事は出来ない。
理解しきれていれば、人は音楽で他人を洗脳出来る。
そもそも、音楽はムードを作るのにも利用される。
楽しい音楽なら楽しい雰囲気を作る為に、悲しい音楽なら悲しい雰囲気を作る。
「音楽でも、人は洗脳出来るんです。
ですが、それには個人差があります」
同じ映像を見ても、泣く人もいればそうでない人もいる。
ものの感じ方は人それぞれだ。
一般の音楽で真友が思っていることは出来ない。
「ですから、灰原博士に相談して、人を洗脳出来る音楽の研究に着手してもらいました」
「・・・・・・もしかして」
それだけで、空良は気付いていた。
いや、気付かない筈がない。
「そう、サブリミナル効果を応用して、完全な洗脳音楽を作ってもらっているんですよ。
黒野空良さん。貴女も洗脳する為にね」
「ッ!?」
これには、流石の空良もハトが豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。
つまり真友が言いたかった事は、こういうことだ。
「黒野空良さん、貴女の負けです」




