空良と火奈乃 その三
約束の日。
その日は、雨だった。
真友達は東京へ、空良は単独で滋賀に残っていた。
それが偽りの無い事実であることは、携帯端末のアプリで確認済みである。
お互いの場所を共有出来る仕組みになっており、そこで何があったかは把握出来ないまでも、どこにいるかはすぐバレる。
お互いがお互いを監視し合える、ということだ。
空良が今いるのは、とある住宅の前だ。
特に変わったものの無い、平凡な一般住宅。
だがここには、寿奈とアイドル界で戦い続け、そして死んだ者の家族がいるのだ。
「寿奈先輩、悪いね・・・・・・」
この光景を、寿奈が見たらどう思うか、と空良は心の奥底で警戒していた。
だが今は周りに、誰の気配も感じない。
秀未が寿奈に話していたのを聞いて、空良も少し他人の気配を感じることが出来るようになったのだ。
インターホンを押すと、家の主――正子の母の声が聞こえた。
『はい、どちら様でしょうか?』
なんて答えるべきだろうか、と一瞬考えた。
確か正子の死以来、正子の事を名前だけしか聞いたことの無い者や、正子の友人、そして寿奈でさえもこの家に来たことは無かったらしい。
そんな状況で寿奈も連れず、単独で空良が来ても、不思議に思われるだけだろう。
だけど・・・・・・。
『たまには、考えずに、そのまま行くことも大事だよ』
寿奈の言葉。
不思議だ。自分は寿奈を裏切り、寿奈を退部させた張本人なのに、寿奈の言葉に従おうとしている。
何故だろう。分からない。
「黒野・・・・・・黒野空良と言います。
服部正子さんの後輩です」
流石にスクールアイドル部である――正確にはあったことは伏せた。
寿奈にも退部させた以上、空良自身も退部を認めなければならないし、退部したならその部の名前を背負うことなど出来ない。
『スクールアイドル部の人なの?』
落ち着いた声で問う正子の母。
それにはい、と答えるべきか迷った。
空良はもう、スクールアイドルじゃないのだから。
「いえ、元です・・・・・・」
元、と言うのも躊躇いながらだった。
そもそも空良は、スクールアイドルでは無かったのではないか?
ただ寿奈の観察だけを目的にして、部の活動には全く興味が無かったのではなかったか?
部に来ているのに、部に興味を持たず、ただただ蔑ろにしてきた。
そんな活動の仕方は、果たして部に入っていると言って良いのだろうか。
断じて、否だ。
だけど、空良自身も自分の考えている事がおかしいと気付き始めていた。
何故、自分のしていることに罪の意識を感じているのだろう。
何故、退部させられた後少し後悔しているのだろう。
何故、空良はここに立っているのだろう。
『久しぶりね。上がってもいいよ』
ドアのロックが解除され、空良はノブを捻って後ろに開いた。
玄関には正子の母親らしき女性は立っていない。
当然だ。今時の家は、ドアの施錠/解錠を携帯端末のアプリで行う事が可能なのだから。
それでも人をもてなすのならば家から出るのが普通だが、事情があるのだろう。
空良は玄関で靴を脱ぎ、整えてから、明かりが点いている部屋のドアへと向かう。
ドアを二回ほどノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
丁寧にドアノブを捻り、前に向かってドアを開く。
そこはリビングで、既に飲み物を準備し終え、ソファに座る正子の母が笑みを向けていた。
両手で腹を覆うようにして。
「・・・・・・」
空良は正子の母が座っているソファの正面にあるもう一つのソファに腰かける。
そこには、空良の予想通りのものがあった。
赤の短髪に、赤い瞳の美しい女性のそのお腹は、膨れていた。
恐らく、身ごもっているのだろう。
あまり動かなかったのも、恐らくはそれが理由。
「気になるの?」
空良が指摘する前に、正子の母が問うてきた。
向ける笑顔に悪意はなく、純粋に空良に対して興味を向けているのだと感じることが出来た。
「はい」
空良は安心して笑みを浮かべた。
「ふふ・・・・・・。正子には悪いかなって、あの人と考えたこともあったんだけど、それでもこの子を育てたいって、そう思ったの」
空良も、妊娠した経験は無いものの、受精した経験はある。
援助交際の後、高容量ピルで妊娠を回避したことは何度かあり、その度に吐き気と気だるさを感じては、学校や家で嘔吐していた。
だが空良に、それによって誕生した命が犠牲になったことに一々気付いているような余裕は無かった。
援助交際は、あくまで家族を持たない自分が生きる為の手段。
そこに快楽も痛みも無ければ、愛も当然存在しない。
そしてそれによって、自分が本当に愛する人を見つけた時に子供を身ごもることが出来なくなる危険性についても、空良は気にしたことは無かった。
ただ一つ言えるのは、そいつらの言動は考えている事と矛盾しているということだ。
『愛してる』という言葉も、所詮自分の身体に対してだけ。
相手の心理を意識して読もうとしなくても、それだけは考えれば分かることだった。
「どうか、したの?」
心配そうに此方の顔を覗く正子の母。
「あ、いえ・・・・・・」
少し、考えすぎてしまった。
自分がここに来た目的はそれじゃない筈だ、と気持ちを切り替える。
「今日は、正子さんの話を聞きにきたんです」
今度は、正子の母が俯く番だった。
自分としたことが、不注意だったと反省する。
だがこれだけは、個人的に知っておきたかった。
杉谷寿奈という人物が、どのような人物の下で育ち、あのようになったのか。
それだけ聞いたら、空良は『Rhododendron』を潰すつもりだ。
「あの子は昔、臆病で泣き虫だったわ。
でも、他人を思いやれる優しい子でもあった。
だから、優ちゃんや道女ちゃん以外の友達は、大体一人でいる事が多い子だった。
寿奈ちゃんもそうだった、って聞いてる。
そしてそんな大勢の人に支えられて、高校生になってからは、明るい性格になって。
でも、その時も昔も変わらないのは、あの子には必ず沢山の人が寄り付いてくるってこと。
あの子の周りは、楽しそうだった。
寿奈ちゃんも、正子はおかしいところもあるけど、優しい人だって言ってた。
正子は多分、弱い人の気持ちを分かってあげることが出来る子だったの。
だから、正子に教えられて育って寿奈ちゃんの顔を、今じゃ見たいって思える」
「でも・・・・・・」
そこから先は、空良の全く意図していなかった事が起こった。
絶対に話すまいと決めていた事を。
「私は、寿奈先輩を裏切ってしまいました・・・・・・。
もうどうしたら良いのか、私には分からないんです」
それは偽りの無い本心だった。
このまま作戦通りにしたい自分と、作戦を蹴って助けたいと願う自分。
迷うくらいなら、何もしないで成り行きに任せたいと願う自分。
どれが自分なのか、分からない。
「寿奈ちゃんは、寿奈ちゃんなりに空良ちゃんの気持ちを理解しようとしていた、と思うよ。
君は、私に初めて会った頃の寿奈ちゃんに似てるから、寿奈ちゃんもどこか君を自分と重ねていたんだと思うよ」
「え?」
空良は理解しきれていなかった。
「君は、一度正子と話すべきだと思う。
だから、ここに行ってみて」
そう言われて渡されたのは、地図だ。
そこには、正子の墓の位置なども記されている。
「分かりました」




