七話 賢いネズミさん
「はぁ……はぁ……」
とりあえず、一難去ったと言えるのだろうか。路地裏の行き止まりの壁を押したら、まさか壁の向こう側にたどり着くことができるとは思わなかった。
そんなことがあろうとも、壁越しでは言い争っている様子がある。逃げるチャンスがあるならば、今がその時だろう。
ここがどこなのか分からないけど、できる限り彼女らから離れるのが得策というものだろう。
幸いなことに路地裏の道をまっすぐ行ったところが、街の外れに続く道であった。走り抜けたところで、僕は見慣れた教会に辿り着く。
「ははは……やったぞ……」
乾いた笑い声を出さずにはいられなかった。街外れの教会には誰かがいた様子とかは無く、やっと自分の空間に戻れたような気がする。
「ただいま……」
女神様も変わらず微笑んでいてくれる。おかしな出来事があったとしても、彼女だけは変わらないような気がした。
「危なかったな、ニイちゃん。オイラが助けなきゃ、今ごろあいつらにヤられてたぞ」
「だ、誰だ!」
突然、誰もいないはずの空間から、謎の声が耳元に響いた。しかし、辺りを見渡しても誰もいない。
これはもしかしたら、お伽話に良くあるような、突然『力』に目覚めてしまったというパターンなんじゃないだろうか?
お伽話なんかでは、ピンチになるとそういう力に目覚めると相場が決まっているけど、今回もそれに近いことがあった。ならば、条件的には大丈夫なはず。兄が良く言っていたチートなんていうものにもなれた可能性が十二分にある。やったぜ。
「気付いてないのか? ここだよ、ここ」
再度、耳元から声がする。こういうのは頭の中に響くというのが相場なのだけどな。
けれど、よくよく耳を傾けると、どうも精神的なものでは無くて物理的なものな気がする。その証拠に肩が若干重い気がするのだ。何かが乗っていそうな、そんな気だ。
その何かを確かめるべく、肩に乗った何かを掴んで見ると、なにやらモコモコした感触が。今朝狩ってきたホーンラビットよりも短いが、あったかい生き物の感触。
ネズミだった。
「うわっ!」
路地裏で必死こいて走っていたから、ネズミなんて付いてきてしまったのか。思わず手を離して、ネズミを放り投げる。
しかし、ものは考えようだ。ネズミといえど、肉には変わりない。浄化の魔法を使えば、味が格段に落ちるわけだが、冒険者に必要な肉が食べられるというのは大きいのだ。
「おいおい、酷いな。助けてくれた恩人に向かって、その仕打ちはないだろ」
そんなことを考えていたら、ネズミが何の脈絡もなく喋った。あまりの出来事にフリーズしてしまいそうだったが、動物が喋るのは珍しいことではない。
獣人という人間と動物が合わさったような人種がいるわけだし、知能が高い魔物なら人語を解す者もいるらしい。ネズミが喋るのもワケないことなんだろう。
「キミが助けてくれたのかい?」
「おう、その通りだぜ。オイラが壁抜けの魔法を使っていなければ、アンさんは今ごろ彼女らの奴隷だったぜ」
お姉さんたちの奴隷……それは少しだけ興味があったが、実際にされるとヤバそうなので勘弁してほしいところだ。
あと、壁がひっくり返ったのって魔法だったのね。このネズミがいなければ、逃げる術が無かったので、感謝だ。
「そうか……ありがとうございます」
「いいってことよ。オイラとしても、アンさんみたいなイケてる男があんなところで初体験を迎えるだなんて我慢ならなかったからな。まあ、オイラには負けるけどな」
「あははは……」
どうやら、このネズミは変なネズミであるが、悪い奴では無さそうだ。見ると、シッポは無いくらいに短いし、毛並みは茶色だ。けれど、汚れている様子が無いので、良いところのネズミという可能性は十二分にある。
「それにしても、あんなところにいて、何がしたかったんだい?」
「えっと……」
そう聞かれても僕としては、ご飯を食べてたとしか言いようが無い。飯屋が歓楽街に多いので、いつも通りそこで食べてただけだ。何も特別なことをしていたわけでは無かった。
「言っておくけど、あんなところにいるなんて、アンさんそういう願望でもあったんじゃないかい?」
「違いますよ!」
そういう願望とは、さっきのお姉さんみたいなのに絡まれたいという願望なんだろうが、僕としてはそういうのには少ししか興味がない。
「まあ、アンさん、田舎者っぽいからな。だから、この街一番のセクシーなオイラがこっそり付いてきたんだよ。ちなみに、アンさんが二番ね」
「はぁ……あ、ありがとうございます……」
本当に変なネズミだなぁ……。
けれど、田舎者と言われるには釈然としない。たしかに、何も知らずに歓楽街のある大通りにいたのは悪いと思っている。けれど、かれこれ一年くらいはこの街にいるわけで、大通りには何度も足を運んでいるが、こんなイベントに遭遇するのは初めて生まれて初めてだ。ただ単に、僕が世間知らずの田舎者だからという理由だけで片付けて良いものか。
「あの場所はな……。ウリ目的のブサメンが客を取る場所なんだぜ。いくら金が無いからって、アンさんみたいな若くてイケてる男がそういうとこ行っちゃ駄目だ。オイラに負けるけどね」
「う、うん……?」
なにやら、僕とネズミさんの認識が微妙に食い違っているのは気のせいなんだろうか?
歓楽街で金を払ってウリとかいうエッチなことをするのは、なんとなく分かる気がするんだけど、なんで僕がそんな風に見られるんだ?
「普通は女の人がお金を貰ってするんじゃないですか?」
「んんん? そんなわけないって。アンさんの出身が秘境マァグゥならあり得るかもしれないが、ここでは男が体で稼ぐっていうのが当然だぜ」
いや、そんなわけがないと言いたいのはこっちの方だ。普通の風俗だったら、女の人がエッチなサービスをして、お金を取るというのが一般的なはずだ。
以前、冒険者の話を盗み聞きしたときも、そんなことを言っていたし。兄の話でも、金を払えばエッチなサービスをしてくれるお風呂があるとか言ってた。
決して、秘境の話ではないはずだ。少なくとも、冒険者をやる前の僕が、エッチなサービスをしてお金を稼げると知れば、そういうことをしていたかもしれないし。
「まあ、アンさんがいやらしいことをして金を稼ぎたいというのならオイラも止めはしないけど、それでもちゃんとした高級な店で働くのを勧めるぜ」
いや、もう既に冒険者になってしまったので、そういうことで稼ぎたいとは思わないけどね。少なくとも、初めては可愛い子と同意のもとで行いたい。もちろん、無理やりだとかバブみとか応援プレイとかの特殊なプレイとかは無しで。
「そういえば、僕ってイケてるの?」
いきなり高級な店を勧められるってことは、このネズミさん目線だとそれなりに評価はされているのかもしれない。
「この街で何千という男を見てきたオイラからすれば、田舎者っぽいけど、アンさんは二、三を争うくらいにはイケてるぜ。もちろん、一位はオイラだけどな」
これまで容姿についてはあまり触れられたことが無いので、褒められると素直に嬉しい。まあ、このネズミさんは自分が一番だと思っているが。
「といっても、男自体、見るのは結構珍しいものだけどさ」
「ん? どういうこと?」
「そりゃ、男はあまり外を出歩かないからだろ」
何を当たり前のことを、とでも言うかのような声色でネズミさんは言い放つ。
「えっ、冒険者とかやらないの?」
「いるにはいるけど、そんな危ない仕事をするのは少ないぜ」
これもネズミさんは、当たり前のように言い放つ。おそらく、嘘じゃないのだろう。
そんなわけがないと言いたくなるが、これまでのおかしな状況を考えると、そうも言えなくなってきた。
とりあえず、真偽を確かめるべく、僕は明日に備えて寝ることにしよう。あと、ネズミさんは何処かの屋敷から逃げ出したらしく、寝床が無いので、教会の適当なところを貸してあげた。