攻略対象である彼の愛は深かった
乙女ゲーが好きなんですが、攻略対象のキャラってみんな愛が深くて一途なんじゃないかなって。
悪役令嬢とヒロインは転生者です。王子は攻略対象です。
―――――僕は、弱い人間でした。
「王子、貴方はその女に籠絡され、目の前が見えなくなっていたのですわ」
彼女は僕に対してそう艶やかな笑みを浮かべながら語るように言う。その顔は歪むこともなく、余裕を保ったままだ。
僕に対しての失望の視線が集まってくることを感じながら、僕はその冷たい目から目を逸らす。
「こんな衆目の中での婚約破棄なんて―――それこそ、愚か者のすることでしょうに。貴方がそんな人だとは思っておりませんでしたわ。わたくしは貴方がいつか変わってくれると、わたくしを愛してくれると思っておりましたのに―――、なのに、結局はこうなるのですわね」
艶やかな笑みから一変して儚い姿を魅せる彼女。そんな彼女に対して、同情的な視線が集まっている。
対する僕への当たりは強く……すでに、この状況はひっくりかえった。
僕の愛する子、セラは、僕の傍で青褪めた顔で震えている。時折睨むように元婚約者―――リイナを見つめているが、すぐに目を伏せ、悔しそうに唇を噛んでいた。
そうか。すべてはこの子が仕組んでいたのか。
自分がいじめられた振りをして、その悪役にリイナを仕立て上げたのか。
確かに、思い返してみればセラの言うことは不自然な点がいくつもあった。そのことに対して深く考えなかったのはこの僕自身だ。
失敗したなあ、と思う。
リイナが全て悪いのだと思っていたから、彼女を糾弾する機会を作れば、簡単にセラを認めさせることが出来るのだと思っていた。
考えたときは浮かれっぱなしだったから、穴開きだらけの計画だということにちっとも気づくことなくこんな場を用意してしまっていた。
困ったなあ。
うーん、と僕はこれからのことを思う。
「―――――呆然としているようですわね、殿下」
「うん、そうだねえ」
「……?」
僕の声があんまりにも穏やかだったためか、リイナは少し困惑したように訝し気な視線を向けてくる。それに対して微笑んでみれば、驚いたように目を見開いた。
「こ、の状況がわかっておられませんか?」
「うん、わかってるよ。そうだね、僕が間違えてしまっていたんだね」
「……わかっていながら、ですか? 失礼ながら、殿下は少し気楽に考えていらっしゃるように思えます。わたくしはなんの罪もないのに、衆目の中で糾弾されました。婚約破棄をするにも、相応の場所があるでしょうに……」
「その通りだ」
「っ、エドワード様……!」
急に扉を開いて現れたのは、僕の兄であるエドワードだった。
なるほど、僕の計画も兄に知られていたのか。と改めて納得する。だから最初からリイナはあそこまで強気で、自信満々にいられたのか。まあ自分が無実の証拠があったからということもあるだろうけど。
兄は、僕の方を向き、真冬の吹雪のような冷え切って凍らせてしまいそうな目を向ける。憧れでもあった兄に、軽蔑の目で見られるのは少しきついかもしれない。
セラはひっ、と声をあげた。そんな彼女を手を握り、優しく包む。するとセラは信じられない、とでもいうかのような表情で僕を見た。自分の悪事が露見してもまだ優しくされることに驚いたのかな。
「お久しぶりです、兄様」
「貴様に兄と呼ばれる筋合いはない」
「エドワード様、何故ここに……」
「当たり前だろう、君が無実の罪で汚名を着せられようとしていたんだ。駆け付けないわけにはいかないだろう」
「エドワード様……」
あれ、リイナは知らなかったのか。まあどうでもいいけれど。
「―――エリック、我が父―――第43代リステューン国王からの伝言だ」
「はい」
「貴様は罪もない、さらには将来妻となる婚約者を不当に傷つけ、さらにはこのような衆目の場で婚約破棄をさせ、彼女に汚名を着せようとした。さらには男爵令嬢に誑かされ、自分の立場も見失いこんな行為にまで及んだ。よって、エリック、貴様から王太子の資格を剥奪する」
予想をしていた台詞に、ああそっか、と息を吐く。
僕の一世一代の賭けは負けに終わったわけか。そう思うと落胆と、安堵の気持ちが沸き起こる。
兄の表情は、冷酷そのものだったけど、うっすらと『ざまあみろ』という感情が透けて見えて、少し悲しく思いながら、僕は天井を仰ぎ見た。
そっか、終わりか。
終わっちゃったかあ。残念だ。でも、まあそれでも僕はいいけれど。
でもやっぱり、少しだけ悔しいなあ。
「……どうした、何か言うことないのか」
無言のままの僕に、兄様は声をかけてくる。軽蔑と失望の混ざったその声を聞くのは少し辛いなあ、なんて随分と身勝手なことを思いながら、僕は視線を下げた。
そして目を瞑り、罪を告白するかのように、一言だけ。
「―――――僕は、弱い人間でした」
そうぽつりと呟くと、兄が眉を顰める。
「なんだそれは、今更言い訳のつもりか?」
「そうかもしれません」
「お前がなんといおうと、国外追放は決まっているぞ」
「わかっています」
ざわざわと湧く観衆。リイナを糾弾するために高いところにわざわざと立っていたから、それらの顔がよく見える。
かつて、僕を崇めるように扱っていた彼らは、一様に僕を冷たい目で見ている。
あーあ、と僕は少し残念そうな声をあげて、それからセラに向かって微笑んだ。
「負けちゃったねえ」
「…え、?」
「兄やリイナにはいつだった勝てなかったけど、今度こそは、って思ったんだけどな。やっぱり無理か」
「何を言って―――」
セラの唇を指で押さえて優しく黙らせる。
ごめんね、負けちゃって。ちょっと君に騙されたのはショックだけど、やっぱり出来るなら勝ちたかったなあ。
そう思う自分は、大層身勝手なんだろうけど。
「ねえ、セラ。聞いてくれる? 懺悔でもなんでもないけど、僕の恨みと呪いの話」
セラに語りかえるように言う。遠くで兄と元婚約者の声が聞こえてくるけれど、それらはすべて雑音としてシャットアウトされた。
これで、多分いいんだろう。
負けたのだから、僕は大人しく国外追放に従うし、なんなら平民として生きるのもありだろう。
顔は目立つから、髪を染めたり切ったりすればまあ気づかれない、と思いたいし。
セラは戸惑う様に丸い瞳を困惑に染めている。
その瞳に映る僕は、自分でも驚くほどに穏やかな顔をしていた。多分これは周りから見れば破滅の崖に立っているそのものなんだろうね。
でも今、僕は落ち着いていて、逆に周りの方が戸惑っている。それが少しだけ、おかしかった。
「あ、あの、エリック?」
「僕はね、小さいころからずっとずっと比べられてきたんだ」
不思議そうに僕の名前を呼んだセラと向かい合い、落ち着けるようにその髪に指を通す。
愛おし気なその手つきにセラの身体が強張るのがわかった。それに気付きながらも僕は続けた。
「厳しい教育を必死でこなしても、兄には敵わなかった。ああいや、兄が僕の年にはこなしていたことが僕には出来なかった。
それを見て、聞いて、親も、執事も、メイドも、教育係も、兄と比べるんだ。エドワード様ならもっとやれた。エドワードならこのくらいすでにできていた。だからもっと努力しろ。努力が足りない。才能がない。兄にはまだ及ばない。
毎日毎日毎日、それを聞かされていた」
吐く言葉は思っていたよりも感情が伴っていなかった。自分の思っていた以上に遺恨は根深かったらしい。やっぱり僕は綺麗でいられなかったなあ、となんとなく思う。
声が震えないように。それだけを気をつけた。
「それでも、僕は兄を尊敬していたよ。憎んでいたけれど、それでも尊敬していた、憧れていた。だってそうだろう、僕より年上で、なんでもできる兄は、羨ましくてたまらなかったけれど、かっこよくもあったから。
僕は何も出来ない。僕は兄に敵わない。僕は兄に及ばない。そんな言葉が僕の中で響くように何度も何度も追いつめてきたけれど、それでも耐えていられた。―――憧れという眩しい星が、僕の支えでもあったから」
強くて優しくて賢くてかっこいい兄。周りがみんな兄を褒め称えた。僕のことを褒めるときは、兄に及ばないまでも、と注釈が入る。
仕方ない、と思っていた。兄には敵わない。そのことは、常識のように、当たり前のことのように、僕の中に入ってきていたから。
兄は特別だ。兄は誰よりも優れている。兄と隣り合う人なんていない。
それは、いつしか染みついた諦めとなった。妥協となった。僕を納得させる理由となった。そうしないと、劣等感に殺されそうだったから。
兄と対等な程、賢い人など、強い人など、美しい人などいない。いつからか、それは慰めだった。兄を孤高と決めつけ、嘲笑いたかったのかもしれない。
なんて醜い考えだったのだろう。
「けれど、そうしないと、そうして自分を支えないと、気が狂いそうだったんだ。結果として僕は正気を保ったまま成長できたけど、子供の頃の僕は、劣等感と羨望と嫉妬で毎日が苦しかった。兄への称賛を聞くたびに、兄のようになるたびに、少しずつ自分が死んでいくような感覚を味わった。
言いたかったよ。比べないでって。僕は兄に敵わないから。兄のようになれないから。僕は兄よりもずっと凡庸で、劣る存在で、でも、そんなこと、言うことは、きっと赦されなかったから。
全部飲み込んで、腹の底に溜め込んで、そうして自分を保って。ただ兄は一人ぼっちだと、兄と対等でいられる存在などいない。兄には庇護することしか出来ず、兄を守ってくれる人なんていない。そんな醜い考えをもって、そんな風に、―――僕を、守っていた」
なんて酷い話だろう。
兄は立派な人で、たくさんの人から好かれて、頼りにされていて、だからそんな兄を僕は誇りに思うべきなのに。
なのになんで、兄を嘲笑える部分を、こうして探しているのだろう。
兄が誰にも守られないことで、安心していたのだろう。
なんて、醜い。
最低だ。低俗だ。卑屈で汚くて、そんな僕自身に自己嫌悪していたのに、兄が孤高ということに安心することは、僕の支えになっていた。
そうしないと、僕の心がバラバラに壊れてしまいそうだったんだ。
だから、兄と対等な人物がいないということに、ほっとしていた。
「でも、そんな時、リイナと出会ってしまった。―――幼いながらに利発で、賢く強く、優しい、兄のような彼女に」
彼女は何でもできた。勉強も運動も、僕よりずっと上手かった。
そんな彼女が僕の婚約者になったんだ。最初は実感がわかなかったけど、段々と、殺されていくような心地を味わった。
兄と、同じだ。
彼女は兄と対等になる存在なのだと、幼いながらも僕は気づいた。気付いてしまった。
僕なんかでは敵わない、途方もなく遠く、高いところにいる。
孤高ではない。一人ぼっちじゃない。兄には、彼女がいる。兄と対等になれる彼女がいるのだ。なのに、それなのに、――――――なぜ、彼女は僕の婚約者なのだろう。
「リイナは優しかったよ、僕にも。優しくて、強くて、僕が頼りない時は叱咤して。婚約者としてきっとふさわしかったんだろうね。僕にはもったいないくらいのいい子だったんだろうね。
けれど、彼女は僕を見ていなかった。行動や口で僕に対して優しいことをたくさんしてくれたけど、でもその内心はあまり興味を持ってくれなかったように思える。そうだな、まるで本を読んでいるみたいに、僕をその目で見てくれなかった。―――僕を、僕として、見てくれていなかった」
わがままなのだろうか、この感情は。
まるで歯牙にもかけられていないように思えてならなかった。精一杯話をしても、彼女は僕の知らないような難しい話をしてきた。それに答えられなかったら、まるで馬鹿にするような目で僕を見た。
彼女は、兄とばかり話をしていた。兄と対等だった。僕は格下だった。多分、そういうことなのだろう。
僕を馬鹿にしたかったわけじゃないと思う。けれど、彼女の常識に辿りつけないことは、きっと彼女にとって理解できないことだった。そういうことなのだろう。
彼女の理解者に成れない。きっと、それは兄にしか不可能なことなのだ。
リイナは、恐らく、特別だ。僕自身よくわからないけれど、彼女はどこか違うところから僕を見ていたように思える。
だから、彼女が怖かった。僕をまるで無機質な目で見てくることが、怖かった。その優しさも、義務のように思えて仕方がなかった。
まるで―――僕を通して、まるで別なものを見ているような、感覚だった。
「ねえ、わかる? 僕はね、あの場所で落ち着けるところはなかったんだ。ありのままの僕を見せられる場所なんてなかったんだよ。僕への称賛も、兄の存在がちらつく。リイナの存在もいつしか恐怖になっていた。
仕方ないことなんだ、僕が駄目な存在だから。兄には敵わないから。だからこれは仕方ないって、僕は駄目なんだって思ってた。
でも、いつか―――、僕は、王位継承者なんだから、兄を退けて王位につかなくてはいけない。兄は愛人の子で、僕は本妻の子だから。いくら兄の方が出来がよくても、血を大事にするこの国では、僕はそうなるしかなかった。そうなるように、決められていた。僕の意志も、何もなく、最初からそうなるんだって」
―――――僕は、弱い人間でした。ただ、流されるままに、血と義務と運命の中で、自分を殺したまま生きていました。
僕を愛していない婚約者に愛を囁き、兄の方がいいのだと思っているだろう大臣達に微笑みかけ、王になるのになぜ兄と同じようになれないという圧力をかける父親に精進しますと頭を下げ。
僕の努力を認めてほしい。そう言いたいのに、否定されることが怖くて、ただ、ぼんやりと毎日を生きていることしか出来ませんでした。
助けてと言いたかった。―――誰が助けてくれるのでしょう。
僕は、きっと恵まれている。だから、みんな僕に憧れ、僕を羨み、僕を崇める。それがどんな重みだか知らないで、僕に理想を押し付ける。
ああ、きっとそれはありがたいことなんだろう。知っているけれど、でも、だからこそ、僕が救いを求めることは許されなかった。
助けてください―――いったい誰に?
助けてください―――どうやって?
助けてください―――なんで、お前なんかを。
何もしていない、何もできていない、兄にも勝てない、こんな僕は決して誰にも助けてもらえない。
行動を起こす勇気すらなく、成し遂げる力もなく、誰にも期待されない僕では。
だから、きっと―――ずっと、このまま、こうして生き続けることしか出来ない。
例え兄の方が優れていようとも、内心では兄の方が王になればよかったのだと思われ続けても、僕にはどうすることも出来ないのだから、このまま意地もなく、生きていくことしか出来ない。
そう思っていた。
そうなるのだと、思っていた。
「ねえ、セラ。そんな僕が君にとても救われたこと、知ってるかい?」
「え……?」
いつの間にか会場は静まり返っている。おかしいなあ、さっきまで罵詈雑言が飛んでいたような気がするんだけど。
兄とリイナの方をちら、と向けば、二人とも呆然とした顔をしていた。うーん、僕がこんなことを思っていたのを予想つかなかったのかな。
賢い兄なら、利発なリイナなら、僕のことなんてとっくに御見通しだと思ってたんだけど。
「君は言ってくれたよね。『ありのままの貴方がいいと思う』って」
「言った、けど……それだけで?」
「うん、それだけ。君にとってはそれだけかもしれないけど、僕にとってはそれだけじゃなかった。
―――初めてなんだよ、そんなこと言ってくれた人は。
誰も言ってくれなかった。本当に、誰も、言ってくれなかったんだ。誰も、そのままでいいって、ありのままでいいって、ただのエリックでいい、なんて言ってくれなかったんだ」
王太子として、次期王として、エドワードの弟として。
そんな言葉ばかり聞かされていた。まるで呪いのように、その言葉が僕を縛っていた。
何かにならなくてはいけない。エリックではいけない。僕は僕のままじゃ認められない。エリックだけでは、生きていけない。
そう思っていた。そう思っていた、のに。
「ねえ、セラ。僕がその言葉にどれだけ救われたかわかる? 君にとっては大した言葉じゃないのかもしれない。いや、それどころじゃなく、この会場にいる人全員が、その程度で、って言うかもしれない。
でも、でもね、セラ。その言葉は確かに、僕を救ったんだ。嬉しかった。嬉しくて泣いてしまった。例えその言葉が嘘だとしたって構わなかった。だって―――誰も、そんなこと、言ってくれなかったから」
「エリック……」
「だからね、セラ。僕は君のために生きようって思ったんだよ。僕は一人になることが怖かった。王太子でいないと僕みたいな甘ったれはは生きていけないと知ってたから、この現状に甘んじていたけど、君のためならすべてを捨てたって構わないって思えるほどに、君の言葉は僕を生かしたんだ」
だから、こんな無謀な賭けをした。上手くいけば彼女を僕の正式な妻に出来るかもしれないって。一世一代の、最初で最後の、全てを賭けたギャンブルだった。
思えば、セラを苛めてしまうほど、リイナは僕のことを好きじゃなかった。そんなのは知っていたのになあ。
結果として、僕は負けてしまったけど。
でも、いいんだ。
勝っても負けても、最初から僕は何をするのか、何が一番大事なのは知ってたから。
「君が僕の想いに答えてくれた時から、全て決まってるんだよ」
例えセラに裏切られても構わない。セラに殺されても構わない。
だって彼女は、僕にそれ以上の祝福をくれた。だから、もう、彼女に身を捧げてもいいのだと心の底から思ったのだ。
「兄様、ご迷惑をかけてしまって申し訳ありません」
僕は兄に向かって深く頭を下げる。
「今まで厳しくも僕を思っての指導、誠にありがとうございます。感謝の念に耐えません。貴方がいたからこそ、僕は貴方を憧れとして、目標として頑張ってこれました」
「え、エリック……」
「そしてリイナ・ウェールベスト様。貴女に酷く身勝手な行いをした挙句、罪もない貴方に汚名を着せるような真似をしてしまい申し訳ありません。そしてこんな衆目のなかでの勝手な婚約破棄をして、貴方の誇りを傷つける行為を行ってしまい、本当に―――ごめんなさい」
顔をあげて、今度はしっかりと二人を見た。
「僕は、貴方たちが好きでした。愛していました」
そして、微笑む。
「けれど、それと同時に、―――とても、憎かった」
兵士に連れていかれる際も、僕はセラの手を外さなかった。
兄は複雑そうな顔で、僕を見ていた。あの冷ややかな目は見当たらず、少し首を傾げてしまう程、兄の声は苦痛を伴っていたように思える。
なぜだろう。僕は自業自得の行いをして、それを兄は断罪しに来たのに。
セラは辛そうな顔をしながら、それでもきっちりと前を向いて歩いていた。さっき見えていた悔しそうな感情の色はどこにも見当たらず、本当に前だけを真っ直ぐ見ている。
僕の手を繋ぐその力強さが、心強かった。
「……エリック様」
リイナが語り掛けてきて、僕は振り返る。
「わたくしは―――、……わたくしの、せいなのですか」
「違うよ、僕が全部悪いんだ」
そう微笑めば、リイナは辛そうに目を伏せる。どうして辛そうな顔をしてるんだろうなあ。ああそうか、僕が裏切ったからか。でも変なの。リイナは僕なんかのことを好きじゃなかったのに。
いや、違うか。好きじゃなくても、酷いことされたら傷つくよね。だって僕は結果として彼女を陥れようとしていたんだから。
正直、彼女が苛めをするようには思えなかったけど、好都合だって思ったし。
僕って本当嫌な奴だ。だから、こんな僕が好かれるはずなんてなかったなあ、って今更ながら感じて笑える。
「ごめんね。僕は君みたいにはなれなかったよ。僕は―――兄様には、なれなかった」
「エリック」
卑屈なことを言えば、兄様がそれを遮るように声をかけてくる。
「私は、お前に―――私のようになれと、言ったことは、なかった」
「そうですか」
「……私は……ただ……」
「兄様」
「……」
「僕は、もういいんです。ありがとうございます。そして、ごめんなさい」
憧れだった。理想だった。夢だった。
けれど所詮、同じ人間なわけじゃない。
だから、もういいんだ。
兄を通り過ぎて、外に鎮座している馬車へと向かう。
兵士に囲まれているなか、静かな声で、セラが僕に話しかけてきた。
「ねえエリック、私貴方を騙していたのよ」
「そっか」
「いいの?」
「いいよ」
「馬鹿な人ね」
「うん」
「私、貴方を奪うために自作自演をしたわ」
「もう知ってる」
「知ってるのにね」
「知ったけどそれでもいいよ」
「いろんなものを無くしたのに?」
「君がいるから大丈夫」
「王への地位をなんの後悔もなく棄てるなんて、愚かよ」
「そうだね」
「でも、貴方と、―――ただのエリックと生きるのは悪くないわ」
強くて弱くて、綺麗で汚い、僕のセラ。
例え狡賢くたって、その言葉だけで、もう死んでもいいって思った。
ヒロイン:元々ゲームでも推しキャラはエリックだった。だからエリックとの恋愛エンドを目指してたのに、苛めイベントが起きないから自分で起こした。そこに罪悪感なんてなかった。甘く考えていた。なのに自分の考えが看破されていて、逆に自分が糾弾される側になった時、自分の甘さに気付いた。それでもまだゲーム気分が抜けきっていなかったけれど、エリックがあんまりにも自分のことが好きで好きでたまらない、可哀想な子だったから、この人は私が幸せにしないと一生不幸なままなんだろうなって思ったら、なんだかもういいや、と思い、地位を投げ捨ててもエリックと生きていくことに決めた。多分これからは現実を見てもがいていく。
悪役令嬢:エリックルートでは自分が婚約破棄されることを知っていたから、エリックのことは信じていなかった。好きにならないようにしていた。自分がヒロインを苛めずにいれば大丈夫だとはわかっていたが、ゲームの強制力があるのかもしれないと内心びくびくしてた。でも、エリックのことは可愛いってずっと思ってはいた。庇護しないといけない存在だと思ってた。ただ、やっぱりエドワードに惹かれてしまうのは仕方ない。だって脳内年齢が子供じゃないから。子供になりきれず、婚約者であるエリックを愛しきれず、というかゲームの攻略対象だということを前提にして、エリックを見れていなかった。だから今回のことで、自分がエリックを追いつめていたことを知ってショックを受けている。
エドワード:ちゃんとエリックを弟として愛していたけれど、自分が愛人の子だということで周りからの蔑むような視線や心無い言葉を受けて、本妻の子であるエリックを羨んでいた。元からの才能と死にもの狂いで努力した結果が今のエドワードなので、彼はどこまでも正しい人だった。ただ、同じように努力しても敵わないということに絶望していた人がすぐ傍にいたことに気付かなかっただけ。強くてまっすぐな人だけど、挫折しかけている後ろの存在に気付かなかっただけ。
エリック:元々ゲームでは彼の傷は兄の存在だけだったけれど、優れた人が二人もいたことで自分の存在を否定するようになった。到底敵わない存在が目の前にいるのに、その存在と同じレベルになることを常に周りから強いられて追いつめられていた。けれど、ヒロインに会って彼は救われる。例えそれが嘘でもなんでもいい。正しく、その言葉を言ってくれたのはヒロインが初めてで、その言葉に救われたのは確かだったから。