第十一話 『英雄願望』
リューザスが妹を置いてきた理由、一部心情など、全話で少し補完しました
忌光迷宮、最奥部の部屋の天井に空いた穴から、白み始めた空が見えていた。
黒輝穿弾が貫いた穴から光が差し込み、対峙する二人の復讐者の間を照らしている。
部屋に響いているのは、狂気と憎悪、そして自嘲の篭ったリューザスの言葉だけだ。
「――――」
リューザスの語った内容に、伊織は微かに目を細めた。
微かにだが、リューザスの語った内容には覚えがあったからだ。
召喚されてすぐに、伊織は部屋へ引き篭もった。
その間、一度だけ騎士によって強引に模擬戦へ参加させられたことがあった。
結果は酷いもので、伊織は木刀を喰らって腕の骨にヒビが入り、挙句に「手を抜いている」と罵られる始末だ。
「…………」
怒りを募らせながら部屋に篭っている時――確かに「力を貸してくれ」と言われた記憶がある。
それが誰だったのかは、今の今まで知らなかったのだが。
「国王が変わってるのに気付いただろ? どうしてか教えてやろうか。先代の国王が、原因不明の病で死んだからさ。自室の中、苦悶の表情で心臓が止まってるのが見つかったんだ」
震え声でそう語りながら、無意識なのか、リューザスはガリガリとローブの上から胸を掻き毟る。
「その後、何人かの騎士と魔術師が、同じ状態になって見つかってる」
ガリガリという音に、次第に息を抜くような音が混ざり始めた。
それは次第に大きくなっていき、やがて引き攣ったような嘲笑へと変わった。
胸を掻き毟り、体を震わせて笑いながら、リューザスは顔を手に当てる。
唯一隠れていない口元は、笑みの形に歪んでいた。
「……まァ」
しばらく体を震わせた後、リューザスはゆっくりと顔から手を話した。
「そんなのは、瑣末なことだ」
先ほどまで笑みに歪んでいた顔に、今は表情がない。
「"裁断"の野郎は、てめェと戦って満足気に死にやがったな。俺が、ぶち殺してやりたかったのによ」
「…………」
「後はてめェとオルテギアだけだ。てめェから『勇者の証』を奪い取って、俺はオルテギアを殺す」
憎悪も、憤怒も、嘆きも、何もない。
ただ虚無だけを映した双眸が、伊織を見る。
「なァ、アマツ」
沈黙を保ったままの伊織に向けて、リューザスが語り掛ける。
「お前、言ってたよな。皆が笑える世界を作りたいって」
初めは平坦な声だった。
「あの時、俺に知ったことかと叫んだ、その口でよォ……」
次第に、リューザスの声が震えていく。
平坦だった言葉に熱が籠もり始めた。
「皆が笑える世界を作る……? だったら、あの時、どうして力を貸してくれなかったんだ」
「――――」
「どうして、サーシャを助けてくれなかったんだよォ!!」
そして、爆発した。
「てめェなら出来たはずだ! 魔物だって、魔族だって、四天王だって、一万の軍勢だってッ!! てめェなら、倒せたはずだッ!! なのにどうしてッ!! どうして、どうして、どうして、サーシャを助けてくれなかったんだよォ!!」
髪を振り乱し、拳を握り締め――リューザスは咆哮する。
自身の無力さを、自身の無様さを、どうしようもなく理解しながらも、叫ばずにはいられなかった。
「サーシャには、てめェの言う、誰もが笑って過ごせる世界で暮らす権利はねェっていうのかよッ!!」
絶叫とともに、リューザスは両者を分かつ光を踏み越えた。
衝動に任せたその動きは、これまでで一番の速度を誇っていた。
壊身憑依によって強化された拳が伊織の頬を打ち、遥か後方へと吹き飛ばす。
「がッ」
人間の範疇を遥かに越えたその威力に、伊織の視界が乱れる。
壁に激突し、手から翡翠の太刀が滑り落ちた。
リューザスも、無傷ではない。
伊織を殴り付けた拳は衝撃に耐えられず、グチャグチャになっていた。
壊身憑威は、その力の代償に全身へ凄まじい負荷を掛ける。
ただの一挙動で、全身が肉塊に変わりかねないほどの負荷を。
リューザスが生きていられるのは、治癒魔術を併用し、壊れた部分から治癒させているからだ。
それでも、常時肉が爆ぜるほどの苦痛を味わっているのに変わりはない。
「……だったら、認めねェ」
徐々に形を取り戻していく拳を一瞥すらせず、リューザスは言葉を重ねる。
「あいつが幸せになれねェ世界なんか、認めねェ!」
綯い交ぜになった感情を、血を吐くような怨嗟を、伊織へ叩き付けた。
「何が皆が笑える世界だ!! どの口でそれを言いやがるッ!! 綺麗ごと言って悦に入って、惚れた女の前で良いところを見せたかっただけじゃねェかッ!! てめェが、サーシャの理想を語るんじゃねェ!!」
どんなに綺麗事を口にしようと、世界中の人間を救おうと。
本当に、誰もが幸せになれる世界を作ろうと。
もう、そこにサーシャはいない。
すべてを救いたいと語った英雄が、たった一人の妹を見捨てた事実は変わらない。
「そんな世界は、俺が否定してる。英雄の心象は、俺がぶち壊してやるッ!!」
踏み込んだ足が自壊とともに地を穿ち、リューザスの体を遥か前方へと押し飛ばす。
ヨロヨロと立ち上がった伊織の顔は、前髪で隠れて伺えない。
だが、小さな声がした。
「……じゃねぇ」
何を言おうが知ったことかと、壊身憑威の上からさらに強化魔術を掛け、拳を叩き付けようとしたリューザスだったが、
「――勝手なことばっか、言ってんじゃねぇよ!!」
それよりも早く、伊織の拳に顔面を撃ち抜かれていた。
「ぶッ、がァ」
心象魔術を使い、英雄時代の力に近付いた伊織の拳は魔術すら穿つ。
リューザスが即死しなかったのは、壊身憑威で強化されていたらだ。
拳の威力で、今度はリューザスが部屋の反対側へと吹き飛ばされた。
翡翠の太刀を回収しながら、伊織が言葉を繰り返す。
「……ふざけるなよ」
「……ッ」
犬歯を剥き出しにして、伊織が怒りを露わにした。
吐血しながら立ち上がり、リューザスは室内を凍えさせるような怒気を正面から受け止めた。
「何度も説明しただろうが。召喚されたばかりの俺は何も出来なかった。何も分からなかった! 戦い方も、力の使い方も、文字の読み方も、一体何と戦っているのかかも!! そんな俺に、どうしろっていうんだよ!!」
「それでもてめェなら出来たはずだッ!! "聖光神"に授けられた『勇者の証』を持ってたてめェならよォッ!!」
それまで黙っていた伊織の叫びが、部屋を震わせる。
だが、リューザスも引き下がらない。
『勇者の証』は"聖光神"が勇者に与える、絶対的な力の象徴だ。
それを持ちながら何をしていたのだと、リューザスは伊織を弾劾する。
「その証拠に、てめェは初陣で数百数千の魔物をぶちしてたじゃねェかッ!!」
「出来なかったって言ってるだろうがッ!! 知らない世界に呼ばれて、いきなりお前は勇者だから戦え? ふざけるなッ!! てめぇらの都合を勝手に押し付けて、勝手に期待して、逆ギレしてんじゃねぇよ!!」
両者の叫びが木霊する。
逆ギレ――そんなことは、リューザスは分かっている。
自分が間違っていて、伊織が言っていることが正しいのだと、分かっている。
分かっていて、理解していて、それでも、どうしても許せなかった。
妹を見殺した癖に、誰もを救いたいなどと言った、この男が。
「初陣だって、何度も死にそうになった。敵を殺す感覚に何度も吐いた! 生きるために、元の世界に帰るために、必死だったんだッ! お前の妹を助ける余裕なんて、あの時の俺にはなかったんだよッ!!」
「だったら、英雄ヅラして、誰もを助けられる世界を救いたいなんてほざくんじゃねェ!! 何が助けたいだッ!!」
伊織の放った斬撃と、リューザスが行使した魔術が激突する。
爆風が巻き上がり、視界が土煙に覆われる中、それでも両者の視線は交差し続けていた。
「……借り物や、まやかしなんかじゃない。お前にも、ディオニスにも、否定なんかさせない」
「ッ」
「苦しんでいる人達を見て、泣いている人達を見て、一緒に戦ったお前達を見てッ! 俺は本当に、助けたいって思ったんだ」
「そんな、こと……俺の知ったことかよォッ!!」
絞り出すような伊織の叫びに、リューザスが咆哮する。
再度、斬撃と魔術が激突し、爆風の勢いに乗って両者は距離を取った。
「苦しんでいる人? 泣いてる人だァ?」
「……そうだ」
「……笑わせんじゃねえ。サーシャはずっと苦しんでた。泣いていたぜ」
「だから、その時はッ!!」
反駁しようした伊織を、リューザスの絶叫が遮った。
「――そうやってお前が切り捨てた物が、俺の一番大事な物だったんだよォッ!!」
数十の魔術が、同時に展開された。
声を枯らす程に叫びながら、リューザスは嵐のように魔術を放つ。
エルフィが巻き込まれるのを防ぐため、伊織は魔毀封殺を展開した。
巨大な盾が、押し寄せる魔術を尽く無効化していく。
「舐めるなァ!!」
すべての魔術が黒輝閃弾に切り替わり、盾を穿ち始める。
徐々に削れていく盾だったが、
「ご、ばッ」
リューザスがどす黒い血を吐いてよろめいたことで、攻撃が中断された。
「――ぁ」
視界が定まらなくなり、耳鳴りが脳を削るようだ。
それは、魔力切れの現象だった。
「……また、魔力が……ッ」
その瞬間を、伊織は見逃さなかった。
魔毀封殺を消し、リューザスとの間合いを一瞬で詰める。
その首を狙って、伊織は翡翠の太刀を振った。
「――――」
翡翠の太刀は、当たらなかった。
リューザスの実体がズレ、刃が空振った。
「喪失魔術・冥人剥離ィ……!」
地面を蹴り、リューザスは斜め後方へと跳躍した。
そのまま次の行動を起こそうとするが、次の瞬間、ビチャビチャと音を立てて黒い血を吐き出した。
「が、あァああああああああああッ!!」
死神から教わった、喪失魔術。
存在を冥界にズラし、あらゆる攻撃を回避できることが出来る魔術だ。
だが、生者は冥界では生きられない。
ほんの一瞬でも冥界の空気に触れれば、魂が削られてしまうのだ。
「が……ァ……」
冥界の空気に触れたことで、リューザスは死の直前まで魂を削られていた。
魔力は尽きかけ、魂が削れ、意識は失う寸前だ。
心象魔術は、すでに剥がれていた。
そんな有様を前にして、伊織は踏み込めなかった。
「……ッ」
伊織の纏っていた心象魔術も、剥がれかけていたからだ。
「……魔力切れか」
膨大な魔力を消費する心象魔術に加えて、何度も魔術を使用している。
魔力が尽きかけても不思議ではない。
「……!」
ポーションへ手を伸ばそうとした伊織の前で、リューザスが立ち上がった。
満身創痍の状態でなお、リューザスは意識を保ったのだ。
――あァ、逆恨みだよ。
リューザスは、内心でそう自嘲する。
伊織の言ったことは、正しい。
間違っているのは、自分だ。
勝手に召喚して、勝手に期待したのは事実だ。
「……それでも」
――お前の事情は分かった。
伊織は、内心でそう呟いた。
この男が何を思って、自分を殺したのか。
その本当の理由を理解した。
思うところが、まったくないわけではない。
英雄だった頃の自分が抱いた理想の裏に、助けられなかった人がいたことを知った。
「……それでも」
二人の復讐者は叫ぶ。
「「――お前を殺すッ!!」」
そして、
「――【英雄再現】」
「――【英雄願望】」
――両者の心象が激突した。
明日21時更新します。




