第九話 『報われざる汚濁の衝動』
『勇者の証』から流れる魔力が、全身に隈なく行き渡っているのを感じる。
これまでの発動とは、明らかに違う感覚だ。
これが、十全に発動した"心象魔術"の効力か。
以前のように、一瞬しか使えないということはなさそうだ。
「…………」
上手く扱えて、ようやく分かる。
かつての力を再現している現状、アマツだった頃の実力にはやや劣っていると。
それでも、今は十分だ。
「……さて」
魔力の流れに向けていた意識を、眼前で絶叫している男へ向ける。
蒼い炎に全身を焼かれ、リューザスが赤い髪を振り乱しながら悶え苦しんでいる。
焼ける痛みは、地獄の苦痛らしいからな。
「そういえば、お前とマーウィンは繋がってたんだったな。マーウィン・ヨハネス、覚えてるか? 温泉都市で好き勝手していた、人狼種の男だ」
かつて殺した男の名前を口に出すが、リューザスは焼ける痛みでそれどころでは無いらしい。
「無視するなよ」
「ぎ……ッ」
ちょっとした仕掛けをした『翡翠の太刀』で、リューザスの肩を突き刺す。
念入りに、グリグリと刃で肉を抉る。
新たな痛みに目を剥き、リューザスの視線がこちらへ向いた。
「マーウィンは、今のお前みたいに燃やして殺してやったよ」
その前に、仲間からリンチを喰らうおまけはついていたけどな。
「――――ッ」
地面を踏み砕き、同時に自身の足を潰しながら、リューザスが後方へ跳躍した。
同時に杖を振り、大量の水を生み出して炎を消化した。
皮膚は灼き爛れており、無残な有様になっている。
「どんな感覚だ? 生きたまま燃やされるってのは」
「はァ……はァ……」
「良かったな? 裏切り仲間と痛みを共通できて」
「……ッ」
憤怒に顔を歪ませながら、リューザスが治癒魔術を発動した。
灼き爛れた皮膚と、潰れた両足が逆再生するかのように治っていく。
「ふざけやがってェ……調子に乗ってんじゃねェぞッ!!」
咆哮とともに、リューザスは瞬時に数十の黒い弾丸を作り出した。
杖を振り下ろす動作とともに、弾丸が一斉掃射される。
それだけでは終わらない。
こちらの動作を封じるように、"舞踏影衝"が俺の影から突き出してくる。
先ほどまでとは規模が違う。
まるで、杭が影から何十も突き出し、剣山のようだ。
「魔技簒奪」
二つの大規模な喪失魔術を、一瞬で無効化する。
奪い、喰らった魔力が『勇者の証』へ取り込まれていくのを感じた。
「まだだァ!!」
弾丸が消え、開いた視界の中に現れたのは一本の巨大な剣だった。
「喪失魔術・剣刃錬成――ッ!!」
人間には到底扱えないであろう巨人サイズの大剣を、リューザスは自身の魔力で創りだしたのだ。
同時に風の魔術で、その大剣を弾丸のように射出してくる。
それは、いつかディオニスが自分で編み出したと嬉しそうに語っていた、"壊刃装填"とほぼ同質の魔術だ。
「……結局あいつ、リューザスにすら追いつけてなかったな」
「あァ!?」
巨人の剣が、一瞬の内に突っ込んできた。
『翡翠の太刀』の一振りで、正面から受け止める。
それだけで刃毀れし、大剣は勢いを失った。
だが、これで終わりではないだろう。
「"壊魔"」
直後、大剣を構成していた魔力が暴走し、凄まじい爆発を起こした。
大地が抉れ、壁が砕け、爆風が室内にあった物を容赦なく巻き上げていく。
「馬鹿がッ! ただ剣を飛ばしただけとでも――」
「思ってなかったさ」
爆炎の中から飛び出し、リューザスとの間合いを詰める。
慌てて魔術を唱えるリューザスだが、遅過ぎる。
間合いを詰め、気味の悪い右腕を切断した。
「が……あああああああああああああァッ!?」
腕が地面にドサリと落下したのと同時に、リューザスの右腕から噴水のように鮮血が吹き出した。
今回は、あの妙な喪失魔術で躱されることはなかったな。
二回が限界だと言ったのは、嘘ではなかったらしい。
「前にディオニスが似たような技使ってたからな。先が読めたよ」
「あ……が……クソ、がァあ!!」
「まあ、そのディオニスももう殺したけどな。――"大水球"」
リューザスを中心として、巨大な水の球体を創造する。
痛みに気を取られていたリューザスは、為す術なく水の中へ取り込まれた。
「が……ぼがッ。ごおおおお!?」」
思わず息を吸い、水を飲み込んでしまったらしい。
ガボガボと泡を吐いて悶え苦しんでいる。
右腕の断面から流れた血が、瞬く間に水球を赤く染めていった。
「ちなみに、ディオニスの死因は溺死だ」
「ぼっ、ごぉおお!?」
「散々悶え苦しんで、水の中で死んだんだ。あいつと同じ思いが出来て良かったな?」
我に返り、解除しようとし始めたので、球体を高速で移動させた。
水は壁に激突して弾け、リューザスは背中から壁に叩き付けられる。
「がっ……げほッ……ぇえええッ」
その衝撃で、水鉄砲のように大量の水を吐き出し始めた。
あぁ。無様で、滑稽だな。
だが、こんな程度じゃ気が済まない。
そろそろ、さっき仕込んだアレが発動する頃合いだ。
「流石"大魔導"。魔術も使わず、口から水が出せるなんてな」
ディオニスの時は、この台詞の後くらいから命乞いを始めたんだが――、
「……黙、れ」
「…………」
ヨロヨロと、リューザスは立ち上がった。
その目には、まだギラギラと憎悪の色が浮かんでいる。
これまで殺してきた連中のように、まだ心が折れていない。
「こォやって、今までの連中をいたぶって来たのかよォ。はッ、随分と良い趣味してんじゃねェか」
「だろ? お前も同じ目に合わせてやるから、感謝してくれ」
「……ッ」
挑発を受け、弾けるようにしてリューザスが残った左腕を突き出す。
左手から魔力が迸り、体の傷が癒えていく。
だが、
「が…………ぇああああああああ!?」
治癒魔術を中断し、リューザスは唐突に絶叫しながら地面に倒れ込んだ。
口から大量の血を吐き出し、胸を掻き毟って転がり回っている。
「ごぼッ。な……ん、だァ、これはァ!?」
想像通りの反応に笑いながら、リューザスに教えてやる。
「"鬼の爪"だよ。覚えてるだろ? 魔王城へ挑む前夜に、ポーションに混ぜて俺に飲ませたのを。実行犯は、ベルトガだったな」
「ごぉ、ぼぁっ」
マルクスの屋敷には、大量の薬物があった。
神の雫や、亜人用の媚薬、そして複数種類の毒薬。
その中には、鬼の爪もあった。
これを見た時に、リューザスに使ってやろうと思っていたんだ。
「そんな、ものォ、俺は飲んで……ぎ……がァあああッ」
「そりゃ飲んでないだろうよ。毒をベッタリと塗った剣で斬ってやっただけだからな」
ベルトガのように、ポーションに混ぜて飲ませるわけにはいかなかったからな。
あいつを燃やした段階で、剣に塗っておいた。
飲ませた時よりも効き目が出るのに時間が掛かったが、いい塩梅に効果が出てくれて良かった。
リューザスが万全の状態ならば、鬼の爪を使っても大した効果は出なかっただろうからな。
「ぎッ、がァああああああああッ」
「効果は知ってるよな。魔術を使ったら、その瞬間に死ぬぜ」
「ぐ、そがァ。ご、ぼッ」
痛みに気を取られているからか、リューザスの姿が徐々に老け始めている。
心象魔術の効果が解けてきているのだろう。
この魔術を発動するには、強い意思が必要になる。
痛みに意識が呑まれてしまえば、継続して発動するのは不可能だ。
「かと言って、このままだとお前は数分の間に毒で死ぬ。お前が助かるには、これを使うしかない」
そういって、液体の入った瓶を取り出す。
当然飲ませる気はないし、そもそもこれは解毒剤じゃない。
鬼の爪はあったが、解毒剤は見つけられなかったからな。
「解毒剤だ。飲みたいだろ?」
血と吐瀉物を吐き出しながら、ビクビクと痙攣しているリューザスへ近付く。
ベルトガと同じように、目の前でこれを叩き割ってやる。
だが、それでは終わらせない。
こいつはマルクスとも繋がっていた。
だったら、あいつの苦しみも少しは教えてやらないとな。
少しだけ残っている神の雫を使って、散々甚振ってやる。
……それから。
お前がエルフィにやったように、眼球ごと顔をふっ飛ばして殺してやるよ。
「お前とは何年もともに旅をした仲だった。だからこそ、裏切られたのが許せなかったんだ」
「ご………ふッ」
「何か俺に言いたいことはあるか? それ次第で、解毒剤を飲ませてやってもいい」
リューザスの視線が、俺を向く。
「……ア、マツ」
「何だ……?」
血を吐きながら、リューザスが――、
「――死に、やがれ……ェッ!!」
「!」
瞬間、リューザスの左腕から木の根が突き出た。
俺には当たらなかったが、木の根は解毒剤を粉々に砕いていった。
中に入っていた液体が、地面に飛び散る。
「……てめェ、に命乞いするぐらいだったら、死んだ方がマシなんだよォ!!」
激痛に呻きながら、リューザスはそう叫んだ。
「――――」
鬼の爪を摂取した状態で魔術を使えば、当然。
「が、ぁがああああああああああああああああッ!!」
リューザスの肉体が流動し、ブクブクと膨らんでいく。
何なんだ……こいつ。
奈落迷宮の時は、エルフィに必死に命乞いしてたじゃねえか。
それが、なんで。
「ぉ……ご」
リューザスの体が弾け飛ぶ、その直前。
「【英雄願望】」
その体から、黒い風が噴出した。
「な……」
こいつ、まだ心象魔術が使えるのか。
「……!」
視線を背後に向けて、気付いた。
リューザスの左手から伸びた木の根が、斬り落とした右腕に突き刺さっていることに。
木の根を通して、ラインを繋いだのか――。
「……させるか」
心象魔術の行使を止めようとするが、
「おォおおおおおお――ッ!!」
リューザスが、手に持っていた杖を投擲してきた。
「……!」
杖が禍々しい光を放ち、直後弾け飛んだ。
壊魔による、魔力暴走だ。
内包していた大量の魔力が炸裂する。
当然、投擲したリューザスも爆発に飲み込まれる。
「…………」
翡翠の太刀で、爆炎を一閃。
その先のリューザスにまで斬撃を飛ばすが、手応えはなかった。
「ご……ぁああ」
爆炎を突き破って、離れたところにリューザスが飛び出てきた。
三十年前の姿に戻っているものの、全身は爆炎によって灼き爛れている。
いや、それだけじゃない。
俺の斬撃を躱すために、実体をズラす"冥人乖離"を使っているのが見えた。
「ぶっ……がっ、ごぼッ」
冥人乖離の副作用なのか、リューザスは口から大量の血を吐き出した。
どす黒く濁った血液が、口から際限なく溢れ出ている。
明らかに致死量だ。
「ぁ……【英雄願望】ッ」
「……!」
そこからさらに、リューザスは心象魔術を重ねがけした。
全身の傷が癒え――いや、すべてが全盛期の姿へ戻っていく。
だが、これは……。
「はァ……はァ……」
無傷の姿に戻ったリューザスだが、顔色は悪い。
呼吸の度に、口から血が垂れてきている。
「……『勇者の証』の副作用か」
勇者を勇者足らしめる、"聖光神"メルトが賜わした紋章。
資格のない者には扱えず、ただ命を削るだけにしかならない。
それが、『勇者の証』だ。
リューザスは『勇者の証』を迷宮核で起動させ、無理やり扱っている。
当然、あの心象魔術を使う度に恐ろしい勢いで命が削れているだろう。
それを、あいつが知らないはずがない。
知っているからこそ、あいつは三十年前に俺の腕を斬り落とし、『勇者の証』から魔力を吸い出そうとしていたのだから。
「……そォだ。俺にこれは扱えねェ。だからこそ、てめェが持ってるもう一つの証が欲しいのさ。そいつがありゃァ、より完璧な形で英雄の力を扱えるからなァ」
ギリギリと、歯を食いしばる音が聞こえてくる。
命が削られている……それは、かなりの苦痛だろう。
「なァ、アマツ。俺があの程度の痛みで根を上げるとでも思ったのか? ……舐めるのも、いい加減にしやがれ」
リューザスの身体から、これまでを遥かに越える魔力が吹き出した。
それは、明らかに自身の命を削る類の魔術だ。
「――"喪失魔術・壊身憑威"」
その声を聞いた時、リューザスは目前に迫っていた。
「――ッ」
零距離で、魔力の塊をぶつけられ、吹き飛ばされる。
衝撃を受け流し、地面へ着地すると同時に、リューザスはまた目の前に迫っていた。
さっきと同じだ。
リューザスは、高速で動いているだけ。
ただしその速度は、"四重加速"を遥かに上回っている。
「ここまで来たんだ。こんなところで――」
今度の攻撃は防ぎきった。
カウンターで、リューザスの体を斬り裂く。
「が……ッ」
肩口から脇腹まで刃が通り、深くまで肉が裂ける感触が伝わってくる。
それと同時に、
「――諦めるわけがねェだろうがよォ!!」
魔力を纏ったリューザスの拳が、俺の腹に突き刺さった。
「が……なッ!?」
衝撃が体を貫き、何メートルも後ろへ吹き飛ばされた。
『紅蓮の鎧』が、防ぎ切れない威力だった。
魔術師が放って良い威力の拳では断じてない。
あるいは。エルフィの拳に匹敵するレベルの一撃かもしれない。
剣を地面に突き刺し、勢いを殺す。
リューザスからの追撃はなかった。
「が……ふっ。はァ……はァ……」
リューザスは胸を抑え、血反吐を吐いていた。
あの身体能力は明らかに魔術によるものだ。
体に掛かる負荷は計り知れない。
常人――。
いや、少なくとも、痛みを受けることの少ない魔術師が耐えられる苦痛ではないはずだ。
「……ッ」
だが、リューザスは耐えていた。
俺を睨む双眸からはまだ、力が失われていない。
何なんだ。
「……何なんだ、お前」
全身を炎で焼いた。
正面から魔術を破り、腕を斬り落とした。
水に溺れさせ、壁に叩き付けてやった。
鬼族のベルトガでさえ耐えられなかった、鬼の爪による苦痛も与えてやった。
マーウィンも、ベルトガも、ディオニスも、耐えられなかった痛みだ。
それを、どうして。
「どうして、お前なんかが耐えられるんだよ」
奈落迷宮では、情けなく、無様に命乞いをしていたくせに。
どうして、そこまで。
「……決めたんだよ」
掠れた声で呟き、リューザスは胸に手を当てた。
そこで輝いているのは、簡素なネックレス。
奴が掛けるには小さく、不釣り合いなモノだ。
「どんな……どんな手を使ってもッ! 俺はッ! お前に! 復讐してやるってよォ!! 」
――ネックレスを握り締め、リューザスはそう咆哮したのだった。