第八話 『俺のしたかったこと』
彼は英雄にならねばならなかった。
だからこそ、邪魔だった。
"英雄"と呼ばれる、その男が。
――"英雄アマツ"が。
◆
「……何だ、その姿は」
俺の問いに、若返ったリューザスは嘲るように嗤った。
「てめェも使えるんだ。分かるだろ?」
「…………」
聞くまでもなく、理解していた。
通常の魔術とは違う、深いところから滲み出てくるようなこの感覚。
「……心象魔術か」
「あァ、その通り。初めて使ったが、こいつはいい。最高の気分だ」
リューザスは上機嫌そうにポキポキと指の骨を鳴らし、肩を回している。
嘲笑を浮かべる姿は、間違いなく三十年前の物だ。
心象魔術を使うことで、二十代まで若返ったのか。
あいつの全盛期であろう三十年前を知っているから分かる。
今のあいつが持つ魔力量は全盛期と同等だ。
最初に王城で会った時、リューザスは身体能力、魔力量、技量技術、戦闘能力のすべてが衰えていた。
だが、今のあいつからは衰えを一切感じない。
服装と、持っている杖に変化はない。
『勇者の証』が刻まれた、俺の右腕にも変化はなかった。
変わったのは、外見と内包する魔力量。
つまり、こいつの心象魔術は――、
「自身の能力を、全盛期まで戻す力か」
「ご名答。さっすが英雄アマツ、理解が早いなァ」
口元に笑みを浮かべて認めるリューザスだが、俺を見る目には隠しようもない憎悪が浮かんでいる。
外見が変わろうが、性根に変化はないらしい。
反吐が出る。魔王城で見た嘲笑が脳裏を過ぎって仕方ない。
老けた顔も苛立だったが、三十年前の姿を見るのは吐き気がするほどに不愉快だ。
「なるほど。"人間最強の魔術師"などと聞いた時は失笑したが……今の貴様は人間にしては多い魔力量だな」
「……苦労したんだぜ。これだけの魔力を取り戻すのはよォ」
魔眼で魔力量を視たエルフィが下した評価に、リューザスが鼻を鳴らす。
乱れた赤髪をかきあげながら、リューザスは引き攣ったように笑みを浮かべた。
心象魔術を使って気が強くなっているのか、余裕ぶった不快な態度だな。
「ディオニスに負わされた傷のせいで体は思うように動かせねェ。老いのせいで年々魔術も上手く扱えなくなっていく。その上、死神のクズ野郎のせいで、残っていた魔術の才能も枯れちまったしよォ」
死神――やはり、エルフィの読みは当っていたらしい。
リューザスに"因果返葬"を教えたのは、件の死神だった。
しかし、その口調から死神に対しての友好的な態度は見られない。
仲違いでもしたのか?
「――だから、ずっと探してたんだよ。俺が、力を取り戻す方法をよォ」
リューザスは地面に転がっているハロルドの死体を踏みつけ、クツクツと喉を鳴らした。
枯れ果てた死体は、グシャリと音を立てて無残に潰れている。
気に止めた風もなく、リューザスはハロルドの死体を踏みにじり続けた。
「途中から、構想はあった。『勇者の証』と迷宮核を使えば、魔力の枯れた俺でも大魔術を行使出来る。足りなかったのは、俺の中の憎しみだ」
「…………」
「てめェが蘇ってくれたお陰で、最後のピースが揃った。感謝するぜ、アマツ。てめェが俺を足蹴にしてくれたお陰で、ようやく俺は心象を形にすることができたんだからよォ!!」
言葉とは裏腹に、激昂するように叫び、リューザスが杖を振った。
瞬間、ガラスが砕けたような音が迷宮に響き渡る。
部屋を覆っていた"絶王領域"が消滅したのだ。
結界の恩恵が消え、体が重くなったのを感じた。
リューザスは、逆に拘束が消えて体が軽くなったと感じているのだろう。
「後は、アマツ。てめェの持ってるもう一つの『勇者の証』を手に入れれば、俺はこの力を完全に使いこなすことが出来る」
「それでどうするつもりだ? まさか、本当に英雄にでもなるつもりか?」
「――あァ、そうだ。俺はこの手でオルテギアを殺して、今度こそ英雄になって見せる」
……今、こいつなんて言った?
リューザスが、英雄になる?
「は……はは。ははは、はははははッ!!」
ああ、傑作だ。
こんなに笑ったのは、いつぶりだろう。
一体、お前はどれだけ俺を不愉快にすれば気が済むんだ?
「……なあ。笑わせるなよ、リューザス。前にも言っただろうが。他人の命を利用することしか出来ないお前が、"英雄"なんて口にするんじゃねえよ」
「はッ、ホンモノの英雄サマは言うことが違うねェ。あー格好いい、格好いい。そんな格好いいこと言ってるから、てめェは裏切られて、ゴミみたいに死んだんだけどなァ?」
「――――」
――全く、てめぇの甘さには反吐が出る。
――まあ、そのお陰でこうしてお前の腕を落とすことが出来たんだけどなァ?
――ここまでこれりゃあ、てめぇはもう用済みなんだよ、勇者様。
「相手にするな、伊織。愚者の戯言に耳を貸してやる必要などない」
「……分かってる」
「……なら良いが」
何を言おうと、何をしようと。
お前の末路はすでに決まっているのだから。
「中断してしまったが、再開しようか」
戦術を組み立てながら、リューザスに向き直る。
「復讐を」
「あァ、続けようぜ」
ローブを翻して、リューザスが言った。
「――俺の復讐を」
◆
リューザスは強い。
魔術師として、最強レベルだ。
それは否定しない。それは認めよう。
だが、あくまで魔術師として。
近接戦闘での実力は、かつてのパーティの中では最弱だった。
一部の例外はあれど、強力な魔術を使用するには時間が掛かる。
魔術を使われる前に叩けばそれで終わりだ。
「――とでも、考えてるんだろ?」
開幕と同時に、リューザスの体からどす黒い風が吹き出した。
風が部屋を包み込み、俺達の視界を遮った。
「"旋風"!」
俺が風を吹き飛ばし、リューザスの姿を丸裸にする。
何を考えているのか、リューザスはその場から一歩も動いていなかった。
嫌な予感がする。
「――"魔眼・灰燼爆"」
エルフィが、間髪入れずに魔眼を撃ち込んだ瞬間だった。
「――"喪失魔術・災禍葬炎"」
リューザスから、紅蓮の炎が吹き出した。
魔眼と魔術が交差し、紅蓮の光が室内を覆い尽くす。
炎と爆炎、お互いの拮抗は一瞬で崩れた。
「な、に――」
リューザスの炎が灰燼爆を飲み込み、より大きな炎となって俺達へ襲いかかってきた。
「灰燼爆が撃ち負けた……?」
「違う。あの炎、魔力を喰らっている……!」
室内で僅かに漂っていた魔素の残滓が、炎に呑まれるのが見えた。
その度に、炎は大きさを増していく。
「――"魔技簒奪"!」
炎から魔力を奪い、その勢いを減退させる。
小さくなった炎を躱したその直後だった。
「――"喪失魔術・舞踏影衝"」
躱した先に出来ていた俺の影から、黒い杭が飛び出てきた。
咄嗟に柔剣で切断し、影のないないところへ移動する。
エルフィも魔腕で影を弾き、同様に影から距離を取っている。
「――"喪失魔術・黒輝穿弾"」
「――――!」
リューザスの方へ向いた瞬間、数十の弾丸が視界を覆い尽くしていた。
「喪失魔術を、詠唱なしで――」
"魔毀封殺"で防ぐも、十発程度防いだところで、盾に穴が空いた。
この弾丸、触れた物に穴を穿つ力があるのか。
盾の穴から、雨のように弾丸が入ってくる。
エルフィと別方向に回避するも、避けきれない。
「――"魔眼・重圧潰"」
エルフィが魔眼ですべての弾丸を地面に叩き落とし、弾丸を凌ぐ。
落下した弾丸が、地面に無数の穴を穿った。
「あァん!? おいおい、てめェらどうしたよォ。魔術師風情に、接近戦で何苦戦してんだァ?」
……不味いな。
完全に受けに回らされている。
全盛期のあいつでも、喪失魔術を詠唱なしで連発など出来なかったはずだ
リューザスが小声で何かを呟き、杖を振る。
何が来るかと、即座に身構えた。
「じゃあ、次行くぜ」
瞬間、十数メートル先にあったリューザスの姿が掻き消えた。
「――――」
一秒にも満たない間に、俺とエルフィは消えたリューザスの姿を捉えていた。
リューザスは消えたのではない。
強く地面を蹴って、走り出しただけだ。
ただそれは、想定を遥かに越えた速度だった。
リューザスは俺を無視して、エルフィへ真っ直ぐに進んで行く。
数メートル離れた位置から、リューザスは一秒でエルフィの眼前に迫っていた。
想定を越えた速度ではあるが、魔術師相手だから驚いたというだけだ。
対応出来ないわけではない。
「魔腕――」
僅かに目を見開きながら、エルフィも反応してみせた。
完璧なタイミングで、腕に魔力を纏い対応している。
「――"喪失魔術・災禍葬炎"」
そこへ加わろうとするが、リューザスは腕だけをこちらに向け、炎を放ってきた。
即座に"魔技簒奪"で炎を防ぐ。
その一瞬の間に、リューザスは違う魔術を行使していた。
「が、ふ――」
「エルフィ!」
エルフィが、頭部に魔術を喰らって吹き飛んでいた。
ゴロゴロと、受け身も取れずに地面を転がっている。
馬鹿な。
あの距離とタイミングならば、リューザスは間違いなく"魔腕"を喰らっていたはずだ。
「おい、大丈夫か!」
「う……く」
ヨロヨロと、エルフィが起き上がった。
「おォっと、普通の魔族じゃなかったな」
リューザスが杖を振った瞬間、白い球体がエルフィを包み込んだ。
すぐに球体は消滅したが、起き上がろうとしていたエルフィは力なく地面に膝を着く。
「はっ……はっ……」
「……喪失魔術に加えて、五重の結界でまだ意識があんのかよ。バケモンだな、おい」
エルフィが何をされたのかは、すぐに分かった。
体内に直接、封印を撃ち込まれたのだ。
その上、全身を結界で縛られている。
外側の結界はともかく、内側に撃ち込まれたのは相当に強力な魔術だ。
魔技簒奪では、解除することは出来ない。
地道に解くしかないため、解除には時間が掛かってしまうだろう。
そして当然、
「仲間を心配してる暇はねェぜ、アマツ」
リューザスはそれを許さない。
エルフィと俺の間に炎が走り、分断されてしまった。
「……チッ」
いくらエルフィとはいえ、あれだけの魔術を撃ち込まれたらすぐには動けないだろう。
あいつの魔力量なら、十分と掛からずに解除出来るとは思うが……。
「驚いてるようだなァ? 三十年前の俺はそんなに強くなかったってか?」
リューザスは呼吸を乱してはいるが、まだ余裕がありそうだ。
この調子だと、魔力切れは期待できそうにないな。
「言っただろうが。俺はオルテギアを殺すつもりだってな。三十年間、そのための研究を続けて来た。効率の良い魔術行使、他国の魔術、心象魔術、そして喪失魔術――てめェが相手だろうと、負けはしねェよ」
衰えて使えなかった魔術が、心象魔術で若返ったことで使えるようになってってことか。
オルテギアを殺すためというだけあって、戦闘能力は三十年前を上回っている。
だが、予想外――というほどのことではない。
こいつが何かしらの奥の手を持ってくることは想定していたからな。
「――【英雄再現】」
こちらも、奥の手を使わせてもらおう。
◆
世界が色を失い、同時に静止した。
ノイズで乱れた世界の中、かつての自分の背中が見えた。
その背中に手を伸ばし、俺はかつての英雄を再現した。
……あまり調子が良くない。
心象魔術が、少しずつ解けている感覚がある。
もって、三分程度だろう。
「……来たな」
リューザスが浮かべていた笑みを消し、睨み付けてくる。
ギリギリと、歯ぎしりさえ聞こえてきた。
「……英雄の力を取り戻す心象魔術だな。はッ、やっぱてめェ、未練たらたらじゃねえか」
「――――」
「くっだらねえ心象だなァ、おい。そんなんがてめェの――――」
一歩、踏み込んだ。
十メートル近くあった距離が消失する。
リューザスの懐へ、一瞬んで潜り込んでいた。
そして、リューザスが反応するよりも速く、翡翠の太刀で脇腹の肉を削いでやる。
「ぉ、がァああ!?」
絶叫するリューザスへ向けて二撃目を放つが、
「"四重加速"ォ!!」
急加速したリューザスは、傷口から血を撒き散らしながらも回避した。
なるほどな。
先ほどの高速移動は、加速を使っていたのか。
「が、ぐ、クソがァ……!!」
加速は身体に負荷を掛ける。
二重加速でも、使い手によっては全身の骨が砕けるレベルだ。
魔術師のあいつが四重加速など使えば、当然タダじゃすまない。
「ご、がァあ……ッ」
今の跳躍で、リューザスの両足はグチャグチャに壊れていた。
血が吹き出し、砕けた骨が肉を突き出ている。
「"高位治癒"――ッ!!」
リューザスは即座に治癒魔術を使い、脇腹と両足を治した。
だが、そんな隙を見逃すわけがない。
再度間合いを詰めるため、踏み込んだ。
「――"喪失魔術・舞踏影衝"ッ」
足元の影から杭が突き出してきたが、足に魔力を纏って踏み砕く。
「――"喪失魔術・黒輝穿弾"!」
三十以上の漆黒の弾丸が視界に広がるが、"魔技簒奪"で魔力を喰らい尽くす。
「来るんじゃねェ!!」
リューザスは後退しながら、大量の魔術を撃ってきた。
現れた岩の巨人を一太刀で粉砕する。
木の根で編まれた巨大な触手を両断する。
降り注ぐ氷塊を消し飛ばし、雷の槍を握りつぶす。
そうしている内に、リューザスは壁際まで追い込まれた。
「――――」
雨のように飛んでくる魔術を弾きながら、罠の有無を確認。
通路に埋め込まれていた罠を、翡翠の太刀の一閃で地面ごと抉り取った。
「てめェ……!」
リューザスの表情に焦りが浮かんだ。
だが、逃げ場はない。
「"喪失魔術・災禍葬炎"――ッ!!」
リューザスが杖を振り、炎を噴射した。
今までは加減していたのか、先ほどを遥かに上回る規模だ。
「第二鬼剣――"乖裂"」
視界を呑み込む紅蓮を、鬼剣で切り開く。
規模が大きくなろうが、炎が喰らい尽くせないだけの魔力があれば対処は容易い。
「な、ぁ―――」
リューザスが驚愕の表情を浮かべて後退る。
背が壁にぶつかり、その表情が青ざめる。
「……まず、その気持ち悪い右腕だ」
「ま、待――」
翡翠の太刀を上段から振り下ろし、リューザスの右腕を斬り落とした――。
「――――」
ズルリ、と。
それは、妙な手応えだった。
何かに当たった手応えはあったが、そのまますり抜けたかのような――
リューザスが、笑みを浮かべたのが分かった。
咄嗟に飛び退くが、
「"喪失魔術・流器封塞"」
「ッ」
躱しきれず、右腕の手の甲を何かに貫かれる感覚があった。
痛みはなく、外傷もない。
だが、
「……ッ」
『勇者の証』からの魔力供給がなくなった。
魔力を使用するための部分が、完全に塞がれている。
そう自覚した瞬間、心象魔術が完全に解除された。
エルフィが撃ち込まれたのと、同じ魔術か……。
「ごぼッ。はァ……はァ……くはははッ!!」
口から大量の血を吐きながら、リューザスが哄笑する。
斬り付けたはずの刃は繋がっている。
僅かに切り傷ができているのが見えたが、それだけだ。
「"喪失魔術・冥人乖離"――実体を他所に移す魔術……。はッ、死神から教わった魔術が、ようやく役に立ったな」
遠目から見て、分かった。
リューザスの体が、僅かに透けている。
「……だが、二度が限度か。負荷が重すぎるな、クソ」
顔を蒼白にし、リューザスは何度も吐血している。
エルフィの魔腕を回避したのは、あの魔術か……。
腕に撃ち込まれた魔術を解除しようとするも、『勇者の証』が閉じてしまっている。
解除するための魔力が操れないのだ。
この魔術を敗れる可能性があるのは、心象魔術だけだが――。
「くく、くははははッ! どうした、アマツキ君よォ。お得意の心象魔術は使わねェのかァ?」
「…………」
心象魔術が発動できない。
最初の段階から、調子が悪かった。
ディオニスと戦った時や、霊山の時のように上手く発動できていなかったのだ。
「分かってるぜ。使わねェんじゃなくて、使えねェんだろ? てめェの心象魔術は不完全だからなァ。継続して発動出来ねェんだろ?」
「……ッ」
「シナリオ通りだぜ、アマツ。あの魔族と、てめェの『勇者の証』。その二つさえどうにかしちまえば、最初から勝てると踏んでたんだ」
リューザスが杖を振ると同時に、風の弾丸が掃射された。
翡翠の太刀で受け流し、弾丸をやり過ごすも、
「――"喪失魔術・舞踏影衝"」
地面から出てきた杭に、太ももを貫かれた。
「く、ぁ」
立っていられなくなり、地面に倒れこんでしまう。
即座にポーチへ手を伸ばし、回復用のポーションを飲もうとするが、
「させるかよ」
「ッ」
リューザスの魔術によって、ポーションが吹き飛んだ。
容器が砕け、中身が地面に染みこんでいく。
「――――」
どうする。
予備の魔石を使うか?
無理だ。扱うための魔力が無ければ、魔石は使えない。
手持ちの魔力付与品も、魔力がなければ扱うことが出来ない。
"魔域剥奪"以外の仕掛けもあるにはあるが、これも魔力がなければ発動できない。
いや、そもそも"絶王領域"が破壊されるとの同時に仕掛けも壊されている。
隙を見てポーションを使う?
……駄目だ。
仮に治せたとしても、魔術が使えなければリューザスには勝てない。
エルフィはまだ動けない。
結界を解くにしろ、まだ五分は掛かるだろう。
俺に、残された手は一つしかない。
だが、これは――――。
「……打つ手なしかァ、アマツ?」
リューザスが勝ち誇る。
「……この時をずっと待っていた。てめェをねじ伏せ、ぐちゃぐちゃに潰してやれるのを」
魔術が飛んでくる。
「じっくりと、殺してやるよ」
躱すことも出来ず、俺はただ魔術に撃ち抜かれることしか出来なかった。
◆
両腕の骨が砕かれ、両足を逆方向に捻られた。
氷塊が腹部にめり込み、血が喉元まで迫り上がってくる。
額が割られ、流れた血のせいで左目の視界が赤く染まってしまっていた。
「ごっ……ふ」
『紅蓮の鎧』の防御力のお陰で、致命傷は負っていない。
リューザスが、俺を甚振っているというのも理由の一つではあるが。
「はははッ!! 良い姿だなァ、えぇ? 男前になったじゃねェか、アマツキ君よォ」
強風が発生し、体がふわりと持ち上げられる。
直後、背中から地面に叩き付けられた。
呼吸が止まり、口内に鉄の味が広がる。
俺に残された、最後の手。
それは、心象魔術の明確な発動条件を見つけることだ。
俺はその条件を、『今の自分では勝てない相手と戦う』ことだと思っていた。
素の力では勝てない、倒せない、殺し切れない。
これまで心象魔術が使えたのは、そういう場面だった。
だが、それならばとっくに条件は満たしているはずだ。
今の俺では、リューザスに勝てない。
だというのに、心象魔術は上手く発動していなかった。
何か、別に条件があるはずだ。
必死に思考を巡らせる。
強い相手と戦うことではなく、俺が生命の危機に陥ること……か?
だが、今の段階でかなり体力を削られている。
この状況でも、足りないのか……?
「ぼーッとしてんじゃねェ」
「が、はッ」
岩の弾丸が頬を掠り、肉を抉っていった。
激痛に、思考が一瞬止まる。
「なァ、おい。俺を殺すんじゃなかったのかァ? ほら、殺してみろよ」
「ごッ」
風の刃が肩を斬り裂いた。
傷口が燃えるような熱を発している。
「どんな気分だ? 王城と奈落迷宮、どっちでも好きなように甚振った相手に、嬲られる気分はよォ」
「……ッ」
「俺は最ッ高の気分だぜ、アマツ。吐き気がするほど嫌いだった、カス野郎をようやくぶっ殺せるんだからなァ」
嘲笑し、俺を嬲りながらも、リューザスはまったく油断していない。
一定の距離を保ち、近づいて来ない。
「おい、何か言えよ。命乞いの台詞でもねェのか?」
「ある……わけ、ねェだろ」
「はッ。じゃあ言いたくなるようにしてやるよ。眼球抉って、鼻削ぎ落として、唇もぎ取って、皮膚剥がして、玉潰して……そんだけやりゃァ、てめェでも何か言いたくなるだろうさ」
リューザスの手に、風の刃が生まれる。
「――――」
この状況でも、心象魔術は使えない。
まだ、足りないのか?
駄目だ。このままでは、使うより先に俺が殺される。
いや、まさか。
これも、発動条件じゃないのか……?
「おら、喰らえ」
リューザスが、風の刃を放とうとした直前だった。
「……やめろ」
「!」
その時、エルフィが立ち上がった。
五重の結界を解除したのだ。
だが、まだ体内に撃ち込まれた魔術は解除できていないようだった。
フラついており、顔色も悪い。
「……そういえば、まだ魔族がいたんだったなァ」
エルフィを見た瞬間。
リューザスの顔に、醜悪な笑みが浮かんだ。
「なあ、アマツ。あいつを殺したら、お前はどんな顔をするんだろうな?」
「――――」
「分からねえってか? 安心しろォ、今すぐ答え合わせしてやるよ」
喪失魔術が、エルフィに放たれる。
魔眼で対処するエルフィだが、威力が普段の半分もなかった。
魔眼では防ぎ切れず、"黒輝穿弾"がエルフィの腹を撃ち抜いた。
「ぐ……ぅ」
「……死なねえか。大した生命力だ」
「貴様などに……伊織は、殺させん」
「へぇ。じゃあまずてめェを殺すさ」
リューザスの魔術が、エルフィを斬り刻んでいく。
「は……かっ」
「やめ……ろ」
「なァ、アマツ。この魔族が大切か?」
エルフィを甚振りながら、リューザスがにやけ顔を向けてきた。
「この魔族に惚れてんのか?」
「…………」
「お前、ルシフィナに惚れてたよな? あんだけこっ酷く裏切られて、まだ他人に好意を持てるッたァ、おめでたいとしか言いようがねェな」
違う。
俺とこいつは、そんな関係じゃない。
「まァ……そのおめでたい頭に感謝しねェとな。そのお陰で、お前を絶望させられるんだから」
リューザスが、杖をエルフィへ向けた。
エルフィが迎え撃つ。
「舐めるな……!」
魔眼を放つが、リューザスには届かない。
魔腕を使うが、魔力が足りずに腕が裂けている。
魔脚で移動しようとして、影から突き出た杭に足を貫かれた。
「かふっ……」
「終いにするか」
「やめ……ッ」
リューザスが、"黒輝穿弾"を発動した。
「魔眼――――」
フラつきながら、エルフィが再度魔眼を撃とうとして――、
「エル――」
それよりも速く、黒い弾丸がエルフィの右目を貫いた。
弾丸はそのまま後頭部を貫通していった。
ドシャリ、とエルフィが地に沈む。
右目に空いた穴から、ドクドクと大量の血が流れている。
黒いドレスが、自身の流した血に染まっていった。
胴体は、エルフィが作り出した分身体だ。
穴を開けられても、死にはしない。
だが、顔は違う。
顔は、エルフィの生身の肉体だ。
そんなところに、穴を開けられれば……。
「エル……フィ」
「はは……くはははははははははははッ!!」
静まり返った部屋の中に、リューザスの哄笑が響き渡る。
「なァ、もう一度聞くぜ、アマツ! 今、どんな気分だァ!?」
「――――」
「憎い相手に甚振られるどころか、大切な仲間を殺されてよォ!? えェ!?」
「………」
「いい顔だぜェ、アマツゥ」
楽しくて堪らないという風に、リューザスが腹を抱えて笑い声をあげている。
「魔王城でてめェを裏切った時の、あのポカンとした表情。今のてめェは、あのなっさけねェ顔にそっくりだ。はは……くくく。あァ、笑いが止まらねェ」
「リュー……ザス」
「自分が裏切られた時と比べてどォだ? あァ? 大切な人を奪われた気分は、どうだって聞いてんだよォ!!」
暴風が吹き荒れ、体が持ち上げられる。
そのまま、俺は血に沈んだエルフィのところまで吹き飛ばされた。
ベシャリと音を立てて、エルフィから流れた血溜まりに落ちる。
「エルフィ……」
エルフィが、すぐ隣に倒れている。
銀色の髪が、血に揺蕩っていた。
「大切な人の死体を間近で見た感想はァ?」
「…………」
「感傷に浸ってる暇はねェぜ? 次はてめェだ、アマツ」
――殺される。
恐怖はない。
だが、受け入れられない。
こんな結末を、受け入れてなるものか。
かつての自分を再現しようと、腕に力を込める。
「――――」
だが、心象魔術は発動しない。
何も、起こらなかった。
「まず、両目を抉ってやるよ」
リューザスが、魔術を放とうとして――、
「……い、おり」
か細い声とともに、裾を引っ張られた。
「……あァ?」
うつ伏せになったまま、エルフィは呟く。
「思い……だせ」
「エル、フィ」
「おま……えは、何をしたかったのか……」
辛うじて、そのか細い言葉が耳に入ってきた。
俺が、何をしたかったか――――?
「……チッ。しぶとい野郎だ。焼き殺してやるよ」
"災禍葬炎"をリューザスが唱えた。
紅蓮の炎が生まれ、蛇のように鎌首をもたげる。
『紅蓮の鎧』によって、炎に強い耐性を持つ俺は死なないだろう。
だが、エルフィは。
「ぃ……おり」
「――――」
――少し、嬉しいな。
――お前が、私を『信用』してくれていることが嬉しいのだ。
「……あぁ」
そうか。
そうだったな。
俺は、馬鹿だ。
心象魔術を初めて使った時、俺は何を思っていた?
霊山で心象魔術を使った時、俺は何を考えた?
オルガとの戦いで心象魔術を使った時、俺は何をしたかったんだ?
全部、同じだった。
最初から、俺の心象は一つだけだった。
何を悩むことがあったんだ。
心象魔術が使えた時。
いつも、俺は。
「――俺は、助けたかったんだ」
この炎を喰らえば、エルフィは死ぬ。
それは、嫌だ。
俺は、エルフィを助けたい。
拳を握り、その心象を口にする。
「――【英雄再現】」
体に埋め込まれていた魔術が砕けた。
『勇者の証』から、熱い物が溢れ出す。
世界がノイズに呑まれ、迫る炎の動きが緩慢になった。
灰色の世界の中、目の前には"英雄が立っている。
ただ、その背中が。
以前より少しだけ、近くにあるように見えた。
「"魔毀封殺"」
目の前に、盾を生み出した。
炎が魔力を喰らおうとするが、逆に炎の魔力が削られている。
本来の"魔毀封殺"は、触れた物の魔力を削り、封殺する盾だからな。
治癒で体を治し、エルフィへ振り向く。
血溜まりに沈んでいるエルフィを抱え、部屋の奥へ運んだ。
「……ありがとな、エルフィ」
ディオニスの時と同じだ。
また、お前に助けられた。
「……ふ」
エルフィの口元が、僅かに緩んだように見えた。
「"高位治癒"」
エルフィの傷を治癒魔術で癒やす。
そして、体内の魔術も砕いておいた。
穴が空いた右目も、緩やかに治っていく。
……良かった。
高い生命力を持っていて、本当に良かった。
流石に、この怪我ではすぐには動けないだろうが、死ぬことはないはずだ。
「……待っててくれ」
エルフィを置いて、部屋の中央へ戻る。
「……何だよ、そりゃァ」
リューザスが、目を見開いていた。
「何なんだよ、てめェッ!! 両手足潰して、魔力供給も押さえて……それでもまだ、足りねえッてのかよッ!!」
ワナワナと体を震わせ、唾を飛ばして叫んでいる。
その叫びを無視して、俺は魔術を行使した。
「――"獄炎"」
同時に、リューザスとの間合いを詰める。
逃れようとしたリューザスへ、蒼い炎をぶち撒けた。
「あッ、ぎゃあああああああッ!?」
全身を焼かれ、リューザスが絶叫する。
「さっき言ってたよな。殺してみろって」
「が、ああああッ」
悶え苦しむリューザスへ告げる。
「……望み通り、殺してやるよ」




