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第四話 『嵐の訪れ』

 ある絵本を読んだ。

 一人の青年が、悪い魔王をやっつけるお話。

 悪い魔王が消え、皆が笑って過ごせる平和な世界が訪れた。

 そんな、古い御伽話。


 読み終えると、彼女は言った。


「……私ね。この絵本みたいな、幸せな世界を作りたいな」


 それが無理だと、知りながら。



 忌光迷宮は、シュメルツの北部にある。

 切り立った崖に、大きな穴が開いている。

 それが、忌光迷宮への入口だ。


 その崖を中心として、迷宮の近辺は立ち入りが禁止されている。

 当然、迷宮を管理している聖堂騎士団以外の人間は、誰も近付くことが出来ない。

 近辺には年中、見張りの騎士が付けられており、並大抵のことでは迷宮の中にすら入れないだろう。


 そんな見張りを突破して、俺達は忌光迷宮の入口付近にまでやってきていた。

 現在は、入口を見下ろせる大岩の上にいる。

 尾行はされておらず、また見張りの騎士には見つかっていない。

 下調べの結果、レオが俺達を嵌めようとしている形跡は見られなかった。

 少なくとも、迷宮に入ろうとした瞬間に聖堂騎士がゾロゾロと出てくる……という事態にはならないだろう。


 監視の騎士が動くのを、俺とエルフィは気配を消して待っていた。

 騎士達は交代で見張りをやっている。

 どうやるのかは知らないが、レオはその交代の時間を狙って、迷宮の入口から数分だけ見張りを消してくれるらしい。

 もしも何も起こらなければ、見張りの騎士を眠らせて押し通るつもりだ。


「入口は、変わってないな」


 三十年ぶりに見た、忌光迷宮の入口。

 崖の下にある洞窟だ。

 ぽっかりと空いた穴からは、怪物の口のような闇が広がっている。

 内部には、一切の光源がないからだ。


 入口は結界によって覆われており、内部から滲み出した魔素が入口で溜まっているのが見える。

 相当量の魔素が、内部で溜まっている証拠だろう。

 教国が最後に迷宮内の魔物を掃討したのは、数ヶ月も前のことだと聞いている。

 あの魔素の量を見る限り、大量の魔物が犇めいていても可笑しくはない。

 

「……静かだな」


 隣で岩に腰掛けていたエルフィが、銀色の髪を撫でながら呟いた。

 エルフィの言う通り、迷宮付近はシンと静まり返っている。

 それも当然だろう。ここには見張りの騎士と、俺達しかいないんだからな。

 だが、言わんとしていることは分かった。


 キリキリと肌を刺すように張り詰めた空気は、これから迷宮に挑むという緊張感から来ているのだろうか。

 恐らく違うだろう。

 予知とか、気配とかを感じ取ったわけではないが――、


「まるで、嵐の前触れのようだ」

「……そうだな」


 勇者をやっていた頃に、味わった感覚だ。

 死線を潜る数時間前から、肌を刺すような予感があった。

 何かが来るであろう、という予感が。


 願わくば。


「……くく」


 お前がノコノコと来てくれることを祈っているよ。

 リューザス・ギルバーン。

 お前をどうやって殺すかは、もう決めたからな。

 ディオニスに続いて、記念すべき二人目のパーティメンバーだ。

 一つの節目として、存分に苦しませてから殺してやるさ。

 

 それから、一時間近くが経過した。

 レオの言った時間に、何かしらの手違いか、迷宮の前の見張りがいなくなった。

 正直ザル過ぎるんじゃないか……と思ったが、レオが手を回してくれたお陰だろう。

 あの口ぶりからすると、際どいことをやっていそうだな。


 岩から飛び降り、下へ着地する。

 見張りのいない入口へ近付き、結界の構造を改めて確認した。


 複数人の術者が、合同で張った結界だな。

 対魔術、対物理、どちらの側面から見てもかなり頑丈に作られている。

 通常の方法で結界を破るのなら、かなりの時間が掛かるだろうな。


「どうだ。出来そうか、伊織?」

「問題ない。だが、消せるのはほんの一瞬だ。タイミングを逃すなよ」


 だが、俺達は通常では取り得ない方法で、結界を消すことが出来る。

 エルフィに魔眼で結界の起点を見てもらい、最も効果的な位置を見定める。

 三つの迷宮核を取り込んだ今ならば、"魔技簒奪スペル・ディバウア"で二秒ほど結界に穴を作ることが出来るだろう。


 そう分析している間に、背後にチリチリとした嫌な感覚が過ぎった。


「……見られているな」


 振り返らないまま、小声でエルフィに告げる。

 既に気付いていたようで、エルフィも小さく頷いた。

  

 感覚からして、見ているのは二人以上。

 気配の消し方から、聖堂騎士団ではないことが分かる。

 それなりに離れたところにいることから、すぐに手出しをしてくるつもりはなさそうだ。


「……王国の魔術師どもか?」


 エルフィの問いに、即答できない。

 ここまでの間、リューザスは俺達に尻尾を掴ませなかった。

 何故、ここに来て気付かれるようなことをしたのだろう。


「思いつく可能性は三つ。何か失敗をして、俺達に気付かれた」


 可能性は低い。

 相手は、曲がりなりにも一国の最高戦力だ。

 そんなヘマをする奴がいるとは考えにくい。


「二つ目は、あえて俺達に気付かせて、何かをさせようとしている」


 ありえないわけではないが、そうするメリットがあまり思いつかない。

 こちらは端から警戒しているし、それはあちらも分かっているはずだ。

 今日までの間に、俺達は万全の準備を整えているのだから。


 となれば、もう一つの可能性。


「王国の魔術師ではない、別の誰かが、私達を見ている――か」

「……かもな」


 教国の人間……ではないだろう。

 騎士のレベルは低くないが、見つかるようなヘマはしていない。

 第一、見つかっていたら、すぐにこちらに向かってくるだろうからな。


 他国の人間も考えにくい。

 連合国と帝国の人間が、このタイミングで出てくるとは思えない。


 ……となれば。


「やはり、先ほどの女を逃がすべきではなかったな」

「……あれは人間だった。魔力付与品マジックアイテムを使っていた形跡はなかったぞ」

「お前の存在に気付いているなら、魔眼の対策をしていた可能性がある」

「…………むう」


 ともあれ、考え込んでいても仕方ない。

 交代の騎士がやってくるのも時間の問題だろう。

 これも、一応は想定していたパターンの一つだ。

 

「行くぞ」

「うむ」


 警戒の度合いを、別のベクトルに高めておこう。


「――"魔技簒奪スペル・ディバウア"」


 瞬間、入口を覆っていた結界の一部が消失した。

 内部から、ドロリと濁った空気が漂ってくる。


「……行くぞ」


 俺達は、忌光迷宮へと足を踏み入れた。




 迷宮の中は暗かった。

 名前の通りに、光を忌む空間だ。

 空いた結界から僅かに月光が差し込んでいたが、それも一秒足らずで消えた。

 完全な闇に、目を凝らそうともまったく先が見通せない。


「い、伊織……」


 僅かに呼吸を荒くして、エルフィが寄り添ってきた。


「大丈夫だ。すぐに灯りを付ける」


 あらかじめ用意していた、魔力付与品マジックアイテムの一つ。

"浮遊光のカンテラ"をポーチから取り出し、魔力を込めた。

 赤く光る球体が現れると、俺達の周辺の浮遊し始めた。

 手が塞がれることなく、周囲を照らすことの出来る便利な品だ。


 浮遊する光が、迷宮のゴツゴツとした壁を照らしていく。

 足元もハッキリと見ることができる。


「まったく、人間の作るアイテムは便利だな」

「三十年前のは、もう少し不便だったな」


 消費する魔力の量や、一度に出てくる光の数が段違いだ。

 複数個使ったのを思い出す。

 魔力付与品マジックアイテムを使うのは、いつもリューザスの役目だった。


「これで、先へ進めるな」

「……ここからだ」


 忌光迷宮の厄介の点として、普段から闇に覆われていることがあげられる。

 それはつまり、光を灯せば、当然内部の魔物に気付かれるということだ。

 光がなければ進めない以上、魔物を引き寄せながら先へ進むほかない。


『シィイイ』


 早速、正面から雷帝大蜘蛛ブリッツ・スパイダーがやってくるのが見えた。

 人を見下ろせるほどの、巨大な大蜘蛛。

 黄と黒の模様が、浮遊光に照らされてよく見えた。


「行くぞ」


 シャカシャカと足を動かしながら、雷帝大蜘蛛が近付いて来る。

 吐いてくる糸を回避し、翡翠の太刀で頭部と胴体を両断する。

 分断されてなお、頭部だけで飛び付いてくる雷帝大蜘蛛だが、


「――魔王キック」


 エルフィの蹴りを喰らい、迷宮の壁に激突して潰れた。

 魔術を使わない、ただの蹴りだけでこの威力。

 こいつに掴まれたら、逃げ出せないわけだ。


「ふむ。しばらくは魔王キックと魔王パンチだけで十分だな」

 

 手足を振り回しながら、エルフィがドヤ顔を浮かべている。

 

「油断するなよ。ボルトスライムには打撃は通じないし、雷帝大蜘蛛が厄介なのは遠距離から攻撃を仕掛けてきた時だからな。油断していると、元魔王のグルグル巻きが完成する」

「……なんか美味しそうな響きだな」


 気の抜ける反応だが、エルフィが油断していないのは分かる。

 魔眼を光らせて、常に警戒している。

 その表情は、いつになく真剣だ。

 この調子ならば、大丈夫だろう。


 ……と思ったが、一応聞いておくことにした。


「エルフィ」

「ん?」

「渡した目薬は刺したか?」


 この迷宮は唐突に、吸収した光を一気に放出する。

 その時の光を直視すれば、網膜が焼けて失明してしまう。


「問題ない。私の眼は、迷宮の光程度で焼かれるほど柔ではない」

「……本当に大丈夫なのか?」

「この迷宮には何度も来たことがある。その時も、私の魔王眼はここの光を容易く弾いて――」


 瞬間。

 壁、床、天井――迷宮内部のあらゆる物が、凄まじい光を放った。

 何の前触れもない放光だが、既に対策している俺には効かない。

 目薬の効果によって、限界を越えた量の光はシャットアウトされるのだ。


 光のタイミングを狙っての襲撃も、当然警戒している。

 周囲には何の気配もない。

 このタイミングでの襲撃はなさそうだな。


 ふと横のエルフィに視線を向けると、


「うぁ……うぁああ! 目が! 目がぁあ!」


 両目を押さえて、転げまわっていた。


「痛い……めちゃくちゃ痛いぃ……」

「馬鹿なのか、お前は」

「だって! 前に来た時は本当に痛くなかったんだもん!」


 だもん! じゃねえ。


「早く起きろ。魔物が近付いてきてる。ノロノロしてる暇はないぞ」


 目を押さえて泣いているエルフィを強引に立ち上がらせる。

 無理やり目薬を差して、俺達は先に進んだ。



 黒髪の少年と、銀髪の少女。

 報告にあった二名が、忌光迷宮の中に入っていくのが見えた。

 二人が完全に消えるのを確認すると、夜闇からズルズルと三つの影が姿を現す。


「――アレがエルフィスザーク・ギルデガルド。堕ちた魔王か」

「隣にいたのは、恐らく勇者だろうな」

「あんなのがか? ただの人間にしか見えなかったけどなぁ」


 背中から生えた、二本の翼。

 赤黒い肌に、ギョロリとした大きな黄色い眼球。 

 二本の腕には、杭のような鋭い爪が生えている。


 人ならざる者。人に仇なす魔。

 ――魔族。


「見掛けに騙されるな。あのアマツと同じ勇者だぞ」

「分かってる。だがよ、アマツと同じ勇者と、元魔王。本当に同時に殺れるのか?」

「何だダール。ビビったのかよ?」


 ダールと呼ばれた魔族が、露骨に顔を顰める。


「違げえよ。疑問に思っただけだ」

「そのためにあの三人が出てくるんだよ。あの裏切り者のハーフエルフと、混ざり者にデカイ顔されるのは気に食わないが、実力だけは本物だからな」


 言葉を漏らす二人に、一人の魔族が「そこまでにしろ」と注意を入れた。


「エルフィスザークを見つけた以上、俺達のやることは一つだ」

「そうだな」


 この三人は、四天王"消失"が送り込んだ偵察の魔族だ。

 シュメルツを囲む大聖門を越え、聖堂騎士に見つかることなくここまで潜りこむことの出来る精鋭。

 その能力の高さから偵察の任務を与えられているが、戦闘においても人間を蹂躙できるほどの力を持っている。


"散風刃"ダール。

"繋肉手"シーザー。

"氷撃閃"ベラドーラ。


 リーダーのベラドーラが率いる、グレイシアの部下だ。


「シーザー。グレイシア様に報告しろ。"目的の物"は見つかったと、な」


 仲間のその言葉に、シーザーが頷いた。

 渡された魔力付与品に魔力を込め、遠方のグレイシアへの連絡を送り始める。


 ――その瞬間。


「――!?」


 三人の周囲を、グルリと結界が覆った。

 知覚と同時に、三人は体から急速に力が抜けていくことに気付いた。

 何事かと、事態の把握に努めようとした瞬間、


「――"空間断リアル・スラッシュ"」


 シーザーの体に、一筋の線が走った。

 頭部から股ぐらまでズルリとずれていき、やがてその体が二つに分かれた。


「ンだ……ごれェ!!」

「……ほう。両断されても死なないのか」


 断面から細やかな触手が生まれ、二つに分かれたシーザーの胴体を繋ぎ合わせようとする。

 そこへ、冷ややかな言葉とともに無数の魔術が飛来した。


「チッ」

「シーザーァァッ!!」


 残りの二名は回避に成功するが、再生中のシーザーは魔術を受け、完全に消滅した。

 生命力の強いシーザーだが、破片も残らず消されてしまえば、どうすることもできない。

 待っているのは死、だけだ。


「……何だ、貴様らは」


 気付けば、ベラドーラ達は二人はローブを身に纏った人間に囲まれていた。

 

「聖堂騎士……いや、教国の人間ではないな。そのローブ……まさか、王国の"選定者"か」

「ふん。穢らわしい口で、我らの名を呼ばないでもらおうか」


 王国が誇る最高戦力、"選定者"。

 選定者・第一席、ハロルド・レーベンスが冷たく言い放った。


「……そうか。勇者を守るために、見張っていたというわけか」

「はっ」


 見当違いのベラドーラの言葉に、選定者達が失笑を漏らした。

 そうしている間にも、周囲に展開された"対魔族用結界"がベラドーラ達の力を削っている。


「貴様らは選定するまでもない。邪魔だ。即刻――死ね」

「!」


 ハロルドの言葉を皮切りに、選定者が一斉に動き出した。

 人間とは思えぬその機敏な動きに、ベラドーラが目を剥く。


「テメエら……よくもシーザーを!!」

「逸るな、ダール!」


 仲間をやられて頭に血が昇ったダールが、全身から風を噴出して地に降り立った。

 近寄ってくる選定者達に向け、風の刃を薙ぐ。

 人間ならば、容易く切断するはずの一撃だ。

 

「なっ」


 ローブをはためかせながら、選定者達は容易く刃を回避した。

 それどころか、回避と同時に複数の魔術がダールに飛来する。


「ぐゥ!!」


 風を纏わせた刃で魔術を切断するも、


「――鈍い」


 懐に潜り込んでいたハロルドの刃が、ダールの胸を斬り裂いた。


「がはっ」

「まったく……あの魔族用に作った結界だというのに、貴様らに使う羽目になるとはな。一体、どれだけの費用と時間が掛かったと思っている?」


 鮮血を吹き出しながらも、ダールが切り札を開放した。

 ――名を"鎌鼬"。

 あまりに小さく、目視することすら難しい小規模の風の刃だ。


「チッ」

「!?」


 瞬間、ダールを囲んでいた選定者達が鎌鼬を回避した。

 いや。中には躱しきれず、ダメージを受けた者はいる。

 だが、その誰もが致命傷を避け、すでに次の攻撃に移っていた。


「魔術だけでなく、肉弾戦も……ッ」

「死ね」


 ハロルドの一撃が、ダールの肉体を消し飛ばした。


「……おのれ」


 呆気なくやられた仲間を見て、ベラドーラが舌打ちする。

 確かに、選定者は強い。

 だが、万全な状態ならば、この三人でも十分に戦えただろう。

 厄介なのは、自分達を覆っている結界だ。


 対魔族結界。

 魔族の力を奪う、人間が編み出した忌々しい結界だ。

 それも、かなりの量の魔力が込められている。

 ハロルドが言った通り、これを一つ展開するにも、凄まじいコストが掛かるだろう。

 

「俺達が来るのが分かっていたのか……?」


 そうでなければ、おかしいレベルの結界だ。


「……まあいい」


 自らの思考を切り捨てて、ベラドーラは言った。


「……皆殺しだ」


 瞬間、結界内の温度が急激に下がった。

 同時に、バキバキと音を立ててベラドーラの体が氷に包まれていく。

 ベラドーラの呼び名は"氷撃閃"。

 彼が操る氷は、高い攻撃力と防御力の両方を兼ね備える。

 シーザーとドーラの二人がかりでも、本気を出したベラドーラには及ばないだろう。


「人間風情が、調子に乗るなよ」


 ベラドーラの周囲に、数十の氷の刃が展開された。


「……!」


 ハロルド達が、瞬時に防壁を張った。

 発射された刃が、弾丸のように防壁に突き刺さっていく。


「……撃て」


 ベラドーラの体に、四方から魔術が突き刺さる。

 だが、


「効かんな」

 

 氷から生み出された鎧が、一切の魔術を弾いていた。

 対魔族結界で弱っていてもなお、ベラドーラの力は圧倒的だった。

 氷で生み出した刃を手に、ベラドーラが選定者へ襲い掛かる。


「……なるほど、確かに強い」

「……ッ」


 グニャリと、ベラドーラの顔に嗜虐の笑みが浮かぶ。


「――人間にしてはな」


 形勢が逆転し、次第に選定者が押され始めた。

 嘲笑を浮かべながら、選定者を蹂躙するベラドーラ。

 致命傷こそ避けているものの、選定者の体を氷の刃が掠っていく。

 このまま全滅するのは時間の問題――そう、ベラドーラが思った瞬間だった。


「!」


 押されていただけの選定者が、機敏な動きでベラドーラから退いた。

 その余力を残した動きに、違和感を感じると同時だった。


 ――その男が現れた。


 くすんだ赤髪、獣のような獰猛さが覗く双眸。

 手に握る魔導杖と、宮廷魔術師に与えられるよう漆黒のローブ。

 酷く冷めた表情を浮かべた、五十代の男だ。


「……き、さまは」


 ベラドーラは、この男を知っている。

 直接、目にしたことはない。 

 だが、その"悪評"は幾度となく耳にしてきた。


 かつて英雄アマツと肩を並べ戦った男。

 人間最強とまで謳われた魔術師。

 その名は、


「……"大魔導"リューザス・ギルバーン」


 聞いたことがある。

 目の前のこの男は、たった一人で一万の軍勢を壊滅に追い込んだ化物であると。


「――――」


 リューザスの肉体から、魔力が吹き出す。

 全盛期からは大幅に衰えていても、その才は本物。

 選定者達は、リューザスの魔術が完成するのを待っていたのだ。


 赤い目が、ベラドーラを睨んでいる。

 ――否。

 その目は、ベラドーラを見ていなかった。

 彼の遥か背後の誰かを、睨み付けている。


「お、のれ……」


"氷撃閃"と呼ばれたこの自分が、眼中にない。

 その事実に、ベラドーラは激怒した。


「舐めるな、人間風情がァああああッ!!」


 持てる全ての魔力を放出し、ベラドーラが巨大な氷の刃を作り出した。

 数十人を同時に貫いて余りある大きさだ。


「堕ちろ、旧時代の遺物がァあああッ!!」


 絶叫とともに、刃がリューザスへ向かっていく。

 対して、リューザスはただ杖を振った。


「――"喪失魔術ロストマジック・災禍葬炎"」


 すべてが、炎に飲み込まれた。

 刃も、氷も、鎧も、ベラドーラも、何もかもが。

 炎が消えた時、すでに何も残っていなかった。



 見張りの騎士は眠らせ、周囲には無音の結界を張った。

 この戦いが露見するのは、夜が明けた後だろう。

 それまでに、すべてを終わらせればいい。


「――行くぞ」


 静寂は終わった。

 嵐が、来る。


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