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第三話 『信用するのは』

 彼女はいつも笑っていた。

 辛くても、悲しくても、痛くても、苦しくても。

 涙を堪えるように、笑っていた。

 

 ――その哀しい笑顔が、彼の心に灼き付いた。

 


「……本当に出直さなくても大丈夫か?」

「違うと言っているだろう!」


 椅子に腰掛けたレオが、気まずそうな表情をしている。

 エルフィが慌てた様子で、レオを怒鳴り付ける。

 やかましい……。


「いや、何だ。仲が睦まじいのは良いことだと思う。だ、だが、時間を考えたまえ! まだ日も落ちない内に、……そ、そういうことをするのはどうかと思うぞ」


 顔を赤くして、レオが俺達から視線を逸らしながら藍色の頭を掻く。

 随分と初心な反応だな、などと考えていると、


「さ、さっきから貴様は! ななな、何を考えているのだ!? 勘違いするな! 私達は、そ、そういうアレではない! 断じて! 決してだ!」


 エルフィの反応も、負けず劣らずだった。

 おい、百戦錬磨の恋愛大魔王はどこに行ったんだ。


「落ち着け。じゃれていたのは確かだが、お前が考えているようなことをしていたわけじゃない」

「そうだ! この変態騎士め!」

「お前は少し黙っていろ」


 エルフィを黙らせて、ようやく事態は落ち着いた。

 レオは恥じ入るように咳払いすると、孤児院の子供についての話を始めた。


「結果から言って、全員無事に到着した。受け入れ先はファミナだ」


 シュメルツここからそう遠くない場所にある、教国の都市の一つだ。

 "聖光神"が訪れた記録の残っている、聖都の一つ。

 最も、シュメルツほど規模の大きな都市ではないのだが。

 

 ともあれ、これでミシェル達はシュメルツでのゴタゴタに巻き込まれることはなくなった。

 気にすることなく、リューザスを殺しに行くことが出来るというわけだ。


「それで、もう一つの件はどうなったんだ?」

「ああ。何とか手配した。三番隊の到着が想定よりも早いから、少し急がなくてならないが」


 もう一つの件。

 それは"忌光迷宮"の話だ。


 現在、教国は忌光迷宮の討伐に乗り出している。

 王国、連合国、帝国。

 三つの隣国が迷宮を討伐できているのに、最も神の祝福を受けている我らができないはずがない。

 そんな風に、教国内で迷宮討伐の気運が高まり、遠征に出ていた三番隊の騎士を始めとした精鋭達が忌光迷宮に挑むことになったようだ。


 シュメルツの武具店で武具が売り切れていたのは、迷宮討伐のための布石というわけだ。

 他の店でも武具が売り切れているのは確認していた。

 一瞬、魔王軍との戦争を始めるつもりなのではないか、などと考えたが、時期的に迷宮討伐の準備をしていると推測を立てた。

 実際、それはあたっており、教国中の精鋭がシュメルツに集まってきている。

 ジョージやマルクス達が起こしたトラブルによって、到着はやや遅れているようだが。


「三番隊は早くて明日の夜、遅くても二日後の朝には到着する」

「……そうか」


 確かに、猶予はあまりないな。

 迷宮へ挑むことが許されるのは、教国が選別した精鋭のみ。

 連合国と違って、迷宮討伐のメンバーを募集するなどということはしない。

 それどころか、関係のない者が迷宮へ挑もうとすれば罪に問われるだろう。


 迷宮の入口に仕掛けられているのは、教国が用意できる最大級の結界と見張りの騎士。

 俺とエルフィならば突破できないことはないだろうが、穏便に済ませるのならばそれに越したことはない。

 レオには、俺達が安全に迷宮へ入れるように手配を頼んでいた。

 もし、断られていれば、


「――――」

 

 洗脳魔術を使用しなければならなかったが、幸いにもレオは頼みを受け入れてくれた。

 レオクラスの相手に洗脳を仕掛けようとすると、手間が掛かるからな。

 受け入れてくれて、本当に良かった。


「っ」

 

 レオが小さく息を呑んだ。

 

「どうした? 喉が渇いたのなら、水でも用意するが」

「いや……大丈夫だ」


 微笑を浮かべ、指で水の在り処を差す。

 最初の出会いがあれだったからタメ口のままだが、いつもならば敬語を使っている場面だ。

 優しく、丁寧に。


「君達は、何故迷宮に?」

「迷宮でやることといえば、一つしかないさ」

「……それは、分かっているよ」


 まあ、もっともな疑問だ。

 立場上、答えることはできないが。


「私もメルト教団と関わりのある身だ。噂くらいは耳にする。煉獄迷宮の討伐に最も貢献したのは、"魔将殺し"という二人組だったと」

「…………」

「死沼迷宮を討伐したのも、二人組の冒険者だったと」

「……それが、この話に何か関係が?」


 とぼける俺に、レオが溜息を吐いた。

 そして、ぽんと。

 俺の肩に、手を乗せてきた。


「何をしているのかは、詳しく聞かない。君達は悪人には見えないからな」

「…………」

「だが、あまり無茶はしないで欲しい。命の恩人には、長生きして欲しいからな」


 そう言って、レオは俺の肩から手をどけた。

 ……最初に会った時からは、想像もできない態度だ。

 

 正直に言おう。

 俺は、この男のことを『信用』していない。

 裏切られた痛みが、今も脳裏に灼き付いているからだ。


 だが、同時にこの男ならば裏切らないだろう、という予感はあった。

 見る目のない俺のことだ、大して信じられる予感ではない。

 だが、連合国で冒険者達に助けら、エルフィに言われてから俺は決めている。

 目の前の相手が信じても良い相手かどうかは、自分で決めると。


 少なくとも。

 今の言葉は、本心から来ていると信じていい。

 悪意は感じられなかった。

 その、はずだ。


「…………」


 レオの言葉に、小さく頷いておく。

 もとより、無茶をするつもりはない。

 どの戦いにも、出来る限りの準備を整えて挑む。


「…………」


 そこで、会話が途切れた。

 部屋の中を、沈黙が覆っていく。


 ……いや。

 ボリボリと、エルフィが菓子を貪る音だけが聞こえている。


「それで」


 不意に、その咀嚼音が止んだ。

 

「私達はどうやって迷宮に入れば良いのだ?」


 それまで黙っていたエルフィが、沈黙を破って会話に入ってきた。

 横目で、「もう良いだろう?」という視線を送ってくる。


「すまない。本題に入ろう」


 その助け舟に乗っかって、レオは再び話を始めた。


「私の権限で、他の者にバレない程度に見張りの騎士の交代の時間をズラした。ほんの数分だけ、迷宮の入口の警護がなくなるはずだ」


 当然、迷宮の入口に辿り着くには、他の見張りを越えて行かなくてはならない。

 そこは、流石にレオでもどうにもならなかったようだ。


「それで問題ない」


 結界に関しては、ほんの一瞬だけ消すくらいならば誤差の範囲として扱われるようだ。

 中から魔物が出ようと結界に攻撃を仕掛けると、僅かにラグが発生する。

 "魔技簒奪スペル・ディバウア"での細工も、それだと思われるはずだ。

 入ってしまえば、後はどうにでも出来る。


 出る時のことは、迷宮核が失われたことで外へ逃げ出そうとする魔物に紛れて脱出するつもりだ。

 何か異変が起きてそれが出来なかった場合は、様子を見に中へ入ってきた者に紛れてもいい。

 最悪、中の"転移陣"を使うという手もある。


「……もう一度言う。二人とも、無茶はしないでくれ。恩人が死ぬのは、もう嫌なんだ」


 心配する言葉を、レオが掛けてくる。

 三十年前の俺ならば、無条件で受け入れていた言葉。

 復讐を始めてから、疑心暗鬼に陥ることは減ってきたように思える。

 それでも、もう無条件で信じることは出来なくなった。

 レオが本当に空白時間を作ったのか、裏切っていないのかの確認も、しなければ気が済まない。


 我ながら、根が深い。


「ふん」


 レオの言葉に、エルフィが胸を張りながら鼻を鳴らした。

 いつものように、尊大で自信にあふれた様子でエルフィが言う。


「楽しみにしているがいい。いつの間にか迷宮が討伐され、慌てふためく教団の連中の顔をな」

「……ああ。いつもニヤニヤ笑っている教団の人達がそうなるのを見るのは、楽しそうだ。ぜひ見せてくれ」


 苦笑を浮かべて頷くと、レオは席を立った。

 

「では、失礼する。キリエに呼ばれているんだ」


 そんな惚気を残して、レオは部屋を出て行った。

 再び、部屋の中に静寂が戻ってくる。


「まったく」


 溜息を吐いて、エルフィがゴロンとベッドに寝転がった。

 くつろいだ体勢のまま、呆れたような視線を向けてくる。


「あの殺意に満ちた笑みは、どうにかならないのか? あの騎士が怯えていただろう」

「失礼だな。優しげな笑顔と言ってくれ」

「……伊織。鏡を見るべきだと思うぞ」


 うるさいな。


「普段ムスッとしているせいで、笑った時との差が大き過ぎるのだ」

「そうか」

「ぶっちゃけ怖いぞ」

「……そうか」


 知るか。


「そんなことよりも。空白時間が出来るのは今日の深夜だ」


 話を打ち切って、予定の確認を行う。

 出発時刻は、と告げようとして、


「そして、出発時刻はその数時間前――真偽を確かめにいく、か?」


 こちらの思考を読んだかのように、エルフィが先回りして言った。

 ……実際に、思考を読まれているのだろう。

 我ながら単純だな。


「……そうだ」

「うむ、承知した」


 穏やかな笑みを湛えて、エルフィが頷く。

 変態騎士がどうのと騒いでいた奴と同じということが驚きだ。


「……だが」

「なんだ?」

「少し、嬉しいな」

「……なに?」


 ベッドから体を起こし、エルフィが銀色の髪を整える。

 

「私達は、それなりに長く旅をしてきたな」

「……ああ」

「多くの人間、亜人に出会ってきたが、お前は誰にも心を許さなかった。猫娘にも、偏屈な老人にも、貴族の娘にも、あの騎士にも」


 だから――、


「そんなお前が、私を『信用』してくれていることが嬉しいのだ」


 満面の笑みを浮かべて、エルフィは嬉しそうにそう言った。


「――――」


 言葉に詰まる。

 思わず、視線がベッドに下がった。

 数秒後、顔を上げると、


「……くふふ」


 照れるように、意地の悪い笑みを浮かべるエルフィが目に入った。


「……エルフィ」

「くふ。どうした伊織」

「そこら中に散らかしてる菓子の食べカスを片付けろ」


 ボリボリと菓子を食ったせいで、地面に菓子の食べカスが散乱している。

 汚い。

 もうじきこの宿を後にするとはいえ、汚い空間にいたくはない。


「えぇ」

「今すぐにだ」

「くふ、照れ隠しか?」

「うるさいぞ、ポンコツ魔王」


 名前を呼んでくるエルフィを無視して、寝た。

 


 ――聖都が寝静まった頃。


 気配を殺し、俺達は夜の街へ出掛ける。

 灯りは消え、この時間に出歩いている人はいない。

 周囲に人の気配もない。

 見られている感覚も、ない。


「……暗いし、静かだな」

「マルクス達の一件があったからな。表向き、あいつはまだ捕まってはいない」

「夜に出歩いて誘拐されるのを、恐れているというわけか」


 会話しながら、迷宮へ向かって進む。


 今の俺達が出来うる準備はした。

 想定できるケースの対処策も復複数パターン用意している。

 体の調子も万全だ。

 心象魔術に関しては、未だ不確定要素だが。

 万が一の場合の切り札として、温存しておこう。


 周囲に気を配り、狭い通路の角を曲がろうとした時だった。


「!」

「っ」


 不意に現れた女に、ぶつかりそうになった。

 前回のピンク髪の女の件を思い出しながら、サッと回避する。


 出てきたのは、この辺りではなかなか見ない、黒髪の女だった。

 暗闇の中で、赤みがかった黒い双眸が光って見える。

 年齢は二十代前半くらいだろう。


「……大丈夫か?」

「…………」


 女は無言で頷くと、チラリと視線を動かした。

 その先には、「またか」と怪訝な表情を浮かべるエルフィがいる。


「――――」


 女が、僅かに体を震わせるのが分かった。


「……どうしましたか?」


 右手を翡翠の太刀へ落とし、静かに尋ねる。

 

「…………」


 女はふるふると首を振ると、俺を避けて走り去って行った。

 その後姿に、エルフィの魔眼が向けられる。


「む……?」


 小さく、エルフィが呟きを漏らした。


「どうした?」

「……少し妙な感じがした」

「敵か?」

「いや、そういう感じではない」


 どこか、エルフィの歯切れは悪かった。


「ただ……どこか懐かしいような、そんな気がしただけだ」


 曖昧な言葉。


「……魔族か」

「いや、見えた魔力は人間の物だった」

魔力付与品マジックアイテムの可能性は?」

「ない。あの女は何もつけていなかった」


 しばらくエルフィは考え込むような素振りをしていたが、


「まあ、私の勘違いだろう。そういうこともある」


 魔眼の使用を止めた。

 紅蓮の瞳が、黄金へと戻っていく。


「本当に大丈夫か?」

「うむ。敵意があるようにも見えなかったしな」


 引っ掛かることはあるが、いつまでもここにいる訳にはいかない。

 女が走り去って行った方を一瞥した後、俺達は先へ進んだ。



「……た」


 静まり返った聖都の一角。

 長い黒髪を揺らしながら、その女性は小さく呟きを漏らした。


「……けた」


 赤黒い目は驚きの喜色に見開かれ、その口元には堪え切れない笑みが浮かんでいる。

 握られた拳は小刻みに震え、爪が手のひらに刺さっていることに女性は気付かない。

 

「……見つけた」


 黒髪の少年と、銀髪の少女が消えていった方向を見て、女性はもう一度呟いた。


「――あいつの言ったことは、本当だった」


 その呟きは誰の耳に入ることもなく、夜闇に溶けていった。

 

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