第二話 『偽りの安堵』
「――誰もが幸せに暮らせる世界があったら。みんな、ずっと笑っていられるのに」
そう、彼女は言った。
悲しそうに、微笑みながら。
◆
「忌光迷宮について、ちゃんと記憶しているか?」
「大丈夫だ」
「念の為、復習しておくぞ」
「うむ、どんとこい」
お互いにベッドに腰掛けながらの会話。
エルフィの態度に若干の不安を感じながら、もう少しで挑む迷宮の情報を思い出す。
忌光迷宮。
内部が暗闇に覆われた迷宮だ。
名前の通り、光を忌んでいるのだろう。
塔のような形状をしており、上へ上へと進んでいくことになる。
厄介な点は大きく二つ。
一つ目は、不定期で迷宮内部が凄まじい光を放つことだ。
何かしらの魔術で内部の光を吸収しているらしく、その光を全て一瞬で放出してくる。
中の魔物は光を意にも介さないらしいが、俺達はそうはいかない。
何の対策もせずに光を喰らうと、失明してしまう。
初期、対策無しで挑んだ者の多くが視力を失っている。
「これは事前に用意しておいた魔力付与品で対処出来る」
「あの目に染みるやつか」
一定以上の光を吸収してくれる、目薬型の魔力付与品だ。
目にさすことで、一定の間効果を発揮する。
エルフィのように、目が焼けるように痛い。
そして、厄介な点の二つ目。
それは、純粋に内部の魔物が強いということだ。
出てくる魔物が五種類。
三十年前に挑んだ時にはいなかった魔物もいる。
"光雷鳥"。
全身に雷を纏った巨大な鳥。
飛行能力はないが、羽を使って雷を飛ばしてくる。
"雷帝大蜘蛛"。
三メートル以上ある巨大な蜘蛛。
牙に麻痺毒を持ち、口から吐く糸は雷を帯びている。
"ボルトスライム"。
雷の魔力を吸収して巨大化したスライム。
通常個体の数倍の大きさで、核以外が雷で出来ている。
"シャインゴーレム"。
雷の魔力を帯びたゴーレム。
発光して相手の目を潰し、膂力で叩き潰してくる。
"雷光龍"。
岩窟龍や炎龍に並ぶ、強大な龍種。
雷魔将を除き、この迷宮で最も強い魔物だ。
凄まじい量の魔力を体内に貯蔵しており、放つブレスの威力は侮れない。
恐らく、戦闘力ならば炎龍よりも上だろう。
雷魔将に関しては、ハッキリと正体が分かっていない。
ただ、全身に雷を纏った人型の魔物だということ判明している。
いくつか、当たりを付けておいた。
「理解できているか?」
事前に用意しておいたメモを見せ、再度エルフィに確認を取る。
教国に来てから、のうのうと過ごしていたわけではない。
こうして、迷宮の情報も余念なく収集していたのだ。
「ふむ……。こんなにぎっしりメモして、相変わらず律儀だな」
「当然だ。こっちは命がかかってるんだからな。これでもまだ足りないぐらいだ」
「伊織は冒険者に向いているかもしれんな」
「かもな」
というか、実際に冒険者なんだけどな。
この迷宮の魔物は一匹一匹が厄介だ。
どれも、土蜘蛛級の危険度を持っている。
その後のことも考えて、魔力の消耗を抑える必要がある。
特に雷光龍だ。
「こいつのブレスは範囲が広い。撃たれれば、どうしても防御魔術を展開せざるを得なくなる。撃たれる前に始末していくぞ」
「私がお前を抱っこして回避するという手段もあるぞ?」
「……そうすると、お前の腕が塞がる。それはどうしようもなくなった時だけで頼む」
「まあ、普通は立場が逆だからな?」
「……………」
「拗ねるな伊織。愛い奴め」
「いちいちふざけるんじゃない」
雷光龍の攻撃パターンは、大きく分けて三つ。
まず、引っ掻き攻撃、噛み付き、尻尾などを利用した通常攻撃。
次に雷を纏って加速してからの突進。
そして、体内の魔力を口腔に集中して放つブレス。
通常攻撃は、俺達の身体能力なら問題なく対処出来る。
加速からの突進も、速度が出すぎるせいで直線上にしか移動できない弱点がある。
最後のブレスは、放つまでに数秒のラグが出来る。そこを狙えば問題ないだろう。
雷光龍だけでなく、他の魔物との戦い方も話しておく。
ガチガチに計画を立てるのは返って良くないが、敵への対処法を考えておくのは悪いことではない。
咄嗟の判断で差が出るからな。
当然、魔物以外の相手の話もしておく。
「それにしても、龍か」
全ての話が一通り終わった時、ふとエルフィが呟いた。
「龍種の話を聞くと、いつもベルディアちゃんのことを思い出してしまうな」
「……お前が屈服させたペットの龍だったか?」
「うむ。炎龍の希少種の黒炎龍でな」
黒炎竜。
全身に黒い鱗を生やした、黒い炎を吐く巨大な龍種だ。
突然変異で発生する希少種の一つだが、寿命が長いため、個体数は累積で多い。
俺も二匹ほど、虚空迷宮で戦った覚えがあるな。
「魔王城の近くで暴れていて、手を焼かされたものだ。食料を焼かれたから、私が直々に出向いて仕置きをしてやった」
怒り狂うエルフィの姿が目に浮かぶようだ。
魔王をやっていた時から、こういう性格だったんだろうな。
「それで、ちょっとやり過ぎてしまったんだが……何故か懐かれてな。それ以降、私のペットとして魔王城に置いていた」
「言うこと聞いた、なら分かるが、龍が懐いたりするものなのか? 龍種は魔族でも使役するのが精一杯だと聞いたが」
「ベルディアちゃんは賢い子だったからな。私を主と認めたのだろう」
高い知能を持っていたからか、エルフィが魔王紋を持っていたからなのか。
まあ、どっちでも良いか。
そういうこともあるのだろう。
「……可愛い奴だった」
目を瞑り、懐かしむような口調でエルフィが言う。
その表情は少し、悲しげに見えた。
三十年前のペットということは、既にオルテギアの手に掛かっているのだろう。
「……お前は本当に、魔王らしくないな」
「何だと?」
「料理の本書いたり、龍をペットにしたり、一般の魔王像と離れ過ぎてる。お前が魔族を率いてきても、まったく怖くなさそうだ」
進軍中に腹が減ったと騒いで、魔王城にとんぼ返りしそうなイメージすらある。
「な……な。伊織、それは聞き捨てならんぞ!」
「バッ」と自分で効果音を口ずさみながら、エルフィがベッドから勢い良く立ち上がる。
「私は、魔王になる前から多くの魔族に恐れられていた存在だったのだぞ? エルフィスザークと聞けば、誰もが震えて跪くほどにな」
得意げな表情で、エルフィが続ける。
「そして私は歴代の魔王の中で、最も魔力量が多いのだ。一部の魔族には《無限の魔眼王》と呼ばれていたくらいだ。ふ、久しく呼ばれてなかったが、なかなかいい響きだな。《無限の魔眼王》」
「自称じゃないのか、それ」
「そ……そ、そんなわけあるか!」
図星かよ。
「ち、違うのだ! そんな目で見るな!」
「分かってるよ、《無限の魔眼王》サマ」
「伊織ィいいい!」
エルフィが激昂して飛び掛ってきた。
「ッ」
ベッドから飛び降り回避するも、視界からエルフィの姿が掻き消える。
死角から、ゾワリとした気配を感じ取る。
体を反転させ、エルフィが伸ばしてきた手を跳ね除ける。
同時に足を引っ掛けるが、
「効かんな」
エルフィは倒れない。
まるで、巨木に蹴りを入れているような感覚だ。
やはり、魔力を使わないとこいつにダメージは入らないか。
「さぁ、魔王の恐ろしさぁあぁあ!?」
一歩前に踏み出したエルフィだが、毛布で滑って頭から突っ込んできた。
側頭部から生えた二本の鋭利な角が、凄まじい勢いで迫ってくる。
「闘牛か、お前は……!!」
咄嗟に両手で角を掴むも、その瞬間猛烈な重圧が体にのしかかってくる。
基礎膂力の差か、ただの突進でもこの威力か。
「ぬわ……!」
「――」
耐え切れず、背中から地面に叩き付けられた。
顔面から、エルフィも倒れ込んでくる。
「む……ぐ」
間近で、エルフィと目が合う。
「――――」
銀色の髪に、金色の瞳。
性格も、声も、容姿も、何もかも違うのに。
金色の髪と、銀色の瞳が思い出された。
――さっきから、何だこれは。
馬乗りになったまま、エルフィがきょとんした顔で言う。
「何をやっているのだ、私達は」
「……知るか」
俺が聞きたいくらいだからな。
「ふ。くふふふ」
エルフィが、堪え切れないといった風に笑い出す。
その様子に、溜息を吐いた。
――ふざけた茶番だ。
馬乗りになったエルフィが、ペタペタと体を触ってくる。
「こうして見ると、やはり伊織は細いな。ちゃんとご飯食べないと、大きくなれないぞ」
「別に、これ以上大きくなりたくないからな」
――甘やかな感覚に、優しく腐敗していく感覚。
「だが、悪くはない。む、そこそこ固いな」
「おい、そろそろ降りろ」
「いや、しかし……ふむ」
弄るエルフィの手を掴むが、あまりの力に引き剥がすことすら出来ない。
馬鹿力め。
――一体、俺はいつから。
「……何かあったのか!」
その時、扉が静かに、しかし勢い良く開いた。
扉の隙間から、素早く一人の男が中に滑り込んでくる。
「なっ」
「お……」
フードで顔を隠した、スラリとした男。
フードの下からは、青色の髪が覗いている。
聖堂騎士団・現二番隊隊長代理――レオ・ウィリアム・ディスフレンダーか。
そうか。そろそろ約束の時間だったな。
「ノックをしても返事がないのに、ドタバタと争う音が聞こえてきたから、入ってきてしまったが……」
馬乗りになって、俺の体をペタペタと触っているエルフィを見て、レオが非常に気まずそうな表情を浮かべる。
まるで、情事の最中に誤って部屋の中に入ってしまった時のようなリアクションだ。
「……すまなかった。一度、出直そう」
そう言って、レオが部屋を出ていこうとする。
「ち、ちが、貴様待て!」
それをエルフィが追っていき、ぎゃーぎゃーとやかましく騒ぎ始める。
乱れた服を治して、俺はヨロヨロと起き上がる。
どうしてこう、静かに行動することが出来ないのか。
騒々しいエルフィを見て、俺は再度溜息を吐いたのだった。
気の抜けるような時間。
くだらないと、冷めた目で見る自分がいる。
ぬるま湯に浸かっているような気分だ。
それでも、この瞬間だけは気が休まるなんて。
そんな風に、思ってしまった。
殺しても死なさそうな、こいつは。
この女は――エルフィスザークは。
どうせ全ての復讐を終えて、その後もヘラヘラ笑っているのだろうと。
そして達成感に満ちた面で、俺に声を掛けてくるのだろうと。
この時までは、そう思っていた。
間違って――思ってしまった。




