第八話 『復讐者は爪を立て』
"英雄アマツ"として、魔王軍と戦う事になってすぐのことだ。
王国の魔術師達と魔王軍の拠点地へ向けて進行している時、攻撃を受けて深い谷へ落下したことがある。
魔王軍四天王"千変"が張った結界によって魔術が使えず、俺はただ落ちることしか出来なかった。
『アマツ殿!?』
『クソ……魔術が使えさえすればッ』
周囲の魔術師や騎士は落ちていく俺に反応できず、棒立ちになっていた。
当然だ。
彼らも俺と同じように、何の魔術も使えないのだから。
『く、そ……ッ』
身体強化の魔術すら使えない。
いくら『勇者の証』から力を受け取っていても、この高さから落ちれば助からない。
地面に激突すれば、潰れて死ぬだけだ。
『どうして……俺が、こんな――』
呆気ない終わり。
内臓が持ち上げられるような落下に、意識が遠のいていく。
そんな中で、リューザスの声を聞いた。
『おいッ!』
見上げれば、リューザスがすぐ真上にいた。
崖を飛び降りて、俺を追ってきたのだ。
『馬鹿野郎がッ! ボサッとしてんじゃねェぞ!!』
リューザスはそう叫びながら、荒い手つきで腕を掴んできた。
直後、リューザスが杖を振ると、俺達の体を旋風が包み込む。
瞬く間に落下速度が減速し、俺達は無事に地面へ落下した。
『おい、気ィ抜いてんじゃねェぞ、アマツ』
『悪い、リューザス。助かった。ありがとう』
『……チッ。こんな所で死んでもらったら困るんだよ。……こんな所でな』
吐き捨てるようにそう言うリューザスに苦笑してから、谷の中を移動する。
早く、ルシフィナ達と合流しなければならない。
谷の中にいる大量の魔物を、リューザスが魔術で焼き払っていく。
『なあ、リューザス。この結界の中でどうやって魔術を使ってるんだ?』
歩きながら、ふとリューザスに尋ねた。
先ほどの落下中の風の魔術もそうだが、リューザスは結界の中で当然のように魔術を使っていた。
他の魔術師や騎士は、まったく魔術を使えていなかったのに、だ。
『……この谷は"千変"の結界で満たされてやがる。ここまで大掛かりな結界は、どうやったって解除出来ねェ。だから、結界のほんの一部に穴を開ける』
そう言って、リューザスは腕を突き出すと、何もない空間に爪を立てた。
よく見てみると、リューザスが触れた空間だけ、結界が無くなっていた。
『こうやって結界のない空間を作れば、一瞬だが魔術が使えるんだよ』
『…………』
リューザスの真似をするが、俺には結界を破ることは出来なかった。
それ見て、リューザスが舌打ちする。
『……この程度もできねえで、勇者を名乗るんじゃねえ!』
『……悪い』
『もうやめちまえよ。てめえには荷が重すぎんだよ、勇者の名はよォ!』
そう、リューザスに何度も罵倒されながら、谷の中を進んでいく。
外に出ることが出来たのは、それから数時間後のことだ。
結局、その時の俺には、結界に穴を空けることは出来なかった。
『……間抜けが』
これは、英雄と呼ばれるようになって間もない頃。
口は悪いが、命がけで俺を助けてくれたのだと、リューザスを尊敬していた頃の記憶だ。
◆
腕にまとわりついてくるワームで振り払い、目の前の空間に爪を立てる。
穴の中には、異なる五つの結界が同時に展開されていた。
その結界すべてに穴を穿ち、結界のない空間を強引に作り出した。
「――"旋風"」
その隙間の中で、強引に魔術を発動する。
穴の中に旋風が吹き荒れ、俺とエルフィの落下速度を緩めた。
同時に、周りで蠢いているワーム達を吹き飛ばす。
「皮肉だよな、リューザス」
お前が教えてくれた魔術のお陰で、お前の罠に対処出来るんだからさ。
「エルフィ、そのままその人達を抱えていてくれ」
「うむ、任された」
エルフィに指示を出し、再度結界に穴を穿つ。
リューザスの性格を思い返し、あいつが罠を仕掛けそうな場所に向けて"魔技簒奪"を放った。
左右の壁、そして着地点。
仕掛けてあった術式から魔力を強引に奪い取り、その機能を停止させた。
「……流石にキツイな」
リューザスめ、かなり念を入れて結界を張ったらしいな。
軽い魔術を使っただけなのに、普段の数倍の魔力が持っていかれた。
行動阻害の結界もあるようで、体の動きも鈍い。
数秒後、俺達は地面に着地した。
周囲に何の気配もないことを確認し、すぐに女性達を地面に下ろさせる。
「……ぁ」
「…………」
マルクスによって穴に落とされた女性達の体内には、あのワームが仕掛けられていた。
俺達に対する罠の一つだろう。
腹を食い破られたことで、女性達は既に瀕死になっていた。
「……酷いな」
ポーチから買い溜めしておいたポーションを取り出し、腹部に振りかける。
同時に治癒魔術を使い、傷を塞いでいく。
治癒魔術はそれ程得意ではないが、英雄時代に最低限習っておいて正解だった。
これで、今すぐに死ぬということはなくなったはずだ。
外の病院に連れて行けば、助かるだろう。
「伊織、この部屋にいるのは私達だけらしい。どうやら、あの魔術師はいないようだ」
周囲を警戒しているエルフィが、手当てが終わるのを見計らってそう言った。
「……そうか。だとすれば、今回は様子見を選んだらしいな」
マルクスへ復讐する過程で、最も警戒すべき相手。
それは、選定者を引き連れたリューザスだ。
ここへ来る前の会話で、そのことについてはエルフィとも話した。
『あの魔術師達はどう動くと思う?』
歩きながらの、エルフィの問い。
マルクスに何か入れ知恵をして、自分達はそれを観察する。
もしくは、マルクスを利用して直接俺達を叩きに来る。
『今回の件でありうるのはこの二つだ』
それに俺はこう答えた。
『あいつが関わっていないという選択肢はないのか?』
『可能性は低いな』
リューザスは、あれで慎重な性格だ。
勝てるという確信が無ければ、決して挑んではこない。
奈落迷宮で仲間を連れて攻撃してきたのも、霊山での奇襲も、すべて勝算があったゆえの行動だろう。
『霊山で俺が心象魔術を使ったのを見て、あいつはかなり警戒したはずだ』
だから、彼我の戦力差を確認し終えるまでは、あいつが直接攻撃してくることはない。
『孤児院で戦っている時に手を出してこなかったのは、様子見をしていたからか』
前回は様子見に務めたようだが、そろそろ直接こちらの実力を確かめに来る頃合いだ。
そこにマルクスという、絶好の道具があるのなら、利用しない手はないだろう。
『問題は、あの戦闘を見て、あいつがどう動くかだ』
孤児院の戦いを見て、俺達に勝てると判断したならば、あいつは仕掛けてくる。
マルクスを捨て駒にしてでも、こちらの息の根を止めようとするだろう。
しかし、確信できていなかったならば、あいつはマルクスを使って、俺達の限界がどこなのかを見極めに来るはずだ。
『となると、あの横恋慕男に手をだす前に、あの魔術師がどう動くのを見極める必要があるわけだな』
『横……。まあ、そういうことになる。かなり面倒だがな』
それから、リューザスが介入していた場合に仕掛けられているであろう罠をいくつか想定し、事後処理をするための布石を打ってから、この屋敷へと乗り込んだ。
だからリューザスの魔力を感知した時は、襲撃を警戒せざるを得なかった。
結果として、それが裏目に出たがな。
どうやら、今回のリューザスは様子見を選択したらしい。
そうでなければ、あの場面でこちらを警戒させるような介入の仕方はしてこない。
おそらく、俺の攻撃からマルクスを庇ったんだろう。
「……さて」
俺達が落とされたのは地下だ。
マルクスの私室を貫いて、あらかじめ地下へと繋げてあったのだろう。
部屋には、"妨害結界"の他に、"魔奪いの結界"、"魔縛りの結界"、"行動阻害"、"魔力消費倍化"、などの結界が仕掛けられている。
これだけの結界を張るのに、一体どれだけの魔石を使ったのやら。
間違いなく、これを張ったのはリューザスだろうな。
「エルフィ、魔力は大丈夫か?」
他の結界の効果も邪魔だが、エルフィにとって最も厄介なのは"魔力消費倍加だろう。
魔眼を使用するだけで、常人ならば干からびる程の魔力を持っていかれる。
更に分身体を維持しているだけで、常時かなりの量の魔力を消費しているのだ。
「まだ問題ない。長居するのは得策ではないがな」
俺の魔力も吸われているが、装備している魔力付与品のお陰で、結界の効果を半減出来ている。
『防魔の腕輪』と『翡翠の太刀』、『紅蓮の鎧』の効果のお陰だな。
だが、その効果があっても、耐えられるのは十数分だろう。
女性達も、長くは持たない。
この場に留まる意味もないし、早いところ移動を開始しよう。
「悪い。その人達を運んでくれないか?」
「ふふ、伊織の細腕ではキツイだろうからな」
「…………」
頷くと、エルフィは女性を軽く持ち上げ、両脇に抱えた。
相変わらずの腕力だ。
エルフィと共に、部屋の出口に向けて歩き出した。
「む」
「……お出ましだな」
床に広がる石畳。
その隙間から、赤く細長い物体が次々と姿を現した。
先ほど、女性達の腹を食い破って出てきたワーム達だ。
円形の口を小刻みに動かし、地面を這って接近してくる。
それまでに、見たことのない生物だ。
旅の中でかなりの数の魔物を見てきたが、こんなワームと出くわしたことはない。
「何だこいつらは。魔物なのか?」
「……おかしいな。こんな種類は私も知らないぞ」
「新種……か?」
「……いや」
エルフィは一瞬だけ魔眼を発動すると、「やはりな」と呟いた。
「魔物特有の魔力も感じるが……こいつらはどちらかと言うと、ホムンクルスに近い」
「ホムンクルス……? こいつらがか?」
「あと、あまり聞きたくないだろうが……こいつの魔力、微弱だが伊織のが混ざっているぞ」
その言葉で、大体の事情が見えた。
俺の魔力が混ざった、ホムンクルスに近い生物。
「……ジョージ達の生み出した、実験生物だろうな」
「あれ、アマツ虫と呼ぼう」
「ふざけんな」
石畳から這い出してきたワームの数は、既に百を超えている。
「……面倒だが、炎の魔術で消し飛ばすか」
「良い。私に任せろ」
エルフィはニヤリと獰猛な笑みを浮かべると、
「――下がれ」
ワーム達を睨み、威圧した。
次の瞬間には、波が引くようにワーム達が石畳の中へと逃げていく。
「見たところ、あれに知性はない。本能の塊だ」
「本能的に危機を感じさせたってわけか」
「うむ。アマツ虫に伊織程の気骨がなくてよかったな」
「その名前はやめろ」
部屋を進み、奥にあった扉を開く。
その瞬間、向こう側から何かが音もなく飛んできた。
「……っと」
回避した直後、グチャリと音を立てて飛んできた物が背後の石畳に被弾する。
ジュッと嫌な音が響き、石畳の一部が溶けた。
酸か何かだろう。
中へ踏み込むと、攻撃を仕掛けてきたのは何かすぐに分かった。
部屋の中央に、巨大なワームが佇んでいた。
それも、今までの蛇のような形状をしたワームとは違う。
丸い胴体から、八本の首が伸びていた。
それぞれの首がゆらゆらとうねり、無数の牙が覗く口を開閉している。
「なんと珍妙な。ホムンクルスで、こんなものまで作れるとはな」
「……エルフィ、この部屋に、他に罠はないか?」
一瞬だけ目を紅蓮に輝かせると、エルフィはコクリと頷いた。
「あの巨大アマツむ……巨大ワームが本命なのだろう。この部屋には結界以外の仕掛けはない」
「……そうか。だとすれば、あいつを倒せば、罠は打ち止めかもな」
『――――』
そうはさせない、と言わんばかりに、ワームが鎌首をもたげた。
三本の首が大きく口を開くと、その内部から緑色の液体を勢い良く放出してくる。
石畳を溶かした攻撃はあれか。
酸弾の速度はそれ程速くない。
エルフィと共に、難なく回避する。
『――――!』
ワームが胴体をズルズルと引きずりながら、その巨体に見合わぬ速度で接近してくる。
何本かの首を鞭のようにしならせ、ワームが振り下ろしてきた。
「……フッ!」
落ちてくる首を、真下から斬り上げた。
ワームの体が宙を舞い、重い音を立てて地面に落下する。
切断された首はビチビチと地面をのたうち回り、すぐに動かなくなった。
「……はッ!」
首が落とされたのも気にせず、首は次々と襲い掛かってきた。
向かってくる首を、一本、二本と、連続して切断していく。
『――――』
残りの首が五本になった段階で、このままでは首を斬られるだけだと悟ったのだろう。
ワームが一旦距離を取ろうと、胴体を引きずって後退しようとする。
「――"魔眼・灰燼爆"」
だが、それを許すエルフィではない。
それまで溜めていた魔力を、ワームに向けて放出した。
やや使用魔力を抑え気味の爆発が、ワームを襲う。
『――――!!』
刹那、残っていた首が、口を大きく開いた。
ズズッと音が響いたかと思うと、爆炎が跡形もなく消失した。
「孤児院にあった魔力を吸収する装置と同じだな。俺の"魔技簒奪"を元にして作られているらしい」
「……魔眼は使えないな」
ブルリとワームの胴体が震え、切断した首が一瞬で再生した。
どうやら、高い再生能力を持っているらしい。
魔術は通用しない。
物理攻撃でダメージを与えても、すぐに再生される。
こうしている間にも、俺達の魔力は消費されている。
悠長に戦っている暇はない。
【英雄再現】を使うという手もあるが、この結界の中で使えば消費魔力が馬鹿にならない。
マルクスが控えていることを考えると、ここで消耗するのは得策ではない。
「伊織、この結界の中でもお前は魔術を使えたな?」
「……ああ。そう多くは使えないけどな」
「なら、氷を生み出すことは出来るか?」
その言葉で、エルフィの意図を理解した。
「九頭龍か」
「うむ。首の数は違うが、あの再生力といい、首の数といい、よく似ている」
似ているなら、同じ対処法が通用する可能性もある、か。
「よし。エルフィは女性を抱えたまま、後ろに下がっていてくれ」
「一人で戦う気か?」
「本物の九頭龍と比べれば、大したことはないからな」
ワームが動き始める。
八本の首すべてが同時に酸弾を撃ってくる。
それと同時に、胴体を引きずりながら猛烈な勢いで接近してきた。
「――――」
酸弾を回避しながら、ワームへ肉薄する。
接近を許すまいと、ワームが三本の首を同時に動かし、多方向から襲い掛かってきた。
一本目の攻撃を躱す。
二本目の攻撃を受け流し、返す太刀で三本目の首を切断した。
緑色の血液が噴出する。
「"氷結撃"」
その傷へ、魔術を叩き込んだ。
瞬く間に血液ごと、傷口が凍り付いた。
『――――』
俺の逃げ場を塞ぐように、ワームが首を振り下ろしてくる。
だが、遅い。
隙間を潜り抜け、通り過ぎざまに首を落としていく。
同時に、氷結撃を叩き込むのも忘れない。
「……やはりか」
ワームが身動ぎするが、先ほどのように首が再生することはない。
再生しようにも、傷口が凍り付いてしまっているからだ。
『――!?』
ワームは何故傷が治らないのか、理解出来ていないようだ。
「対処法さえ分かれば、あとは簡単だな」
本能的に自分の危機を理解したのだろうか。
こちらを警戒するように、体を固くしている。
それを無視して、俺はワームへと斬り掛かった。
「――残り五本」
◆
すべての首を失い、胴体だけになったワームが地面へ倒れ込む。
胴体が小刻みに震えているが、動き出す気配はない。
ワームの残骸を避けて通り、俺達は部屋の外へ出た。
扉を抜けると、ふっと結界の効力が消える。
やはり、先ほどの部屋が本命だったのだろう。
「……随分と念入りに結界を張ったのだな」
入ってきた扉を見ると、外の壁にはびっしりと魔術が刻まれていた。
「念の為に破壊していくか?」
エルフィの言葉に首を横に振る。
「やめた方がいい。リューザスなら、解除した瞬間に爆発するように仕込んでいてもおかしくない」
「……む。あ、本当だ。"爆発"の術式が紛れ込んでいる」
やっぱりな。
術式に干渉した瞬間に、罠が作動する仕組み。
まあ、王国の"儀式の間"の意趣返しのつもりだろうな。
「悪いが、あんなのに引っかかるのはお前だけだ、リューザス」
結界は放置したまま、先へと進む。
念の為、罠を警戒して歩くが、何の仕掛けもない。
ここはただの通路のようだな。
しばらく進むと、通路の途中に、厳重に封印が施された部屋を発見した。
仰々しく管理させた扉に、足を止める。
魔術で解除して中を覗くと、そこにあったのは薬品棚だ。
「むぐ、鼻がひん曲がりそうな臭いだ」
エルフィは鼻を押さえ、顔をしかめている。
「……薬を保管している部屋のようだな」
薬品棚には無数の違法薬物が仕舞いこんである。
知っている薬物も、いくつか見つけた。
中には、温泉都市でベルトガに使用した"鬼の爪"なんかもある。
「……ふむ」
棚に置いてある、いくつかの薬を手に取り、ポーチの中に閉まっていく。
「ん? 何かに使うのか?」
「ああ」
"神の雫"を手に取りながら、エルフィに笑い掛ける。
「いい事を思いついたんだ」




