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第六話 『深い穴の中へ』

 部屋の先にあったのは薄暗い通路だった。

 扉をくぐった途端に、頭の奥が疼くような甘く、生臭い臭気が漂ってくる。

 

「まったく、何度通ってもここは酷え臭いだな」

「通る身にもなって、ちったぁ掃除して欲しいもんだ」


 愚痴を零す男達の後ろを、俺とエルフィはゆっくりと付いて行く。

 進む途中、通路を挟むようにして、無数の牢屋があるのが目に入ってきた。

 ……当然、その中に入れられている女性達の姿も。


「……ひどいな」


 エルフィの吐き捨てるような呟きに、俺は無言で同意した。


 牢屋に入れられているのは、主に亜人種の女性だった。

 人猫種ワーキャット人狼種ワーウルフ妖精種エルフ、果ては土妖精種ドワーフまで、様々な亜人種が揃っている。


「…………」

 

 全ての女性が衣服を剥ぎ取られ、肌を晒している。

 また、誰もが生気のない虚ろな目をしており、牢屋の隅で縮こまっていた。

 何らかの薬物を打たれたのか、無表情で何かを呟いている者や、クスクスと笑っている者すらいる。


 しばらく進むと、今度は小部屋が並んでいるのが見えた。

 部屋の中からは嬌声や叫び声、男の下卑た笑い声が聞こえてくる。

 この通路に染み付いている嫌な臭いは、どうやらこの中で行われていることが理由のようだ。


「……何か香のようなものを焚いてるな。鼻がひん曲がりそうだ……おえ」


 扉の隙間から、毒々しい色の煙が漏れてきている。

 エルフィは鼻をスンと鳴らしてその臭いを嗅ぐと、吐き気を堪えるように顔を押さえた。

 確かに、頭の奥が疼くような、嫌な甘さを含んだ臭いだ。


「媚薬だな。それも、人狼種ワーウルフ人猫種ワーキャットのみを対象にしたものだ」

「媚薬……興奮剤みたいなものか。知っているのか?」

「以前、旅の途中で違法な薬物を取り扱っている犯罪者を捕まえた事があってな。その時に、これと近いものを使っているのを見たんだ」


 人間には効かず、獣系の亜人種のみ作用する媚薬というものが存在する。

 亜人種を欲情させ、悪さを働こうとする輩がよく使用するものだ。


「この媚薬を嗅がされた亜人種は強制的に欲情させられる……だけなら、まだ救いがあるんだがな」

「何か、裏があるのか」

「……ああ。この媚薬は脳に強く作用する。その副作用で脳に障害が出て来るんだよ」


 一度や二度なら記憶が飛ぶくらいで済むらしいが、繰り返し使用すると思考能力の著しい低下が起こる。

 徐々にものが考えられなくなり、やがて廃人になってしまうのだ。

 当然、各国で違法薬物に指定されており、取り扱いは硬く禁じられている。


「かーっ、俺達が働いている間によろしくやってるとはねぇ」

「マルクスさんに許可貰えると良いんだけどな」

「どうせお前、また壊れかけの女選ぶんだろ? ホント趣味わりぃな」

「は、てめぇも似たようなもんだろ?」


 前を歩く男達の下卑た笑い声が、通路に響く。


 メルトを信仰する連中がこれを見たら、どう思うのだろうか。

 メルト教の半数が、未だ亜人排斥を掲げているという。

 人ならざる亜人種ならば、どんな目に合わせてもいいと、せせら笑うのだろうか。

 

 ……どちらにせよ、腐ってやがる。


 それから通路を通る過程で、何人かの男とすれ違った。

 洗脳した男達を隠れ蓑にし、俺達は気付かれることなく先へ進んでいく。

 

 その過程で、複数の部屋を見た。


「が……ああァァ!!」

「……ッ! ぁあああ!!」


 人狼種の女性ふたりが、円形の広い部屋の中でぶつかり合っていた。

 両者の顔に理性はなく、ただ獣のようにお互いに噛み付き合っている。

 露出している腕には、痛々しいまでの注射痕が見えていた。

 理性を失わせて凶暴性を高める薬、もしくは食欲を異常に高める薬か。

 恐らくは、そういった薬物を使用したのだろう。


 そんな凄惨な光景を、複数の人間が安全な場所から眺めている。

 賭けでもしていているのか、戦う二人に向けて何やら怒鳴っているようだった。


「ああああァァ!!」


 それからすぐに勝負はついた。

 女性の一人が身体強化の魔術を使い、もう片方の女性の腕を食い千切ったのだ。

 腕を千切られた女性は自身の血溜まりの中で小刻みに痙攣し、もう片方の女性は鎮静用の魔術を打ち込まれて地面に崩れ落ちた。


「負けてんじゃねえぞ、おい!」


 倒れている女性に、男が小瓶に入った液体を振りかけた。

 直後、ボコボコと腕の断面が泡のように膨れ上がり、元の形を取り戻していく。


「馬鹿な」


 人体の欠損は、魔術でも治せないはずだ。

 どんな魔術、ポーションを使おうとも、せいぜい傷口を塞ぐくらいが限界だろう。


「『神の雫』だな」

「神の雫?」


『神の雫』。

 エルフィが言うには、"堕光神"ハーディアに縁のある土地で取れる薬草から作られる薬らしい。

 ハーディアに縁があるというと、強大な魔物が生息するような山や谷だろう。

 この周囲だと、霊山だろうか。


 薬物から作られた『神の雫』は、ポーションのように傷を癒やす効果を持つ。

 その効果は絶大で、欠損した手足すら回復させるという。


「ただし、『神の雫』には強烈な副作用がある」


『神の雫』で回復させた部位は、『神の雫』を使い続けなければ、数日で腐り落ちてしまう。

 そして、あまりに強い効果に体が耐え切れず、使用者の寿命は大きく削れてしまう。

 それは強靭な肉体を持つ魔族でも例外ではないらしい。


「数代前の魔王が部下たちに『神の雫』を使わせていたようだが……薬の効果に蝕まれた魔族達は、地獄の苦しみを味わったそうだ」


 見ろ、と苦々しい表情でエルフィが女性を指差す。


「あァあああああ!!」


『神の雫』で腕を生やした女性が、唐突に叫びだした。

 男達はそれを笑い、バケツに入った水を女性に浴びせる。

 直後、女性は絶叫しながら地面をのたうち回った。


「……傷口から入った『神の雫』は全身の神経が鋭敏になる。ああいう風にな」


 ただ水を浴びせられただけでも、薬の副作用で激痛が走ってしまう。

 そのため、魔王軍でも『神の雫』の使用は禁止され、薬草はすべて焼かれたらしい。


「……まさか、『神の雫』を愉悦のために使うとは、流石の私も想像していなかった」


 触れただけで鳴き叫ぶ女性を見るのが、楽しくて仕方ないのだろう。

 ゲラゲラと男達が笑っているのが見える。

 男達は絶叫する女性を引きずり、牢屋の中に叩き込んだ。


「……っ! 大丈夫……? ねえ……ねえ!」


 中にいた他の人達が声を掛けるも、女性は痛みに悲鳴をあげているだけだ。

 心底楽しそうに、男は牢屋の外から中の人達へと声をかける。


「心配してるとこわりぃが、明日こうなるのはてめぇらだぜ?」

「……っ」

「楽しみにしとけ」


 そう笑みを残し、男達は牢屋から離れていった。

 牢屋の中で、女性達が青白い顔で震えているのが見える。


「……けて」


 拳を握りしめ、涙を流している女性がいた。


「……助けて・・・


 その助けを求める声が、耳に入った。


「…………」


 女性達に背を向け、俺は先へ進む。

 助けを求められても、歩を止めるつもりはない。

 俺は、復讐の為にここに来たんだ。


 だから、


「……待っていてくれ」


 全てを終えた後、絶対に戻ってくるから。

 女性たちに向けてそう呟き、歩を進める。

 マルクスの部屋の扉が、すぐ向こうに見えていた。



 地下通路の奥にある、マルクスの私室。

 マルクスは自身の部屋の中で、作業をしている最中だった。

 

「……遅かったな」


 私室に入ってきた三人に対し、マルクスが細めた目を向ける。

 冷や汗を流しながらも、男達はマルクスへ事の顛末を報告した。

 

 孤児院へ忍び込み、『ミシェル』『ミーナ』の両名を捕らえたこと。

 その後、殺害し、遺体をこちらに持ち帰ってきたこと。

 誰にも目撃されていないことなどを、マルクスの機嫌を損ねないように説明する。


 報告を聞き、マルクスは相好を崩した。


「無事に任務を果たしてきたなら、それで良い。遅れた件に関しては不問にしよう。……もう半刻遅れたら喰っていたがな」

「……はっ。ありがとうございます」

「気にする必要はない。私は部下を慮る良い上司だからな。そうだろう?」

「はっ。その通りでです」


 部下の言葉に機嫌を良くしたのか、マルクスは机に肘を突いたままニヤリと笑みを浮かべる。

 それから、男の一人が肩に担いでいた袋を指差した。


「その袋の中にガキ共が入っているのかね?」

「はい。確認しますか?」

「ああ。念のためな」


 袋を担いだ男が、マルクスへと近づいて行く。

 

「は……マルクス様」

「うん?」


 部下の一人が、男の前で袋を開ける。

 その中から出てきたのは、一本の剣だった。


「――こちらをどうぞ……!」


 目を剥くマルクスに向かって、男が斬り掛かった。

 背後では、それに追随するように残りの二人が剣を抜いている。


「……ふん」


 マルクスが小さく鼻を鳴らした直後、剣を振り下ろそうとした部下が鮮血を吹き出して倒れる。

 いつの間に抜いたのか、マルクスの手の中には地に濡れた騎士剣が握られていた。


「おおおおお!」

「はあああァ!!」


 仲間の死体を踏み越え、後ろの二人が同時に斬り掛かってくる。

 

「……馬鹿共が」


 マルクスの握る剣がブレた。

 それと同時に、男の一人の上半身がズレて地面に落ちた。


「かっ」

「はッ……!」


 仲間の死に何のリアクションも見せず、最後の男が剣を振り下ろす。

 それよりも速く、マルクスは片手で男の腕を掴んでいた。

 マルクスが腕を捻ると、男の体がグルリと回転して地面に叩き付けられる。

 直後、マルクスの振り下ろした剣が、地面で倒れていた男の首を斬り落とした。


「貴様ら程度が、私を殺せるとでも思ったのか?」


 冷たく言い放ち、マルクスが剣の血を払う。

 三人の男から不意打ちを喰らって、まったくの無傷か。

 

「……なるほど。お飾りの隊長というわけではなかったか」


 男達が全滅したのを確認し、俺達は部屋の中へと足を踏み入れた。


「なんだ……貴様らは。何をしにきた」

「なに、ちょっとお前に復讐しに来ただけさ。――マルクス・ピエトロ・サンダルフォン」

「……っ」


 威圧を放つと、マルクスが小さく息を呑む。

 俺達二人を相手にするのは分が悪いと判断したのだろう。

 

「……侵入者だ! 誰でも良い、早く来い!!」

「はっ」


 マルクスが大声で怒鳴り散らすも、何の反応もない。


「……どういうことだ!?」


 まあ、それも当然のことだ。


「外で待機していたお前の部下は、とっくに片付けさせてもらった」

「……馬鹿な」

「残ってるのは、よろしくやってる馬鹿共だけだよ」


 つまり、お前を助けに来る者はいない。

 ここで何が起きようと、誰も気付かないというわけだ。

 

「…………」


 部屋の中に他の人間の気配はない。

 エルフィの魔眼でも、それは確認している。


「舐めるなよ、侵入者。私が何の備えもしていないとでも思ったのか?」


 ダンッと机に手を当て、マルクスが魔力を流す。

 

「――"魔技簒奪スペル・ディバウア"」

「!? なんだ……何故発動しない!?」


 当然、思っていたさ。


 部屋に踏み込む前に、エルフィの魔眼で室内の様子は確認済みだ。

 中には侵入者に対して魔術を放つ『砲台』のようなものが無数に設置されている。

 マルクスが魔力を流すのと連動して、作動する仕組みになっているようだ。

 だから、流す魔力を散らしてしまえば、発動することは出来ない。


「……行くぞ、マルクス」


 剣を抜き、エルフィと共に前へと踏み込む。


「――――」


 ゾワリ、と。

 何か、嫌な予感がよぎった。

 魔王軍の罠に掛けられた時と同じ、背中に冷たいものが走る感覚。

 その予感に従い、一度マルクスから距離を取ろうとしたタイミングだった。


「くは、まさか、本当に来るとはなぁ……!」


 マルクスが、グニャリと表情を歪めるのが見えた。

 それは勝利を確信した、余裕に満ちた笑みだ。


 ――いや、それよりも。


「エルフィ」

「……ああ」


 悪寒への認識を、エルフィと共有した直後だった。


「……馬鹿がッ!!」


 マルクスが両手を、部屋の地面へと叩き付けた。

 それだけで、部屋の床が砕け、崩壊が全体へと伝わっていく。

 マルクスは何の魔力も纏っていないというのに、だ。


「なんだと……!?」

「ッ」


 床が崩壊し、俺とエルフィは部屋の下へと落下していく。

 内蔵が浮いているような、気持ちの悪い浮遊感に襲われる。


 何かしらの細工が施されていたのか、マルクスが立っていた部分だけは崩れていなかった。

 落下していく俺達を、マルクスが余裕の笑みで見下ろしている。


「伊織、掴まれ!」


 ――"魔脚・天風閃"――


 何もない空間を蹴り、エルフィが空中を移動していく。

 俺もエルフィの手を掴み、足場へと向かって上昇する。

 

「ほら、救ってみろよ! 英雄の亡霊様ぁ!」

 

 その時だった。

 マルクスが嘲笑を浮かべ、何かを穴へと蹴り落としてきた。

 

「……っ」


 すぐに、それが"人間の女性"だということが分かった。

 連続して、二人の女性が落下してくる。

 両手足を縛られた女性達は、悲鳴をあげながらただ落下することしか出来ない。


「いやぁ……助けてっ」

「……!」


 ……クソ、やられた。

 このままでは、俺達と落ちてきた女性達が激突することになる。

 だが、躱してしまえば、女性達はただ落ちていくことしか出来ない。


 あいつ・・・に無防備な姿は見せたくなかったが……。


「ぐぅ……ッ」


 激突の衝撃が走り、俺とエルフィは女性達を抱えたまま、再び落下していく。

 

「エル……フィッ。この状態で、もう一度魔脚は使えるか?」

「出来なくは、ないが……」


 そう言って、エルフィが足に魔力を流そうとした時だった。

 穴の中の空気が、一瞬にして変化した。

 エルフィの足に集まろうとしていた魔力が、不自然に散っていく。


「……"妨害結界マジック・ディスターバー"か」


 このタイミングで王国式の結界が発動した意味。

 やはりと、それを把握するのと同時――――、


「かっ……ああああああああッ」

「ひ……が、が……」


 唐突に、抱えていた女性達が口から大量の血を吐き始めた。

 俺達が反応するよりも早く、ブチブチブチッと彼女達の体から、肉が千切れる音が響く。

 やがて、彼女たちの腹部を食い破って、無数のワームのようなものが姿を現した。


「なに……」


 細長い蛇のような胴体に、無数の牙が覗く円形の大きな口。

 赤黒い血管を脈動させながら、女性達の体内から出てきたワームが俺達に喰らいついてくる。

 ワームの牙は"紅蓮の鎧"に阻まれ、俺の体に刺さることはない。


 ――が。

 

「こいつら……魔力を吸って」


 円形の口に触れられているだけで、体内から魔力が吸い上げられていくのを感じた。

 エルフィも、"魔脚"を使うための魔力をワーム達に吸い上げられているようだ。


 エルフィの魔眼では見つけられない物理的な仕掛け。

 身動きの取れない女性達。

 こちらの魔力を封じる、"妨害結界マジック・ディスターバー"。

 そして、女性達の体内に潜ませていた、魔力を喰らうワーム。

 こちらの動きを封じ込めるのに、異常なほど効果的なトラップだ。

 

 ……なるほど、やってくれたな。

 落とし穴程度の罠は、想定していた。

 だからこそ、あのタイミングでの"威圧"なのだろう。

 

「リューザス……!」


 深い穴の中に、俺達は真っ逆さまに落下していった。



「他愛ない」


 穴の中へ消えた伊織達を見て、マルクスが鼻を鳴らした。

 "英雄アマツ"が生きていた、などという話を聞いた時はリューザスの正気を疑ったが、どうやら本当のことだったらしい。

 念の為に、あの男に従って何重にも罠を仕組んでおいて正解だった。


 今頃、伊織達は地面に叩き付けられてミンチになっている頃だろう。

 仮にあの状況から助かったとしても、仕留めきれるように仕掛けはしてある。


 クツクツと笑みを零すと、マルクスは背後に作っておいた隠し扉から外へ出た。

 向かうのは地上だ。

 そろそろ、呼んでおいたキリエが来る時間だ。


「"英雄アマツ"の力……。クク、ああ、後で喰らってやろう」


 その前に、まずはキリエの相手をしなければ。

 ニチャリと、マルクスの舌なめずりの音が地下に響いた。

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