第七話 『共闘、或いは利用関係』
エルフィスザーク・ギルデガルド。
魔王軍での立場は分からないが、四天王を上回る程の力を持っていた魔族だ。
仲間に裏切られる前に戦っていた相手だから、記憶に残っている。
姿が変わっていないのは、魔族ゆえの老化の遅さが原因だろう。
まさか、あの状況から生き延びていたとは。
「――ふむ」
エルフィスザークはこちらを見て、真面目な表情をしている。
かつて戦った時と同じ、相手を震わせるような威圧感がそこにはあった。
警戒を高める俺を、その黄金の瞳は見透かすように見ている。
「まさか、お前――」
「――――」
口を開いたエルフィスザークに、思わず身構える。
まさか、正体に気付いたことを悟られたのか?
エルフィスザークは、真剣な表情で言った。
「そんなにジッと見つめて、私に一目惚れでもしてしまったか?」
「……なに?」
想定外の言葉に、思わず聞き返してしまった。
今こいつ、何って言った?
「昔から私の姿に見惚れる男は多かったからな。お前もそうなのだろう?」
「違う」
思わず、即答してしまった。
何を言っているんだ、こいつ。
あまりに見当違いの言葉に、思わず拍子抜けしてしまった。
これがこちらのペースを崩すための演技ならば、恐ろしい女だ。
「……む、そうか」
どうしてちょっとつまらなさそうな顔をしているんだ。
本当に、三十年前に戦った魔族なのか不安になってきた。
「……お前、一体何者だ?」
変な空気を打ち切って、話を切り出した。
何者なのか、は知っている。
だが、どうして土魔将と戦っていたのかが分からない。
エルフィスザークは魔族――魔王軍に属していた。
同じ魔王軍である土魔将と戦っているのはおかしい。
「恐らく、既に気付いているとは思うが、私は魔族だ。名を、エルフィスザーク・ギルデガルドという」
あの時に聞いた名前と寸分の違いもない。
想定外の性格ではあるが、どうやら本物で間違いないようだ。
「……魔族なら、どうして土魔将に追われていたんだ?」
「私は魔王軍を抜けた身でな。今は敵対していると言ってもいい。
あの無礼な龍が、私の姿を見るなり襲い掛かってきたんだ」
魔王軍を抜けて、敵対している、か。
土魔将に狙われていたことから、少なくとも嘘ではないだろう。
逃げる際に、あの龍から『反逆者』と叫ばれていたしな。
そのまま鵜呑みにするつもりはないが。
「結果、袋小路に追いつめられてしまってな。
そこにちょうどお前が降って来てくれたお陰で、どうにか逃げ出せたという訳だ」
以前のエルフィスザークならあの龍が相手も勝てたはずだが、どうやら弱体化しているらしい。
足場が崩れたのは、こいつらの戦闘の余波に巻き込まれたからか。
どういう事情があるか知らないが、面倒なことになったな。
「それで……そういうお前は何者だ?」
尋ねてくるエルフィスザークに敵意はない。
今の所は、こちらと戦うつもりはないらしい。
すぐに戦えるように身構えながら、ひとまず彼女の問いに答えることにした。
「……伊織だ。迷宮に用があって、ここにいる」
「ほう。見た所、王国の人間という訳ではなさそうだな。冒険者か何かだろう」
「まあ、そんな所だ」
なるほどなるほどとエルフィスザークは頷いている。
「迷宮が動きを止めたのは、お前の仕業か?」
「ああ。あの龍から逃げる最中に頂いてきた」
エルフィスザークが懐から、掌に収まるサイズの球体を取り出した。
それは薄っすらと虹色の光を怪しく放っている。
間違いなく、迷宮核だ。
「なんだ。迷宮核に用でもあったのか?」
俺の視線に気付いたのか、球体をこちらに見せながら、エルフィスザークがそう尋ねてきた。
どうにかして、この魔族から迷宮核を手に入れなければならない。
素直に答えるか、隠すか。
「なら、お前にやろう」
悩んでいる俺に向け、エルフィスザークは軽い口調でそう言ってきた。
「……いいのか?」
「ああ。持ってきたはいいが、私には必要の無いものだったからな。ありがたく受け取るがいい」
ポン、と。
気が抜けるような軽さで、エルフィスザークが迷宮核を渡してきた。
受け取った迷宮核からは、膨大な魔力の波動が伝わってくる。
「……分かった。ありがとう」
「ふふん」
ひとまず、迷宮核はポーチの中へしまっておく。
驚くほどあっさりと、目標を入手してしまった。
「それで、伊織と言ったな。お前はまだ、この迷宮で何かやることが残っているか?」
「いや、迷宮核が目的だったから、後はここから脱出するだけだ」
厳密にはもう一つあるのだが、それは置いておこう。
迷宮核を使って力を取り戻すことが出来れば、大抵のことが出来るようになる。
そうなれば、復讐も楽に進められる。
「それは都合がいい。伊織、私に協力しろ」
「……協力?」
唐突な提案に、思わず聞き返してしまった。
「共闘と言ってもいい」
彼女の話によると、外へ通じる転移陣は十四階にあるらしい。
俺達が今いるのはその下、十五階だ。
エルフィスザークはこの十五階にあった迷宮核を奪った後、転移するために十四階へと向かった。
十四階であの龍と戦っていたのは、脱出する為だったらしい。
「恐らく、あの龍は転移陣の前で私が来るのを待っているだろう」
「……追ってこなかったのは、お前が転移陣の所へ来ると考えたからか」
言語を使っていたことからして、あの龍の知能は高い。
待ち伏せをしていてもおかしくはないだろう。
エルフィスザークの言葉を吟味しながら、今後の行動について考える。
あの龍は、エルフィスザークを狙っているようだった。
俺はそれに巻き込まれたのだ。
ならば、エルフィスザークとは違う経路から逃げればいいだけではないだろうか。
「外に出るなら、上の階を登って迷宮の入り口から脱出するという手段もあるが」
「それは現実的ではないな。あの龍は魔術を使って地面を自在に移動できる。上の階へ逃げても、脱出する前に追いつかれるだろう」
それに、とエルフィスザークは言葉を続けた。
「あの無礼者は、言動からしてかなりねちっこい性格をしているぞ。私はもちろん、あの場に居合わせたお前も、逃しはしないだろう。別行動しても、片方を潰した後、もう片方も追いかける筈だ」
こちらの考えを見透かしたような言葉だ。
だが、嘘を吐いているようには思えない。
確かにあれ程の巨体を持つ岩窟龍ならば、俺の足で逃げても追いつかれる可能性がある。
「単独で迷宮の下層に来られるのだから、腕は立つのだろう? 私と連携すれば、脱出出来る可能性は高くなるぞ」
そう言ってエルフィスザークは、手を差し出してくる。
共闘しろと、その目が言っている。
「……俺はあの龍にダメージを与えられる程、強い攻撃は使えないぞ」
ここへ来るまでに、自身の力量は完全に把握した。
全盛期の足元にも及ばない。
かつて使えていた固有魔術も、今では魔石と魔力付与品を使ってもほんの数割の力しか出せないのだ。
「問題ない。私の魔術はあの龍にもダメージを与えられる。伊織は時間稼ぎをしてくれれば良い」
エルフィスザークは大丈夫だと首を振る。
確かに悪い話ではない。
だが、都合が良すぎる。
「……会ったばかりで、しかも人間に、よく共闘を申し込めるな」
こいつからすれば、俺は初対面の他人だ。
しかも、魔族と敵対している人間。
だというのに、何の警戒も見せない。
いくらなんでも、怪しすぎるだろう。
何を企んでいる?
脱出の障害になるのであれば、今ここで始末しておいた方がいいか?
そう考える俺を正面から見据え、エルフィスザークはこう言った。
「お前は私を助けてくれたからな。そこに人間も魔族も関係ないだろう?」
「――――」
それが当たり前だとでも、言いたげな表情で。
「はぁ?」
人間も魔族も関係ないだと?
何を言っているんだ、こいつは。
訳が分からない。
「それに、見る目には自信がある。お前は共闘するに足る人間だ」
相変わらず、偉そうにエルフィスザークは言う。
おだてている訳でも、取り入ろうとしている訳でもなく。
真摯な表情で、そう言っていた。
少なくとも、そう見えた。
「――――」
話を受け入れるか、断るか。
しばらく考え、やがて結論を出した。
「……分かった。この迷宮を出るまで、協力しよう」
「うむ、賢明な判断だな」
エルフィスザークは嬉しそうに顔を綻ばせると、尊大な態度で頷いた。
「…………」
信用した訳ではない。
むしろ、先ほどの言葉で余計信じられなくなった。
似たようなことを、かつての仲間、ルシフィナが言っていた。
人間も魔族も同じだと。
そう語った口で、「本気でそんなことを考えていたのか」と俺を嘲笑ったのだ。
何かを企んでいるのならば、それでいい
裏切るつもりならば上等だ。
そうならば、俺が先に裏切ればいいだけなのだから。
もう騙されない。
もう二度と、同じ轍を踏みはしない。
ここから生きて出る為に、せいぜい利用させて貰おう。
◆
「エルフィスザーク。お前は本当に、あの龍を倒せるだけの魔術を使えるのか?」
ここから脱出する算段を付けた後、俺達は転移陣のある上の階へ向かって歩いていた。
「ふん、私を誰だと思っている?」
「知らないから聞いてるんだよ」
「む……」
いや、実力は知っているが。
四天王ではないようだし、結局こいつは魔王軍のなんだったんだろうな。
「安心しろ。今は訳あって全力を出せないが、それでもあの龍を屠るだけの魔術は使える」
全力を出せない、か。
まあ、あの時の実力があれば、あの龍を倒すことぐらい容易だろう。
「この私と組むのだ。お前はちゃんと迷宮の外に帰してやるさ。大船に乗った気分でいるといい」
「……ああ。期待してるよ」
そんなことを言っているが、一体どこまで信用出来るやら。
裏切られた場合のことは、当然考えている。
あの龍はエルフィスザークを標的にしているようだったし、そこを利用する手もあるだろう。
共闘関係にはあるが、仲間になった訳じゃない。
ただお互いに利用しあうだけだ。
人間の敵である魔族の時点で、いくら友好的な素振りを見せてこようと、信用など出来ない。
……何年も旅をした仲間でさえ、容易く俺を裏切ったのだから。
いつ、こいつの気が変わっても大丈夫なように、常に身構えている。
不意打ちを喰らうことはないだろう。
逆に怪しい挙動を見せたら、一太刀で首を落とせる。
「どうした。やけに私の挙動を見ているな」
「いや……なんでもない」
おちゃらけているようで、勘は鋭いらしい。
弱体化しているようだが、やはり油断出来ない。
「ふむ……やはりお前、私に一目惚れを」
「してない」
「む……そうか」
油断、出来ない。
そんなやり取りをしながら、階段を上がった。
十四階へと登り、転移陣の方へと歩く。
「もうすぐだ。気を引き締めろ」
「……ああ」
魔素が薄くなった影響で、すっかり魔物の姿が無くなっている。
弱い魔物は死滅し、強い魔物は魔素を探して迷宮の外を目指しているのだろう。
戦う相手が土魔将だけというのは、ありがたい。
彼女に案内され、進んだ先にあったのは、円形の広い部屋だった。
先ほどの小部屋のように、壁が繰り抜かれて作られている。
部屋の奥には、他とは違う頑丈そうな素材で作られた道が続いている。
恐らくは、あの先に転移陣があるのだろう。
その部屋の中へ、俺達は踏み込んだ。
中には何の気配もない。
だが、分かる。
「いるのだろう? 隠れていないで、出てくるが良い」
『――ほう』
部屋中に声が響いたかと思うと、部屋の中央から岩に覆われた巨大な腕が突き出してきた。
ズブズブと、まるで水面から外へ出るかのように地面に波紋を作りながら、土魔将が姿を現す。
土蜘蛛を遥かに越える巨大な龍が、目の前に屹立していた。
『我に殺される決意が出来たようだな』
魔石を握りこみ、宝剣を抜く。
土魔将の体は全てが頑強な岩で覆われており、“壊魔”を使ってもダメージ一つ与えられないだろう。
「馬鹿者。我々に敗れるのは、貴様の方だ」
エルフィスザークが、不敵な笑みを浮かべて土魔将を挑発する。
不快そうに鼻を鳴らすと、土魔将はこちらに視線を向けてきた。
『矮小な人間よ。貴様にも、我の邪魔をしたツケはしっかりと払って貰うぞ』
エルフィスザークの言った通り、しっかりと俺にも狙いを付けているらしい。
それは想定済みだ。
「上等だ、土魔将。エルフィスザーク、下がっていろ。こいつは俺一人で十分だ」
『……何だと?』
あらかじめ、この龍の性格はエルフィスザークから聞いている。
先ほどからの言動からも、こいつが自分の力に自信を持っているということが分かった。
だからこその、この挑発。
「分かんないか? 迷宮核を奪われるような間抜けには、俺一人で十分だって言ってるんだよ」
『――ッ!!』
こちらの挑発は、成功したらしい。
土魔将はその巨体を怒りに震わせている。
「伊織よ。計画通りに頼んだぞ」
「……ああ」
そういって、エルフィスザークが後方へと下がる。
どこまで作戦通りに動いてくれるかは分からないが、ひとまず事前の作戦通りに動こう。
つまり俺は、土魔将を相手にひとりで戦わなければならない。
『良かろう……』
土魔将が巨大な双眸でこちらを睨み付けて叫ぶ。
『我が名は“土魔将”バルギルド! 早々に潰れろ、人間!!』
土魔将の咆哮が響く。
ああ、そうだな。
迷宮核を手に入れた今、もうここには用はない。
だから早々に消えろ、土魔将。
こうして、土魔将との戦いが始まった。
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