第三話 『関係と奸計』
ペテロ教国、聖都シュメルツ。
かつて"聖光神"が人々を教え導いた街。
また、霊山から押し寄せた"堕光神"ハーディアの軍勢を、"聖光神"メルトが撃退した決戦の地ともされている。
現在では、シュメルツはこの教国の首都となっている。
四方を大聖門で守護されたシュメルツは非常に広い。
そのため、いくつかの区画に分けられている。
区画の中で、最も重要なのが『聖光区』だ。
教国、そして苦しむ人々を救うために結成された聖堂騎士団。
四つの隊からなる騎士団の本拠地は、『聖光区』にある。
また、"聖光神"メルトを崇め、その教えを世界に広める為に存在するメルト教団。
教国において、非常に強い権力を有しているメルト教団の本拠地も、この『聖光区』に存在していた。
この二つの組織は当然、密接に関わりあっている。
教団内、騎士団内での地位を固める為に、政略結婚が行われることも珍しくない。
レオ・ウィリアム・ディスフレンダーの幼馴染――キリエ・ウルスラ・エイヴェルン。
彼女がマルクスと交わした婚約も、そんな地位を固めるための政略結婚だ。
神の教えを世界へ広めるためにあるメルト教団だが、その内部は腐敗している。
神の威光を盾に私腹を肥やし、地位を手にするために神の教えに背く。
そんな者達が増えていた。
キリエの両親は、メルト教団の一員だ。
娘であるキリエ自身も、メルト教団に属している。
昔、キリエの両親の教団での立場は、酷く脆いものだった。
家柄はそれ程良くなく、後ろ盾もなく、派閥争いによって呆気無く潰される程度の地位でしかない。
しかし、それはキリエの誕生によって大きく変化した。
かつて、"聖光神"メルトが使用したという聖なる大魔術。
それは、教国では"聖唱魔術"と呼ばれている。
聖なる魔術によってあらゆる恩恵や奇跡を可能とする、再現不可能な喪失魔術。
キリエは十歳の時に、唐突に"聖唱魔術"の使用に成功した。
神殿の中で、奇跡にも似た魔術を使用してみせたのだ。
それから、キリエの両親の教団での地位は一気に向上した。
現在ではメルト教団の中でも、上の下程度の権力者だろう。
しかし、人間の欲に際限はない。
キリエの両親は更なる地位の向上を欲し、キリエを使った政略結婚を企てた。
その相手が、聖堂騎士団二番隊隊長、マルクス・ピエトロ・サンダルフォンだ。
こんなものは、どこにでもある話だ。
特に珍しくもない、ありふれた政略結婚。
教団の中では、好いた者同士で結婚できた人間の方が少ないだろう。
ただ、その幼馴染に恋をしている男がいた。
それだけの話だ。
◆
マルクスの私室を後にしたレオが向かったのは、幼馴染の家だった。
「……どうして、私に何も言ってくれなかったんだ」
咎めるような口調で、机の向こうに座る幼馴染に言葉を投げかけた。
藍色の長い髪を紐で括った、レオと同年代の女性だ。
強く抱きしめれば折れてしまいそうな華奢な体つきに、露出の少ない肌は雪のように透き通っている。
キリエ・ウルスラ・エイヴェルン。
隊長のマルクスと婚約したという、レオの幼馴染。
現在、メルト教団に所属している、極々少数の"聖唱魔術"の使い手である。
幼い頃に出会い、それ以来ずっと同じ方向を向いて歩いてきた幼馴染。
彼女に婚約の話が行っているのは知っていた。
だが、自分に何の相談もなかったのが、レオにはショックだった。
「レオ君。その……私は」
キリエは暗い表情のまま机に視線を落とし、言葉を詰まらせている。
彼女の言葉を待たず、レオは矢継ぎ早に問い続けた。
「本当に、マルクス隊長と結婚するつもりなのか? 彼は亜人排斥派に属している。君は、亜人を受け入れる立場だったはずだ」
「……そうだね」
「隊長と結婚すれば、君も排斥派の一員にならざるを得なくなる」
キリエの両親は、亜人排斥派の派閥に属している。
これまでキリエは"聖唱魔術"が使えることを盾に、自身の派閥を濁してきた。
しかし、結婚すればそうはいかなくなるだろう。
「うん……わかってるよ」
「だったら……!」
「それでも私は、もう決めたんだ」
歯切れの悪い、だけど決意のこもった言葉だった。
レオは知っている。
こういう態度を取る時のキリエは、けして自分の意見を変えないと。
「どうして……ッ! ご両親の教団での地位を固めるためか……?」
「それも、あるよ。だけどね……レオ君の為でもあるの」
「私の、ため……?」
ハッキリと、レオを見ながらキリエはそう口にした。
キリエのその言葉に、レオは思わず口を閉じる。
頷いたキリエの髪が、小さく揺れた。
「私の地位が上がれば、レオ君に色々協力してあげれるし……そしたら、レオ君は夢に近づけるでしょ?」
「私の、夢」
「うん。言ったでしょ、私、レオ君の夢、応援してるって!」
キリエは早口でそう言いながら、朗らかなな笑みを浮かべる。
それは確かに本心からレオの抱く夢を応援していて、しかし、今のキリエの目はレオを見おていない。
「うん。やっと副隊長にまでなれたんだもん。あと一歩だよ。だから、私はその夢に協力したくて――」
「……ッ」
ドン、と机が大きな音を立てて揺れた。
キリエが体を震わせ、机に拳をぶつけたレオを見る。
「レオ、君……」
「相談もせずに、何が私の為だ。私がいつ、そんなことを君に頼んだ?」
「た、頼まれてはないけど、でも、約束したでしょ。レオ君のことを応援するって。だから私……」
もういい、とレオは席を立った。
今は頭に血が上っている。
これ以上の会話は、お互いに傷つけ合うだけだろう。
「レオ君……!」
キリエの呼びかけを無視して、レオは家を後にした。
外へ出て、レオは息を吐く。
嵌めていた指輪を外し、強く握りしめながら、レオは天を仰いだ。
「……君のためなら。私は……僕は……ッ」
◆
屋根裏部屋からレオとマルクスのやり取りを見た翌日のことだ。
俺達は再び、二番隊の宿舎に忍び込んでいた。
聖堂騎士の宿舎なだけあって、魔術的な監視はもちろん、見張りをしている騎士が多い。
マルクスの私室へ向かう道中、魔術の種類、見張りの人数などの情報を集めていく。
エルフィの魔眼と俺の"魔技簒奪"を使い、宿舎の魔術はすぐに把握出来た。
見張りの騎士に関しては、人数が多すぎて、流石に二日では情報を集めきれなかったが。
もう二日あれば、完全に把握出来るだろう。
ザルに思えるかもしれないが、これでもかなり厳重な方だ。
初日は忍びこむのに、かなり時間が掛かったからな。
メルト教団の神殿となると、この数倍は警備が厳重だろう。
忍びこむ用事が出来ないと良いんだが。
「ふむ……。では迷宮討伐は数日、先延ばしになるということですな」
現在、俺達は屋根裏からマルクスと他の騎士の会話を見ていた。
教国が計画にしていた、迷宮討伐についての話をしているらしい。
「迷宮討伐が延期、か」
「リリー達の一件が原因らしいな」
エルフィの呟きに、俺は小声で答えた。
他国が次々と迷宮の討伐に成功しているのを受けて、教国は焦っている。
そのため、このシュメルツに戦力を集め、迷宮の討伐を行おうとしているのだ。
前に行った武具店の武器や防具が買い占められていたのは、迷宮討伐に備えてのことだろう。
それが孤児院の一件のせいで、リリー達を早急に捕らえなければならなくなった。
二番隊は大慌てで探索し、現在は三番隊も捜索に協力しているようだ。
「騎士団は、四つの隊で構成されてるんだったか?」
エルフィの問いに頷き、聖堂騎士団の構成について軽く説明する。
メルト教団の神殿を守護する、一番隊。
首都を守護する、二番隊。
教国全体を守護する、三、四番隊。
聖堂騎士団は、この四つの隊で成り立っている。
「なるほどな。じゃあ、数十年前に私が戦ったのは、三番隊か四番隊というわけか」
「ああ、多分な」
「あいつら、『神敵を滅ぼさん!』とか言いながら鬼気迫る表情で迫ってきて、不気味だったな」
何かを思い出したのか、エルフィが体を震わせた。
今はどうか知らないが、昔はかなりとんだ信者がたくさんいたからな。
命を惜しまずに特攻した騎士も多かっただろう。
迷宮の討伐は、最も魔物との戦闘経験が多いとされる三番隊を主体にして行われるらしい。
その三番隊がリリー達を探索しているのだから、迷宮討伐が遅れて当然だろう。
他国に遅れを取るまいと、教国を全力で迷宮の討伐を行なうだろう。
冒険者を募集しての迷宮討伐とは、掛ける時間も動員する人数も桁違いのはずだ。
騎士の犠牲を厭わなければ、あるいは教国は迷宮討伐を成し遂げるかもしれない。
「……だから、今回の件はラッキーだな」
「うむ。あの騎士たちを出し抜くのは骨が折れそうだ。それならいっそ、私達だけで行った方が手っ取り早い」
もしゃもしゃとりんごパイを食べながら、エルフィが頷く。
聖堂騎士を利用して迷宮討伐をする手も考えたが、動員される人数を考えるとかなりの手間が掛かるからな。
エルフィの言うとおり、二人で討伐に乗り出した方が楽でいい。
「ふむふむ」
頭から次々とりんごパイを取り出し、エルフィが美味しそうに頬張っている。
こいつ、リラックスしすぎだろ。
「ん。また誰か来るぞ」
エルフィの奔放さに呆れていると、マルクスの部屋に来客があった。
藍色の髪の女性が、一人で部屋の中に入ってくる。
服装からして、メルト教団の人間だろう。
「よく来てくれたね、キリエ君」
マルクスは脂ぎった顔に嫌らしい笑みを浮かべ、女性をソファに座るよう命じる。
女性は浮かない表情のまま、それに従った。
「キリエ君。婚約の話、正式に受け入れてくれて感謝するよ」
「……はい」
婚約……。
昨日、レオに言っていた相手のことか。
「ディスフレンダー君も、さぞ喜んでいることだろう」
「…………」
ねっとりとした口調に喜悦の色を含ませ、マルクスはそれを隠そうともしない。
相手の女性もそれに気付いているようだが、俯いたまま何も言わなかった。
「まだ正式には発表されていないがね、私は近々、一番隊へ行くことが決まっている。教団のお歴々の推薦で、一番隊の隊長になるんだよ」
一番隊……神殿の守護をする隊だ。
他の隊と違って一番隊は危険が少なく、また教団の深部と関わっている。
各隊で身分に差はない、とされているが、実質、聖堂騎士のトップは一番隊だろう。
「そうなれば、神殿で行われる評議会にも参加出来るようになるだろう」
「そう、ですね」
「騎士の進退も、私の方である程度は決められるようになるわけだ。例えば二番隊の副隊長を、隊長に昇進させる……もしくは、三番隊辺りの副隊長に異動させることが出来るようになる」
マルクスの言葉に、女性がビクリと体を震わせた。
……ああ。
そういうことか。
「それどころか、『誰々は騎士道に悖る卑劣な男だ』という話を流せば、最終的に除隊させることも可能だろうね」
「はい……。分かっています」
「ディスフレンダー君には、立派な目標があるそうじゃないか。二番隊の隊長、だったかね。いやぁ、感心するよ。まだ若いのに、目標の一歩手前にまで上り詰めてきているんだからね」
マルクスが立ち上がり、女性の隣に座る。
そして、彼女の肩に指を這わせた。
「……っ」
「そんな彼が、瑣末なことで夢を失う……。こんなことは、あってはいけない。そうだね、キリエ君?」
「は、い……」
マルクスは女性の耳元に顔を寄せると、息を吐くように言った。
「今夜、勤めが終わったら私の屋敷に来なさい」
分かっているね?
耳元でそう念を押してから、マルクスは女性を部屋から返した。
「ああ、今から滾るよ。準備しておかなければね。……色々と」
静かな部屋に、マルクスの粘りつくような呟きが響いた。




