第十二話 『その遺志を引き継いで』
肌を刺すような冷たい空気。
頬を撫でる生暖かい呼気の感触で、ミシェルは目を覚ました。
ゆっくりと目を開くと、脂肪で弛みきった男の顔が視界一杯に広がっていた。
「……ひっ」
「おはよぉ、ミシェルちゃん」
体を起こそうとして、ミシェルは手足が拘束されている事に気付いた。
それだけではなく、服が剥ぎ取られ、下着だけの姿になっていた。
ズキズキと痛む頭を抑えることすら出来ない。
恐怖に駆られ周囲を見回せば、最初にシーナを見かけたあの広い実験室のような場所にいた。
あの豚のような男は、床に寝かせられたミシェルを四つん這いになって眺めている。
男の呼吸の度、吐き気を催す生臭い臭いがミシェルの鼻を突いた。
「パパ、ママぁ! ミシェルちゃん、起きたみたいだよぉ」
「そうかそうか。ダーティス、良かったな」
「ダーちゃんの為に連れてきたんだから、好きにして良いわよ」
部屋にはジョージとリリーの姿もあった。
奥に設置された椅子のような器具の周りで、何かをやっている。
(あれ、は……)
その二人の隣に、灰髪の青年が不機嫌そうに立っているのが見えた。
瓜二つの容姿……だが、あれはアマツではない。
見間違いようもない、あの獣のような目をした青年はオルガだ。
オルガがここにいるということは、彼と戦っていたアマツはどうなった?
「お、お兄さんは、どうしたの……!?」
リリー達に向けて、横たわったままミシェルが叫んだ。
その大声にダーティスはキョトンと目を丸くして、「ん?」と首を傾げている。
「お兄さん……? ああ、あの出来損ないの事か」
「あんなの、処分したに決まっているじゃないの」
「うそ……」
信じられない。信じたくない。
「嘘じゃねえよ。あの後、おれが徹底的にぶち壊してやったからな。グチャグチャになったあいつの姿、お前にも見せてやりたかったよ。クソ女」
「そん……な」
喉が張り付いたように、言葉が出てこない。
死んだ。自分を逃がそうとして、必死に戦ってくれたお兄さんが。
涙がこみ上げ、ミシェルは体を震わせる。
「お兄、さん……」
「とんだ無駄死だったなぁ、あの野郎はよぉ。せっかく無様に這いつくばっておれの足止めをしたってのに。肝心のお前が逃げられないんじゃ、どうしようもないよなぁ!」
「う……ぁあ。あああ、ぁあああ」
床に顔を埋め、ミシェルが嗚咽を漏らす。
自分が失敗したせいで、アマツの頑張りを無駄にしてしまった。
ミシェルを逃がすために、ボロボロになってもアマツは戦い続けたというのに。
「んふぅ、ああ、泣いてるミシェルちゃん可愛いよぉ!」
ダーティスの巨体が、ミシェルの上にのしかかってくる。
無理やりに顔を上げさせ、ミシェルの顔に舌を這わせた。
零れ出る涙を舐め取り、ダーティスはその悦楽に体を震わせる。
「パパ、ママ。早くあれやってよ! ミシェルちゃんに見せてやりたいんだ!」
「あなた、ダーちゃんが待ってるわ。早くやってちょうだい」
「あぁ、今すぐやるよ。……オルガ、そろそろ魔力の補充を行うぞ」
「そうだな。魔王を倒す為の力を蓄えなきゃいけねえ。……あんなクズに消耗させられたなんて屈辱だ」
オルガの体に、幾つものコードが繋がれていく。
コードの先には、あの椅子型の器具があった。
「ほらミシェルちゃん! よぉぉく見るんだよ!」
「……っ」
強引に髪を引っ張り、ダーティスがミシェルの顔を上げさせる。
視線の先にあるのはあの椅子だ。
その上に、一人の少女が乗せられている。
「シーナ……」
「うん、そうだよぉ。シーナちゃんと仲良かったんだよね? これから、あの子がカリカリのミイラになる所を見せてあげるっ!」
「あ……ぁあああ」
シーナも下着姿のままで、椅子に拘束されていた。
体は痩せ細り、その目には精気がない。
頭部の耳は垂れ下がり、艶の合った肌や唇からは水分が失われていた。
「はぁ……はぁ……! ミシェルちゃん凄くいい顔してるっ!」
股座を大きく膨らませ、ダーティスが鼻息を荒くする。
そのまま、ズリズリとミシェルの太腿にそれを押し付け始めた。
「これからねっ! はぁ、あの子は! 魔力を吸われて死んじゃうんだよぉ。ふぅ、ふぅ」
「やめて……」
「あはぁ、だぁめ。あの子はもう飽きたから吸い取って殺しちゃうの! シーナちゃんの代わりにミシェルちゃんが来たからね。ふぅ、ふぅぅ」
アマツが殺され、目の前でシーナも殺されそうになっている。
自分ではどうすることも出来ない。
このまま、なすすべなく殺される。
(それはもう、変えられないけど……!)
「……っ!」
せめてもの足掻きに、ミシェルは顔を撫で回していたダーティスの指に食らいついた。
その醜い肉に、歯を突き立てる。
「ぁあ!? 痛い痛い痛い痛い!!」
「……っ! っ!!」
顔を殴り付けられても、ミシェルは離れない。
ぼたぼたとダーティスの血が零れ落ちる。
「ダーちゃん!?」
「貴様ァアア!!」
駆けつけたジョージの蹴りがミシェルの腹部にめり込み、その矮躯を吹き飛ばす。
骨が折れる嫌な感触がミシェルを襲う。
その拍子に内臓が傷付いたのか、口の中に血の味が広がった。
「あああああ!! パパぁ! ママぁ! 痛いよぉお!」
「ダーティス! 大丈夫か!?」
悲鳴をあげ、ダーティスが地面をのたうち回る。
駆け寄ったジョージとリリーを殴りながら、野太い声で豚のように泣き喚いた。
「ああぁあ! 痛い痛い痛いッ! 死んじゃう、死んじゃうよぉおおお!」
「今すぐ私が治してあげるわ!!」
ジョージが抑えつけ、すぐにリリーが治癒魔術を掛けて指の傷を治させた。
「貴様、ミシェルッ!!」
「よくもダーちゃんにッ!」
ヒューヒューと息を吐きながら、ミシェルは言った。
「ざまぁ……みろ」
その瞬間、ダーティスが顔の肉をブルブルと震わせ、絶叫した。
「僕を傷付ける奴なんて、玩具にしてやらない!! 殺して! パパ! 今すぐあいつを殺して!!」
最愛の息子を傷付けた存在を、生かしておく理由がない。
ジョージがミシェルの髪を掴み、椅子の元まで引きずっていく。
「貴様はシーナと一緒に魔力を吸い尽くして殺してやる! 息子を傷付けた罰だッ!!」
「う……っ」
叩きつけるように、椅子に座らされる。
ジョージが何かを唱えると、椅子から拘束具が現れ、ミシェルを縛り付けた。
これから、前に部屋で見た男性のように、魔力を吸い尽くされて殺されるのだろう。
「どうして……」
「はぁ?」
「どうして……こんなことするの。前に、ジョージ達は私に教えてくれたのに」
ぐったりと椅子に座らされたまま、ミシェルは尋ねる。
「人間も亜人も、どっちもいいところがあるって……。私、幸せだったのに……」
ミシェルの言葉に、ジョージとリリーは顔を見合わせると「その通りだ」と頷いた。
「ああ、人間も亜人も、どちらも素晴らしい」
「ええ、その通りよ」
涎を啜るような。
丸々と太った豚のステーキから滴る、肉汁のような。
欲望に塗れきった表情で二人は言った。
「「――どちらも、良い実験材料になる」」
あぁ、とミシェルは悟った。
二人が孤児院を開いたのは、実験材料を集める為だったのだと。
子供に優しく接していたのは、全部嘘だったのだと。
「それに、実験が成功すれば金にもなる。オルガが魔王を倒した暁には、金も、名誉も、全部手に入る」
「吐き気のする魔族も滅んで、私達は幸せに暮らすことが出来る。あぁ、人間も亜人も、等しく私達を幸福にしてくれる素晴らしい存在だわ」
自分の頬を撫で、うっとりとした表情でリリーが言った。
「抽出した魔力を使えば、こうして若さを保つことも出来る。そうでもなきゃ、貴方達のような汚らわしい孤児を連れてくる訳がないでしょう?」
汚らわしい。
それまで孤児院で接していた彼女ならば、絶対に言わなかった言葉だ。
あれは全て演技で、内面では自分達をそう思っていたのかと、ミシェルは愕然とした。
「シーナみたいな気持ち悪い亜人を引き取ってるのもそのためよ。人間の子供よりも引き取り安いし、いなくなっても誰も気にしないもの」
「だからといって、ダーティスと過ごせる時間が減るのは業腹だが……メルト様は仰った。感謝の心を忘れるな、とな」
「だから私達は貴方達に時間を割いて、衣食住を用意してあげてるの」
何がメルト様だと、ミシェルは吐き捨てたくなった。
メルトという神が教わった通りならば、神は絶対に二人の所業を許さない。
しかし二人は、自分達は全面的に正しいのだと、信じて疑っていなかった。
「我々がいなければ、どうせ貴様ら孤児は野垂れ死んでいたのだ。一時でも住める家を用意してやったんだから、むしろ我々に感謝して欲しいよ」
「ええ。その上、貴方のようなクズを世界を救う為に有効活用してあげるのだから、泣いて喜ぶべきよ」
滔々と語る二人を見て、ミシェルは思った。
どうしようもなく醜い、と。
どうしてこんな人達に、自分達が食い潰されなければならないのだろう。
どうしてこんな人達に、お兄さんは殺されなくちゃならなかったのだろう。
「パパ! ママ! 早くしてよ!」
「ああ、すまない。はっ、そういうことだ。今すぐに絞り殺してやる」
ダーティスに急かされて、二人は会話を打ち切った。
醜悪に笑うと、椅子の仕組みを作動し始める。
「はは! あの出来損ないに消耗させられた魔力は、お前で補ってやるよ。あいつがそれを知ったら、どう思っただろうなぁ」
「……っ」
「ま、もう死んでるから、知ることも出来ないんだけどよぉ!」
コードの先にいるオルガが、ミシェルを嘲笑する。
「魔力を吸われるのは苦しいよぉ! 僕を噛んだりするからこうなるんだ。ばーかっ!」
ケラケラと、ダーティスが笑う。
「ふん。さあ、死ね」
「さようなら。今度から、貴方みたいなのが入り込んでこないように、警備は頑丈にしておくことにするわ」
そうして、椅子は作動される。
もう数秒も経たない内に、ミシェルとシーナは魔力を吸われて死ぬだろう。
アマツの戦いは何の意味もなく、アマツの死には何の価値もなくなってしまう。
(そんなの……嫌だ……っ)
痛みで朦朧とした意識の中で、ミシェルはそれを強く否定した。
「……けて」
誰にも届かない。
助けに来てくれる人はいない。
そう分かっていながら、
「助けて……!」
最期にミシェルは、絞りだすようにそう叫んだ。
「――――ああ」
――その叫びに、応える者がいた。
ヒュンと音がした。
何がが飛来して、椅子とオルガを繋いでいたコードを切断する。
コードの断面から、バチバチと電流が迸った。
「な……何だ!?」
広い部屋の薄暗い隅。
闇が解けるように、そこから二人の男女が姿を現した。
銀髪金眼の少女と、髪も瞳も黒で統一された少年。
どちらも、ミシェルには見覚えのない人物だ。
「……お兄、さん……?」
しかし、黒い少年を見て、ミシェルは何故かアマツに似ていると感じた。
「何者だ、貴様ら!」
怒鳴るジョージに、黒い少年は酷く醜いモノを見るように顔を顰める。
それから、ミシェルに視線を向けた。
「……君がミシェルか?」
ミシェルが小さく頷くのを見て、黒い少年は言った。
「――待ってろ。すぐに、助けてやる」
◆
「エルフィ、俺は――――」
エルフィと共に聖都を回った日の夜。
俺はある答えを出した。
「あいつらが本当に改心していたなら……復讐を、諦めようと思う」
憎しみはある。
どうしようもない殺意もある。
だけど、改心している二人を殺すことは、かつて俺が守りたかった物を壊すことになる。
それは、したくなかった。
子供達の笑顔を壊すようなことは、したくない。
「……うむ、そうか。なら、私はそれに従おう。確認しに行くのだろう?」
エルフィは特に意見を述べることなく、そう言った。
「ああ。深夜になったら、あの孤児院に行こう」
そうして俺達は聖都を抜け、再び孤児院へと向かった。
孤児院を囲んでいる森には、大量の土巨人と監視用の魔術が仕掛けられている。
"隠蔽"と"魔技簒奪"でそれを突破し、慎重に森を進んでいく。
「――――」
孤児院の中に踏み込む直前。
その途中で、森全体を駆け巡るような魔力の波動を感じた。
ひとまず孤児院に入るのをやめて、その魔力の源の方へ向かう。
「……!」
「これは……アマツか」
そこで俺は、"かつての俺"と出会った。
いや……正確には違う。
正確には、"英雄アマツ"を模して作られた、戦闘用のホムンクルスだ。
今にも死にそうなホムンクルスは俺に言った。
『子供達を助けてあげて』と。
最初は何かの罠かと思った。
しかし、ホムンクルスは摯実に言っていた。
本心から、助けてあげて欲しいと。
「どうするんだ」とエルフィが目で聞いてくる。
聞かれるまでもなく、俺の心は決まっていた。
「――あぁ、任せろ」
そして、俺達は孤児院に侵入した。
子供達は二階の部屋で眠っており、何かをされている様子はない。
危険もなさそうだった。
「……となれば」
「あの封印された部屋の他には無いな」
入念に閉ざされた扉を開き、踏み込んだ先にあったのは地下室だった。
音のする方へひたすら進んでいき、そして――。
「「――どちらも、良い実験材料になる」」
また、俺は失望させられることになった。
笑顔など、初めからどこにも無かったのだと思い知らされた。
「……本当に、お前らは何度俺を失望させてくれれば気が済むんだろうな」
「アンタ……昨日孤児院に来ていた……!」
甲高い声で、リリーが喚き立てるのを無視して、この部屋にいる人間を再確認する。
ジョージ、リリー、そして恐らくは二人の息子であろうダーティス。
椅子に囚われている二人の女の子に、
「――――!」
先ほどまでいた、もう一人のホムンクルス"オルガ"が消えていた。
「はっはぁ!!」
魔術を使用した高速移動で、オルガが接近してくる。
右手に握りこんだ剣が、凄まじい勢いで振り下ろされるのが見えた。
翡翠の太刀で受け止めるよりも先に、エルフィが前に出た。
「させん……!」
魔力を纏った腕で、オルガの一閃を受け止める。
魔力と魔力が激しくぶつかり合い、火花が散った。
「おらあァ!!」
オルガの一撃が、エルフィを空中へと突き上げた。
風の魔術を利用して、オルガがその後を追う。
まるで何もない空間を蹴るような動きで、エルフィを翻弄する。
「……舐めるなよ、人形」
――"魔脚・天風閃"――
エルフィの足が魔力を纏う。
直後、エルフィもオルガと同じように何もない空間を蹴って空中を移動した。
"魔腕"と刃が何度も交差し、激しく火花を散らして――
「ちぃ……」
打ち負けたオルガが、地面に叩き落とされた。
直前に風で勢いを殺し、軽業師のように回転して着地する。
次いで、エルフィも地面に降りてきた。
「お前、相当強えな。あの出来損ないよりも、よっぽどやるじゃねえか」
激突し合った二人だが、どちらもまだかなりの余力を残している。
なるほど、あのホムンクルス、なかなか強いらしい。
「……そこの男、お前は何だ? お前を見てると、イライラしてきやがる」
鋭い眼光をオルガが向けてくる。
「何でもない……ただの復讐者だよ」
「あぁ?」
「しかし、ジョージとリリー。何をしているかと思えば、"英雄アマツ"のホムンクルスを作ってるなんてな」
この森の周囲で目撃されたという、英雄アマツの亡霊。
これを見る限り、ホムンクルスが脱走でもして、それを目撃した人がいたんだろうな。
……くだらない。
「俺が提供した細胞を、こんな事に使われるとは思ってなかったよ」
「な、何を言っている……?」
「……分からないのか? なら、すぐに教えてやるから待ってろ」
睨みつけると、ジョージとリリーがブルリと体を震わせた。
「何をしている、オルガ! 早くこいつらを片付けろ!」
「ダーちゃん、こっちにいらっしゃい。パパとママが守ってあげるから」
「うん」
あの三人は、少女二人が座らされている椅子の近くに固まっている。
助けに行くには、まずはオルガを片付ける必要がありそうだな。
「教えてやる? 今すぐ死ぬお前らが何を教えるってんだ?」
「安心しろ。お前に教えることはねえよ」
「……お前、あの出来損ないと同じくらい苛つくな」
チリチリと、オルガが魔力を放出する。
灰色の髪に、あの長身。
恐らくは内部に内包した膨大な魔力の影響でああなっているのだろう。
「出来損ないってのは、森で倒れていたホムンクルスの事か?」
ピクリと、椅子に座っている少女が反応するのが見えた。
確か、ミシェルだったか。
あのホムンクルスが、命を賭して守ろうとした少女。
「あぁ、見たのか。そうだぜ。あいつは俺と同じ目的で作られたホムンクルスだ。ま、弱いだけの出来損ないだけどな」
「…………」
「おれこそが、あの"英雄アマツ"を完全再現した完成形だ。同じ人間を元にしてるのに、どうしてあいつとおれでここまで違うのか、理解に苦しむぜ」
……ああ、俺もそう思うよ。
オルガは陶酔しているように、流暢に舌を回す。
「あんな甘ったるい奴がアマツな訳がねぇってのによ」
「…………」
「だからあいつは、出来損ないの偽物だって――」
「もう良い。黙ってろよ、"出来損ない"」
は? とオルガが固まった。
後ろでエルフィが小さく笑っている。
「くく。アマツのコピーだというのなら、この人形はどうしようもなく出来損ないだろうな」
「……ああ。出来損ないで、偽物なのはお前の方だよ、オルガ」
少なくとも。
あのホムンクルスの助けたいという意志は、本物だった。
目の前にいる偽物とは違う。
「お……おれが、偽物だと……?」
プルプルと、オルガが体を震わせる。
ダンダンと地団駄を踏み、犬歯を剥き出しにして叫びだした。
「殺してやるよ。この糞野郎がぁあああ!!」
オルガの姿が掻き消えた。
風属性魔術を使いながら壁を蹴り、部屋の中をバネのように跳躍する。
「伊織。あの人形はお前に任せても大丈夫か?」
「ああ。すぐに片付ける」
会話の間にも、オルガは嵐のように部屋中を跳びまわっている。
「ふざけたことをぬかしやがって。おれが偽物? は、いいぜ。今からお前に本物の一撃を教えてやるよ」
「…………」
「お前らも、あのガキを助けに来たんだろ? 今決めたぜ。お前らも、あのガキも、おれがグチャグチャに殺してやる。あの出来損ないと、同じようになぁ!!」
かつての自分と同じ顔の奴がいるってのは、嫌な気分になるな。
あのホムンクルスの時は何も感じなかったが、こいつは無理だ。
苛ついて、しょうがない。
「おらよぉ!」
真横をオルガが通過していく。
衝撃波で地面が大きくえぐれ、破片が風に舞い上げられていく。
「ははははははッ! なんだよ、お前! 目で追うことすら出来てねぇじゃねえか!! そんなのでよくおれに喧嘩を売ったよなぁ! 英雄たる、このおれによぉ!!」
嘲笑しながら、オルガが高速移動し続ける。
「後悔しても遅いぜ、糞野郎。そこの女もろとも、今すぐグチャグチャにして――」
「だったら早く来いよ。偽物」
「……ああ、死ね」
足場を踏み砕き、オルガが突っ込んでくる。
小さな台風が形を取ったかのような勢いだ。
「殺せ、オルガ!」
目の前にオルガが迫る。
右手に宿った『勇者の証』が疼く。
予感が合った。今なら、アレを使えると。
嘲笑を浮かべたまま、剣を振り下ろしてきたオルガの一撃を、
「――【英雄再現】」
俺は魔力で強化した腕で受け止めた。
衝撃波が部屋全体を駆け巡る。
実験器具がガタガタと揺れ、地面に落下していく。
「……は?」
攻撃を片手で止められたオルガは、それまでの笑みを貼り付けたまま呆然としていた。
「終わりか?」
「な、……ッ!!」
オルガが大きく後ろへ飛びのいた。
そして再び、風で自身を強化して突っ込んできた。
腕で、軽く弾く。
「お……」
無数の斬撃が飛来する。
翡翠の太刀でその全てを切断した。
「おお……ッ」
四方から風、炎、水、土、全ての属性の魔術が飛んできた。
その全てを魔術で消し飛ばす。
「おおおおおおおおッ!!」
必死の咆哮をあげながら、オルガが連続で攻めてくる。
魔術、剣術、体術、あらゆる攻撃を軽くいなしていく。
「なんだ!? 何なんだよ、お前っ!?」
オルガの顔が、焦燥に歪んでいく。
なりふり構わず、全力の攻撃を連続で叩き込んできた。
それでも俺は、ただの一撃すら喰らわない。
「あり得ない! なんで……!? どうしておれの攻撃が通らない!?」
「…………」
「おれは最強なんだ! 英雄なんだぞ!? こんなのおかしいじゃねえか!!」
その言葉を、鼻で笑った。
「弱いな、出来損ない」
「あ……ああ……あああああッ!!」
狂ったように、オルガが斬り掛かってくる。
弾き、いなし、受け流す。
懇切丁寧に、その攻撃の全てを無効化してやった。
「この程度で英雄? おい、笑わせんなよ。こんな程度じゃ、ディオニスにすら勝てねぇよ」
「嘘をつくな! おれは最強なんだ! どんな奴だっておれには敵わない! 魔王だって、おれには!」
「オルテギア相手なら、最初の一撃でお前が死んで終わりだ」
「うああああああッ!!」
実力差をようやく認識出来たのだろう。
オルガが涙を浮かべて、絶叫した。
「――そろそろ、終わりにするか」
「ひっ……」
「さっきからずっと、英雄がどうとかくだらないことを言ってたよな」
翡翠の太刀に魔力を纏わせる。
使用するのは、"鬼剣"だ。
「今からお前の言う、英雄の一撃をくれてやる」
「ま、まさか……」
蒼白な顔で、オルガが後退る。
「お、お前……オリジナルの……!?」
「ご名答」
「い、嫌だ……嫌だ、死にたくない!」
オルガが戦意を喪失して、逃げ出そうとする。
「無様だな。……あいつはもっと、潔かったぜ」
「嫌だああああ! おれは、おれは本物なん――――」
魔力を込めた斬撃を叩き込む。
「じゃあな、偽物」
防ごうと構えられた剣をへし折り、硬化の魔術を突破して。
かつての俺の魔力を纏った一撃が、オルガを正面から両断した。
「ぱ――――」
恐怖に歪んだ表情のまま、オルガが跡形もなく消滅した。
一片の肉片すら残らず、完全に。
部屋の中は、静寂に包まれた。
「は……? な、ん?」
「えっ? どういう、こと?」
数秒の間をおいて、ジョージとリリーが取り乱し始めた。
部屋の中をキョロキョロと見回して、オルガの姿を探している。
「オルガ! 何をやっている!?」
「早く出てきなさい! あいつらを早く殺して!!」
返事はない。
それで、ようやくオルガが死んだことを悟ったのだろう。
ワナワナと体を震わせ始めた。
「何だ、今のは……。心象魔術……か?」
「そ、それより、今の魔力パターンは。そんな、嘘」
「え、パパ? ママ? どうしたの……?」
ジョージとリリーは、何かを悟ったようだ。
ダーティスだけは、親の顔を見て首を傾げているだけだが。
「だから、すぐに教えてやるって言っただろ?」
「き、貴様……そんな、まさか」
「あぁ、久しぶりだな」
二人の顔は真っ青だ。
心象魔術の魔力に触れて、俺の正体を悟ったのだろう。
「ジョージ・イグナス・エルヴァナヒトに、リリー・ファミナ・アンブラム。……ああ、今は結婚して、リリーの方は姓が変わってるんだったか?」
「嘘よ……あり得ないわ!」
「ねぇ、パパ、ママ、どういうことなの?」
「少し黙っていろ!!」
心に余裕がなくなったのか、ジョージはあれ程可愛がっていた息子を怒鳴りつけている。
リリーは、それを咎める余裕もないらしい。
「アマツ……なのか?」
「ああ、そうだ。お前らに復讐するために、戻ってきた」
そう言って、一歩前に踏み出した。
「ひっ……」
「来るんじゃ無い!」
ジョージの叫びと共に、地面から無数の土巨人が姿を現した。
ドスドスと音を立てて接近してくる。
「邪魔だ」
そして、エルフィの魔眼によって一瞬で消滅した。
パラパラと、残骸が地面に降り注ぐ。
「私の土巨人が、こんな、簡単に……」
「……行くぞ」
地面を蹴り、ジョージ達の元へ突っ込む。
「いや、来ないでぇッ!」
「この、亡霊がぁ……ッ!!」
リリーの魔術が地面に流れ込み、足元が凸凹になる。
そこへ、ジョージの魔術が弾丸のように降り注いだ。
足場を悪くして動きを封じ、そこを攻撃する。
流石に聖堂騎士団に所属していただけあって、戦い慣れている。
「な……!?」
靴に魔力を流し、足場を無視して走りだす。
靴の効果によって、こちらの動きは微塵も鈍らない。
蒼碧の靴。
足場の悪さを一切無視して、移動することが出来る魔力付与品だ。
使うのは初めてだが、この効果は本物のようだな。
ジョージとリリーが、あらん限りの魔術を撃ってくる。
その全てを、俺は正面から叩き斬った。
押し寄せる土巨人も、エルフィの魔眼の前には何の意味も持たない。
「ひぃ……!」
勝てないと悟ったのだろう。
悲鳴を上げ、二人はダーティスを背中に隠すようにして後退る。
この状況庇う所を見ると、子供への愛情は本物らしい。
……だったら。
どうして、ほんの少しでも、他の子供のことを考えてやれないんだよ。
ジョージ達に注意を向けたまま、椅子に座らされている少女を見る。
二人共、意識を失ってしまっている。
オルガとの戦いの余波を受けたせいだろう。
「……もう、大丈夫だ」
剣を振り、その体を縛り付けている拘束具を破壊する。
自由になった二人を抱き抱えた。
安全な場所まで連れて行き、地面に置いた。
ミシェルという少女の呼吸がおかしい。
どうやら肋骨が折れて、内臓を傷付けているようだ。
もう一人の猫人種の少女はもっと酷かった。
体中から、魔力が抜き取られている。
このまま放置しておけば、衰弱して死に至るだろう。
「死なせない」
この二人も、他の子供達も。
絶対に助けてみせる。
……あいつと約束したからな。
「……これは酷いな」
「ポーションを渡せ。この二人は私が処置しておく」
ポーチからポーションを取り出し、エルフィに手渡した。
「なあ、伊織」
二人の口へポーションを流し込みながら、エルフィがこちらを見ないまま聞いてきた。
「……なんだ?」
「安心したか? あいつらが悪人で、心置きなく復讐出来ることに」
「…………………」
振り返り、ナイフを投擲する。
逃げ出そうとしていたダーティスの太腿をナイフが貫いた。
「ぎゃあああああああッ!!」
「ダーちゃん!?」
「貴様、なんてことを……!」
豚のように喚きながら転がるダーティス。
駆け寄る二人にも、同じようにナイフを投擲した。
「ぐぁあああッ」
「ひ、ひっ……ぃぎいいい」
「ママ! 早く治してよぉ! 死んじゃう死んじゃう死んじゃう!」
三人の耳障りな絶叫が、部屋に響き渡る。
俺は一歩一歩近づいていく。
「ま……待ってくれ! 助けてくれっ!」
ジョージが、苦悶の表情を浮かべたまま言ってくる。
無視して、一歩前に踏み出す。
「マーウィン。ベルトガ。オリヴィア。ディオニス。こいつらの名前を聞いて、何か思うことはないか?」
「ま……まさか」
「ああ。ここに来るまでに、俺が殺してきた奴らの名前だよ」
カタカタと三人が体を震わせる。
「ジョージ、リリー。お前らは、俺を裏切ったな」
「ち、違う……! 私達は、その……」
「リューザス達から、お前らの情報は手に入れてる。金欲しさに俺を殺そうとしたこともな」
「そ、それは……」
蒼白な顔で何かを言おうとするも、言い訳すら思いつかないらしい。
「……それでも、俺は」
「……………」
「お前らが改心していて……子供達の為に孤児院を運営してるんだったら、復讐せず、手を引くつもりだったんだよ」
その言葉に、二人の顔色が変わる。
活路を見出したかのように、目の色を変えた。
「わ、私達は本当に、子供達の為に孤児院を開いたんだ!」
「そうよ! 昨日貴方達も上の様子を見たでしょ……!? 」
「あ、アマツ殿……! 頼む、助けてくれ……!」
「お願いします!!」
縋るように、二人が言ってくる。
「……だったら、お前らが殺した子供を元に戻せよ」
「え……?」
「全員笑顔にして、今すぐここに連れてくるんだ」
「そ、それは……」
それは出来ない。
そんなことは分かってる。
分かりきっている。
「エルフィ。さっき聞いたな。俺に、安心したのかと」
「…………」
「……違うよ。失望したんだ。やっぱり、俺には見る目がないってさ」
少しだけ、信じたかった自分に。
けど、俺が間違っていた。
人間はそう簡単に変われないんだ。
改心出来るような奴は最初から、自分の利益の為に他人を貶めて、嘲笑ったりはしないんだ。
「俺は復讐に妥協しそうになっていた。お前らのお陰で、それに気付けたよ」
「ひ……」
「だからもう、妥協はしない。俺を裏切った奴は、絶対に許さない」
――だから。
「今からお前らに、地獄を見せてやるよ」
魔術を発動する。
「や、やめ――」
そうして俺は、三人の意識を刈り取った。




