第十話 『秘めていた想いを』
同じ顔、同じ髪の色、同じ背丈。
着ている服以外は、全てアマツと同じ。
だというのに、この青年はどうしようもなく、アマツとは異なっていた。
ボサボサの長い灰髪に、怖気の走るような鋭い光を放つ漆黒の双眸。
業物だとひと目で分かる剣を片手に、貫頭衣を身に纏ったその青年は荒々しい笑みを浮かべている。
「お兄さん……!」
切断された腕の断面を抑えながら、アマツは苦悶の表情を浮かべていた。
ミシェルが駆け寄ろうとするのを、アマツは残った腕で制する。
「……ぼくは大丈夫。それより、ミシェルはぼくの後ろに隠れているんだ。アレは……不味い」
無数の土巨人、大量の罠を突破してきたアマツが『不味い』と評した。
その深刻さに、ミシェルは息を呑む。
先程から、アマツは一瞬足りともあの青年から目を離していなかった。
「おいおい、つまらないリアクションだな。英雄が来たんだぞ? もっと盛り上がれよ」
アマツの血が滴っている剣を手の中で弄びながら、青年はコツコツ踵を鳴らす。
ミシェルとアマツが自分に触れない事に苛立っているようだった。
「英雄……か。ぼく以外にも何体か作られているとは思っていたけど、君がそうなんだね」
「ああ、その通り。だがお前ら出来損ないとは一緒にしないで欲しいなぁ?」
「きみは、ぼく達とは違うと?」
「当たり前のことを聞くなよな、グズ。ひと目で分かるだろ? お前ら偽物とも、出来損ないとも違う――正真正銘、おれが完全な英雄だよ」
自慢気に、誇らしげに、上先ほどとは一変し、上機嫌に青年は語る。
英雄を自称するその青年は、普通ならば気が触れているとしか思われなかっただろう。
そう、普通ならば。
――英雄。
青年の放つ異常な圧力は、その言葉を鼻で笑うことを許さない。
ただ、その禍々しさは、どちらかといえば"魔王"という呼称の方があっているのではないかとミシェルは思った。
「すぐに死ぬ個体とも、ロクに知性を持たない個体とも、まともに戦えない個体とも違う! おれこそが英雄アマツの映し身――二人目の英雄、オルガ様だ」
青年――オルガは胸を張り、大声で自らの名を口にした。
"英雄アマツ"を再現するために、何十と生み出されてきたホムンクルス。
自分こそがその完成形だと、オルガは嘯く。
「……そんな君が、リリー達に命令されてここまでやってきたのかい?」
「命令ぃ? 違う違う。お前らが俺達を脅かす"悪"だからさ」
「ぼく達が、悪……?」
「おれはいずれ魔王を殺し、世界を救う英雄だが――まだ状況が整ってないんでな。もうしばらくは生け贄が必要なんだよ。そんな生け贄を逃がそうとするお前らは、英雄の道を阻む悪だ」
当然だろ? と告げるオルガに、アマツが拳を握りしめる。
穏やかだったアマツが見せる、初めての怒りだった。
「君は、孤児院で犠牲になっている人達を容認するのか?」
「何怒ってんだ? 馬鹿かお前? あいつらは世界を救うための礎になってるんだぜ? 本望だろうさ」
「……ッ」
さて、とオルガが手を叩く。
放つ魔力で貫頭衣を揺らし、大きく前傾姿勢を取った。
「出来損ないはとっとと死にな。おれはそこのガキを連れて来いって言われてるんでな」
「っ……」
後退るミシェルを庇うようにして、隻腕になったアマツが一歩前に踏み出す。
切断された断面は塞がっており、もう出血は止まっていた。
「下がっているんだ、ミシェル」
「お、お兄さん……」
オルガが魔力を身に纏い、アマツが腕を変容させる。
「君は、ぼくが守るから――!」
"英雄アマツ"の模造品同士の戦いが始まった。
◆
「ははははははは!!」
先に動いたのは、オルガの方だった。
地面を踏み砕きながら跳躍すると、アマツに斬り掛かった。
甲高い笑い声が森に響く。
「くっ……!」
アマツは硬化させた腕で振り下ろされた剣を受け止めた。
直後、衝撃に耐え切れなかったアマツの足元が砕け散る。
体勢を崩したアマツを、甲高い笑い声をあげるオルガが蹴り飛ばした。
「が、はっ!」
腕を地面に突き刺して蹴りを勢いを殺そうとするアマツへ、
「遅いんだよ、出来損ないがぁ!」
回転しながら、オルガが弾丸のように斬り掛かる。
アマツが足を伸ばして胴体を横へ移動させた直後、その真横をオルガの一撃が通過していった。
その余波だけで、周囲の木々がざわめく。
「うっ……」
発生した衝撃波は、下がって樹の後ろに隠れていたミシェルにすら届いている。
あまりの風圧に、ミシェルは立っていることが出来ない。
「お兄さん……」
アマツとオルガの戦いは熾烈を極めていた。
高速で移動するオルガを、アマツの硬化された腕が襲う。
アマツの一撃ごとに、地面が大きくえぐれる程だ。
やはり、アマツは強い。
しかし、オルガはそれ以上に強かった。
アマツの攻撃は、まるでオルガに届いていない。
戦いを知らないミシェルの目から見ても、アマツの不利は一目瞭然だった。
「……は、ぁ!!」
何度目の攻防。
オルガの攻撃を躱したアマツが、隙の出来たオルガに向けて腕を振った。
空振ったオルガは、それに対応出来ない。
「……ッ」
しかし、直後オルガの体が宙に飛び上がった。
アマツによる横薙ぎの一撃を悠々と回避し、上空でオルガが口元を歪める。
「また……」
先ほどからオルガは、ああして物理法則を無視した動きを取る。
その度に、決まるはずだったアマツの攻撃は空振ってしまうのだ。
「――馬鹿が!」
何もない空間を蹴りつけ、オルガは弾丸のように落下した。
その先に、腕を振り切ったアマツの姿がある。
回避しようとするアマツだが、オルガの方が圧倒的に速かった。
「――遅すぎんだよぉ!」
アマツが腕を硬化して攻撃を防ぐも、オルガの斬撃の壮絶な威力に弾き飛ばされた。
直後、爆発が起きたのかと錯覚する程の衝撃が森を走る。
木々をへし折りながら、アマツが宙を舞った。
「そんな、お兄さん……!」
「あはははははははッ!!」
ミシェルの叫びをかき消すようにして、オルガが哄笑した。
「最高にいい気分だ! こうして戦うと自分の強さが分かる」
「う……」
「あぁ! やっぱりおれは最強だッ!!」
「……ッ!!」
倒れたままで、アマツが笑い続けるオルガへ腕を伸ばした。
ミシェルの目では捉えられないような速度の突き――しかし、オルガはまたも不自然な動きで回避する。
「おいおい、さっきから誰を狙ってるんだ? こうして隙を見せてやってるんだから、ちゃんと攻撃を当てろよなぁ?」
「……風の魔術か」
挑発するオルガを無視し、アマツはその不自然な動きの答えを口にした。
――風属性魔術。
オルガは体から風を放出し、物理法則を無視した動きを可能にしていた。
「正解! ……で? だから? タネが分かった所で、お前の貧相な"変容"と"硬化"じゃあおれを捉えられないよなぁ?」
「こ……の!」
起き上がり、アマツが何度も腕を振る。
しかし、一度としてオルガを捕らえることは出来なかった。
躱され、弾かれ、受け流され――アマツのあらゆる攻撃をオルガに通用しない。
あのアマツの攻撃を物ともしない、オルガはそんな卓越した力を持っていた。
無傷のオルガとは逆に、徐々にアマツの体は傷付いていった。
アマツの行動ごとに、オルガの剣がブレる。
そのたびに、硬化しているはずのアマツの体から血が吹き出た。
「ミシェル……!」
やがて、全身から血を流したアマツが、樹の陰のミシェルに叫んだ。
「ぼくが時間を稼ぐ! だから逃――――」
「何秒稼ぐつもりだぁ?」
「か、は……っ!」
言い切るよりも先に、オルガの剣がアマツの腹部に刺さっていた。
息を吐き、アマツが地面に倒れ込む。
「お兄さんっ!?」
「ああ、凄いな、偽物。おれと戦って"一秒"も時間を稼ぐなんてよぉ! 誇っていいぜ?」
「ミシェル……来るな!」
うずくまったまま、アマツは駆け寄ろとしたミシェルを制する。
「あばよ、偽物。後は英雄に任せて、眠ってなぁ!」
「……ッ!」
魔力を纏った刃は、硬化したアマツですら切断しうるだろう。
オルガの腕が振り下ろされる。
――その、直前。
「なに……?」
オルガの足元から、長い何かが突き出してきた。
それは瞬く間にオルガの足を縛り付け、その身動きを封じる。
「なんだ、これは……」
そう口にしてすぐ、オルガはハッと周囲に視線を向ける。
いつのまにか。アマツの斬り落とされた腕が地面から消えていた。
「……そう。腕、だよ」
倒れ伏していたアマツが、痛みに堪えながら笑みを浮かべた。
先ほど切断された左腕。
戦いの中で、アマツはそれを操作し、地面の中に隠しておいたのだ。
「ちぃ……」
オルガが腕を外そうと藻掻くが、硬化された腕は外れない。
オルガの体をガッチリと地面に固定していた。
「ちゃんと攻撃を当てろよ、だったかな。お言葉に甘えさせて貰うよ」
「お前……!」
「――ごめんね」
アマツの腕が変容し、巨大な剣となる。
ありったけの魔力で硬化した腕が、オルガの肩口から脇腹に掛けて走った。
「――――」
「――――」
そして、驚愕を浮かべたのは二人。
アマツとミシェルが目を見開く。
「馬鹿が」
笑みを浮かべたのは一人。
オルガが、獰猛に笑っていた。
「お前程度が使える魔術を、おれが使えないとでも思ったか?」
アマツの一撃は、オルガの肌に一ミリの傷も付けていない。
硬化――オルガの使った魔術によって、完全に防がれていた。
「そん、な……」
「なに驚いてんだ? 当然だろうが。大体、お前みたいな不出来な偽物がおれに勝てると思ったのか? "ほ・ん・も・の"の、このおれによ」
「ぼくは……」
鉄が砕ける音がした。
オルガを拘束していたアマツの腕が、粉々に砕け散る音。
「お兄さ――」
「おこがましいにも程があるんだよ、カスが」
オルガの一撃が、アマツを斬り裂いた。
◆
――ぼくは、助けたかったんだ。
アマツ/ホムンクルスは"英雄アマツ"を模して作られたホムンクルスだ。
かの英雄の髪、爪、体液、魔力、戦闘データ。
あらゆるサンプルを利用し、ジョージとリリーが会得した"喪失魔術"で作り上げた偽物。
「完成だ!」
「ようやく、"英雄アマツ"を再現出来たわ!」
最初に聞いたのは、歓喜に打ち震えるジョージとリリーの声だった。
二人はそれまで何体ものホムンクルスを生み出してきたが、どれもまともに形をなさなかった。
そんな中で初めて形を保ったのが、自分だったのだ。
自分の元となった"英雄アマツ"の話を聞いて、アマツ/ホムンクルスは思った。
自分も、そんな存在になってみたいと。
人々を救える、そんな英雄に。
それが叶わないと知ったのは、すぐだった。
アマツ/ホムンクルスには、二種類の魔術しか使えなかったのだ。
"英雄アマツ"が行使したという強大な魔術が、何一つとして。
『出来損ないね……』
『ぬか喜びさせよって。駄目だな、失敗作だ』
偽物。
失敗作。
出来損ない。
そう罵られた後、アマツ/ホムンクルスは再び実験室の培養器に入れられた。
失敗作ではあるが、肉体を保ったサンプルとして保存される事になったのだ。
それから、実験室の培養器がアマツ/ホムンクルスの世界になった。
普段は眠らされ、データを採取される時だけ目をさます。
そんな生活を、何年も送った。
ごく短時間、目を覚ましている間。
――助けて。
声を聞いた。
助けを求める子供の声を。
別れ離れになった親の名を叫ぶ声を。
――助けて。
声を聞いた。
何度も。
何度も、何度も、何度も、何度も。
「――――」
何度、声を聞いただろう。
日々の中で、アマツ/ホムンクルスは気付いた。
「――――」
胸の中で、何かを叫んでいる自分がいることを。
助けを求める子供を見て、何かをしたいと思う自分の存在を。
――助けて。
その叫びは、大きくなっていった。
心を焦がすような衝動は、内に広がっていった。
「……ぼくは」
けれどその叫びは、自分のモノではない。
それはきっと、自分という存在の元となった男の想いだ。
だから、その欲求は自分のものではない。偽物なのだ、
そんな嫌悪にさえ駆られた。
――助けて。
けれど。
それでも、ぼくは……。
「――ぼくは!」
衝動のまま、アマツ/ホムンクルスは培養器を砕いた。
外の世界へ足を踏み出して、アマツ/ホムンクルスはようやく知った。
自分が涙を流していたことに。
そして、この想いがどうしようもなく、かけがえの無いもので。
ずっと、身体を突き動かそうとしていたことに。
そうして、
『助けて……』
ミシェルの叫びを聞いた。
「――ああ」
その時になって、アマツ/ホムンクルスはようやく気付いた。
「――ぼくは、助けたかったんだ」
◆
「ぁ――――」
鮮血を噴き出しながら、アマツは地面へ倒れ込む。
傷口は深く、早く治癒しなければ生命維持が出来なくなる。
"変容"を使えば多少の傷は塞げるが、目の前のオルガがそれをさせてくれるはずもない。
――せめて、ミシェルだけでも。
途切れそうになる意識を繋ぎ止め、目を開いてすぐ。
アマツは絶望した。
「お兄さん……!」
すぐ目の前に、ミシェルの姿があった。
自分を叫びながら、血で汚れるのも厭わずに傷口を必死に抑えている。
「どうして……」
「傑作だな、おい。お前の頑張りは全部無駄だったってわけだ」
オルガはアマツとミシェルを見下ろし、心底楽しそうに笑っている。
駄目だ。この距離からでは、ミシェルはオルガから逃げられない。
そう認識して、アマツは絶望した。
自分は、何も救えなかったのだと。
「まぁ、当然の帰結って奴だろ? 悪が負けて、正義が勝つ。偽物が負けて、本物が勝つ。お前みたいなカスが負けるのは当然だよなぁ」
「…………」
「そう落ち込むなよ。カスがカスな結果しか出せないのは当然だろ?」
――その、通りだ。
オルガの言葉を認めてしまう自分がいることに、アマツは気付いてしまった。
出来損ないの、偽物。
そんな自分が完成形に勝てる訳がなかったのだと。
「……ごめん、ミシェル」
「お兄、さん……」
「偽物のぼくじゃ……駄目だった」
――君を、助けられなかった。
自分ではオルガを倒せない。
ミシェルは助けられない。
孤児院の子供達も救えない。
諦観に、アマツは押し潰されて――――
「――違う……!」
――それをかき消す、声があった。
「お兄さんは、偽物なんかじゃない……!」
「――――」
「だって、私を助けてくれたのは、お兄さんだから!」
直後、ゴッと鈍い音がした。
ミシェルの体が浮き、地面に転がる。
「か……っ」
「黙れよ、ガキ」
オルガの足が、ミシェルの背中を踏みつける。
「こいつは偽物だよ。どうしようもなくな。本物っていうのは、おれのことを言うんだよ」
「……ちが、う」
「…………あ?」
オルガに背を踏まれたまま、ミシェルは顔を上げた。
抗いながら、アマツの目を見ながら言う。
「お兄さんは、お前なんかとは、違う……!」
「…………ああ、殺す」
オルガが剣を構えた。
「あいつらには生かして戻せって言われたが……おれの知ったことじゃねえ。お前は悪だ。英雄を侮辱した、最低の売女だ。ああ、ここで殺さなきゃな」
オルガが剣を振りかぶる。
数秒後、ミシェルはなすすべなく殺されるだろう。
剣が振り下ろされる直前。
アマツは、確かに聞いた。
――助けて、というミシェルの声を。
「――――」
ぼくでは、倒せない。
ぼくでは、オルガに勝てない。
ぼくでは――――。
力はない。
だけど、理想はある。
どうしても、ミシェルを助けたい。
――だから。
「……あ? なんだ、お前」
叫ぶ。
心に焼き付いたその言葉を。
どうしても成し遂げたい、その心象を。
――心象魔術【偽らざる摯実の咆哮】――
「――おォおおおおおおおおッ!!」
偽物ではない――確かな叫びが、オルガに突き刺さった。
もう少しで伊織に視点が戻ります




