第八話 『英雄を騙る人形』
死の危機を迎えたミシェルの元へ、颯爽と現れた男。
灰色の髪に、黒い瞳、スラリとした長身の青年だ。
「アマ……ツ」
目の前の青年が語ったのは、英雄の名前だった。
かつて、王国で召喚され、世界を救う一歩前にまで至った勇者。
いくつものお伽話で語られるその存在を、当然ミシェルも知っていた。
灰色の髪と、逞しい長身。
強い意志を灯した、黒い瞳。
人外の領域にまで踏み込んだ、最強の戦士。
眼前の青年は、確かに灰色の髪を持つ長身だ。
瞳の色も、伝承の同じ黒。
しかし、英雄と呼ぶにはあまりに覇気がない。
村で畑仕事をしていても違和感のない、そんなおとなしそうな顔つきをしていた。
「あー」
ミシェルの視線に、青年は気まずそうな表情で頭を掻いた。
「……呼び名ってだけで、別に本物のアマツって訳ではないよ。ぼくはただの……出来損ないだからね」
寂しそうな、切なそうな――そんな声色だった。
出来損ない、その言葉の意味を理解できず、ミシェルが問いを口にしようとした時だ。
青年――アマツの背後で、それまで沈黙していた土巨人が動き始めた。
無防備なアマツの頭上から、文字通りの鉄槌が降ってくる。
「あ……あぶな――」
「……大丈夫」
険しい表情ながらも、アマツの声色は穏やかだった。
緩やかに、アマツが何の武器の持たぬ右腕を頭上に掲げる。
その時にミシェルは気付いた。
土巨人の腕を斬り落としたアマツだが、彼は一切の武器を持たぬ無手であるということに。
では、アマツはどうやって土巨人を斬ったのか。
その答えを刹那、ミシェルは見た。
――持ち上げられたアマツの腕がグニャリと歪み、刃の形に変容したのを。
「フッ……!」
刃が鞭のようにしなり、落下してきた土巨人の腕を切断する。
それに留まらず、刃はその巨体へ絡みつくように襲い掛かると、瞬く間に細切れにしてしまった。
鉄の塊が音を立てて地面へ落ちる中、アマツの腕は元の形へと戻っていった。
人間離れした光景に、ミシェルは固まりながらも疑問を口にする。
「お兄さんは……なに?」
その問いに、アマツは静かな声色で答えた。
「ぼくは"ホムンクルス"――この実験場で作られた、英雄の出来損ないだよ」
◆
――ホムンクルス。
ミシェルも、その呼称は聞いたことがあった。
魔術師によって生み出される"人造人間"。
それがホムンクルスだ。
かつては、多くの錬金術士が最高のホムンクルスを作り出そうと試行錯誤を重ねていたという。
しかし、現在は教国では教義に反するとして、ホムンクルスの研究は禁止されている。
アマツが本当にホムンクルスならば、リリー達はその禁を破っていたことになる。
「さあ、行こうか」
アマツは尻もちを付いていたミシェルを起こすと、手を引いて歩き始めた。
「ど……どこに?」
「ひとまず、この孤児院の外に。ここは危険だ。リリー達は地下に来てしまった君を生かしてはおかないだろうからね」
その言葉を聞いて、ミシェルはようやく自分の置かれている状況を思い出した。
囚われたシーナ、出て行った子供達の亡骸、襲いかかってきたジョージとリリー。
信じたくない。あんなことが現実に起きているなんて。
(……そうだ。シーナ)
親友が、あの気持ち悪い男に捕まっている。
置いていけば、あの椅子のような機械で殺されてしまうかもしれない。
「待って……。まだ、シーナがいる」
「……それは、君の友達かい?」
「親友なの……。置いていけないよ」
アマツは小さく首を横に振った。
「駄目だ。君を逃がすことを優先しないと」
「どうして!」
「ここはリリー達の魔術工房だ。さっきみたいな罠がたくさんある。君を連れたままじゃ、その子の元に辿りつけないかもしれない」
「でも……っ」
シーナを見捨てていくなど、ミシェルには考えられなかった。
辛い時に、自分を支えて、助けてくれた親友。
今度は自分が彼女を助けてあげるべきだ。
アマツが助けてくれないというのなら、一人ででもシーナを助けに行く。
(でも……私だけじゃ)
さっきのような土巨人が出てくれば、ミシェルでは対処できない。
(シーナ……シーナぁ……。嫌だよぉ……)
自分では、助けられない。
それが分からない程、ミシェルは馬鹿ではない。
だからこそ、現実に絶望して、足元から崩れ落ちそうになった。
「……そんな顔しないで」
ぽん、と。
そんなミシェルの頭に、アマツの手が乗せられた。
「君の友達は、ぼくが助ける」
「え……? でも、駄目だって……」
「確かに、君を連れていては無理かもしれない」
だから先に君を逃がして、ぼくはここに戻ってくるよ。
アマツは、ミシェルの頭を撫でながらそう言った。
「二人は、僕達を逃すまいと必死になると思う。だからその間は、他の子に構っている余裕は無いはずだよ」
そう言われても不安を拭い切れないミシェルに、アマツは言った。
「そのシーナちゃんも、君の他の友達も、ぼくが助けてみせるから」
「……お兄さん」
自分に任せておけと、アマツは力強い表情で頷いた。
その時、「あ、そうだ」とアマツが何かを思いついたように呟く。
「君の名前、まだ聞いてなかったね。良かったら、教えて欲しいな」
「……ミシェル」
「ありがとう。うん……いい名前だね」
羨ましいな、とアマツは小さく呟いた。
その言葉の意味を聞こうと、ミシェルが口を開きかけた時だった。
「ミシェル。そこにいるのかい?」
遠くから、ジョージの声が聞こえてきた。
「さっきは怒ってしまって悪かったね。少し、誤解させてしまったようだ」
「ええ、ごめんなさいミシェル。貴方にちゃんと謝って、ちゃんと事情を説明するわ」
そこへリリーの声が加わった。
二人は穏やかな口調で、ミシェルに呼びかけている。
少しずつ、足音が近付いて来ていた。
「――だから、その場を動かないでおくれ」
ミシェルは、グッと息を呑んだ。
二人の言っていることは、本当なのだろうか。
この状況は全部ミシェルの誤解で、二人はちゃんと自分に謝ってくれるのだろうか。
元の幸せな生活に、戻れるのだろうか――――。
「……駄目だよ」
二人の言葉に縋りそうになったミシェルに、アマツは首を振った。
「君が何を見たかは分からないけど、それはきっと誤解なんかじゃない」
「で、でも……」
「リリー達は長い間、ここで色々な実験をしてきたんだ。多くの人が実験材料にされるのを……ぼくは、ずっと見ていた」
逃げるんだ、とアマツがミシェルの手を引いて走りだす。
「大丈夫。君は絶対に、ぼくが安全な所まで連れて行ってあげるから」
一瞬の逡巡。
リリー達を信じるのか、アマツを信じるのか。
悩んだ結果――、
「……うん」
ミシェルは、アマツを信じることした。
彼に手を引かれたまま、ミシェルは通路を走りだす。
「……ミシェル! どこに行くんだ!」
「戻って来なさい!」
後ろから、ジョージとリリーの叫び声が聞こえる。
目を瞑り、ミシェルはそれを振りきって走った。
「……悪い子だ」
「ええ……本当ね」
「勝手に地下に入って、息子を馬鹿にして、大切な研究成果を誑かして……」
「そんな子には、キツイお仕置きが必要よね」
そんな悍ましい言葉が、通路を曲がる寸前、ミシェルの耳に入ってきた。
◆
地上への入り口に向かって、二人は通路を疾走する。
先導して走るアマツの足取りに迷いはなく、この地下の構造を詳しく把握しているようだった。
「……!」
ボコボコと音を立てて、床や壁が変形し始めた。
無数の土巨人が姿を現し、襲い掛かってくる。
「ぼくから離れないで」
アマツの腕が鈍色に煌めき、土巨人を切り刻んでいく。
一瞬の出来事だ。
だだの一体も、アマツに傷一つ付けることすら出来ない。
「……すごい」
思わず感嘆の言葉をこぼしたミシェルに、アマツは首を横に振った。
「凄くなんかないさ。……ぼくにはコレしか出来ないからね」
「…………」
「さ、早く進もう。ここはあの二人の魔術工房だ。長居するのは危険だよ」
現れる土巨人を難なく屠りながら、アマツは進んでいく。
その過程で、ミシェル一人では到底突破できないような、無数の罠に襲われることになる。
床や壁から這い出してくる、無数の土巨人。
アマツは一刀の元に切り払う。
天井から降り注ぐ、無数の刃。
アマツはミシェルを抱え、最小の動きで回避する。
四方八方から迫り来る大量の魔術。
アマツは変形させた腕で魔術を消し飛ばす。
この地下が牙を剥こうとも。
いかなる罠が襲いかかろうとも。
アマツはそれを正面から粉砕していく。
「…………」
何故、アマツが自分を助けてくれるかは分からない。
彼の言っていることが本当なら、アマツを作ったのはリリー達だ。
何故、彼は親と呼べる存在に逆らっているのだろうか。
分からない、分からないが……。
ミシェルには、目の前で戦うアマツが、本物の英雄のように見えた。
「どうして、助けてくれるの……?」
走りながら、ミシェルはアマツに尋ねた。
どうして、自分のためにここまでしてくれるのだろうと。
「それは……」
困っているような、どこか切なそうな。
それでいて、強い意志が伺える表情で、アマツは答えた。
「――君の声を、聞いたからね」
◆
「土巨人では歯がたたんか」
作動させた魔術攻撃が次々と突破されていくのを、当然ジョージとリリーは気付いていた。
二人は魔術工房の最奥で、孤児院とその周辺全てのモニタリングを行っている。
「……はっ、出来損ない風情が頑張るものね」
念入りに仕掛けておいた罠も、あの研究成果の前では大して役に立たないらしい。
『出来損ない風情』でもあれだけの罠を突破出来るのかと誇らしくなる反面、創造主たる自分達に逆らったことは看過できない問題だ。
「パパ、ママー」
扉を開けて、一人の男が部屋に入ってきた。
醜悪という言葉が相応しい、丸々と肥え太った豚のような男だ。
着ている服は裏表逆で、履いている靴の紐すら結べていない。
誰が見ても、顔をしかめるような醜い存在に対してリリーは、
「あらあらダーちゃん!」
満面の笑みを浮かべながら駆け寄り、勢い良く抱きついた。
そのまま唇を押し付け、ねっとりとした情熱的な口づけを行なう。
それまで悪意を剥き出しにした表情だったジョージも、ニッコリと微笑みを浮かべて見ていた。
ダーティス・メルト・エルヴァナヒト。
リリーとジョージの間に産まれた、最愛の一人息子である。
「ママ、靴紐結んで」
「もー、また解いちゃったの? 仕方ないわねぇ」
とろけるような笑みを浮かべて、リリーはダーティスの解けた靴紐を結ぶ。
とうに齢二十を越えた息子の靴紐を母親が結んでいるというおかしな状況だというのに、その場にいる全員が当たり前のこととして捉えていた。
それほどまでに、ジョージとリリーは息子であるダーティスを溺愛しているのだ。
ダーティスの洗礼名に"メルト"と付けたのも、その愛情の現れだろう。
神の名を洗礼名にするなど、メルト教の信者ならばけしてやらない最悪の行為だ。
そんな常識外れなことをしていることからも、ダーティスへの愛情の深さが伺える。
「ねえねえ、さっき僕の部屋に女の子が来たよ」
「あ、あの女ね!」
「ダーティス、変なことはされなかったか!?」
コクリとダーティスが頷くのを見て、二人は心底安心したような表情を浮かべる。
それから、愛する息子に近付いたミシェルへの怒りで顔を真っ赤にする。
「絶対に、生かしては帰さん!」
「出来損ないもろとも、グチャグチャにして処分してやるわ!」
ヒステリックに叫ぶ二人に、「だめ!」とダーティスは首を振った。
「あいつは僕の部屋に連れて来て」
「で、でもダーちゃん? あの女は……」
「やめておきなさい。もっといい子を連れて来てやるから」
ダーティスは地面に倒れこみ、ジタバタと手足を踏み回して叫ぶ。
「僕はあの女で遊びたいの! あいつがいいの! パパ達は僕のお願いを聞いてくれないの!? 僕に嫌われてもいいの!?」
その言葉に、二人の顔は真っ青になった。
最愛の息子に嫌われるなど、自殺した方がマシだ。
「よ、よし、分かったぞ。パパ達に任せておきなさい」
「ええ、すぐに連れて来てあげるわ」
二人の言葉にダーティスは体を起こすと、
「うん! パパ、ママ、大好き!」
ニッコリと満面の笑みを浮かべた。
二人は息子の天使のような笑顔に感極まったように震えると、勢い良くダーティスを抱き締める。
「ダーティスの為に、"オルガ"を向かわせよう」
「アレなら、ミシェルもすぐに捕まえられるわね」
それから、最愛の息子の願いを叶えるために動き出した。
出来損ないを殺し、ミシェルを生け捕りに出来る兵器を起動させに。
「……ん?」
"オルガ"の元へ行くため、工房を後にする直前だった。
ふと、ジョージはアマツとミシェル以外の反応を感知したような気がした。
確認してみるも、感知した存在を見つけられない。
「気のせいか」
ジョージはそう切り捨て、
「さて、出来損ないに真の英雄というものを教えてやらねばな」
ほくそ笑みながら、部屋を後にした。




