第四話 『失望の刻』
静まり返った魔術工房の中。
騎士剣を突き付けられたリューザスの顔が、蒼白を通り越して土気色になっていく。
「どうした、リューザス。まるで幽霊でも見るような表情だな」
「ほ、本当に……本当にお前はアマツなのか? だ……だってお前は」
「殺した筈、か?」
天月伊織では知り得る筈のない情報を口にしたことで、俺がアマツだと理解したらしい。
目を大きく見開いて、震え声で怒鳴り始めた。
「あり得ねえ! 俺は、確かに勇者を召喚したはずだッ! どうしててめぇがここにいる!? 何だその姿は!? なんで……」
「黙れ」
「ぐ、あああッ」
魔力の込められた騎士剣を突き刺しても、リューザスの身体を完全に貫けない。
こいつが着ているローブには、かなり高度な防御の魔術が付与されているらしい。
「待ってくれアマツ! 殺さないでくれ!!」
「……俺を殺しておいて、その言い草は勝手が過ぎるんじゃないか?」
許すとでも思っているのか?
ふざけるのも、大概にしろ。
「違うんだッ! お、俺はディオニス達に騙されたんだよ!!」
その名前を聞いて、持ち上げていた騎士剣の動きを止めた。
ディオニス達に騙されていた?
「ルシフィナ達が、アマツさえ殺せば、魔王殺しの名誉は俺に譲るって言ったんだよ!」
「……おい、この期に及んで、まだ嘘を吐くようなら」
「違う! 本当だ! 本当に、あいつらは俺にそう持ちかけてきたんだよ!」
必死の形相で、リューザスが説明した。
魔王城へ乗り込む数日前。
タイミングを見計らって、アマツを殺そう。
リューザスに向け、二人はそう持ちかけてきたという。
「それに、お前は乗ったのか」
「あ、あぁ……。け、けど、それは俺だけじゃねえ! 魔王城での戦いの支援に参加していた奴らも、何人かこの話に参加してる!」
魔王軍を倒す為の、人間と亜人の連合軍。
その中に参加していた鬼族や人狼種などの種族の者が数人、俺を殺すための計画に協力していたという。
その者達の名前をリューザスはベラベラと喋った。
「ああ……あいつらか」
名前を聞いて、すぐに思い出せた。
その誰もが、俺の理想に賛同し、協力を惜しまないと近づいて来た奴だったからだ。
笑顔を浮かべ、協力を申し込んできた連中の声は未だに覚えている。
そんな奴らが、金や名誉を見返りに俺を殺すことに加担した。
「くく……」
平和の為に、人間に協力する。
そう言ったあいつらを信じた自分の滑稽さに、思わず笑いが溢れてくる。
勇者として認められたと、喜んでいた俺を殴り殺したいよ。
「――それで?」
「ひっ!?」
笑い出した俺に後退るリューザスへ、静かに続きを促す。
「そ、それで、俺達はルシフィナの作戦通りに動いたんだ」
亜人達は俺達のパーティに続いて、支援の為に魔王城へ乗り込もうとしていた人間達を魔族を装って足止め。
誰も俺を助けに来れない状況を作り出す。
「あぁ……だから、後詰めの軍が入ってこれなかったのか」
リューザスの言葉に納得する。
表情からも、起こった出来事からも嘘を言っているようには見えない。
そして、後は俺が知っている通りだ。
俺が魔族と戦っているタイミングで、勇者の力の宿った右腕を斬り落とす。
弱った魔王を倒すのはリューザスの魔術だけで十分だ。
だから、魔族との戦いで消費した魔力を補充し、更に用済みとなった俺も処分出来る。
「……なるほどな」
こんな作戦を立てた二人にも、それに乗ったリューザスと亜人達にも反吐が出る。
「それで、お前は一体、何を騙されたっていうんだ?」
「ディオニスとルシフィナは、魔王軍のスパイだったんだよ!」
「……なに?」
あの二人が、魔王軍のスパイ?
突拍子のない言葉に思わず固まる。
だが、リューザスの表情は必死で、嘘を言っているようには見えなかった。
「お前を殺した後、ディオニスに不意打ちされたんだッ。
アマツさえ殺せれば、君も用済みだってな!
俺もあいつらに裏切られたんだよ!」
そう言って、リューザスは裾をめくって、腕を見せてきた。
そこには抉られたような深い傷が刻まれている。
ディオニスによって、付けられた傷だという。
俺を殺した後、あの二人はリューザスに見切りをつけたらしい。
他の亜人達との約束も放り出して。
「じゃあ、どうしてお前は生きてる?」
「ルシフィナが『勇者が敗れた事を伝える人間が必要だ』って言ってディオニスに攻撃を止めさせたんだ……!」
人間に『アマツの敗北』、そして『ルシフィナとディオニスの裏切り』を告げることを条件に、リューザスは見逃された。
王国に逃げ帰ったリューザスは『ルシフィナとディオニスが裏切り、アマツを殺した』と報告したらしい。
ちゃっかりと自分を外している辺りが、どうしようもなく笑えるな。
「それで、ルシフィナ達、それに亜人。この作戦に賛同した奴らは今、どこにいる?」
「ルシフィナとディオニスは魔王軍だ。鬼族もそれに着いて行った。人狼種は切り捨てられ、今は確か連合国の温泉都市にいる筈だ……!」
「へぇ……」
リューザスの言っていることが、本当だという保証はない。
だが本当なら、書物から二人の名前が消えていたことにも納得がいく。
勇者が仲間に殺されたなど、とてもではないが公開出来ないだろう。
まして、裏切り者の中に王国の選出した騎士が入っているとなれば尚更だ。
色々なことにも辻褄が合うしな。
「な、な!? 俺は悪くない! あいつらが俺を騙したんだよ! 俺も被害者なんだッ!!」
足元で、リューザスが喚いている。
話が本当ならば、確かにこいつも亜人もあの二人に騙されたのだろう。
ルシフィナも、ディオニスも、俺を騙す為に演技をし続けてきたのだと考えると、殺意しか湧かない。
だが。
それでも、リューザスが裏切ったことには何らかわりない。
許せる訳がない。
「俺と協力しよう、アマツ! 俺達を裏切ったあの二人をぶっ殺してやるんだ! お前を裏切った亜人にも復讐していい! それで、今度こそ魔王の野郎を倒そう! お前となら、きっとやれる筈だ!」
引きつった笑みを浮かべて手を差し伸べてくるリューザス。
それに対し、俺は――、
「黙れ」
勢い良く剣を振り下ろした。
ローブに守られた肉が僅かに斬れ、鮮血が吹き出す。
「あ、ぁあ……! 血が……アマツッ、何を――」
「許されるとでも思ったのか?」
威圧してリューザスの反駁を潰す。
確かにこいつは騙されたのだろう。
しかし、だ。
俺を裏切った事実は変わりない。
こんな奴に、俺は背中を預けていたのか。
自分の馬鹿らしさに笑えてくる。
「……リューザス。儀式の間と、宝物庫に掛けられている封印と解き方を教えろ」
重要な場所には、魔術師によって入念に封印が施されている。
これを解くには、それを上回る魔術をぶつけるか、予め決められた文言を口にするかのどちらかしかない。
「封印? 何故だ」
「良いから言え」
剣を突きつけると、リューザスは悲鳴混じりに封印の解除方法を口にした。
表情からして、嘘を言っているようには思えない。
これで、こいつから聞き出すべきことは全てだ。
だが、もう一つ。
「……最後に聞かせろ」
聞いて、何が変わるという訳ではない。
ただ、それでも一つだけ、どうしても聞いておきたいことがあった。
「俺は……戦争を終わらせて、全ての種族が共存が出来る世界を作るのが目的だった。ルシフィナも……お前たちも、そう考えて戦っていると、思っていた。けど本当は、お前たちは、そんな俺の考えを嘲笑っていたのか……?」
三人がいたから、俺は戦い続けることが出来た。
初めて、流されるのではなく、自分の意思でやりたいことを見つけることが出来たんだ。
それは全て、誤りだったのか?
「……ふ、不可能な夢だとは、思ってたよ。魔王を倒したって、共存なんて出来ないってな」
リューザスは言った。
人間は、魔族と共存するつもりなどなかった。
反抗する者は皆殺しにし、降伏した者は奴隷にする。
あの戦いの先に待っていたのは、そういう未来だったのだと。
「ああ、そうか」
俺の中でも答えが出た。
何が共存――馬鹿らしい。
結局、俺は仲間が語った理想に流されていただけだった。
同じ仲間とすら上手くやれないのに、多種族と共存するなんて土台無理な話だったんだ。
ああ、失望したよ。
お前らを信じていた、自分自身に。
「もう、お前に聞きたいことは――」
「そ、そうだアマツ。お前に見せなければならない物があるんだ」
言葉を遮り、焦ったようにリューザスが工房の奥にある棚を指さした。
「……何だ?」
「る、ルシフィナ達に関わることだ。口にするより、見た方が早い」
「分かった。その場所まで歩け」
剣を突き付けたまま、リューザスを歩かせる。
向かう先にあるのは、研究材料が並んでいる棚だ。
「まさか、お前が生きてるなんて思ってなかったぜ……。どうやって、あそこから生き延びたんだ? それに、その体は」
「……黙って歩け。お前に教えることなんてない」
俺が教えて欲しいくらいだからな。
俺が生きているのは、王国の行った二度目の召喚が関係しているんだろうが。
だからといって、王国に感謝する気持ちは微塵もない。
「……ここにあるんだ」
棚の前に辿り着き、リューザスが戸を開いて中へ手を突っ込んだ。
「なぁ、アマツ。さっき、共生なんて出来ないって言ったろ?
あの時は、確かにそう思っていたんだ。けど、今は違う」
ゴソゴソと手を動かしたまま、リューザスはそう口にした。
「あれから俺は、お前が正しかったって分かったんだ。お前を殺したことも、ずっと後悔していた。罪滅ぼしをしたいって思ってたんだよ……!」
声と肩を震わせながら、リューザスが語るのを俺はただ、黙って聞いていた。
「なぁ、アマツ。王国から出て行くつもりだろ? だったら、俺に手助けさせてくれ。俺なら、お前を安全に外に連れ出すことが出来る筈だ! 頼む、お前に協力したいんだよ!」
「……本当に、そう思っているのか?」
「ああ! 本当だ!」
「……そうか」
会話している間に、目当ての物が見つかったらしい。
リューザスが棚に突っ込んでいた手を戻した。
「見せてみろ」
「……その前に一つ、言わなきゃならないことがある」
そうして何かを握ったリューザスが振り返り、
「――昔からお前は、甘すぎるんだよォ!!」
手に魔力を纏わせ、俺に向かって突き出してきた。
魔力によって強化され、その指先は刃のような鋭さを持っている。
「バァアカが!」
突き出される指の刃。
当たれば、俺の体など容易く斬り裂くだろう。
当たれば、な。
「なっ!?」
手刀は俺に当たる事無く、空を切る。
俺はリューザスの攻撃を警戒して、すぐに躱せる位置に立っていた。
「変わってねぇよ。お前は何も」
分かっていたさ。
調子の良いことを言って、騙し打ちをしてくることくらいな――。
こいつは魔術師としては優秀だが、接近戦は得意ではなかった。
年老いたからか、ディオニスによる傷のせいか、動きも鈍い。
これを躱す程度、今の俺でも出来る。
「ひっ」
顔を引き攣らせ、リューザスが悲鳴を上げた。
攻撃を躱し、その首元を狙って騎士剣を突き出そうとする――その瞬間。
「こ、これを見なぁ!」
バッとリューザスが、自身のローブを捲ってみせる。
ローブの裏には、紅蓮に輝く紋章が刻み込まれていた。
「俺が死ぬと同時に、周囲一体を吹き飛ばす魔術を仕込んである!
ここで俺を殺せば、てめぇも一緒にお陀仏だぜ!?」
どれほどの魔力を溜め込んだのか。
赤々と光る紋章から、禍々しい程の魔力量を感じられる。
リューザスを殺せば、城が丸ごと吹き飛ぶ規模で、本当に爆発が起こるだろう。
「ひ、ひひひ」
心底可笑しそうに、リューザスが笑う。
「それに、てめぇが死ぬだけじゃねえ。城にいる連中も皆死ぬ! てめぇの召喚には関わってねえ、何の罪もねえ人間もまきぞいでなぁ! それでもお前は、俺を殺せるってのかぁ!?」
今までの怯えた表情から一変して、リューザスはニヤニヤと強気の笑みを浮かべている。
人間とはここまで醜悪になれるのかと、思わず感心してしまう。
「殺せねえよなぁ? てめぇは敵だった魔族すら殺せねえ、甘ちゃんだからなぁ!」
紋章を見せ付け、自身を囮にするようにして、リューザスが距離を詰めてくる。
わざと自分の首を刃に突き刺すような、素振りを見せながら。
「やってみろよ、俺を殺せるもんならなァ! なぁ、アマ――」
繰り出した蹴りが、リューザスの顔面にめり込んだ。
鼻の骨が折れる感覚が伝わってくる。
「ごっぉおえッ!?」
蹴りの衝撃で、リューザスが背後にあった換気用の窓にぶち当たった。
突き破り、頭から真っ逆さまに落下していく。
「ぎゃあああああッ」
断末魔のような悲鳴が尾を引き、やがて聞こえなくなった。
この部屋はかなりの高さにある。
人間が下に落ちれば、確実に助からないだろう。
だが、爆発は起こらない。
この高さから落下しても、あのクズはまだ生きている。
三十年前の話だが、あいつはこの世界でも最強クラスの魔術師だった。
かなり衰えてはいたが、この程度で死ぬ訳がない。
「嫌な信頼だ」
なるほど、あのローブがある限り、リューザスは殺せない。
見た所、強制的に脱がしても仕掛けが発動するようになっているらしいしな。
それに今の俺では、一対一で戦ってもあいつに勝つことは出来ないだろう。
今回は成功させたが、二度も奇襲が通じるとは思えない。
「……力を取り戻す必要があるな」
かつての力を取り戻せば、あのローブが発動しても耐えられる。
正面から戦っても、あいつを殺せるだろう。
それに、魔王軍のスパイだったという、あの二人にも会いに行かなければならない。
リューザスから名前を聞いた亜人の連中にも、たっぷりと礼をしなければならないからな。
今後の方針は決まった。
かつての力を取り戻し、あの連中に復讐する。
力を取り戻す算段は、既に思いついている。
そのために、次の行動に移ろう。
まだやらなくてはならないことがいくつかある。
身勝手に召喚してくれた王国にも、礼をしなければならないしな。
「あぁ、そうだ」
落ちていったリューザスへの置き土産を思いついて、小さく笑う。
あいつが掛かるかは分からないが、ためしてみるのも一興だろう。
「――待っていろ」
そう呟いて、魔術工房を後にした。