第十話 『暗闇に怯えるのは』
オリヴィア編終了。
水魔将編開幕。
オリヴィア・エリエスティールは死んだ。
全身を歯蟲に貪られ、その苦痛に泣き叫びながら、絶望の中で死んでいった。
ケージの中に残るのは大量の血痕と、散らばったオリヴィアの衣服や装飾品だけだ。
オリヴィアの死を見届けた後、ここに俺達がやってきた痕跡を消して回った。
オリヴィアは魔物を用いた悍ましい実験を行っていた。
その実験により、多くの村人が死亡。
最終的にオリヴィアは実験中の事故により、魔物に食われて死亡。
恐らくはそういう筋書きになるだろう。
後のことは、カレンが収拾してくれることになっている。
オリヴィアは認められたいなどと叫んでいたが、このままいけば最悪の犯罪者として世に知られることになるだろうな。
「……ガッシュ」
地下室を探ったが、ガッシュの亡骸はどこにもなかった。
既に処分されてしまったのだろう。
どうして、あの善良な男がこんな死に方をしなきゃならないんだ。
オリヴィアが喜々として語っていた内容を思い出して、胸が悪くなる。
「クソ……」
……カレンは両親の死を受け止めきれるだろうか。
エルフィの機転のお陰で、あの話は聞いていなかったはずだ。
それでも、父親が死んでしまったことは伝わっているだろう。
父親に似て、領民のことを考えて、必死に頑張っていたカレン。
その先に待っていたのがこんな結末なんて、間違っている。
「クソが……!」
探索する内、処分前だったのか、他の領民の物と思われる血痕や体の一部は僅かに見つけることは出来た。
あいつの言葉通り、多くの人が犠牲になったのだろう。
死んでしまっては、生者の独りよがりになってしまうが。
あの女が迎えた無様で凄惨な末路が、少しでも彼らの慰めになることを祈る。
それが俺に出来る唯一の事だ。
探索する内で、オリヴィアがまとめていた洗脳魔術のレポートも発見した。
短時間でも単純な命令なら従わせることが出来る。
時間を掛けて洗脳すれば、ジャンにしたように、複雑なこともさせられる。
オリヴィア単独では複数の命令を同時に保ち続けられないから、指輪の力を借りていたらしい。
この指輪も自前のようだな。
また、洗脳以外でも魔力量によっては相手の感覚を狂わせたりすることが出来るらしい。
「……洗脳に、相手の感覚を狂わせる、か」
洗脳魔術の概要については粗方理解した。
直接オリヴィアから受けて、行使の仕方も大体分かっている。
復讐に利用出来そうだな。
「……これで三人目」
マーウィン・ヨハネス。
ベルトガ。
オリヴィア・エリエスティール。
自分だけのうのうと暮らしてきた裏切り者達に復讐を果たした。
絶望に落とし、己の所業を後悔させ、心から謝罪させて、その上で殺してやった。
だが、まだこれからだ。
裏切り者はまだ何人もいる。
ここで足を止めている訳にはいかない。
そうして自分がいた痕跡を完全に抹消し、地下室を後にしようとした時だった。
「――誰だ!」
不意に背後から視線を感じ、勢い良く振り返った。
地下室には誰もいないはずだ。
誰かが屋敷から地下室に降りてきたのか?
その疑問は、振り返った先にあった物を見て間違いだとすぐに分かった。
「――……」
部屋の隅。
薄暗い地下室の闇にまぎれて、一つの眼球が浮いていた。
水で構成されており、時折ポコポコと泡が眼球の内部に生まれている。
眼球と視線が合う。
水で出来た無機質な眼球。
それが視線が交差した瞬間に、グニャリと。
怖気が走るような"笑み"の形に歪んだ。
「――――」
次の瞬間、水泡が弾けるようにして、眼球が消滅した。
「…………」
あれは魔術だ。
誰かがあの眼球を生み出し、俺のことを見ていた。
一体誰が……?
先ほどまで眼球があった所を調べてみるが、魔力の残滓はない。
正体は分からないが、警戒の必要がある。
嫌な物を感じながら、誰もいなくなった地下室を後にした。
◆
カレンの屋敷に戻った頃には、日が傾き掛けていた。
深夜にオリヴィアの元へ乗り込んだことを考えると、半日以上が経過していることになる。
それまで何も感じていなかったが、経過時間のことを知ると途端に疲れが押し寄せてきた。
「遅かったな」
屋敷の前で、エルフィが待っていた。
「ああ……」
「どうだった?」
「始末したよ。報いとしては十分だろう」
「……普通に殺したのか?」
「ああ、変わったことはしてないよ。むしろ苦しまないよう持続式ポーションを使ってやった」
「……相変わらずえげつない事を思い付くものだな」
理解に至り、その光景を想像したのか顔をしかめながらも、「確かにあの女には相応しい末路だ」とエルフィは頷いた。
それから、地下室で見た水の眼球についても説明しておいた。
「誰かが遠隔系の魔術であの地下での出来事を監視してたようだ」
「もしくは『お前か私の行動』を、な」
あるいは両方を、か。
「眼球を飛ばして遠くの様子を伺うなどという芸当は、誰にでも出来る訳ではない。私やオルテギアの上位魔族なら分身体を構成してそれくらいは出来るだろうがな」
「上位の魔族か、あるいは腕の立つ魔術師か……」
魔王軍の刺客がこちらの動向を伺っていた。
もしくは"選定者"――王国の魔術師のしわざか。
「どちらにしろ、厄介な相手には違いない、一応、警戒しておいてくれ」
「承知した。監視者がいないか私の方でも注意しておこう」
既に迷宮を二つも踏破しているのだ。
今の所、追っ手には一度も遭遇していないが、いつ襲撃を受けてもおかしくはない。
このまま活動していれば、リューザス辺りが「よぉ、アマツキくぅん」と姿を現すのも時間の問題だろうな。
「それで……あれから屋敷はどうなってる? 洗脳された人達は大丈夫そうか」
「何も問題は起きていない。あのジャンとかいう男や、他の使用人も正常だ」
どうやら、指輪の効力の解除と同時に、ジャン達の洗脳も解けていたようだ。
「後遺症とかはなさそうか?」
「ああ。私が魔眼で様子を見たが、脳や魔力に異変を来している者はいなかった」
「そうか。それなら良かったよ」
「何人か、ここ数日の記憶が曖昧な者がいるが、それくらいだ」
他には何も後遺症は無いようだ。
ひとまず、洗脳に関しては一段落と言った所だろう。
問題は、カレンだ。
「カレンはどうしている?」
あれだけのことがあったのだ。
取り乱していてもおかしくない。
だが、エルフィは険しい表情で言った。
「気絶させてから二時間ほどで目を覚ましたが……特に変わった様子はない」
「変わった様子はない……?」
両親が死亡しているのに、か?
「一睡もせずに、今に至るまで使用人達の様子を見たり、後始末の準備をしているぞ」
「それは……」
カレンは別段、精神が強いという訳ではない。
それは帝城での一件で分かっている。
気丈に振舞っているだけの、普通の女性なのだ。
それがあの残酷な現実を突き付けて、普段と何も変わらないなんてことがあるだろうか。
「ひとまず、屋敷に入るぞ。あの娘の様子は、直接見れば分かる」
「……ああ、そうだな」
扉を開けて、屋敷の中に入る。
入ってすぐに、一人の使用人に声を掛けられた。
「おかえりなさいませ、伊織様。カレン様がお待ちです」
自室に来るように、カレンから言われているようだ。
返事をして、そのままカレンの部屋に向かう。
洗脳されていたと思われる使用人は念の為に休養を取っているようで、中は静かだった。
働いているのは、さっきの使用人も含めほんの数人だけだ。
静かな廊下を歩き、カレンの部屋の前までやってきた。
まだ起きているようで、中からは筆を走らせる音が聞こえてくる。
「……カレンさん。戻りました」
声を掛けると、音が止む。
カレンの返事があり、すぐに扉が開いた。
「伊織さん! お怪我はありませんか!?」
出てきたカレンは、部屋着らしいゆったりとした服に着替えていた。
俺の顔を見るなり、こちらを慮る声を掛けてきた。
その声色や様子、表情はエルフィが言う通り、確かにそれまでの彼女と同じ雰囲気のように思える。
「……大丈夫です」
「ご無事で何よりです……!」
怪我が無いことを見せると、カレンは安堵の表情を浮かべた。
「あれからのことは、エルフィさんから聞きました。魔物に襲われて気絶した私を、お二人が助けてくださったんだとか……。伊織さんが一人残ったと聞いて、心配していました」
エルフィと口裏を合わせ、カレンは魔物が原因で気絶したことになっている。
オリヴィアのあの語りは、カレンに知らせたくない。
「はい。魔物は俺の方で片付けておきました。ただ……オリヴィアは洗脳魔術が失敗したのでしょう。操っていた魔物に襲われて……」
「そう、ですか」
その一瞬だけ、やや表情を暗くした物の、カレンはすぐに普段通りの表情に戻った。
「では……今回の出来事を陛下に報告しなければなりませんね。迷宮についても様子を見に行かなければなりませんし……。すぐに取り掛からないと」
「……今から、ですか?」
「ああ……すいません。伊織さん達への報酬もしっかりとご用意します」
「忘れてないですよ……!」と茶化すように笑みを浮かべるカレン。
……違う。
「あれから一睡もしていないと聞いています。カレンさんも、少しは休んだらどうですか?」
その言葉にカレンは首を振って答えた。
「やることが沢山あるのです。こんな時に、休んでいる暇はありません」
「……ですが」
「私は大丈夫です。それより、伊織さんは魔物と戦ったのでしょう? 伊織さんにこそ、休息が必要です」
私は大丈夫だと、カレンは決して頷かなかった。
それで話は打ち切られ、カレンは自分の部屋へ戻っていった。
俺とエルフィは「何かあったら使用人に申し付けてください」と言われ、その場を離れるしかない。
「これ以上、何を言っても無駄だろう。……今は一人にするしかない」
「……ああ、そうだな」
「まあ……あの娘の言葉も一理ある。伊織も多少は疲れているだろう? 一度休息を取ったらどうだ」
確かに疲労感はある。
長時間睡眠を取らずとも活動出来るようにはしてあるが、休める時に休んでおいた方がいいか。
使用人にお願いして軽く食事を取ってから、エルフィとともに自室に戻った。
ベッドに転がり、天井を見上げる。
頭に浮かぶのは、普段通りのカレンの表情だ。
「普段通り……」
平静でいられる訳がないというのに。
「…………」
オリヴィアによって、多くの犠牲が出た。
それを知った人々は悲しむだろう。
きっと多くの人が泣くはずだ。
カレンだって、そうしたいだろうに……。
――たくさんの泣き顔を
「――ッ」
視界にノイズが走った。
一面に広がる砂嵐の中に、誰かが立っている。
「……く、」
右腕の勇者の証が熱を発している。
手の甲を抑え、その熱さを堪える。
「……伊織?」
何秒が経過したのか。
隣のベッドに腰掛けているエルフィの怪訝そうな声で意識が戻った。
視界は正常に戻り、証の熱も収まる。
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもない」
……疲れが溜まっているのだろうか。
ひとまず、休息を取るか。
そう判断し、目を瞑る。
するりと意識が転げ落ち、俺はすぐに眠りに落ちていった。
◆
ふ、と目が覚めた。
カーテンの隙間を覗くと、外は真っ暗だった。
もう夜か。
夜だというのに、部屋の灯りは煌々とついている。
そういえば、この屋敷で泊まっている間、朝起きるといつも灯りがついていたような気がする。
エルフィの仕業だろう。
「すぅ……すぅ……」
エルフィは隣のベッドで寝息を立てて眠っている。
「まったく……」
体を起こして、部屋の灯りを消した。
電気じゃなくて、魔力を消費して灯りを付けているのだ。
つけっぱなしじゃ消費魔力も馬鹿にならないだろう。
灯りを消すな、みたいなことを言っていたが、そうも行かない。
体はなんともないが、少し頭がふわふわしている。
肉体というよりは、精神的に疲れているのかもしれないな。
まだ眠いし、もう一睡するか。
あくびをして、ベッドに横たわる。
暗くなった部屋で、もう一度眠りにつこうとした時だった。
「――――!!」
ガバッとエルフィが勢い良く体を起こした。
荒い息を吐きながら、ベッドの上で周囲を見回している。
それから震えながら、自分の体を両手で抱く。
「嫌だ……嫌なんだ。暗いのは……もう」
「……エルフィ?」
「……一人に、しないでくれ」
ベッドから起き上がり、エルフィが俺の方へ向いた。
様子がおかしい。
「おり……伊織」
か細いエルフィの声に、俺もベッドから体を起こす。
「伊織ぃ……」
「……どうした」
返事を返すと、エルフィが安堵の息を吐くのが聞こえた。
それから、エルフィが再び灯りを付ける。
「……灯りを消すな、と言っただろう」
エルフィが俺のベッドの淵に腰掛けると、睨みつけてきた。
「……暗いのが怖いのか?」
そういえば、旅の途中でも毎夜焚き火が消えないようにしていたし、マーウィンの地下室でもそんな素振りを見せていた気がする。
「違う。暗くて静かな所に一人でいるのが嫌いなだけだ」
……それを暗いのが怖いと言うんじゃないのか。
「前に言っただろう……。封印の中は真っ暗で、音も光もなかったと」
「……ああ」
「封印の外に出てからな……静かで暗い所に一人でいられなくなったんだ。体が震えて、呼吸が荒くなってしまう」
「お前……だから、灯りを……」
「……ちゃんと説明していない私が悪かったな」
目を伏せ、自嘲するようにエルフィが言った。
すまないが、灯りを消さないでくれと。
「……悪い。俺も気付けなかった」
それなりの間一緒にいるのに、情けない。
「良い。だが……悪いと思ってくれたのなら、灯りは消さず……私が眠くなるまで、何か話をしてくれ。目が覚めてしまった」
「分かった」
それから一時間ほどエルフィと言葉を交わした。
これからのことや、洗脳魔術のこと、迷宮のこと、最後の方は雑談。
一時間経って、エルフィは再び眠りについた。
「…………」
灯りをつけたまま、俺も横になった目を瞑る。
エルフィの寝息に眠気を誘われる。
「……そういえば」
眠りに落ちる直前――。
いつの間にか、エルフィが隣にいても、警戒せずに眠れるようになってる。
そんなことが、頭を過ぎった。




