第八話 『腐り切った傲慢』
胸糞注意
エリエスティール領。
迷宮、そしてそれを封印する役目を持っていたレイフォード領に隣接した領地。
常に魔物が溢れ出す危険性が存在しており、帝国貴族からは敬遠された土地だ。
領主の名はオリヴィア・エリエスティール。
帝国に襲撃を仕掛けてきた魔王軍の撃退に一役買った功績を認められ、皇帝から貴族の地位と領地を賜った優秀な魔術師だ。
領地の運営にもそれなりの手腕を持っており、領民から目立った不満も出ていない。
そんな彼女が生家としているのは、領地の奥にある大きな屋敷だ。
仕えている使用人はそれ程多くないが、隅々にまで掃除が行き届いている。
外装にも内装にも職人の意匠が施された、豪華絢爛な屋敷の中。
オリヴィアの部屋の中には、封印と隠蔽が施された扉がある。
その奥に、本人しか存在を知らない地下室が続いていた。
灯りによって煌々と照らされた地下室に一人、オリヴィア・エリエスティールはいた。
年齡に反して、そこにあるのは二十代の女性の外見だ。
身体を魔術で弄り、常に若々しい外見を保った彼女は著しく老化を遅くしている。
そのため、オリヴィアは殆ど歳を取っていないのだ。
「さて……そろそろあの混ざり者が死んだという報告が来る頃ですわね」
椅子に腰掛け、実験のレポートを片手にオリヴィアはそう呟く。
レイフォード家の従者には、魔物の襲撃を手引し、その結果を報告するように命令してある。
Aランク冒険者にすら犠牲者を出すほどの強力な魔物を送り込んだのだ。
今頃あの女達は骨も残さず溶かされて死んでいる頃だろう。
「用が済んだら、あの男も魔物の餌にしてしまいましょうか」
『カレン様の為に、レイフォードの為に』。
そんなくだらないことを言って、ジャンとかいう従者はに自分に逆らってきた。
あの混ざり者に与するような男には、生きている価値が無い。
あのような混ざり者に擦り寄る汚物は存在するだけで吐き気がする。
気持ち悪い。
混ざり者も亜人も魔族も存在そのものが不快だ。
一匹残らず絶滅すればいいのに。
「……来ましたか」
地下室内に設置しておいた転移陣が反応している。
報告のためにジャンが来たのだろう。
洗脳してある以上、オリヴィアには逆らえないようになっているが、念のため転移陣は牢屋の中に設置してある。
牢屋越しに報告を聞いたら、魔物の餌にして処分しておくことにしよう。
レポートを仕舞い、オリヴィアが椅子から立ち上がった時だった。
屋敷を震わせるような、大きな爆発があった。
「何ですの!?」
爆発が起こったのは、転移陣がある牢屋の方だ。
一体何が、とオリヴィアが身を固くするのと同時。
「――邪魔するぞ」
牢屋へと続く扉が、勢い良く蹴破られた。
予期せぬ来訪者に目を向いたオリヴィアの視界に入ってきたのは、漆黒のコートを身に纏った黒髪の少年だ。
ジャンからの報告にあった、Aランク冒険者。
そしてその後ろから、更に二人の影が姿を現した。
強烈な魔力の残滓を漂わせる、銀髪金眼の少女。
そして、
「……あら。これはこれは」
赤髪の女性――レイフォード家当主、カレン・レイフォードの姿があった。
◆
洞窟にあった転移陣を使用すると、俺達は牢屋の中に入っていた。
罠という風ではなく、牢屋にも特別な魔術は掛けられていない。
ジャンが攻撃してこないよう、念の為に牢屋の中に転移するように保険を掛けていたという所だろう。
エルフィの"魔眼・灰燼爆"で難なく牢を破壊し、悠々と外へ出る。
地下室のようで窓はなく、ただ魔力付与品の灯りが設置されているだけだ。
そのまま人の気配がある方へ歩を進め、扉を蹴破る。
その先には、オリヴィア・エリエスティールの姿があった。
「……あら。これはこれは」
呆気に取られた表情が、傲慢さと余裕を感じさせるモノへと変わる。
「人の屋敷に勝手に忍び込むなんて、一体何を考えていますの? 流石は混ざり者。まさか、常識すら欠如しているとは思いませんでした」
「……ふざけないでください。貴女のやったことは、既に分かっています」
「やったこと? まるで理解出来ませんわ」
侮辱の言葉を流して、カレンが詰問する。
だが、オリヴィアはわざとらしく首を傾げ、とぼけている。
「――洗脳魔術。心当たりがないとは言わせません……! 貴女が魔物や人を操って悪事を働いていることは、もう分かっているんですッ!!」
「あらあら」
頬に手を当て、嘲笑を浮かべながら、オリヴィアは感心したような声を漏らした。
カレンから視線を外し、俺達の方へ向けてくる。
「所詮は下賤な傭兵風情……と思っていましたが、予想外ですわ。そこの混ざり者に突き止められるとは思えませんし、貴方達がやったのでしょう?」
「…………」
「褒めて差し上げますわ」
自身の犯行を認めたオリヴィアだが、その表情に焦りはない。
追い詰められている感じが全くしない。
何か奥の手を持っているのだろうな。
「……オリヴィアさん。私の父は、どうしたんですか……?」
震え声での、カレンの問い。
それに対して、「ああ」と朝食を思い出すかのような軽い声で、
「――とっくに死んでますわ」
「……っ」
「もう骨も残らず、魔物が食べてしまいましたわ」
「……そん、な」
カレンが力なく崩れ落ちた。
ガッシュの生存は絶望的だった。
俺も、生きている可能性は低いと考えていた。
「ガッシュ……」
……クソが。
どうして、あんな優しい奴が殺されなきゃいけねえんだよ。
「数人の従者を連れて人気のない迷宮に来た所を、魔物に襲わせましたわ。色々と利用できると踏んで屋敷に連れて来ましたが、魔物の餌になる程度の役にしか立ちませんでしたわねぇ」
喜色を含んだ耳障りな声。
その時に同行していたジャンを始めとした使用人を操って、屋敷に送り込んだのだろう。
「洗脳して、使い潰してあげようと思っていたのですが……まさか洗脳魔術を自力で解いてしまうなんて。混ざり者の分際で忌々しい」
操り人形に出来なかった。
だから、魔物の餌にしたのだと――オリヴィアは得意気に語る。
カレンが嗚咽を漏らし、震えてしまっている。
「……行方不明になった領民はどうしたんだ」
「ああ、大半は同じように魔物のお食事にして差し上げましたわ」
エルフィの問いに返ってきたのは、当然だと言いたげな言葉だった。
魔物を操って、レイフォード領と自分の領に被害を出させた。
その罪をレイフォード家の結界に擦り付け、迷宮を占拠する名分を作る。
その過程で、何人もの領民をこの地下室に攫ってきた。
「洗脳の実験にしてから、魔物に食べてもらいました。ゴミを有効利用したのですから、感謝して欲しいものですわ」
「どうして……そんなことを」
「結果を出すためです」
両手を広げ、期待に胸を踊らすように、明るい口調でオリヴィアは語った。
「洗脳魔術は禁術指定されていますが――その禁術で魔物を使役し、迷宮討伐を成し遂げたとしたら――どうなると思います?」
レイフォードを貶め、迷宮を占拠したのは、外へ出てくる魔物を捕らえるため。
そして、秘密裏に迷宮を討伐するためだったのだと、オリヴィアは歌うように言う。
「忌々しい英雄と、それに媚びへつらう国のせいで、私は不当な評価を受け続けて来ました。ですから、迷宮討伐という華々しい結果を出して、私は、今度こそ正当な評価を受けるのですわ」
「そんなことの為に……お父様を……領の人々を犠牲にしたというのですか!?」
「ええ。この実験が成功すれば、人間は魔王軍を打倒しうる力を手に入れることが出来る。そのための必要な犠牲ですわ」
それに、とオリヴィアは言った。
「貴方達のような汚らわしい混ざり者や亜人が帝国の役に立てるのですから、むしろ感謝するというのが筋ではありませんの? 混ざり者と亜人は大人しく人間の食い物にでもなっていればいいのですわ」
この女は三十年前と、何も変わっていない。
身勝手な理論を並べ立て、自分の為に他人を食い物にする。
それで苦しむ人を見ても、必要な犠牲だと嘲笑う。
「……反吐が出る」
「同感だよ。吐きそうなのはこっちの方だ」
「そこの混ざり者に与するような狂った人達に理解して貰おうとは思っていませんわぁ」
ああ、もう、本当に、腐り切ってやがる。
「それで? 格好良く扉を蹴破ってここに来たのは、私の話を聞くためですか? 満足しましたか?」
「…………ッ」
カレンがゆっくりと立ち上がる。
涙を零し、体を震わせ、拳を握りしめて、オリヴィアを睨みつけながら。
「……罪を」
「はい?」
「罪を償ってください」
カレンの口から出た言葉に驚いたのは、オリヴィアだけではなかった。
「……カレンさん」
復讐すると、憎しみに任せて、オリヴィアを殺そうとするのではないかと思っていた。
だが、カレンは違ったのだ。
「貴女は、許されないことを、しました。だから……罪を償って」
「は、はは、あははははは!! バッカですわねぇ、本当に!」
腹を抱えて、オリヴィアが嘲笑する。
「罪を償うぅ? 私は帝国の為になることをしているのですわ。家畜を使い潰した所で、一体何の罪になると言うのですかぁ?」
――ああ。
「全く、父娘揃ってほんっとうに馬鹿ですわねえ! ああ、そうそう! 貴女のお父様が死んだ時の状況、教えて差し上げますわ!」
――俺の認識は甘かった。
「洗脳魔術が効かないから魔物の餌にすることに決めたのですけど、ただ殺すだけじゃつまらないでしょう? だ・か・ら、ゆぅぅっくり、少しずぅつ、蟲型の魔物に体の肉を齧って貰いました」
――下種な女だとは思っていたが。
「最初は強がって叫ばないように堪えていたんですけど、半日も経たない内に『助けてくれ』『死にたくない』って無様に喚いてましたわぁ。途中から、馬鹿の一つ覚えみたいに貴女や妻の名前を叫びだして、聞くに耐えませんでしたわぁ。『カレン~、カレン~』って無様過ぎて笑ってしまいました」
――ようやく理解した。
「そ・れ・で、最後の方には段々『殺してくれ』って言うようになりました。傑作でしたわ! だけど最初に『死にたくない』って言っていましたから、優しい私は少しでも長く生きられるように、魔物が肉を齧るペースを遅くしてあげましたの」
――こいつは。
「そうして、じぃぃぃっくり楽しんで貰った末に、あの男は骨も残らず、この世から消え去りました。貴女のお父様はちゃぁんと役に立って死ねたのですから、カレンさん、誇っていいですわよ!」
――骨の髄まで腐り切ってやがる。
「あ、それから、知ってるとは思いますけど、貴女の母親を魔物に襲わせたのも私です。領民を庇って、バカ面を晒したまま死んでしまいましたわ。その領民も、ちゃんと魔物の餌にして差し上げました。だから、父親とは違って、母親の方は役立たずでしたわね」
「――もう、黙れッ!!!!」
吐き気がする。
目の前にいるのが人間とは思えない。
気持ち悪い。
聞くに堪えないどころの話じゃない。
これ以上は、駄目だ。
こいつは生かしておくべきじゃない。
「ふむ。その話、誰に聞かせたかったんだ?」
エルフィの声。
振り向けば、エルフィの腕にはカレンが抱かれていた。
意識を失っているらしい。
「この娘にだったとしたら、聞いていない相手に一人でべらべらとご苦労なことだ。滑稽だな」
エルフィがカレンを気絶させてくれたらしい。
よくやってくれた。
こんな話は、聞かせるべきじゃない。
「……あらあら、それは残念ですわ。もう少し、聞いて欲しい話があったのですが」
「……黙れ」
「何を怒っているのか分かりませんが、まあそろそろ私も眠いですし、早めに処分させて頂きますわね」
オリヴィアが指を鳴らした。
扉が開く音が連続し、無数の足音が近づいてくる。
「まさか、生きて帰れるとは思ってませんわよね?」
"泥熊"や"酸撃大蛇"を始めとした、無数の魔物がオリヴィアを守るように姿を現した。
そして遅れて、巨大な個体がオリヴィアの背後に現れる。
それは龍種だった。
体中を覆う鱗の上からでも分かる程、その龍種の筋肉は異様なまでに膨れ上がっていた。
首、肩、背中、腹部、至る所から無数の腕や眼球、口腔が存在する――醜悪な化物。
「研究を重ね、迷宮討伐用に作った魔物――"合成龍"ですわ。強靭な肉体に、全てを焼き尽くす炎のブレス。Aランク冒険者でも容易く屠る、私が誇る最強の手駒です」
合成龍の咆哮と共に、全身から生えた腕がビクビクと痙攣し、無数の眼球が犇めいて、一斉にこちらに向く。
……腐り切った女に相応しい醜い化け物だな。
「エルフィ。カレンを頼む」
「……どうするつもりだ」
「決まってる」
翡翠の太刀を抜く。
「――地獄に落とす」
次話、復讐。




